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河伯洞
  若松区白山1丁目16-18  [2008/03/08]
 

河伯洞(かはくどう)は河童の棲家といった意味で、火野葦平の住居でした。一時会社の寮として貸されたりして建物が傷んでいましたが、1997年(平成9)年北九州市の文化財に指定され、保存されることになりました。
1906(明治39)年、火野葦平は若松で生まれました。本名を玉井勝則といい、父は石炭荷役請負業玉井組の小頭金五郎、母はマンの長男に生まれました。1938年(昭和13年)「糞尿譚」で第6回芥川賞を戦地で授賞しました。「麦と兵隊」などの兵隊三部作をはじめ、戦後は「花と龍」「革命前夜」等の作品があります。1960年(昭和35年)自宅の河伯洞の書斎で自らの命を絶ちました。
高塔山の麓の山手通りに、河伯洞はあります。葦平は河童が大好きで、よく作品の題材に取り上げていますし、河童の絵も描いています。
この建物は、葦平の父で、「花と龍」の主人公である玉井金五郎が、葦平の小説の印税で、葦平が出征していた1937〜39(昭和12〜14)年の間に、葦平の住居として建てました。
玄関には、火野葦平の本名、玉井勝則の表札がかかっています。
戦地の戦友達を思って、葦平はこの建物の建築には反対だったようです。1940(昭和15)年竣工しました。
玄関を入ると、真っ直ぐに広い廊下が伸びてます。右手に庭があります。廊下は桜で、天井は屋久杉が使われています。
庭の灯籠の近くに河童がいて、右の石の上には蛙がいます。出征した兵隊がカエル(帰る)という縁担ぎがあったようです。
河伯洞の座敷で、ここで行われた新年会や映画のロケ隊歓迎の宴会での写真は、この座敷が写っています。
座敷には、クロガキの欄間に河童の進軍が彫られています。
2階に書斎があります。1960(昭和35)年1月24日、葦平はこの書斎で自殺します。葦平の自殺が公表されたのは、13回忌を過ぎてからでした。
作品を生み出した机をはじめ、書斎に置かれていたものは、火野葦平資料館に展示されています。
葦平が埋葬されている玉井家の墓は、近くの安養寺にあります。河伯洞の前の山手通りを先に行くと、右手に正保寺公園があり、その前に日本キリスト教団若松教会があり、その先を左折して、坂道を上ります。坂道の上に安養寺があります。
手入れの行き届いた庭に、河童の像が見えます。その横には葦平の直筆の言葉と、河童の絵が描かれた「三禁の碑」が立っています。
寺の奥に墓地があり、玉井家之墓があります。父金五郎が1927(昭和2)年に建立しました。当時早稲田大学学生であった長男勝則(葦平)の名も刻まれています。
JR若松駅の前に若松市民会館があり、建物左側の若松生涯学習センター1階に、火野葦平資料館があります。資料館には、葦平の書斎が再現され、原稿や手紙、葦平が好んで描いた河童の絵やその他の資料が展示されています。
若松が石炭積出港としての基礎を築いた明治時代、石炭輸送に利用された川舟が川ひらた(五平太船)です。船頭達が仕事の合間に船縁を叩いて唄ったのが五平太ばやしでした。
鉄道が開通して、港で石炭を船に積み替えたのがごんぞう(沖仲仕)達です。7月末、若松市民会館の周辺で、若松みなと祭りがあります。若松みなと祭りでは、五平太船の山車を引き、ごんぞう姿で、五平太ばやしを歌います。若松を歌った五平太ばやしの歌を作詞したのが火野葦平です。
若松が石炭積出港として繁栄した時代については、「北九州のみどころ」の「若松南海岸」をご覧ください。
若松みなと祭りについては、「北九州の催事」の「若松みなと祭り」をご覧ください。


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