興福寺

520-0116 滋賀県大津市坂本本町 4220番地

 比叡山・四明が嶽の北東に広大な寺域をもつ天台宗の総本山寺院か延暦寺です。奈良時代末期に19才の最澄(767〜822)が、比叡山に登り草庵を結んだのかそのはじまりで、約1200年にわたって、日本の宗教界最高の位置に君臨してました。全盛を誇つた平安時代末期には、3塔・16谷・3000坊を数えていたといわれています。
 山上は、東塔・西塔・横川の3塔の峰々や谷間の平坦地に堂塔伽藍か営まれ、これら三塔の諸堂を総称して延暦寺といいます。中心は東塔のある総本堂国宝根本中堂。深く生い茂る杉木立の中に点在する堂塔は、修行道場としての威厳に満ち、訪れる人々の心を引き締めます。戦国時代に織田信長によって―山焼き討ちに遭いましたか、豊臣秀吉、徳川家康の手によつて復興された諸堂は、数多くの国宝・重要文化財の指定を受けています。

2003年6月29日
大講堂の朱印


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比叡山延暦寺 案内より

興福寺

東塔地域

根本中堂中庭

文殊楼

根本中堂正面

根本中堂外観

 比叡山延暦寺の中心は東塔のある総本堂国宝根本中堂で、その中には秘仏薬師如来をまつる宝前に1200年間守り継がれた「不滅の法灯」が輝いています。
 その他それぞれの一宗を開かれたお祖師像が安置されている大講堂や戒壇院、文殊楼、法華総持院、阿弥陀堂など重要な堂塔が数多く集まっています。
 根本中堂の内陣が、参拝者のいる中陣・外陣より低い位置にあり、御本尊や法灯が参拝者の目の高さに来ているのは、仏も人もひとつという仏教の「仏凡一如」の考えを表しているそうです。

大講堂

 根本中堂の前にある石段を登ったところにあり、比叡山の総門の役割を果たす重要な楼門です。文殊菩薩が祀られていて、受験生の合格祈願に人気があるそうです。
 根僧侶が法華経の講義を聞いたり、お互いに問答をして勉強をする学問修行の道場。本尊は大日如来を祀り、また、比叡山で修行をして一宗の御開祖となられた法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などの等身大の尊像が安置されています。写真右奥にある鐘は平和の鐘(開運の鐘)と呼ばれています。

2003年6月29日
根本中堂の朱印

道元禅師得度霊跡

親鸞聖人修行の地碑

阿弥陀堂

法華総持院東塔

 根伝教大師は、日本全国6ヶ所の聖地に宝塔を建立した。法華総持院東塔はそれらを総括する宝塔で、根本中堂とともに重要な信仰道場。信長の焼き討ちから400年ぶりに再建されました。
 昭和12年に比叡山開創1,150年大法要を記念してたてられました。ここは減罪回向の道場で、御本尊に阿弥陀如来が祀られています。

諸堂巡拝券

 杉木立と静寂な空気に包まれた西塔は山上でもっとも古いお堂で、天台建築様式の代表とされる荘厳な大屋根の釈迦堂をはじめ伝教大師の御廟である浄土院や「弁慶のにない堂」と呼ばれる常行堂と法華堂、浄土宗を開いた法然上人の修行の旧跡地青龍寺、そして坐禅止観が体験できる居士林などがあり、訪れる人々に心のやすらぎへと導いてくれるのが西塔地区です。

西塔地域

釈迦堂

2003年6月29日
阿弥陀堂の朱印

2003年6月29日
釈迦
堂の朱印

 ここは、天台宗の僧が住職になるための必修の条件である大乗戒(規律)を受ける堂で、年に一度授戒会が行われる。このためか「戒壇院」比叡山中でも最も重要な堂の一つであるとされている。 最澄上人が大乗戒壇院を建立すべく心血を注いでいたが、存命中は実現せず、最澄の死後7日目に嵯峨天皇より勅許が下ろされ、堂は天長5年(828年)に第一世義真座主により創建されたといわれています

戒壇院

にない堂

恵心堂

横川中堂

元三大師堂(四季講堂)


 にない堂の渡り廊下の下をくぐり少し進むと石段下に西塔地区の中心の堂である「釈迦堂」が見えてきます。伝教大師自作の釈迦如来を本尊とし、老杉の木立と共に堂々とした風格をもっています。
 信長の焼き討ち後、豊臣秀吉が大津の三井寺から移したもので、天台建築様式の代表とされる山内最古の建物です。

 1998年9月近畿地方を襲った台風により、西塔地区は相当な被害を被り、釈迦堂裏側の杉の大木が堂の上に倒れ、屋根が破損したようです。訪れたときは、修復工事で、完全に復旧されていました。
 向かって左側の常行堂と右側の法華堂という同じ形の建物がふたつ並んで、渡り廊下でつながっています。力持ちの弁慶がこの渡り廊下を天秤棒にして、このお堂をかついだという伝説から「弁慶のにない堂」と呼ばれています。
にない堂」の手前、にない堂に向かって左側に「親鸞聖人ご修行の地」の石碑がありました。

 比叡山の一番北に位置し、ひとしお霊峰の感のする横川には平安の昔から現代に至るまで多くの文学作品の舞台になっています。この地を開いた慈覚大師円仁も日本人初の旅行記「入唐求法巡礼行記」を著すなど学究質の気風が満ちた修行場ともなっています。朱の色も鮮やかな舞台造りの横川中堂をはじめ四季に法華経を論議することからこの名がある四季講堂(元三大師堂)、如法写経を納めている根本如法塔など比叡の面影を今に伝えています。

横川地域

2003年6月29日
四季講堂の朱印

2003年6月29日
横川中堂の朱印

 横川の中心となる大堂で、848年に根本観音堂として創建したのが始まり。たの堂と同様、元亀2年(1571年)織田信長の焼き討ちにより焼失したようであるが、その後豊臣秀吉により再建されたと言われている、その後昭和17年(1942年)に落雷により焼失、現在の堂は昭和46年(1971年)に建造されたものという。堂の外観は新しく舞台造りと鮮やかな朱塗りの建物が印象的です。
古くは定心房と呼ばれ、比叡山中興の祖・元三慈恵大師の住房跡。康保4年(967年)村上天皇の命により春夏秋冬に法華経を論議することが始められて以来、四季講堂と呼ばれるようになりました。現在は元三大師を本尊にしているので「横川のお大師さん」とも呼び親しまれ、俗にいうおみくじ発祥の寺といわれています。
横川中堂」の前の参道を東の方向に進んだところ。
元三大師堂」から数分歩いたところにあります。ここは恵心僧都の旧跡といわれ、恵心僧都はここに籠もり仏道修行と著述に専念し、浄土教の基礎を築いたとされています。