週刊・ニュースの奥 「 公務員改革」
公務員制度が変わる。
明治以来の官僚主導にたそがれがくる。
渡辺喜美行革担当大臣は、とうとうやり遂げた。 誰もがムリだと考えていた大事業だった。 ムリの根幹は、政治家が、官僚に追随する姿勢を改めないことだ。 だから、与党内だけでは、まず、ムリとされ、渡辺大臣は、袋だたきのリンチの真ん中におかれたのだが。しかし、渡辺大臣は、あきらめなかった。
時勢が助け船を出してくれた。
すでに、政界は、自民党一党支配の安定した世の中ではなくなっている。
野党が台頭してきた。その野党が、渡辺大臣に助け船を出した。
本来、この仕事は、政官抗争のただ中になる。「政」は一致してあたるべきだ、ということは、明治以来の歴史をみれば、誰にもわかる。事態はまさに、そのように動いたのだ。
その背景には、明らかに民心の変化があった。
なぜ、そうなったのか。
それには、日本経済の発展を考えなければならない。
日本の資本主義が、発展途上にある間は、官僚主導、政治追随、民間は、その助けでひた走りに走る姿勢で好かった。明治は、これで、世界史の奇蹟と言われる偉業を達成し、昭和後期には、日本に、世界先進資本主義国の仲間入りを成就させた。
これを学者の言いそうな用語に言い直すと、後進資本主義段階において、官僚主導は、必然的であり、日本は、それで、先進国に追いつくことができたということだ。
欧米の資本主義は、一八世紀の産業革命から出発し、一九世紀の後半には、それも定着させてさらなる段階、植民地と資源と奴隷的労働力を必要とする帝国主義の段階に入っていた。
日本はその頃に目覚め、遅ればせながら、世界の資本主義の仲間入りをした。
理の当然で、欧米に学んだエリート官僚を先頭に立て、あらゆる分野の殖産工業の樹立、基礎作りが官僚の先行指導で始まった。
こうして、鉄工業に代表される資本主義が、起こされていった。
しかし、明治の官僚には、江戸時代に培った、恬淡とした吏道が息づいていた。
その頃の官僚は、工業を興すところまで先頭に立つが、黒字の見通しがたつと、ただ同様にその事業を民間に払い下げ、資本主義の旗手を育成した。みずからは、財を残さず、金銭の未練はなく、国の保障するささやかな恩給で余生を養った。
資本主義は、民間中心に発達した。
敗戦後は、心ない民心のやっかみに流され、ささやかな恩給暮らしの代わりに自らの将来を在官中に切り開く高価な人生の運命におかれた。
こうなれば、官の始めた事業は、官に残す。黒字でなければ行けないと言うから、利益を埋蔵金にするようになった。特殊法人等、ありったけのポスト造りをはびこらせ、あまつさえ、規制をかけて民間天下りで元をとる所行が、目立つようになった。国民にとっては、高価な選択になった。
その結果が、先進資本主義に仲間入りできるようになると、じゃまになっていった。さてこそ霞ヶ関の解体が、緊急の必要事になってきた。
霞ヶ関を解体するには、日本の統治構造を根底から変えなければならない。その究極のツールとして登場してきたのが、地方分権であり、その過渡段階に登場する「道州制」の大改革だ。
そして、併行して行われるのが、公務員制度の改革だ。
先進資本主義では、一人一人の主権者国民が、主役になる。当然、その身近な基礎自治体が、生活に密接な行政のすべてを行う。
国はまた、東京一極集中から、基礎自治体の或る程度の固まりを包含するブロックに、政治行政の中心を移し、より身近なところで国を動かしていく仕組みが取られる。 公務員は、明治以来の制度を改め、官民の間に優秀な人材を交流させ、官民共同してグローバル経済をささえ、日本民族を繁栄させることになる。 明治以来の制度にあぐらをかき、省庁別にたこつぼに入ってよそから身を守ることに終始する官僚制度の私化は、これで終わりだ。
内閣に、公務員人事の中心がおかれる。政治主導で、首相・官房長官・大臣三者で、主要公務員の人事を行う。
人材は、一括採用し、各省庁のカラーに染めるよりは、官民による「幹部候補育成過程」のなかで、官民一体となれる人材を、官民国際の広がりの中で養成していく。その細部は、これから組まれるのだ。この二・三年は、目を放せない。
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