読書録/2006年5月

5月1日
北山猛邦『「アリス・ミラー城」殺人事件』(講談社ノベルス)
北山作品の中では一番よいように思った。この作品で一皮むけたかと思ったら、この次の『ギロチン城』ではまた初期二作の水準に戻っている気がする。

谷川流『学校を出よう!』(電撃文庫)
勘違いしてこっちを一巻だと思って先に読んでしまった。時間パラドックスもの。高畑京一郎の『タイム・リープ』を連想させる。涼宮ハルヒシリーズとどっちこっちないくらいには面白い。

5月2日
舞城王太郎『熊の場所』(講談社ノベルス)
〈熊の場所〉のタイトルとしめはしゃれていると思った。文体で独自の作風を確立しているのが売りですね。

鯨統一郎『パラドックス学園』(カッパノベルス)
鯨の稚気が今回も炸裂している。が、ちょっとイージーに感じられるところも。

5月3日
芦辺拓『少年は探偵を夢見る』(東京創元社)
安定して高水準を誇る芦辺作品。粒揃いの短編集だった。

5月4日
島田荘司『エデンの命題』(講談社ノベルス)
クイーンの『間違いの悲劇』の背景にマンソンファミリーの犯罪があるのかと思ったが、これにマンソンが出てくる。『眩暈』以来の脳科学路線の結実。

堀武昭『「アメリカ抜き」で世界を考える』(新潮選書)
題名に反して、全体がアメリカ論と言っていい。アメリカに対抗する「非覇権主義」は対抗軸たりうるか。

押井守『立喰師、かく語りき』(徳間書店)
笠井潔と押井守の対談に招かれたので感慨深い。

田山花袋『蒲団・一兵卒』(岩波文庫)
笠井潔が『ミネルヴァ』で取り上げていたので一読。明治の古典は有名どころでもあまり読んでいないのだ。これは中編の長さだったのですぐ読めた。蒲団という題名には性的なイメージが不可分に結びついていて、たぶんそれがこの作品を印象深いものにしているのだろう。

5月5日
芦辺拓『切断都市』(実業之日本社)
考えてみれば尼崎など兵庫県南東部は大阪と係わりが深く、河内の辺よりもちかしく感じる。阪神タイガースがこの地域の人の心をこれだけとらえるのも、この地域一体化の願望があるためではないか。
社会派といいながら、ちゃんと本格ファンも満足させる出来栄えになっているのはさすが。島田荘司『火刑都市』に着想を得ているかも。

歌野晶午『そして名探偵は生まれた』(祥伝社)
本格ミステリの約束事を戯画化し、名探偵をちゃかす作品は『名探偵の掟』(東野圭吾)や『名探偵Z』(芦辺拓)など先例があるが、それにくらべるとハジケっぷりではやや物足りない。巻頭の中編以外は既読だった。

5月6日
梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)
はてなを制作している人らしい。インターネットの進化と未来について、刺激的な議論をしている。ウェブ関係の本は今までいくつか目を通したが、読んだ中ではこれが一番啓発的だった。ネット時代の表現者のありかたと著作権のありようについて、さらに考えたいところだ。

5月7日
柄刀一『ifの迷宮』(光文社文庫)
柄刀一の小説はイメージ喚起力がいま一つ弱い気がする。しかし、体外受精、骨髄移植のトリックとしてすぐれものだ。2000年の刊行時に読み落としていた重要作のひとつ、あの年度のベストにはいれるべき作品だった。

5月8日
有川浩『図書館戦争』(メディアワークス)
左翼と右翼という対立軸のとらえかたは古びたようで、今も使われる。教育論に関しては、大雑把には管理主義と自由放任主義の二極が対立軸としてある。この小説では、表現を規制しようとする国家権力と、表現の自由の砦となる図書館の抗争が描かれる。図書館も大体が官立のものなので、そういう対立軸になって国家に抵抗する図式がはたして成り立つのだろうか、私はしっくりこなかった。
もうひとつ、船橋の図書廃棄事件では、フジサンケイの歴史教科書に執筆していた人たちの著書が廃棄されている。言論抑圧は、そういう形で図書館の側から起こっていたりもするのに、この本にはそういう視点が欠けているのが残念というか、不備だと思った。焚書を起こすのは、左翼の市民主義勢力にもあることだ。

谷川流『学校を出よう!』(電撃文庫)
一作目。

山岡謁郎『現代真理論の系譜』(海鳴社)
タルスキの真理論についてお勉強。

5月9日
北村薫『紙魚家崩壊』(講談社)
枯淡の境地の味わい。でも最後の本格としてのカチカチ山は面白かった。

5月10日
米澤穂信『さよなら妖精』(東京創元社)
『氷菓』も『愚者のエンドロール』も謎が小粒すぎてあまり評価できないと思った。この作品もやはり小粒。もう少し持続力のある謎でひっぱってくれないものか。

5月12日
道尾秀介『背の眼』(幻冬舎)
中盤はちょっとかったるい気がした。もう少し圧縮できるのではなかろうか。
ホラーなのかなと思ったら、一応ミステリとして収束する。収束しきれていない面もあるけれど、新人の中では構成力がありそうだし、今後に期待できる。

5月14日
道尾秀介『骸の爪』(幻冬舎)
道尾の三作め。一作ごとによくなっている気がするし、最近の本格ジャンル新人の中で構成力がちゃんとあるのが好ましい。
この作品、ミステリとして上々とまではいかない。小さな謎と蘊蓄推理による解決が数珠状につらなる構成で、その各々が有機的に体系づけられるまでにはいかず、水平的で並列的だからだ。とはいっても、こういう道尾作品を読むとまだまだ本格に希望があると思える。

5月17日
三雲岳斗『M.G.H.』(徳間書店)
新人賞受賞というにしては、手練の作品だと思った。SFミステリ、宇宙船内での墜落死の謎を追う。宇宙船内は無重力なところと重力空間があるので、墜落死に相当する力はなにかもってこられそうな気がして、この謎にはそんなに不可解性を感じなかった。それでも人物立てもうまくヒロインがチャーミング、ストーリーもプロットも上質なので感心した。

5月21日
井上夢人『THE TEAM』(集英社)
ひさしぶりの井上夢人の新刊。テレビで人気の〈霊能者〉をチームでバックアップ。「風が吹けば桶屋がもうかる」の裏返しパターン。テレビ制作に携わっていた岡嶋二人の山本山シリーズも想起させた。

5月22日
ハーバート・クロスニー『ユダの福音書を追え』(日経ナショナル ジオグラフィック)
小説風な書き方のところもあるが、ノンフィクションのユダ福音書探求物語。
先日新聞でも紹介されていた。
グルジェフの教えには、ユダがイエスの一番の理解者で、イエスの意を受けて裏切り者の役割を演じたというのがある。それは中東に伝わるスーフィーの伝統にあるイエスの別伝からくるそうである。そのイエス伝が再発見されたというところであろうか。20世紀になって、多くの秘儀伝承が失われたとグルジェフ・ウスペンスキーが嘆いていたが、このユダ福音書もそれ以前のアジアの僧院などの秘儀伝承の中には含まれていたのだろう。
文学作品ではユダがそういう役回りだったというものはいくつか先行作品があったと思う。たしかコリン・ウィルソンの『夢見る力』でも紹介されていた。

5月23日
山田正紀『マヂック・オペラ』(早川書房)
大作『ミステリ・オペラ』の続編。昭和初期の群像歴史ものの趣きもあって、江戸川乱歩・萩原朔太郎・小林多喜二・阿部定・北一輝等々有名人と、二・二六事件の物語。山田正紀の裏面昭和史として面白く、筆力の逞しさに感嘆するが、面白さの主眼はミステリとしてではなく歴史裏面ものの方にあった感じ。

(
2006.6.4追加分)

5月26日
『気分は名探偵』(徳間書店)
真相がみぬけたのが三編。見抜けなかったのが三編。自分が見抜けた作品の方が論理性が高いに違いないと主観的には判定する。

5月29日
石持浅海『BG あるいは死せるカイニス』(東京創元社)
レイプ未遂で殺された女性の死体に関して、「通常のレイプは女性がするものだ」という内容のセリフがあったところで、あっ、世界観が微妙に違うパラレルワールドかなにかなのだとさとった。カバーには書いてあったのだろうが、読まずに、予備知識なく本文に入っていたもので気づかなかった。
そういう、現実とは微妙に違う世界を舞台にする作品というと、たとえば西澤保彦の『人格転移の殺人』などいくつか思い浮かぶが、ある要素が違う他は現実世界と同じといわれても、他はどう変化するのだろうといろいろ考えてしまったりする。たとえば実験室で人工的な生存環境をつくって観察しているときでも、ある要素を増やすことで生態系に大きく変化が生じたりする。この性差のある世界では、食事文化やその他の生活体系もかなり大きく変わってくるはずと思える。それなのに、他はいまの現実と同じみたいに描写されているので、どうにもしっくりこないのである。
その点をおけば、ミステリとしてはそれなりに楽しめた。作者の一番書きたい方向性がこのへんにあるのかも。

5月30日
乙一『銃とチョコレート』(講談社ミステリーランド)
期せずして法月綸太郎の『怪盗グリフィン危機一髪』と方向性がかぶっていたような気がする。

「涼宮ハルヒの憤慨」書評について

e-NOVELSの書評「涼宮ハルヒをミステリ史に位置づける」に関して「一本足の蛸」で論評されたのを読みました。ふむふむ、なるほど、あの論には空隙というか不十分な点があり、そこを指摘されてます。まず書評中で「キョンのセリフ」となっているのが正しくは「古泉のセリフ」だったので、これは訂正します。それと、「ハルヒが探偵をつとめない」というのはそのとおりなのですが、アニメの「孤島症候群」では原作とちがってかなり探偵役をハルヒがつとめていたりします。ですが、原作でハルヒが探偵役ではないという指摘はあたっています。

自分の論として補うべきところはあらすじとしては以下のような感じなのですが、今は詳しく展開している余裕がないので簡単に──

『黒死館』や『霧の旗』→〈人間原理〉にもとづくご都合主義的な暗合や天啓があるけれども、そのことが主題化されているわけではない、あるいは作者の意図としてはそういうご都合主義を用いているつもりはなさそう。(A)の系列
『完全無欠の名探偵』など→探偵に超越的能力を与えることで、探偵小説のありかたに批評的な問い直しを含んでいる(B)の系列

涼宮ハルヒシリーズでは、ハルヒは自分の能力に無自覚なので(A)の系列にいるけれど、その能力を知って対処しようとするキョンたちは(B)の系列に対応して、批評的に〈人間原理〉世界に対峙し、解決しようと努める。方向性が(B)系列の作品とは違うが、批評的であって、ミステリ的思考を用いている。この〈ハルヒ〉シリーズの批評精神は指摘すべきなのに洩らしていた重大な空隙だったと思います。

谷川流は興味深い作家だと思うので、またの機会であらためて詳しく論じたいと思います。