98/08/28
須藤真澄と超越の瞬間
須藤真澄の作品ではどちらかというと、初期のものの方が好きだ。最初の作品集『電気ブラン』(東京三世社)は、珠玉 の名品集だと思うが、「ゴジラ」のパロディの「帝都は燃えておりまする」とか、太 宰治そのままの「尼」とかが含まれているので、全体のグレードをやや低下させてい る。それでもこの作品集の「月守」「告知」「創造」「晩餐」は、須藤真澄の最上の 作品群だし、第二作品集の『子午線を歩く人』(ふゅーじょんぷろだくと)の表題作 、『観光王国』(同)の「アスパラガス・ハイ」あたりが、須藤作品のベスト選定に 入るところだろう。
この「アスパラガス・ハイ」は、麻薬体験を描いている短編である。須藤真澄自身 が、麻薬経験があるのかないのかは、知らないが、主人公の女の子が、はじめてやっ たときにおじさんとかわす会話が印象的である。 「おじさん/あたし 広がっていく/このままだと/地球の全表面/カバーしちゃう ぞ」「そしたらいいね/もしみんなが/そう感じたら/世界中の人たち/だあれも/ ケンカしないだろうに」「まあるい星を/おじさんと私で/まあるく/二重にカバー する/ね おじさん/これ 四次元?」……「ええとね/三次元+時間がね/四次元 なんだって/だから/ある瞬間に/一つのところにしか/いられない私が/世界中に /広がっちゃったら/これ 四次元だよ」 この物語では続いて彼女は、麻薬体験の後に喫煙を初体験するのだが、それは似て 非なるものであった。 「おじさんのとは 違う…/頭のうしろに/穴があくみたいだけど−−/何にも広が っていかない」 続いてアルコールを飲んだときには、 「ありゃ こりゃ 全然逆だわ/体がどんどん/縮まってくみたい…/ほら 部屋が /大きくなって/ぼやけてく」 一般の少女漫画は、願望充足型のファンタジーが多い。須藤真澄は、その水準の物 語を超えて、人生の意味を問いかけることができる、稀有な女性漫画家である。だが 残念なことに、いくつかの偉大な文学が到達している、意味を獲得する地平にまで、 須藤作品は届いていない。
この「アスパラガス・ハイ」で、須藤は、その最も重要な問題提起をしているが、 しかし、その帰結(着地)においては成功していない。主人公の少女に麻薬を教えた 男は、レゲエ・ミュージシャンを志望するが、成功せず、特殊施設に監禁される。物 語のラストは、少女が監禁された男を訪ねていく場面で終わる。人生の意味に対して 、明らかに重大な問いかけをしたにもかかわらず、物語中の男は人生の意味を、方向 性を見いだすことができない。この物語の、ちゃんと収束しない不細工な結末は、須 藤自身が、問題を提起するだけで、回答を見いだしていないことを示している。
そういった初期作品群に続いて、連載をし始めてからは、長い作品が主体になる。 しかし、長いものは必ずしも、初期の短編を凌駕しているとは言えない。『ナナカド 町綺譚』(小学館)の「アメイジング・プレイス」は、家出した美樹という名の少女 が主人公の物語である。これは、人生に意味を失った美樹が、意味を見いだすまでの 物語であると要約することができる。樹の精に出会った彼女は、長い夜を眠らずに過 ごした後に樹にのぼり、新鮮な日の出を体験する。その瞬間、彼女は、「世界中のも のが/話しかけてきてる/気がする」と語る。この場面はこの物語のクライマックス であり、主人公にとっては、啓示の瞬間であるはずである。しかし、その次に彼女が 語るのは、以下のような言葉である。「あたし/すっげー絵描く!/あたしを絵の道 に/進ませなかったら/人類の損失だと/親に思わせるような/すっげー絵描く!」 。
一応この物語は、この場面がラストであり、この後彼女は意味を回復して、家庭へ と還帰していったはずである。今まで見いだせなかった生きる意味、生きる目的を彼 女はこの瞬間に獲得したことになるのだろうが、しかし、この場面での彼女の悟りは 、こんな凡庸なものでよいのであろうか。ここで彼女が語ったことは、つまるところ 、大勢の人間が抱く野心や野望と対して変わらないものでしかない。それは、短い間 なら、人生の意味や目的を満たすものであるかもしれないが、生きる意味を求めて漂 流していた美樹を、真の意味で満たすものではないはずである。ここでもまた、須藤 は、重大な問題提起をしておきながら、回答を見いだすことができず、着地に失敗し ているように見受けられる。
では、より着地を成功させるには、この物語のクライマックスで、彼女はどう語る べきだったのだろうか。彼女の悟りは、どのようなものであるべきだったのか。難し い問題なのは明らかだが、試案を示してみよう。 「いつもと違う……/今までと違う/この空気/風と樹と…/世界中のものが/話 しかけてきてる/忘れてた/ずっと自分の中にあったのに/今までずっと忘れてた/ ずっと気づかないでいた」 要するに、ここで彼女は、外面的な行為の達成に意識を向けるべきではなく、その ときの世界との一体感、超越の瞬間をもたらしたものを、自分の内面、意識に向ける べきだった。樹との語らい、世界との不可思議な一体感、そういった超越的な体験を 自分にもたらしたのは、他でもない、彼女の意識だったはずである。同じ意識がまた 、彼女に空虚感をもたらし、生きる意味を喪失させていた。だから、彼女は、その意 識の違いに注意を向け、何がその違いをもたらしたのかに、思考を働かせるべきであ った。意識という鏡は、曇らせたまま放置することもできれば、磨いて輝かせること もできる。人生の意味を見えなくさせ、鏡を曇らせていたのは、実は美樹自身の選択 したところであった。だが受動的に生きるだけでは、自分で選択していることは、忘 却され、無意識の底に沈んでいる。真にこのことを悟れたら、それは美樹にとって、 本当の悟りの瞬間になるだろう。そのときなら、美樹は本当に自分の人生に意味をも たらしうるものを見つけられたかもしれない。