読書録/2000年3月
3月2日 アガサ・クリスティー『アガサ・クリスティー自伝』(上下)乾信一郎訳・ハヤカワ文庫
親しみのもてる語り口の自伝。ミステリ論もそこかしこにあるが、その比率はあまり大きくない。アメリカを見下しているのだろうか、まったくアメリカの作家への言及はない。フランスなら、ガストン・ルルーやモーリス・ルブランを愛読したというくだりはあるのだが、ポオの名前も一回も出てこない。『二人で探偵を』で、当時の名探偵のパロディをやったときも、ことごとくイギリス作家の名探偵ばかりだったはずで、やはりイギリス人は、アメリカ文化を見下しているのかと思わせる。
二階堂黎人氏が『本格ミステリを語ろう!』(原書房)で、クリスティーがドゥーゼを読んでいたという記述が自伝にあると言っていたけれど、見当たらなかった。他の本のことだろうか。
3月4日 中島梓『ベストセラーの構造』(ちくま文庫)
村上春樹が、この本が書かれた時点では、あまり売れていない作家の一人としてちらりと触れられているだけなのは、時代のギャップを感じる。それだけでなく、ベストセラーになった文芸作品のリストも、時代の隔たりを感じさせるものばかりで、田中康夫も最近はあまり活躍していないようだし、中沢けいなんて忘れられている気もするし、この時代の文芸ベストセラーも、二十年たって一線で活躍している人って村上龍くらいしかいないようですね。この書かれた時点では、「理解もされないのに百万もの人がその本を買うのはなぜか?」というのが、問題提起の一つとして重要だったが、その問題意識は今ではあまり通用しなくなっている。今は同じ本が出てもベストセラーには到底ならない気がする作品が多い。
3月15日 森英俊・野村宏平編『乱歩の選んだベスト・ホラー』(ちくま文庫)
『幻影城』にも収録されている有名なエッセー「怪談入門」で紹介された作品からセレクトした怪談のアンソロジー。大半が簡単には読めないものや、未訳の作品なので、歓迎である。「蜘蛛」「目羅博士」「猿の手」の三編は、他で簡単に読める(集中で私が既読だったのもこの三つ)ので、他の知名度の低い作品にまわしてほしかった気もする。ビアスの「ふさがれた窓」は読んだような気がするのだが、持っている「ビアス怪談集」(講談社文庫)は、短編の原題が表記されていない不親切なつくりでちょっと困った。これには収録されていないようである。岩波文庫から『生のさなかに』が出ているので、そちらには収録されているのだろう、所蔵してないので調べられなかったが。「猿の手」は、新版で削られている一段落を復活させた無削除版で、書誌的には貴重だが、作品の完成度からみると、このくだりは削られている方がベター。作者自身の推敲で削られたのだろうと思われる。「専売特許大統領」は、ホラーではなく、ユーモア小説。しかし一番集中では珍重すべき一編。ベンスンとドイルの短編は、怪物遭遇ものとして話の骨格は似ているのに、書き方が全然違って好対照なのが面白いところ。ドイルの書き方の方が、わかりやすく大衆受けするのは明らかだが、作品の優劣はまた別問題です。
乱歩の「類別トリック集成」のアンソロジーも編んでもらいたいところ。あちらも読めない作品が山積してるし、ハイデンフェルトの短編なども取り上げてほしい。
3月16日 鮎川哲也『ブロンズの使者』(徳間文庫)
ジグソーハウスから800円で購入。これで鮎川哲也の文庫はマジック1となった(アンソロジーと春陽文庫は除く)。あと一冊は『青いエチュード』(河出文庫)。あとノベルズの『材木座の殺人』(フタバノベルズ)がないので探しているけれど。
表題作の「ブロンズの使者」は、ノンシリーズものとして『金貨の首飾りをした女』(角川文庫)に収録されている。が、三番館シリーズ向きの短編だけあって、改稿版はシリーズにはまっている。「夜の冒険」は長編『死びとの座』と似た着想のアリバイもの。「マーキュリーの靴」は、カーター・ディクスン『白い僧院の殺人』に挑戦したような、雪の密室ないし足跡のない殺人もの。
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3月18日 D.H.ロレンス『不死鳥』(上)吉村宏一ほか訳・山口書店
1984年4月刊・4800円
D.H.ロレンスの没後に編集された、単行本未収録の非小説作品を集大成した一冊。邦訳書は大判で上下巻合わせて1200頁にもなる大著で、原稿用紙に換算しても3000枚にはなろうかという膨大さである。
ハイデガーが『ニーチェ』の講義録の中で、ニーチェの言で最も重要なのは、未公刊の遺稿集にあり、その遺稿に比べれば、彼の著作は本邸に対する玄関か門のようなものだと述べていた。実際、ニーチェの全集を通読してみると、そのハイデガーの言葉に同意せざるをえない。ところがロレンスも、ニーチェと似たような事情があって、彼の最良の文章は、この単行本未収録となっている中に散見されるのである。
全体は七つの部門に分けられている。
一 自然に寄せる詩的小品
二 人々・風土・民族……紀行文、外国旅行記や見聞録
三 愛・性・男と女
四 文学と芸術……書評集
五 教育
六 倫理・心理・哲学
七 余録と断片……未刊小説もあり
上巻は四の途中まで。ここの書評に取り上げられている作家は、大半知らないものばかりだが、威勢がよかったり、けなすときは徹底的で、書評それ自体が文学作品にまで高められているのに感心させられる。読んだことのある本としてはドストエフスキー『大審問官』モーム『アシェンデン』トーマス・マン『ヴェニスに死す』くらいだが、マンは老いぼれて力がないとかなり辛辣。ドストエフスキー論としては、洞察に富んだ鋭い考察があって、集中でも白眉。以下、いくつか名言と思える箇所をピックアップ。
「性機能と排泄機能とは、人間の身体のなかで密接にかかわり合っているが、その実、二つの働きはまったく逆なのだ。性は創造へと向かう流れであり、排泄は溶解へと向かう。……健康な人間であれば、この二つの流れは瞬時に区別できるのであり……しかるに、人間が堕落してしまうと、この深いところにある本能が死んでしまい、それゆえこの二つの流れが合流して一つになってしまう」(247頁)
「われわれがやらなければならないことは、黄金をまとって美しく輝く暗黒の太陽でまだらになったジャガーのように、あるがままの真の混沌を受け入れることにある」(360頁)
「余暇に自分がやりたいことをして、やるように命じられたことは労働時間にする。これは奴隷状態である。……労働時間にやりたいことをやり、しなければならないことは余暇にする。これは自由の状態である」(534頁)
厚い本なので、感想も上下にわけます。
3月25日 J.P.サルトル『アルトナの幽閉者』永戸多喜雄訳(人文書院)
三島由紀夫の最良の作品は小説より戯曲にあるのではないかと私は思っているが、サルトルの場合にはよりそれが明瞭で、『悪魔と神』『汚れた手』『出口なし』『蠅』といった戯曲は、彼の著作の中で最良のものと言えるだろう。もちろん、『嘔吐』をはじめとする小説、『存在と無』をはじめとする哲学的著作での偉大な業績を失念しているわけではないのだが。
本作は戦後発表された、サルトルの戯曲の代表作の一つ。第二次世界大戦が終わって13年たったドイツの邸宅が舞台。そのゲルラッハ家の長男フランツは、戦時中ナチスの将校として捕虜を拷問死させたことがある。父親は、フランツが入隊前に、ナチの迫害を逃れたユダヤ人を匿っていることを知り、息子の安全のためにユダヤ人の存在を当局に通報する。そのユダヤ人は、フランツの目の前で射殺されてしまい、フランツはその経験がずっとトラウマとなったようだ。戦後フランツは、戦犯追求をおそれ、死んだものとして、ずっと家に幽閉状態で過ごす。弟のウェルナーは弁護士として活躍しているが、その妻ヨハンナは実はフランツに思いを寄せていた……。
水平方向の政治劇として、垂直方向の思想劇として、両面から傑作といえる味わい豊かな作品である。
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