読書録/2000年9月
9月1日 布施英利『禁じられた死体の世界』(青春出版社)
以前に「ウゴウゴルーガ」という変な番組を早朝やっていたのでたまに見ていたが、そこに出てきた「したいにかんするえらいひと」が本書の著者、布施英利である。東大医学部の解剖学教室で助手を勤め、著書のほとんどが死体絡みというので、たしかに日本の死体学(そんな学問はないが)の第一人者と言える著者の死体に関する蘊蓄本。
東大にある医学部の死体プールは何十年もの間掃除していないところがあって、その異臭たるやすさまじく、中からは身元不明の死体や胎児や動物の死体がうぞうぞと出てきたという。そこの汚水など、飲んだら即死しそうである。
9月2日 古泉迦十『火蛾』(講談社ノベルス)
メフィストの巻末座談会で話題となっていた宗教ミステリがとうとう出ました。スーフィー・ミステリではないですか〜。私もそういう題材のミステリ書こうかと思って、この一二年資料を集めていて、だから国書刊行会の『奇蹟』に「スーフィーの奇蹟譚」などを訳出したりしていたのですが、これは先を越されてしまいました。主人公のアリーは、スーフィーの行者で、神の真理を求め修行している身。導師ハラカーニーのいる、洞窟に入ったアリーは、そこで修行している三人の行者にあい、謎めいた教えを授かる。ところが行者の一人が何物かに刺殺され、しかも密室状況である。自分を含めて容疑者は三人しかいない。犯人ははたして?細かい突っ込みをさせてもらえば、冒涜の罪で処刑されたマンスール・ハッラージが言った「アナー・アル・ハック」は「我は神なり」ではなく「我は真理なり」と訳す方が正確で、「真理」は神の属性なので、マンスールは自分を神と等しい者にしているという論法で、冒涜になったようである。宗教が事件の解法と密接に絡み合っているところが良く、とても私好みのミステリ、今年のベスト1候補です。
9月2日 鮎川哲也・島田荘司編『ミステリーの愉しみ第二巻・密室遊戯』(立風書房)
10月発売のダ・ヴィンチで日本の密室ミステリについてエッセーを頼まれたので書棚から密室関係の本を取り出してあれこれ読書中。立風のこのアンソロジーは、半分以上は前に読んでいたのだが、これを機会に未読のところを通して読んだ。
題名からして密室ものの短篇ばかり収録されているのかと思いきや、過半数は密室ものですが、そうでない短篇も四割くらい入っていた。
この中でインパクトが強かったのは、藤村正太「黄色の輪」。俳句をたしなむ美也子夫人のところに四つの奇妙な小包が届く。羽子と苗札と押麦とピース。これを見て、意味を察して顔色を変えた美也子夫人は凄い。それぞれ四つの品物は、俳句の季語となるものなので、1・3・5・8月の季節を表している。以下、引用。
「一三五八、即ち一分三十五秒八こそ、美也子夫人にとって忘れ得ぬ想い出の数字なのです」「奥さんは都立Y高校女時代平泳ぎの選手で、都の大会に百メートル一分三十五秒八という見事な記録すら樹てたことがあるのですよ」(240頁)
うーむ、高校時代の水泳のタイム記録を覚えていて、それをすかさず思い出して、四つの謎の品物から連想できるとは、本当に只者ではないなと感心しました(笑)
9月12日 栗本薫『優しい密室』(講談社文庫)
有栖川有栖が『有栖の乱読』で、ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』の犯人がクライマックスで現行犯逮捕されることに批判というか不満を表明している。本格ミステリなら、理詰めで犯人を追い詰めてほしいという内容のもので、私もそうだなあと同感した。この『優しい密室』もクライマックスでの犯人は、現行犯逮捕なので本格ものとしては物足りない。女子校+不純異性交遊がらみの殺人+密室というのは、東野圭吾のデビュー作『放課後』と似ているが、女子校の雰囲気描写は、女性作者の栗本薫に一日の長があると言えそう。密室の解法は、いま一つ不満でした。
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9月13日 西村京太郎『名探偵に乾杯』(講談社文庫)
密室、嵐の孤島(閉鎖空間)、殺人予告状と連続殺人といった本格ミステリの道具立てをあからさまに用いた作品は、1990年代以前の日本のミステリにそんなに作例は多くない。横溝正史、高木彬光のいくつかの作品と鮎川哲也の星影もの……くらいがそれに近いけれど、露骨にそればかりをやっているものはごく少ない。ところが、西村京太郎の初期作品は、あからさまにそういうコードを用いたものが多い。名探偵シリーズ第四弾の本書もそう。毒殺、密室×2、砂の上の足跡のない死体と、四つの連続殺人のそれぞれに工夫の凝らしたトリックが盛られていて面白い。ポアロ最後の事件である『カーテン』の別解釈も、皮肉なようだが、なかなか秀逸。読みやすく、読者を物語世界に誘い込む語り口は巧みで、赤川次郎と相通じるものも感じるが、赤川次郎が、若者の視線で書いているのに対し、西村京太郎は、初期の頃から、オジサンの視線の小説である。
西村京太郎の転機は、「殺人事件」というタイトルを連発するようになって以降でしょうね。そのときにある種の諦念と断念がこの文才豊かな作家に訪れたような気がします。
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9月13日 松尾詩朗『彼は残業だったので』(光文社カッパノベルス)
残業ミステリの快作!
コンピュータ会社のオフィスで働く中井は、労働意欲の乏しい新人社員とアルバイトに内心激しい怒りを覚えていた。いつも自分に尻拭いをさせ、残業を一人押しつけられる身なのだ。頭髪が薄くなっていたことを気にしていた中井は、新入社員の佐藤に「ハゲ」呼ばわりされ、抑えていた殺意に火がついた! もう一人、人妻で堂々と不倫している野村にも中井は、殺意を覚えた! 残業で遅くなった中井は、間違ってロックされて会社に閉じ込められてしまい、本屋で買った、人を呪い殺す法を読んで、そのとおり、憎き男女社員を呪殺しようとする。そしたら、本当にその二人が焼死のバラバラ死体で発見された! 不倫の背後には、その痴態を写真に収めた、裏の陰謀があった! 一体この不可解な事件の真相は!?
会社人間の体臭が漂ってくるような一作で、ミステリ的には島田荘司風の大胆なトリックを縮小再生産したような感じでした。
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9月17日 大滝啓裕『エヴァンゲリオンの夢 使徒進化論の幻影』(東京創元社)
全編『新世紀エヴァンゲリオン』を論じた長編評論集。奥深いあの作品は、大滝啓裕のこの評論書をもって初めて読み解かれたのではないかという気がした。手応えのある力作評論でした。
ヤシマ作戦のときのシンジの使徒狙撃が、射精のイメージととらえられ、「シンジが逸るあまりに挿入前に放ってしまったあと、レイに助けられてふたたび奮い立ち、ようやく放つことができた」(106頁)というような精神分析的解釈も面白いし、加持リョウジの射殺が、見てるだけでは真相や背景がよくわからなかったが、射殺したのはミサト本人であるのが有力という推理をしている。赤木リツコの母親は、転落死したが、これは自殺か他殺か事故死か、それぞれの可能性を検討していて、その死に碇ゲンドウがかかわっている可能性が大きいとする。八話の英語の題名「ASUKA
STRIKES!」が、アスカがひっぱたく、アスカが攻撃する、アスカが印象づける」の三つの意味がそれぞれ成り立つことを指摘される(134頁)と、制作の深謀遠慮に驚かされる。一番の面目躍如は、オカルト学に詳しい著者が、さまざまな記号やモチーフから、あの作品の背後に首尾一貫した体系を見いだしているところで、ウニオ・ミュスティカ(神秘の合一)と、プロティノスのいう流出と、カバラの秘儀が、あの作品の明示的には描かれざる真のテーマであったと説得的に論を展開している。
9月22日 京極夏彦『文庫版 狂骨の夢』(講談社文庫)
京極夏彦の大作シリーズは、重層的な意味構造が堆積していて、一読しただけでは、なかなかその構造や含蓄を十全にとらえることは難しい。『京極夏彦の世界』で斎藤環は、『狂骨の夢』を俎上に乗せ、その精神分析の記述が昭和27年時点の知識レベルからして、いくつか齟齬があると指摘している。その論を踏まえたのか、降旗の精神分析を学んだ過程は大幅に加筆訂正され、××××との病名がノベルス版から変えられている。降旗という名前一つとっても、古沢博士、フロイト、「黒死館」の降矢木等々を連想させるし、文字面にも絵が書かれているようにも見え、どんどん深読みが可能である。
9月28日 山田正紀『ナース』(ハルキ・ホラー文庫)
墜落したジャンボ機の乗客の死体がなぜか化け物と化して次々と人を襲う。戦うのは正義の看護婦チームだ……。
というような話ですが、読み終わってもいま一つ不完全燃焼感がした。各看護婦の性格設定も、最初の方で、割合説明的に記述されていて、どうもしっくりこなかった。
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