読書録/2000年10月
10月2日 ボルヘス『ブロディーの報告書』鼓直訳・白水社
『不死の人』『伝奇集』についでボルヘスの短編集を読むのは三冊目。磨かれた文体に、結晶化した洞察をこめた短編集だが、登場人物たちが、麻耶雄嵩をどこか連想させるとぼけた味わいと、奇妙な無関心・無感動さに支配されている。結構、結末では血を見る話が多いが、チェスタトンやカフカ、ディキンスンに通じる
味わいがある。
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10月10日 シュテファン・ツヴァイク『バルザック』水野亮訳・早川書房
みすず書房は、ツヴァイク全集を名乗っているのに、漏れているツヴァイクの著作がかなりある。中でも遺稿となった未完の『バルザック』。ツヴァイクには「三人の巨匠」の中にも別のバルザック伝があるために、区別するために「大バルザック」とも呼ばれることがある。本書は未定稿なだけに、他のツヴァイクの伝記に比べると、やや粗く、完成度が低いのは否めないが、ところどころ情熱的な名文が、バルザックの人柄と文学を活写しているところは見事である。
バルザックは20歳頃事業に失敗して莫大な借金を負い、生涯、馬車馬のように小説を書き続けるが、ついに死ぬまで借金から解放されることはなかった。借金を負ったことが小説産出にプラスとなったのだろうか。恋愛の相手はたいてい年上の人妻ばかりで、ようやく結婚したときには、余命いくばくもない身であった。
10月10日 倉知淳『壺中の天国』(角川書店)
長編としては『星降り山荘の殺人』以来、ほぼ四年ぶりとなる倉知淳の新刊とあって、過大な期待をしすぎたせいでしょうか、枚数も約千枚と長めなので、かなりの大仕掛けのミステリを期待したのですが、その期待にやや反して、こぶりなミステリでした。
一見つながりが見えない連続殺人をつなぐ糸を探すミッシングリンクものとしては、秀逸な趣向が盛られています。登場するキャラクターについては、各人の嗜好を書込すぎたきらいはありますが、なかなか魅力的。でも、この執筆間隔と、この長さ、もっと何かあるだろうと期待した割には、少し薄かった気がして、残念。
10月12日 天沢退二郎『魔の沼』(筑摩書房)
『オレンジ党と黒い釜』につづく、〈三つの魔法〉三部作の第二作めの長編。前作を読んでから、十数年ぶりに第二作を読んだ。
〈古い魔法〉と戦って、一応の勝利をおさめた、オレンジ党の仲間たち。ヒロインのルミは、黒い沼の悪夢にさいなまれるようになる。学校の近くにその沼が現れ、ルミたちの通う学校からは生徒がどんどん減っていき、廃校の瀬戸際に立たされる。教育行政を担当する者にも、黒い魔法の呪いがかけられたのかもしれない……。前作で戦った源先生が、沼の王との戦いのために、オレンジ党と同盟を申し出るが、本当に信用できるのか?
謎の転校生が現れ、死んだ妹の霊が、沼に現れるという。
天沢退二郎というと、詩人と、宮沢賢治研究の業績が有名だが、ファンタジー作家としての業績を看過すべきではない。この長編連作は、日本では珍しい、本格ファンタジーの高峰なのである。
10月12日 天沢退二郎『オレンジ党、海へ』(筑摩書房)
〈三つの魔法〉三部作の完結編。〈古い魔法〉と〈時の魔法〉と〈黒い魔法〉の三つ巴の抗争に決着がつくときが来た。「鳥の王」から、救援を求めるメッセージを受け取ったオレンジ党は、死の国へと乗り込んでいくことになる。今までで一番てごわくおそろしい敵が、そこを統べていた。
251頁の後ろから四行目にある、謎めいた二文字の空白は、何の文字が入ったのだろう、気になる。
天沢退二郎の『闇の中のオレンジ』等の短編集に出てくるキャラクターがかなり出演し他作品と密接にリンクしているらしいのだが、いま探しても、そのあたりが入手困難本になっていて、手に入らないので読めない。鮮烈なイメージが浮かぶ、名シーンが連打され、一読忘れがたいファンタジーの名作でした。
10月13日 ボルヘス&
カサーレス『ドン・イシドロ・パロディ六つの難事件』木村榮一訳
岩波書店
ボルヘスの著作リストや解説で存在だけは、はるか以前から紹介されていた、ボルヘスの──共作だが──探偵小説短編集。訳者の解説によれば、ボルヘスは、ポーを尊敬しつつも、チェスタトンを、ポーを凌ぐ最も偉大な探偵小説家として尊敬していたらしい。この短編集も、狙いとしては、チェスタトンのブラウン神父ものに近い。
といいつつ、割合読みづらいなあと思っていたら、某所で、この訳文がよくないとの声があり、訂正されるべき訳例がのっていた。この訳文が悪いのは本当らしい。チェスタトンの晦渋な、形而上的な短篇は、訳文が少し悪くなると、まったく理解不能になってしまう。この本は、どうやら、この訳文では十全に味読できないようだ。
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10月16日 平井呈一『真夜中の檻』(創元推理文庫)
『ドラキュラ』やマッケンなど、日本の怪奇小説翻訳において不朽の業績を残した平井呈一のほぼ唯一の小説集。「真夜中の檻」と「エイプリル・フール」の二中編から成る。元版は、乱歩と中島河太郎が推薦を寄せていて、古書界でも稀覯本になっていた。文庫化による復刻は読者としてはありがたい。「真夜中の檻」は、人里離れた山奥での怪異譚で、イギリス風の怪談に近い味わい。「エイプリル・フール」は、都会を舞台にした、ドッペルゲンガーの絡んだ神秘譚。文章が端正で味わい深い逸品。
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10月16日 コリン・ウィルソン他『魔道書ネクロノミコン』大滝啓祐訳・学研M文庫
六年前に単行本が出たものの文庫化。作家や研究者が、クトゥルー神話の魔道書「ネクロノミコン」についての論稿を寄せている。一番長いのは、100頁ほどにおよぶコリン・ウィルソンの論文だが、実はこれ、サンリオSF文庫の『SFと神秘主義』に収められていたラヴクラフト論とまったく同じもの。
というわけで、既読なんだけどなあと思いつつ、購入してざっと一読。コリン・ウィルソン以外の寄稿は、あまり興味をひくものがなかったが、巻末の「ネクロノミコン」の一部を訳出したとする部分は、魔道書にふさわしい内容で、ここは読みごたえがあった。
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10月17日 竹本健治『鏡像のクー』(ハルキ文庫)
最近竹本健治さんのSF長編が二作たてつづけに刊行された。『クー』の続編の本書と、e-NOVELSで出た『惑星ルギィの胆汁』。どちらも、脱稿したのは、はるか前らしいが、公刊されたのは初めてである。
『クー』は、ヒロインのクーの載った戦闘機が、ラストで撃墜され、クーが死んだかに思えたが、彼女は記憶を失い、性奴隷として飼われている存在として二作めには登場する。ヒロインに対して、なんという仕打ち……。暴力に満ちた世界で、「救世の科学」教団が、実権を得て、支配権を確立するために意図的に暴動を起こさせようとする。クーは、さしむけられた刺客を撃退できるのか?
派手なアクションがありながらも、世界観と物語は、ひたすら陰惨で残酷だが、こういう作風は嫌いではない。前作よりも物語のダイナミズムが増し、三作めへの期待が高まる。
10月18日 ニコス・カザンツァキ『石の庭』清水茂訳(読売新聞社)
邦訳書が、1978年に刊行された長編小説で、カザンザキスの本でも一番入手困難かも。国会図書館でも置いていないし。母国語のギリシャ語でなく、フランス語で書かれていて名前の表記も「カザンツァキ」とフランス語読みになっている。
東洋の旅をしてきたカザンザキスが、開戦前夜の日本と中国を舞台にしている。語り手が日本の港で知り合う女性ヨシローは、東洋と日本の理念を語り手に諭すのだがこんな女性が日本に存在したとも思えず、ウールリッチの「ヨシワラ殺人事件」のような、パラレル日本ワールドの物語である。禅寺の石の庭を見て、その庭にこめられた寓意の謎に語り手は思いをめぐらせ、その謎は一つの言葉で解けると僧侶が諭す。その一語とは「仏陀」で、語り手は、仏教と東洋哲学ヘの思弁をめぐらせる。
その後、ヨシロとともに中国に渡る。たぶん上海と思われる都市で語り手は、美しい娼婦のリ=テーとその父の道士シュウ=ランに会う。日本軍が支配するこの都市では、日中両軍の諜報活動も盛んだ。ヨシロは、日本のスパイと疑われ……。
33節のリ=テーの手紙は、一個の叙情詩として鑑賞できるほど詩的で美しい。
宗教とは何かを常に思索しつづけたカザンザキスの、東洋での魂の遍歴を描いた力作にして傑作小説である。
10月25日 鮎川哲也監修・芦辺拓編『絢爛たる殺人』(光文社文庫)
マニエリスムというか、小栗虫太郎フォロワーというべきか、「ミデアン──」と「日本シーホーク」は、小栗風の作風。短い中にトリックがたくさん盛り込まれ、怪しげな異世界を構築しています。収録作品全部面白いっす。中でも趣向と切れ味の光るのは坪田作品。
これだけ面白いミステリが、単行本未収録のまま今日まで眠っているというのも半分信じられない気がしました。社会派の勃興とともに、こういう遊戯的な作風が一掃されたのが要因でしょうが、それは外在的な理由で、内在的にも、こういう試みが行き詰まっていった必然性があったことを示しているかもしれない。それを指摘している芦辺解説は炯眼だと思いました。
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10月26日 折原一『倒錯の帰結』(講談社)
今まで結末部分を袋綴にしたミステリは、いくつかあったが、真ん中を袋綴にしてあるのはこの本が初めてだろう。「監禁者」と「首吊り島」の二部構成からなり、両方の結末が、一つになって真ん中で明かされるという仕掛け。倒錯シリーズ三部作の完結編ということで、『倒錯のロンド』と『倒錯の死角』とは、登場人物も重なるし、前もって目を通しておいた方がいい。のみならず、折原作品の他の作品ともリンクしている。中でも、なんと、あの作品とリンクするとは……。
「首吊り島」は、獄門島をなぞったような展開で、美しい三姉妹がいて、童謡通りの見立て連続殺人が、閉鎖された孤島で勃発する。分家と本家の争いもあるし。密室ものの解明自体は、自分で推理してみた予想の範囲内だったが、「監禁者」とのリンクは…見当がつかなかった。
10月27日 古処誠二『少年たちの密室』(講談社ノベルス)
いじめや学校問題を主題にしているようなので、なんとなく食指がのびなかった。あまり本格ミステリではにつかわしくない主題と思えたからだ。しかし、いざ読んでみると、話に引き込まれてテンポよく読め、中途では今年のベスト級の傑作では、と思えてきた。しかし、最後まで読むと、いくつか不満もあって、評価は下方修正。
まず、ミステリで「密室」をタイトルにつけるからには、密室ものであってほしい。本書は、密室ものではなく、閉鎖状況もの、ないし心理的な閉鎖感を表す意味で「密室」と題名につけているようだ。そこに些細な不満を感じた。
クラスメートの男子が伊豆の石廊崎で墜死体として発見された。学校は事故死として処理しようとするが、クラスの悪漢・城戸の悪行を追求していた宮下の死は、疑念を相良優の心に植えつけた。担任の塩澤の車に、城戸・相良を含む七人のクラスメートが乗り込んで、宮下の葬儀に向かう途中、東海大震災が発生して、彼らは、マンション一階の地下駐車場に閉じ込められる。四方は瓦礫の山で脱出不可能、暗闇の中で、やがて殺人と思われる不可解な死が起こる──
最後に明かされる犯人の計画というか思惑は、順にたどっていくと、蓋然性が低いというか、確率が低い事柄に依存していたところがあって、そこがかなり大きな弱点になると思った。新人らしからぬ達者な筆力で、まぎれもなく、今年の収穫の一作です。
10月30日 西澤保彦『なつこ、孤島に囚われ』(祥伝社文庫)
祥伝社文庫から200枚ほどの中編書き下ろし400円文庫が大量に刊行された。探偵小説研究会の国内ミステリ担当者は、10月末までの刊行作品が対象なので戦々恐々としていたが、幸い奥付は11月10日になっていた。
私が『ネメシスの哄笑』で実在の編集者(溝畑さん)を探偵役に起用したときは、実在の業界人を探偵役に据えるのは目新しかったと思うが、西澤さんは、森奈津子さんを主人公にしたのをシリーズ化するつもりでいるようだ。小説推理で連載中の長編も奈津子ものだし。
冒頭、倉阪鬼一郎氏、牧野修氏と会話している場面があり、その後野間美由紀さんも登場。この人たちの誰かを犯人にすると意外性が見込めると読んでいる途中にふと思ったが、さすがにそこまではできないか?
解決編は、主役と作品世界と見事にマッチしたもので、思わず破顔一笑。
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