読書録/2000年11月
11月3日 歌野晶午『安達ヶ原の鬼密室』(講談社ノベルス)
長編かと思いきや、奇妙な構成の連作短編集。四つの、一見無関係にみえる短篇からなるが、最後に一本のつながる糸が浮かび上がる。中でもすごいのは、表題作の「鬼密室」。鬼が出てきて、次々と連続殺人を、不可能状況でやっていったとしか思えない事件。それを合理的に解きあかす剛腕は、最盛期の島田荘司を彷彿とさせる。この解決は、島田荘司のある作品とか、清涼院流水の某作を連想させるところがあるが、無理のなさで・現実性ではこの作品の方がまさっていると思った。
11月7日 歌野晶午『生存者、一名』(祥伝社文庫)
オウムをモデルにしたとおぼしき新興宗教の教団メンバーが、爆発テロを敢行した後、教団幹部の裏切りにより、孤島に置き去りにされる。その閉鎖状況の中で一人また一人と殺人が起こる……。『そして誰もいなくなった』の伝統に則った、孤島での連続殺人もの。こういう枠組みの話では、普通は生き残った者の中に犯人がいるはずなので、被害者が増えるとそれだけ犯人がしぼられ、ラストで明かされる犯人の意外性がなくなるという難題がある。それをどう克服するかが作家の一つの腕の見せ所となる。本書でのその点の処理は、実にうまい。枚数も過不足なく、ちょうどよい長さ。最後に生き残った者が誰かは、リドルストーリー。
11月12日 笠井叡『天使論』(現代思潮社)
1976年に刊行された、日本では初めてグルジェフ思想を取り上げた本だというので古本屋で見つけて読んでみた。なんとも奇怪なオカルト本である。第一部「反秘蹟への序論」第二部「恩寵否定。新たな神秘学のために」第三部「肉体の錬金術」第四部「言葉の溶鉱炉」
サド、ヨガ、聖書、錬金術、仏典のごちゃまぜで、著者独自の思想があるのかないのかよくわからない。一番長い第三部は、ほとんどウスペンスキーの『奇蹟を求めて』の要約紹介で、この当時まだウスペンスキーの本が邦訳されていなかったのをいいことに、自分の思想であるかのように長々と語っている。後の世代に読まれ継がれるべき価値は、この本には見いだせないと思った。
11月15日 ルネ・ドーマル『類推の山』巖谷國士訳・河出文庫
第一次世界大戦後に勃興したシュールレアリズムなどの前衛派のムーブメントは、文化的に、今日的で、非常に興味深い要素を多々はらんでいる。フランスのシュールレアリズム文学で、一つの極点をきわめたといわれるのが、本書、ルネ・ドーマルによる「類推の山」である。36歳の若さで著者は病没し、本書は未完である。付録にある作者が語った全体構想からすれば、残された原稿は、全体の四割くらいまできたところか。残されたテキストでは、分量的には長編に満たない中編級である。
地図では絶対に見つからず、コンパスもきかない、「類推の山」の存在を確信する主人公は、仲間とつれだって、その山の探索へと乗り出す。その山が、精神的な悟りとか、登山が精神修練を象徴しているだろうとは思えるが、高踏的な面もあってなかなか難しい。十二人の登山者は、やがて脱落者が出始める。
ドーマルは、グルジェフの高弟だったザルツマンと親しく、グルジェフのプリウーレ学校で学んだこともあるらしい。本書は、グルジェフ系列の文学としても指折りな名作。
11月16日 恩田陸『PUZZLE』(祥伝社文庫)
祥伝社の400円文庫、無人島テーマの競作は、これで三冊め。
冒頭、無関係としか思えない、新聞記事等の引用が続く。それがどう重なるのか? 孤島で謎の死を遂げた三人、一人は感電死、一人は墜死、一人は餓死、そして死亡時刻が限りなく近いという。餓死する死者に合わせて、他の二人はなぜ死んだのか? 無関係な死をつなげていく論理は、かなり無理矢理な面もあり、所与のデータから真相を推理できるようにはなっていないと思う。謎めいた雰囲気描写はうまく、暗合を解きあかす趣向も面白い。
11月16日 氷川透『密室は眠れないパズル』(原書房)
谺健二『未明の悪夢』が鮎川哲也賞を受賞したときの候補作の一つの改稿版らしい。トリックや雰囲気よりもロジックを重視する作風のようだが、主眼のロジックは、疵が目につく。真相の推理によって否定される一段前のダミー推理では、うまく説明されていた事柄が、かえって真相の推理においては、うまく説明できなくなっている箇所があるのが、その一つ。
269頁に、作者の〈逃げ〉なのだろうか、「これは正直言って完璧な説明がつけられません」との台詞があるが、この箇所、もうひと工夫すれば、もっとスマートな説明がつけられたような気もする。
真相を導くロジックについては、他にもいくつか不備を感じた。
「季刊・島田荘司」では、輩出した有力な新人として、松尾詩朗と並んで氷川の名があげられているが、一緒にしてはかわいそうなくらい、段違いに氷川の方が実力あると思った。
11月18日 マルセル・エーメ『壁抜け男』長島良三訳・角川文庫
マルセル・エーメは、江戸川乱歩のお気に入りの作家の一人で、『探偵小説四十年』その他のエッセーや評論で、かなり熱をこめて語られている。変身願望が主題なのが、乱歩のお気に入りたるゆえんだろうか。早川書房の異色作家シリーズや、東京創元社からかつて「第二の顔」が刊行されていたのは知っていて、短篇は読んだことがあるのだが、私としては、一冊を通読したのは、今回が初めて。
表題作「壁抜け男」は、壁をぬけられるようになった男の物語。役所勤めのルーチンに縛られた小役人なので、最初はその能力の活用法を思いつかないが、いやな上司がやってきたときに、壁越しに罵りに行って、上司をノイローゼにさせることに成功する。この使い方はせこいなと思っていたら、銀行強盗に乗り出して……。
「変身」は、死刑囚が、祈りの奇蹟によって、赤ん坊になってしまう。死刑執行人や弁護士は困惑するが、結局赤ん坊のまま処刑することに……。
「サビーヌたち」は、同時存在の能力をもつ女性サビーヌの物語。愛人を次々につくる喜びを追求して、サビーヌは、とうとう何万人にもなってしまうが……。
「死んでいる時間」は、一日おきにしか存在できない男の物語。彼は恋に落ちて、結婚するが、やがて愛が冷めるときがくる。妻は、夫の特性を利用して、夫がいない日は、別の愛人を自宅に連れ込んでいたが、ある日夢中になってしまって、午前零時をすぎてしまった……。
「七里のブーツ」は、ファンタジーないしメルヘンで、唯一味わいが違う。
奇想に満ちた、楽しい作品集で、お勧めです。
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11月20日 コーネル・ウールリッチ『見えない死』門野集訳・新樹社
ウールリッチ=アイリッシュは、創元推理文庫から出ている短編集(6巻)を、その昔貪るように愛読したことがあり、ひさしぶりに、初訳中心の短編集が編まれて、昔日のアイリッシュ短編集を愛読していた日々のことが思い起こされた。
表題作の「見えない死」は、珍しい女性一人称もの。語り手は、推理小説の雑誌編集者の女性で、独身。連載している作家が原稿を落とし、雑誌に穴があいたので、急遽その穴埋めに新人の投稿作品を使おうという話にる。その応募者と連絡をとり、会ってみたところ、応募原稿の作者は、資産家の、若いハンサムな金髪の好青年であった。その後、主人公の女性編集者は、仕事を頼むとかなんとか用事をいろいろ作って、足しげく彼の家に通うようになる。彼には離婚歴があり、別れた前妻へと関係はたちきれていない様子なのがわかる。ある日、女性編集者がいたときに、前妻が、その恋人とともに彼のところに訪ねてくる……。
「義足をつけた犬」は、義足をつけた盲導犬を連れた老人が、麻薬の密売人と間違われて警官と麻薬組織両方から狙われる羽目に陥る話。ハヤカワミステリの短編集にも訳出あり。ウールリッチの短篇には、「ハミングバード帰る」という傑作があり、あれも盲目の母親が重要人物の物語であった。あの短篇にのせつなさには涙しましたが、こちらもなかなか。
集中で一番謎解きものなのは、巻頭の「ショウボート殺人事件」か。
11月22日 BERNARD SHAW "MAXIMS FOR
REVOLUTIONISTS"( in "MAN AND
SUPERMAN")PENGUIN BOOKS
ノーベル文学賞を受賞したバーナード・ショーは、コリン・ウィルソンが称揚している作家でもあり、知名度は高いが、日本語での翻訳状況は不遇である。特に、代表作の『人と超人』。この本は、序文、本文の劇、作中の主人公のターナーによる「革命家のためのハンドブック」「革命家の金言」の四つから成るが、流布している邦訳版(岩波文庫、他)は、本文の劇のところしか訳していない。ところで、この四つの中で、実は一番つまらないのは、本文の劇のところであり、それより巻末の「革命家の金言」の方がずっと面白い。戦前のショーの訳書では、部分的な翻訳がなされたことはあるが、全体として未訳のままなのが残念である。
「超人思想」を説く、37節からなるターナーの箴言集である。印象的な数節を翻訳してみよう。
一節「黄金律」より「唯一の黄金律は、いかなる黄金律も存在しないということであ
る」
五節「帝国主義」……「イギリスの帝国主義とは、過度の島国根性である」
七節「教育」……「教育とは、自ら知らない事柄を、その事柄を理解できる素質のない者に教えることである」
「できるものはなし、できない者は教える」He
who can,does. He who cannot,teaches.
「子どもに道徳や宗教を教えるのは、子どもがその教えをまともに受け取らないことが確信できるときのみにせよ」
九節「罪と罰」……「マッキンレー大統領を暗殺したCzolgoszは、その行為によって、マッキンレーを英雄にした。アメリカ合衆国は、それと同じことをCzolgoszにして、彼を英雄にした」
16節「美徳と悪徳」……「悪徳とは、人生を浪費することである。貧困、服従、異性と交わらないことが、悪徳の最たるものである。経済とは、人生を有効に生きるための術である。経済(学)を愛することが、あらゆる美徳の根本である」
17節「フェアプレー」……「フェアプレーは、傍観者の徳であり、当事者の徳ではない」
18節「偉大さ」……「19世紀は、科学と進歩と革新の世紀だという。その結果が、われわれの世紀(20世紀)だ」
37節「寸言集」……「未開人をキリスト教に改宗させることは、キリスト教的慈愛を未開へと転換させることである」
(2000年著者別索引にもどる)
11月28日 マヘンドラナート著『ラーマクリシュナの福音』(日本ヴェーダンタ協会)
コリン・ウィルソンの処女作『アウトサイダー』を読まれた方は、最終章で取り上げられている中心人物が、グルジェフと並んでラーマクリシュナであることを記憶しているだろう。ロマン・ロランによる伝記もあり、哲学者ベルグソンも、主著で取り上げて分析するなど、19世紀の東洋の聖者の中では、最も高名と言ってよい、ラーマクリシュナの決定版とも言うべき伝記である。本書は、ラーマクリシュナに仕えた弟子による、忠実な師匠の言行録で、原題は「コタムリト(不滅の言葉)」。その英訳"GOSPEL
OF RAMAKRISHNA"の邦訳書。奥付は、1987年12月となっていて、刊行直後に買ったのだが、ようやく今日読み終えた。二段組みの細かい活字で1140頁を越える分厚さで、原稿用紙に換算したら三千枚以上ありそう。元のベンガル語版では、五冊にわたって刊行されていたものを一冊にまとめているのだから、分厚いのも無理はない。
著者のマヘンドラは、Mというイニシャルでしか登場せず、刊行本にも名前を付していない。それにちなんでか、邦訳書も、訳者名は記されていない。全体的に丁寧に良心的に訳されているとは思う。たくさん歌や宗教詩が出てきて、それらも丁寧に訳されているのだが、日本語の詩としてはやはりいま一つ。ベンガル語ではたぶん美しい宗教詩なのだろうが、英訳を介した重訳で読むとなると、原詩の味わいは、大幅に損なわれていよう。抄訳だが、『人類の知的遺産・ラーマクリシュナ』(講談社)に掲載されていた、田中嫺玉氏による本書の部分訳は、英訳からの重訳ではなく、ベンガル語からの直接訳だったので、より直截に元の語りを味わえたように思う。
マヘンドラは、師の死後27年にわたって、この伝記を書き継ぎ、最終巻の校正を終え
たその日に亡くなっている。
コリン・ウィルソンは、『アウトサイダー』でこの本のことを次のように称揚している。「この大宗教家の伝記に対しては、どんな讃辞を与えても惜しくない」(中村保男訳・集英社文庫461頁)。ただし、著者のMが、ラーマクリシュナと知り合ったのは、1882年のことなので、直接ラーマクリシュナに師事したのは、晩年の数年間のみである。若い頃のラーマクリシュナの話は、したがって収録されておらず、そのあたりは、サラダナンダの『ラーマクリシュナの生涯』などを見ることになる。邦訳版も昨年秋に上巻のみが刊行されており、若い頃に自殺直前にまで至ってカーリー女神のヴィジョンを見て思いとどまった話や、トータ・プリーに眉間を切られて大悟した挿話などは、そちらの方に載っているらしい。ウィルソンが『アウトサイダー』で、本書と並んで典拠にしていた伝記は、サラダナンダの本である。
日本ヴェーダンタ協会では、本書以前に、より薄い、同題の『ラーマクリシュナの福音』というオレンジ色の表紙の本も刊行しているが、それは、同じ著者による、英語で書かれた『圧縮版・ラーマクリシュナの福音』の邦訳である。完全な圧縮版ではなく、エピソードの書き方が、比較してみると、異同が見られる。
チャタク鳥は、雨水しか飲まない、という警句が印象的。
ヨーロッパの学問を信奉する医者も、ラーマクリシュナの治療の過程で、徐々に彼の教えに傾倒していくようになる。
ラーマクリシュナが偉い人だったというのは、本書を読めばよくわかるのだが、彼の教えが20世紀の現代人に有効かというと、かなり疑問で、近代以前のインドの田舎でなら聖者として崇められる人でも、西欧的な文明社会の中では通用しないだろうと思わせる面もあった。
11月30日 『易経』(上下)高田真治・後藤基巳訳
岩波文庫
四書五経の一つである中国の古典、占術の基本書で、「八卦よい」などの「八卦」の語源になった元本である。
ドイツの、今世紀最大の古典中国学者の一人であるリヒャルト・ヴィルヘルムは、「太乙金花宗旨」という道教の古典を初めて欧米に訳し、それが日本でも『黄金の華の秘密』として人文書院から刊行されているが、ヴィルヘルムのドイツ語訳によらなければ、あの経典は、とても読みこなせたものではない難物であった。彼の二大訳業のもう一つが、本書『易経』(I
CHING;THE BOOK OF CHANGE)の独訳であった。難解な漢語を訳出したヴィルヘルムの力量は大したものだが、訳している最中に神経衰弱に陥り、親友の精神分析医、ユングの治療を受けているそうだ。
SFファンなら、P.K.ディックが、『高い城の男』などで、「易」を使った小説を書いていたことをご存じだろう。ディックが依拠したテキストもまた、ヴィルヘルムの独訳からの英訳書であった。
六十四の卦は、二進法で表記されていることに、高校時代に最初に本書を見たときには驚いた。
並べられている順に、どの数字に相当するか一覧にしてみよう。
([ ]で示した字は、該当漢字が見つからないので、へんとつくりを別々に分けて示した。級という漢字を[糸及]と表記したようなもの)
乾(0)坤(63)屯(46)蒙(29)需(40)訟(5)師(61)比(47)小畜(8)履(4)泰(56)否(7)同人(2)大有(16)謙(59)豫(55)随(38)蠱(25)臨(60)観(15)噬[口盍](22)賁(26)剥(31)復(62)无妄(6)大畜(24)頤(30)大過(33)習坎(45)離(18)咸(35)恒(49)遯(3)大壮(48)晋(23)明夷(58)家人(10)[目癸](20)蹇(43)解(53)損(28)益(14)夬(32)[女后](1)萃(39)升(57)困(37)井(41)革(34)鼎(17)震(54)艮(27)漸(11)帰妹(52)豊(50)旅(19)巽(9)兌(36)渙(13)節(44)中孚(12)小過(51)既濟(42)未濟(21)
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