読書録/2001年1月

1月4日 古田紹欽『仏道入門』(講談社学術文庫)

 鈴木大拙の弟子的存在でもあった、仏教学者、古田紹欽による「仏説四十二章経」の翻訳と解説。仏典は主にインドの古典語のサンスクリット語で書かれているが、漢訳のみが伝わり、原典が失われてしまった経典も多い。これもその一つ。
 この仏典は、鈴木大拙が、釈宗演の説法を英訳したときにその英訳本"SERMONS OF A BUDDHIST ABBOT"の中に付録として、英訳されていた。その本の刊行は明治期のことだが、現在でも、"ZEN FOR AMERICAN"(アメリカ人のための禅)という、大衆向けの題名に改題されて、アメリカの東洋思想コーナーを見ると、たいてい置いてある。有名な、仏道・禅入門書になっていて、英語では一番よく読まれている仏典の一つ。
経典の第三十四章で、中道とはどのようなものかと問われて釈尊は、琴を弾くときに、弦がはりすぎていても、たるんでいてもちゃんと音が出せないだろうと諭す。適度な張り具合、それが中道であるそうだ。

 2月1日付けの朝刊に古田紹欽氏の訃報が載っていました。鈴木大拙の後をつぎ、立派な業績を残した第一級の仏教学者でした。ご冥福をお祈りします。

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1月6日 コリン・ウィルソン『世界残酷物語』(上下)関口篤訳・青土社

 青土社で出ている何冊かの本の中で、私がこれまで読んだウィルソンの本の中では、これが一番面白いと思った。原題は"A CRIMINAL HISTORY OF MANKIND"(人類の犯罪的な歴史)。上巻は、ほとんどウィルソン版「世界の歴史」。文明の勃興から20世紀までを犯罪のみにとどまらない俯瞰的な視点で描いている。下巻の前半分は、二十世紀の残酷な犯罪史となって、そのあたりは、他のウィルソンの本で(何度も!?)読んだ内容と似ているので新味はなかったが、下巻の後半、「暴力の心理学」は面白い。青土社の他の本は、既に書いたことの焼き直し、使い回しが多いのに比べて、この二巻本は、大半がこの本のオリジナルなのだ。

 イエス(キリスト)の容貌描写で最古の文献とされるヨセフスの文書では、イエスは、以下のように描写されているという(上巻82頁)。

……皮膚あさぐろく、背低く三キュービット(約153センチ)ほど、せむしで、顔長く、鼻長く、両の眉くっつきたり。髪の毛まばらで……あご髭ほとんどなし。

 イエスが禿に近かったとは、初めて知った。後にキリスト教徒が、この文献のイエスの描写を 書き換えてしまう。その結果、改竄されたヨセフスの歴史書の描写は後に絵画とかで一般的に知られる、イエス像の容貌に書き改められている。
 ローマの歴史は、暗殺・謀略・殺戮に満ちていて、現代史にまでつながる戦争と暴力の歴史の原型をすべてつくった観がある。
 ガリレオと教会の対立に関しては、一般に知られているように、教会側は必ずしも学問の妨害をしようとしたのではないことがわかる。教会がガリレオに求めたのは、証明がされていない地動説を奉じるのは公正でないから天動説と両論併記にせよ、ということだったそうだ。それに対してガリレオは、教会から刊行許可がもらえていない自著の許可証を偽造して本を刊行したので、裁判に呼び出されたそうだ。

 下巻168頁、精神科医のジェームズ・ブラッセルは「殺人者は殺人を通じて大きな成熟へと進歩する」と述べたそうだ。その言葉に続いてボストンの絞殺魔デサルボの事例が取り上げられる。強い性欲はあるが、女性とまともに口も聞けない内気なデサルボは、女性をレイプして殺害するおそろしい連続殺人鬼になる。しかし、その過程で会ったやさしい少女に人間らしい感情を取り戻したのか、やがてレイプはしても殺人はしない犯罪者になり、SMプレーを楽しむだけになり、だんだんまともに女性とつきあえる男性に変わっていったという。にしても、精神科医の発言は無責任な気がするが。デサルボは逮捕され、刑務所内で刺殺されたという。

 翻訳文は、体言止めが多く、ちょっと疑問あり。たとえば上巻60頁の次のような文章。
「ユリアは、父アウグステゥス帝に三人の孫をプレゼントした。……しかし、そのうちの二人は神秘的な状況の下で死亡する」
 これは、「ユリアは、アウグステゥス帝の孫を三人生んだ。そのうちの二人が、不可解(不自然)な状況下で死亡した」とでもすべき文章ではなかろうか。

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1月11日 殊能将之『黒い仏』(講談社ノベルス)

『美濃牛』に続いて石動戯作が探偵をつとめるシリーズ第二作。うーん、一応謎解きものではあるのだけど、短篇におさまる骨格の話で、そんなに大きくない。驚愕させられる趣向があるにはあるけど、フィールドがミステリとは違うみたいな。面白く読める怪作。音楽に関する蘊蓄は、私はわからん。

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1月11日 ALAN WATTS"WISDOM OF INSECURITY" VINTAGE

アラン・ワッツの心理学エッセー集(論文集)。以下の九章から成る。

1 THE AGE OF ANXIETY(不安の時代)
2 PAIN AND TIME(苦痛と時間)
3 THE GREAT STREAM(大いなる流れ)
4 THE WISDOM OF THE BODY(身体の知恵)
5 ON BEING AWARE(気づくこと)
6 THE MARVELOUS MOMENT(素晴らしい瞬間)
7 THE TRANSFORMATION OF LIFE(生の変容)
8 CREATIVE MORALITY(創造的モラル)
9 RELIGION REVIEWED(宗教を顧みる)

 原著刊行年は1951年。この本、大学時代に買って半分くらい読んだのだが、十数年ぶりに後半を通読。身体の知恵や道徳論は、ニーチェ思想とも共通するが、口当たりはずっとマイルド。ワッツは東洋思想の伝道者として有名だが、本書はあくまで心理学に定位して、現代人の精神を照射しようとする。題名は『安全でないことの知恵』とでも訳せるか。心理的にも生活上でも安全であることは大切だし価値あることだが、現代人の心の病は、過度に安全を追求するあまり、不安と恐怖にがんじがらめになっている面があると、ワッツは本書の初めの方で指摘している。危険に身をさらして、自在無碍に生きることが、ワッツにとって理想だったようだ。ワッツ思想の総決算というべき『タブーの書』への前奏曲ないし準備の一書。

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1月12日 K.コヴィラージュ著『チョイトンノ伝 クリシュナ信仰の教祖』(上下)平凡社・東洋文庫

 ジャヤ・デヴァの『ギータ・ゴヴィンダ』の邦訳刊行に嬉しい驚きを覚えたばかりなのに、今度は同じ東洋文庫から、16世紀の、インド・ベンガルの聖者・チョイトンノ(1485〜1533)の伝記が刊行された。従来というか普通は、チャイタニヤの名前で親しんできたが、現地のベンガル発音では、チョイトンノとなるそうだ。チャイタニヤはヒンディー語読み。
 大体においてヒンディーのA音が、ベンガルではOになるらしく、
クリシュナ⇒クリシュノ
バクティ⇒ボクティ
ウパニシャッド⇒ウポニシャッド
 というように、変化するらしい。訳文は基本的にベンガル語読みなので、ちょっと戸惑う面もあった。
私はこの本の英訳をもっている。(未読のままだが) ↓以下。
CHAITANYA'S LIFE AND TEACHINGS(チャイタニヤの生涯と教え)by KRISHNADAS KAVIRAJ
tr.by JADUNATH SARKAR ,LUZAC & co.,1922
 下巻の後書きには、欧文訳の参考文献もあげられているけれど、なぜかこの英訳本が見当たらない。見落としだろうか? しかし、この日本語訳は、上下巻700頁以上もの大著なのに、全体の六割弱の抄訳なのだそうだ。上の英訳本は約300頁で、この邦訳より少し分量は小さそうなので、やはり抄訳だったと初めて知った。
著者のコヴィラージュは、クリシュナ神の再来と崇められたチョイトンノの直弟子。なので、この本は、じかにチョイトンノの教えに接した直弟子による伝記ということになる。
しかし、読後感はいま一つぱっとしなかった。プラトンのような偉大な書き手が弟子にいたからこそ、ソクラテスは有名になれたとも言えるわけで、コヴィラージュは、文学史的にもあまり高い評価が与えられていない。上の英訳と部分的に読み比べてみたが、歌による教えのところなど、英訳の方が伝わりがよい。チョイトンノは、あまり学がなかったはずなので、喋る言葉は、もっと素朴で朴訥としたものがよかったので
はないか。
 後のラーマクリシュナ(19世紀)は、しばしば「チャイタニヤの再来」と称せられたが、たしかにこの伝記を読むと、非常によく似たタイプの聖者であることがわかる。

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1月14日 藤岡真『六色金神殺人事件』(徳間文庫)

 怪作。連続殺人の不可能状況が、なかなかすさまじい。被害者がいきなり宙に浮いてくるくると目にもとまらぬ速さで回転してから、天井に頭を突っ込んで死亡したり、被害者がまたしても空中に浮いて発火して、手足を星型にひろげて死亡したりとか。どうやって解決がつけられるのか、と思わされてしまう。
小説の書き方としては、あまりうまくない気がするが、大技を使っていて、かなり気に入った方。

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1月26日 スティーヴン・キング『ザ・スタンド』(上下)深町眞理子訳・文藝春秋社

 上下巻で1400頁以上もの長大な作品で、今週の月曜から読み始めて、本日読了した。読むのに専念してれば、三日で読めたと思うのだが、三月刊行予定の『スパイダー・ワールド』のゲラが届き、600頁もの、私としては未経験の長大なゲラだったので、このチェックをずっとしていたので、読み終えるのに五日かかってしまった。この本、近刊として予告が出たのは、十年以上前だったはず。1988年に刊行された『コンプリート・スティーヴン・キング』(白夜書房)にも近刊と銘打たれていたし、どうしてこんなに刊行が遅れたのかは不可解。
 ドストエフスキーやトルストイの長編大河小説を「全体小説」と形容したりすることがあるが、これは20世紀後半に出現した、現代アメリカ版「全体小説」ですね。キングの最高傑作の一つと目される「IT」と共通して、何人もの主要登場人物のドラマがこってりと描かれ、徐々に彼らは集結していく。各登場人物像が人間味ゆたかに活写されて
いて、奥深いドラマが興味をひきつけて離さない。
 アメリカ軍がひそかに研究していた細菌兵器が漏れ、人類の大半を死滅させてしまう病原菌をまきちらす。生き残った少数の者たちが集まって、社会をつくろうとするが、一方に悪の力に集結された勢力がいた……。
 キングは多彩なキャラクターを書き分けるのが巧みだが、何冊も小説を読んでいると、似たキャラクターが出ていると気づく。本書の主要登場人物のうち、他の作品の登場人物と似ていると思ったのは、以下のようなのがいる。

ラリー・アンダーウッド⇒アンダーソン(トミーノッカーズ)
スチュアート・レッドマン⇒アラン(ニードフル・シングス)
ハロルド⇒アーニー(クリスティーン)
ニック⇒ダイナ(ランゴリアーズ)
ナディーン⇒ポリー(ニードフル・シングス)

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1月30日 "The Heart of Awareness: A Translation of the Ashtavakra Gita" by Thomas Byrom, J. L. Brockington (Paperback - December 1990)

 アシュタバクラは、年代不詳、紀元前のインドの最下層階級の神秘家。アシュタバクラは「八カ所が曲がった」という意味で、彼は生まれたときから、手足の八カ所が異様に曲がっていて、まともに立ても歩けもしない不自由な体の持ち主だった。しかし、彼の言葉はは、最高の知恵がこめられたものとして、サンスクリット語で彼の詩「アシュタバクラ・ギータ」は、長く受け継がれ、愛唱されてきた。

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1月30日 "BIJAK OF KABIR "tr.by AHMED SHAH,HAMIRPUR,1917

 カビール(1398-1448?)は、中世のインドの聖者の中では、最も有名な一人だが、日本には残念ながら著述ないし詩文の翻訳されたことはない。『中世インドの神秘思想 ヒンドゥー・ムスリム交流史』(ムハンマド・ヘーダエートゥッラ著・宮元啓一訳)(刀水書房)という本で扱われていたくらい。
 アジア初のノーベル文学賞受賞者タゴールには、カビールの詩を独自に集めて英訳した"SONGS OF KABIR"という名著があり、簡単な言葉で美しい詩文に訳されている。タゴールの手にかかれば、英語の詩がかくも美しくなるのかという魔法のような手腕で、カリール・ジブラン以外には、比類のない名文になっていた。ただ、カビールは、インドの民衆語であるヒンディー語で歌った。本人は文盲で、機織りで、彼の詩は、弟子たちが記録して集めたもの。タゴールによる「カビール歌集」は、ヒンディー語ではなく、タゴールの母国語であるベンガル語から収集されたものなので、文献的には第一次的信用性は欠いている。
 ヒンディー語の文献が伝わるのは、大体中世以降なのだが、20世紀以前でヒンディー語から英訳された量が最も多い著作家は、カビールとトゥルシダースの二人である。それに次ぐ第三位は、女性神秘家のミーラバイ。カビールは、ヒンドゥー教とイスラム教の架け橋になる思想家なだけあって、今日でも彼の名は、インドの三宗教(ヒンドゥー教・イスラム教・シーク教)のすべてで尊敬されているという珍しい聖者である。中でも、シーク教では、教祖のナナクが、カビールに傾倒していただけあって、経典「グル・グランタ・サヒブ」には、十代導師以外に最もたくさん聖歌が収録されているのが、カビールである。カビールの詩の中で、由来が古く最も正統的とされるのが、シーク教典収録のものを除けば、この「ビジャク(種子の意)」である。
 この英訳詩は、訳文として健闘はしているものの、タゴールの名訳には遠く及ばず、タゴールを読むときに感じられる高揚感・陶酔感は、あまり達成されていない。

 その後、鈴木大拙が、少しだけカビールに触れて訳していた箇所があったのを思いだし、書棚に入って、岩波書店の鈴木大拙全集(全32巻)をひっくり返す。第16巻464頁以下、「禅の立場から」の中の第二篇「如是説」の三節「カビールの禅」。鈴木がカビールを訳すと、何やら仏典としか思えなくなりますね。以下、鈴木のカビール訳をちょっと引用。

 形なきものの形を、此眼の前に現出せしめ得るもの、彼は真正の聖者である。儀法や形式を離れたる単一の方法によりて、彼を体得せよと誨[おし]えるもの、密室の中に隠れたり、息の出入を止めたり、此世を捨てたりなどすることを汝に教へざるもの、意[こころ]を著ける処に至上の霊を認むるやうに汝を導くもの、すべての活動の真中に在りて寂静なれと汝に教へるもの、此の如きは真正の聖者である。(タゴール訳『カビールの詩』第56篇より)

 私が同じ詩を訳してみましょう。

形なきものの形を見通す眼をもつもの──彼が真の聖者である
儀式や礼拝でなく神に到る道を説くもの
扉を閉ざさせず、息を止めさせず、世を棄てさせないもの
心が執するところに聖霊を認めさせるもの
活発な活動の中に静寂を教えるもの──彼が真の聖者である

 うーん、こう訳しても、原意からは少しずれるし、詩的なリズム感は、全然再現できないし、詩の翻訳は難しいものです。

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1月31日 コール&サンビー『シク教』溝上富夫訳・筑摩書房

世界の宗教人口からすると、キリスト教・イスラム教・仏教・ヒンズー教に次ぐ、第五位の信徒数をもつシーク教。世界の大宗教の中では、最も起源が新しくナナク(15世紀)が興した宗教である。その後に九人のグルが続き、十代のグルがシーク教では崇められている。日本では、経典の紹介さえなされていない、知られざる宗教なだけに、その紹介入門書として本書は貴重。著者の一人は英国の学者で、もう一人はインドのシーク教徒である。シーク教は、大局的には、インド宗教の中から派生した宗教と言えるが、カースト制には反対し、経典『グル・グランタ・サヒブ』には、十代グルの言葉の他にも、カビールやイスラム聖者のファリドの言葉を収めるなど、教義的にはオープンな性格をもつ。

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