読書録/2001年2月
2月9日 トルストイ『アンナ・カレーニナ』(上中下)木村浩訳・新潮文庫
大学時代にドストエフスキー全集は九割近く読み、トルストイ全集も少々読みかけたのだが、ドストエフスキーの異常な熱に浮かれたような小説世界と違って、トルストイのは、ごく普通の小説世界な気がして、いま一つドストエフスキーほど好きになれなかった。『アンナ・カレーニナ』もその頃、最初の100頁ほど読んで「単なる不倫と恋愛の小説か」と思って中途で読むのをやめてしまった。十年ぶりぐらいに完読してみて、やはりこれは恋愛と不倫の小説だなあと。
夫と子どもを捨てて愛人のところに走るアンナは、あまり共感できない。もっともそれは作者の計算のうちなのだろう。アンナとの対比で、その周りの登場人物は、夫のカレーニンは別にして、大体いい人たちで、共感できる人たちばかりだからである。
アンナの愛情をめぐる物語と、リョーヴィンとキチイの恋愛物語の二人の主筋があって、前者は幸福から不幸へ(正確には安定した家庭生活から破滅へ)、後者は不幸から幸福へと進んでいく。
リョーヴィンは、もしドストエフスキーの小説の登場人物だったら、絶対に幸福にはなれなかっただろうと思った。一旦拒絶された彼は、ドストエフスキーが描けば、屈辱を精神的に反復増大させ、痙攣的・発作的対応をして破滅へと走るだろう。しかし、トルストイの登場人物はもっと健康的な人が多いので、リョーヴィンもキチイも、多少の困難や屈辱を克服して、幸福へといたる。
三分冊の本のうち、上巻を読み終えた段階で、主要登場人物の恋愛をめぐる筋は大体でつくした感があるので、あと二冊、一体どんな話があるんだ!?と思っていたら、リョーヴィンが狩りに出かけたり、アンナが社交界で悩んだり、新しい客がやって来て応対したり……延々と話はその調子で下巻まで続くのであった。しかし、生き生きした人物描写と、時折描かれる美しいロシアの自然描写が味わい豊かで、やはり古典として永く読み継がれる価値のある偉大な文学作品である。
2月15日 田中啓文『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(ハヤカワ文庫)
以前、出版社のパーティーのあとの集まりの雑談で、いろんなタイプの推薦文が出ている中で、特に目立つやりかたはないか、という話になったときに、大勢の著名人がこぞってけなしまくる、という案が出たことがあった。この本の推薦文がそれに近いことを実現していて、十数名もの作家陣がそろって「私たちはこの本を推薦できません」と帯にある。五編の短篇のそれぞれに解説がつくのだが、それも「けなしてください」との統一コンセプトがあったのか、「ダジャレをとったら何も残らない作品」(我孫子武丸)、「欠陥だらけの作品」(小林泰三)とさんざんな書かれようである。こういう売り方をされると、買わずにはいられませんね。
表題作は、「ブラックホールに仏はいるか」と、人類が宇宙から禅問答の挑戦を受ける話。禅問答に負けると侵略されることになるので、地球側は、日本の仏教史上最強の高僧・空海をよみがえらせることにした……。作者は、つくづくダジャレが好きと思われるが、どれもバカバカしくも楽しいばかり。お勧めです。
2月20日 北森鴻『凶笑面』(新潮社)
今まで私が読んだ北森作品の中では、これが一番面白かった。民俗学の技法をミステリに取り入れるのは、高橋克彦が初期作品で、浮世絵研究の方法論をミステリに取り入れたのにも似て、知的にスリリング。ただ、まったく新しいわけではなく、謎解きに民俗学的方法を取り入れることは、たとえば、京極夏彦も既にやっていることではあるのだけれど。
集中でベストは「不帰屋」かな。密室ものとして、基本は先例のあるトリックだが、状況にマッチして、うまい提示のしかたをしている。
しかし、その短篇の冒頭にある、コンピューター上のファイルの整理法。「いくつかのファイルを同時に画面上に開き、その一つ一つの内容を、別のファイルにメモしておく。この時に通し番号を打っておいて、いったんプリントアウトするのである。これが整理するうえでのインデックスになる。次にメモを見ながらファイルの中の文章を開けてゆき、インデックス上の通し番号を内容に則して打ってゆく。インデックス上にないものについては、新たに通し番号を与える。一見無駄の多い作業に思えるが、さまざまなやり方を試みた後に、この方法に行き着いた」(106頁)
これは、整理法として、パソコンの文書を扱うやり方としては、はなはだ無駄の多い迂遠な方策な気がする。空き容量が狭いワープロ文書での整理法ならまだわからなくもないが、検索でも並べ替えでも瞬時にできるパソコンなら、こんな整理法は無駄が多く不要だと思うぞ。
2月21日 笠井潔『天使は探偵』(集英社)
法月綸太郎をモデルにしたとおぼしき、矩巻濫太郎が語り手のワトスン役になり、美人スキーインストラクター安寿が探偵役となる、新シリーズ。毎回スキーが絡み、敵役が必ずオウムをモデルにしたとおぼしきカルト教団となる設定で、事件はかならずカルト教団からみの殺人である。かなりトリッキィな技を使っているのもある。
「バイバイ・エンジェル」「熾天使の夏」に続いて題名に「天使」を冠した作品。「天啓」シリー
ズも第三作めが連載されていたことだし、笠井作品には「天」とつく題名のものが多い。その思想が、常に天を志向しそれを巡っているからなのだろう。
天使だから、事件の真相ははじめから分かっていても不思議ではないわけで、その設定で、クイーンや法月綸太郎が悩んだ問題がクリアされてしまう。ファイロ・ヴァンスやドルリー・レーンのように、犯人を自ら裁く立場に探偵がたつことが許されるのか、という難問にも、天使ゆえに許されてしまうということになるのだろうか。だが、それだけ見通せる天使なら、謎と困難に立ち向かうことさえそもそもなくてもよいのでは、という気がしてきて、しいて動機を求めるなら、助手役を巻き込んで探偵をやりたいから、というところだろうか。
天使の探偵・大鳥安寿は、解脱した矢吹駆のように見えなくもない。
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