読書録/2001年5月

5月1日 二階堂黎人『悪魔のラビリンス』(講談社ノベルス)

 大作『人狼城の秘密』の完結で一段落ついた感がある、名探偵・二階堂蘭子シリーズの第二期の開幕を告げる本書は、怪人=悪魔ラビリンスと蘭子の知の死闘を描く二中編から成る。今後もラビリンスは、シリーズ怪人として活躍する予定のようだ。
 華麗なトリックが駆使される二階堂作品を、犯人の視点から眺めた場合、所期の目的を達成するために、もっと近道があるのに、なぜか迂遠な回りくどいてだてを用いていると感じさせることがときどきある。本書でも、そう感じさせる箇所がないではない。まあ、ラビリンスの側でも名探偵との対決を望んでいるのなら、わからなくもない。
またしても不可能犯罪を可能にするトリックが盛り込まれていて、著者のトリック案出力には感嘆させられる。「ガラスの家の秘密」は、発見時にガラスを破って入る密室なので、ディクスン・カーの某作を連想させた。が、もちろんトリックというか解法は別物で、まだこんな仕掛けがあったのか、と感心。

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5月2日 コリン・ウィルソン、佐川一政『饗』(竹書房)

 パリで人肉事件を起こした佐川一政と、コリン・ウィルソンの対談集。今の日本はだめだと言ってヨーロッパ文化に憧れる佐川と、今のヨーロッパはだめで、日本文化のよさを説くウィルソンの意見が見事にすれ違っている。ウィルソンが、現代の文化状況をいろんな側面から論じて、どれも行き詰まって袋小路になっているとする。113頁で佐川が「それでは新しいルネッサンスはないのか?」と問うて、待ってましたとばかり「あります。それは私です」とのウィルソンの託宣には笑わされた。

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5月4日 コリン・ウィルソン『スターシーカーズ』田中三彦・上野圭一・菅靖彦訳・平河出版社

 コリン・ウィルソンにしては珍しい……というか唯一の科学概説書。
 セーガンの『コスモス』が流行していたときに、それと似た形式で刊行された追随本の一種。カラー写真をふんだんに用いた豪華本で、刊行当時は金銭的な理由で購入を見送ったもの。
 紹介されている、数字のマジックの例として出されているのは、一瞬「え?」と思ったが、数式を書いて考えてみたら、なんのことはなかった。やりかたとしては、まず、自分の電話番号を書いてもらう。次に電話番号を構成する数字をそのままに、順番を入れ換えて別の数字をつくってもらう。両者を比べて大きな数からより小さな数を引く。その答えの各桁の数字を足していく。答えが二桁になったら、その桁の数字をまた足し、一桁になるまでやる。答えは必ず9になる、というものである。
 古代ギリシャからコペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインと続く科学の流れを一応お勉強できるが、そこはそれ、ウィルソン流の直感の哲学がそこかしこにまぶされている。『黒死館殺人事件』に出てくるド・ジッターの話が、結構出ていた。

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5月5日 古賀正義『推理小説の誤訳』(サイマル出版会)

 アガサ・クリスティの本を中心に、推理小説の誤訳をあげつらった本。英語の勉強にもなり、ためになる本である。しかし、クリスティのような平明な文章を書く作家にしてこれだけ誤訳が多いとなると、ディクスン・カーとか、もっと難しめの文章を書く作家の翻訳は推して知るべし、というところか。訳者によって訳文の信用度がだいぶ違うことがよくわかった。角川文庫で出ていたクリスティの本なんて、持っていやしなかったが、そこでの赤冬子訳は、正確な名訳だったらしい。古本屋でこれから探そう。
 クリスティの訳者の中では、恩地三保子、深町眞理子といった女性訳者のものは比較的良心的らしいが、福島正美、小倉多加志などはあまりよくなく、中でも、田村隆一訳がいけないらしい。クリスティを一番多く訳している人なのに。去年出た『戦後翻訳家風雲録』(?)でも田村のエピソードを読むと、下訳に訳させた文章を、原文を参照しないで直していたと書いてあるので、訳書の信用度がうかがえるのだが──
 今後クリスティを読むときは訳者を選んで読もうと思わされた。
 しかし、クリスティの本にでてくる口語表現もなかなか多彩で、辞書を一通り引くだけではわからないものも多く、訳者が間違えるのも無理からぬと思える表現が結構あった。この著者が訳文にバツをつけているものの中にも、「それは難癖ではないか?」と思った箇所もいくつかあった。たとえば、darkly。著者は「不機嫌に言った」と「陰険な声できいた」にバツをつけ、自分の訳として「不得要領な調子でいった」としているが、前二者もバツには値しないと思う。「rotten life」を「不健全な生活」と訳した厚木訳にバツをつけているのも首をかしげるし。

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5月17日 ザミャーチン『われら』川端香男里訳・岩波文庫

 20世紀の反ユートピア小説の三大傑作の一作に数えられるザミャーチンの代表作。(残りの二作はオーウェルの『一九八四年』とハクスレーの『すばらしき新世界』)スターリン支配下のロシアで書かれた、未来の管理社会”単一国家”で語り手の私は「インテグラル」の製作担当官である。Iという女性と恋に落ちた「私」は、国家に反逆する革命運動に巻き込まれるが、管理の網の目から逃れられるはずはなく……。

 『一九八四年』もスターリン支配のロシアをモデルにしていると評されたものだが、それに似た(というか原型となった)本書は、主体的に思考するのを禁じられた社会での人間とも言えない歯車的存在を描いている。この作品が反革命的であるとの批判を浴びてザミャーチンはソ連から亡命を余儀なくされたのは、ある意味もっともであり、本書には寓意として痛烈なスターリン社会への批判がこめられている。ソ連社会において、本書のような価値ある文学が許されなかったということをよく証明している。

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5月22日 西澤保彦『謎亭論処(めいていろんど)』祥伝社ノンノベル

 匠千暁ら安槻大学の仲良し四人組をメインキャラクターとするシリーズの最新短編集。妄想推理とも時に評される、机上の空論推理に磨きがかかっている。集中のベストは「呼び出された婚約者の問題」だと思う。バークリーの名篇「偶然の審判」を思わせる傑作。

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5月29日 井筒俊彦『意識と本質』(岩波文庫)

 日本で初めて『コーラン』を全訳したことでも有名な、碩学・井筒俊彦の思想書として有名な一冊。参照される思想が、禅、スーフィズム、カバラ、イスラム哲学、現象学、インド古代思想、ユング、老荘思想、儒教等々と、実に幅広い。前半、意識のゼロ・ポイントを論じるあたりが、最大の要点か。
印象的な一節。「水清くして地に徹す、魚行きて魚に似たり。空闊くして天に透る、鳥飛んで鳥のごとし」(坐禅箴)(120頁)
「老僧、三十年前、未だ参禅せざる時、山を見るに是れ山、水を見るに是れ水なりき。後来、親しく知識に見[まみ]えて箇の入処有るに至るに及んで、山を見るに是れ山にあらず、水を見るに是れ水にあらず。而今、箇の休歇を得て、依然、山を見るに祗だ是れ山、水を見るに祗だ是れ水なり」(145-146頁)

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5月30日 G.K.チェスタトン『新ナポレオン奇譚』高橋康也・成田久美子訳(春秋社・チェスタトン著作集第10巻)

 春秋社から出ている「チェスタトン著作集」(全10巻)は、1〜9巻は評論ないし評伝から成るが、最後の10巻目だけは小説が収録されている。それもチェスタトンの最初の小説。奇妙な長編小説である。『木曜日の男』も奇妙な幻想小説であったが、これはそれに輪をかけて変な小説である。
 1904年に刊行された本書は、1984年のロンドンが舞台。つまり80年後の未来が舞台の小説である。にもかかわらず、そのロンドンの風景は、現在(1904年)とまったく変わっていないと冒頭記されているところからして、人を食っている。未来のイギリスは専制民主制という政治体制をとっていて、任意にくじで選ばれた者が国王となって専制政治を敷くという仕組み。国王になったクゥインは、戦争を美徳とし、それにこたえて、ノッティングヒルの市長が武装蜂起をして、国王軍と戦争に突入する──

 ジャンルとしてはミステリではないけれども、ミステリと親近性のある要素が盛り込まれ、なかなか楽しい小説になっている。

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