読書録/2001年6月

6月1日 アルツイバーシェフ『サーニン』中村白葉訳・岩波文庫

 この訳書は、1929年に刊行されたままの版を、1988年の創刊60周年記念のときに復刊したもので、版組は戦前のまま。旧かなづかいで、ところどころ文字がかすれて読めなくなっていた。原著は1907年刊行。ロシア革命前のロシア文学は、かくも豊穣だったのかとあらためて瞠目させられる。
 アルツイバーシェフといえば、ロシア文学史において、それなりの地位を占めてしかるべき作家なのだけれど、まだ三十代で、脂がのってきた時期にロシア革命が起こって、文学活動を禁圧され、充分に活躍ができなかった不幸な作家の一人である。

 アルツイバーシェフがまだ二十五の若さで書き上げた本書は、若々しい力がみなぎる名作で、二十世紀の文学の中からベスト10を選ぶとしたら、本書は是非くわえたいと思った。虚無的・敗北する主人公が多い二十世紀文学の中にあって、本書の主人公サーニンは、陽気に高らかに、生命肯定の思想を説く。こんなにすがすがしい気分にさせてくれる小説は、めったにないと思った。
 コリン・ウィルソンが、愛読する文学の一角に数え、『夢見る力』『発端への旅』『わが青春 わが読書』の中でも、詳述した作品だけあって、ウィルソンの楽観主義哲学とぴったりそぐう作品である。『夢見る力』でウィルソンは、楽天的なサーニンを描けたアルツイバーシェフが、なぜ後の作品では、厭世的な悲観論に陥っていったのかと首を傾げているが、ロシア革命による弾圧を受けては楽観的でいられなくなったのは不思議ではない。

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6月9日 D.H.ロレンス『チャタレー夫人の恋人』(伊藤整訳)新潮文庫

 数年前に刊行された、削除箇所を復元した完全版を初めて読む。
クリフォード・チャタレーは、ハンサムで裕福な英国貴族だが、出征して銃弾を浴び下半身が麻痺し、一生車椅子での生活を余儀なくされる。クリフォードと結婚したばかりの若いコニー・チャタレーは、健康な肉体をもてあましていた。
 ──という基本的な設定は、開巻一頁で説明されてしまう。この物語の基本的な設定は、読む前から知っていたし、チャタレー夫人が森番との愛に目覚めることも事前に知っていたので、夫人が夫と森番の間で精神的に延々と悩み苦しむ話が前半は続くだろうと読む前には予測していたのだが、全然そういう話はなかった。読み始めて少しもたたないうちに、チャタレー夫人は、夫の友人の文筆家、マイクリスとの情事を始める。彼女は別に夫に対する良心の呵責のようなものは持っていないらしいが、マイクリスとはいま一つ燃えないと悩む。知識階級の生命力の弱さに問題があると感じたコニーは、森番との性行為において、初めて真の喜びをみいだす……。
 ようするに、この物語は、コニーの自己実現を追求する物語である。不具になった夫を思いやる気持ちは全然ないコニーにはあまり共感できない。

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6月9日 A.E.W.メースン『薔薇荘にて』富塚由美訳・国書刊行会

 国書刊行会の世界探偵小説全集の第一巻。
 メースンというと、はるか昔に『矢の家』(創元推理文庫)を読んで以来、ひさしぶりの二冊めの読書。といっても、この数十年の翻訳書をさがしても、その二冊以外ないようだが。
 1910年に刊行された本書は、ドイルの時代と、1920年代以降の黄金期ミステリをつなぐ過度期に位置するミステリである。話の構成は、ホームズものの長編やガボリオの二部構成にかなり近く、中盤過ぎて、犯人がつかまって以降は、犯行にいたるまでのドラマの再現が100頁ほどにわたって長々と描かれる。
 探偵小説としては、あまり大きく驚かされるような趣向はないが、古雅な味わいが楽しめ、名探偵アノー氏の、古き良き時代の名探偵らしい言動が楽しい。

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6月14日 阿佐田哲也『麻雀放浪記』(一)〜(四)(角川文庫)

「独立しては生きにくい。安全を求めれば仮の姿でしか生きられない。この世にはこの二つしか生き方はないので」(第二巻、168頁) 等々、随所に、長年バクチ渡世をやってきた著者の、人生観や人間観察にもとづく箴言や洞察がちりばめられている。全巻を通じて、最も凄絶な麻雀打ちは、出目徳とドサ健なので、その両者が対決する一巻の最後の大勝負が、全体の最大のクライマックスであろう。
 終戦時に主流だったアルシアール麻雀や、関西で広まっていたブウ麻雀は、慣れているリーチ麻雀とはだいぶ勝手が違うので、ちょっとわかりにくい。
各巻、二人ほどユニークな雀士が登場して、その生きざまと死闘を活写している。麻雀文学の古典である。

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6月25日 京極夏彦『ルー=ガルー 忌避すべき狼』(徳間書店)

 京極夏彦、ひさびさの書き下ろし長編。中央公論社から、時代小説の『嗤う伊右衛門』を出したように、出版社のカラーに合わせてジャンルを書き分けようとしているようで、SF出版のイメージが強い徳間書店から出た本書は、ジャンルとして一応SFになるだろう。と言いつつ、フーダニットの要素があり、かなり本格ミステリとしての色合いも濃い。

「近未来少女武侠小説」とあるが、メインに出てくる女の子たちは、必ずしも強そうな武道家ではない──が、物語の後半、少女たちは否応なく戦いに巻き込まれていく。前半を読んでいるときは、いま一つストーリー展開がゆっくりとしているなあと思っていたのだけれど、だんだん盛り上がってきて、後半150頁くらいは、ちゃんと王道のエンターテインメント的盛り上がりを見せてくれる。私はアニメの「BURNUP EXCESS」を連想してしまった。

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6月30日 郷尚文『覚醒の舞踏 グルジェフ・ムーヴメンツ』(市民出版社)

 グルジェフ系の舞踏やワークを実践してきた著者による、舞踏を中心としてグルジェフワークの実践的解説書。この手のジャンルのものは、あまり日本人には書き手がいないだろうと先入観があったため、あまり期待せずに読み始めたが、なかなかどうして、ちゃんと読むに値する書物になっている。グルジェフ思想に興味がある人は、本書も読んで損はない。エニアグラムが舞踏の体位や動きと関連づけられて解説されているところが、最大の読み所の一つで、日本語での本でこの主題に踏み込んだのは初めてだろう。

 重点が実践的な、身体の〈気づき〉にしぼられていて、理論的な説明や、思考のワークはあまり重点が置かれていない。
 序盤の「アルプス一万尺」がグルジェフの舞踏と類似しているとの指摘には笑わされたが、たしかに幼稚園でも「ストップ」エクササイズをやっているところがある。私も幼稚園のときやった憶えがあるので(笑)。
近刊予告でバートンの「自己想起」があって驚いた。ロバート・バートンと言えばパターソンに酷評された、ニセ教師の「しおりの人々」の教祖だったよな、たしか。

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6月30日 伊藤秀雄・榊原貴教『黒岩涙香の研究と書誌』(ナダ出版センター・五月書房)

 2001年6月20日刊。定価5500円。全編、黒岩涙香の書誌研究にあてられている。
私は、「黒岩涙香の訳した原典の探索」という論を寄稿しています。ただ、ゲラが送られてこなかったので、校正ができなかったのが残念。少し誤字が残ってしまった。「定本」⇒「底本」等。
あまり一般の書店には並ばない本だと思われるので、興味おありの向きには書店注文してでも講読されることを期待したい。涙香に関する原典調査で、私が調べた新情報に関して、伊藤さんもいろいろと取り入れた上で書いてくださっている。「捨小舟」の原作とされるブラッドンの「DIAVOLA」は、目録にないと伊藤氏の文では書かれているが、手元の「シーサイドライブラリ」の目録に、その題で収録されている。

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