読書録/2001年7月
7月5日 エラリイ・クイーン『孤独の島』青田勝訳・ハヤカワミステリ文庫
クイーンの長編で最後の未読作品なので、これで一応クイーンの小説は全部読んだ。
クイーンの長編で、エラリイ・クイーンが出てこないものは、本作を含めて全部で三つ。(あとの二つは『クイーン警視自身の事件』と『ガラスの村』)。『孤独の島』は、クイーンの全作品の中で、一番、いわゆる「本格」ミステリからは遠い。自分の娘を悪漢トリオに人質にとられた刑事が孤軍奮闘する話で、話の枠組みは基本的にスリラーに近い。悪漢の隠れ家がどのあたりにあるかを探ろうとするあたりには、多少の推理的興味も盛り込まれてはいるのだが。
原題は"COP OUT"で、日本語にしっくりくる訳語がないところを、エピグラムから『孤独の島』とつけたのは、うまい工夫だと思った。
7月10日 ラッセル&ホワイトヘッド『プリンキピア・マテマティカ序論』
岡本謙吾・戸田山和久・加地大介訳(哲学書房)
ゲーデルの「不完全性定理」やウィトゲンシュタインの哲学をとらえるためには、その前提として、ラッセル・ホワイトヘッドの共著である大著『プリンキピア・マテマティカ』を踏まえる必要がある。とは言いながらも、全三巻で約2000頁にわたる大著は、そのほとんどが、難解で高踏な記号論理学の議論が続いているため、欧米でも充分な理解者を得られないままだという。日本語にも未だ訳されたことはないが、その序論(INTRODUCTION)の箇所だけが訳出されたのが本書。それでも300頁近い、立派な一冊の本になるのであるが、大判の原著での1-87頁の訳なので、原著の約4.3%程度の約出にすぎない。それでも、第一巻の議論の道筋を要約紹介しているところなので、単独訳出する意義は充分ある。この原書は、神田の哲学専門店で売られているのを目撃したときには、揃い価格が13万円(!)と目が飛び出るほど高価だったが、欧米の古書目録で見ても本書は500ドル〜600ドルはする高価で巨大な書物である。
訳書44頁の三行目まで読んでひっかかり、かなり長い時間悩んだ末、訳書のpとqが入れ代わっているのではないかと結論する。同様に74頁六行目の「φx.φyは常に真である」というのは、「φx.ψxは常に真である」が正しい。原書にあたってみて、訳書が間違っているのは確認した。こみいった難しい議論をしているところで、肝心の記号表記を間違えないでほしい。本訳書は、もっと校正をきっちりやってほしかった。
有名な「クレタ人のパラドックス」に関して、訳書194頁以下で本格的な考察をしている。自己言及性の禁止によってこのパラドックスは解消できるとラッセルは考えたようだ。それがタイプ理論の構築へとつながっていく。「私は嘘をついている」とか「この文は偽である」というのも同様のパラドックスを生み出すが、命題自身が自らの真偽を言明するのは、不当な自己言及にあたることになるわけだ。また、いわゆる無限数に関するパラドックスないし矛盾は、不当な「全体」を集合とすることを禁止することで回避される。「私は何も知らない」と言明する懐疑主義者の命題に関して、「その人物は『私は何も知らない』ことを知っている」とするパラドックスは、「知っている」事柄の全体という、不当な集合を措定する禁を犯している。その禁止によって、これらのパラドックスが回避できるというのが、単純ながら、本書の眼目の一つである。
ミステリ評論の分野で最近よく論じられる、ゲーデル問題とからめたパラドックスの問題と、いろいろ重なるところがあり、非常に興味深い思想書である。できれば、全体の邦訳を期待したいところである。
7月16日 バークリー『ジャンピング・ジェニー』狩野一郎訳・国書刊行会
読後かなり驚いたのは、趣向の意外性もさることながら、こんな作品がどうして今まで未訳のままだったのかという点にもあった。
その昔創元推理文庫がジャンル別のマークをつけていたときには、バークリー=アイルズの『殺意』や『トライアル&エラー(試行錯誤)』は、倒叙ものの時計マークだった。それで犯人が最初からわかっている小説かとみくびって読んでいったら、ラストでどちらもびっくりさせられたものだったが、この作品にもまたしても驚かされた。バークリーの趣向と工夫は一筋縄ではいかない。
参加者がそれぞれ歴代の有名な殺人者と犠牲者の扮装をしてくる仮装パーティーが舞台。クリッペン博士やブーランヴィリエ侯爵夫人や切り裂きジャックやメーブリック夫人といった著名な殺人者の格好をした人々が居並ぶパーティーに用意された首吊り台で、女性の屍体が見つかる。被害者は、『第二の銃声』の被害者とよく似た性格で、皆にうとましがられ憎まれていた女性だった。シェリンガムは、おのれの面子のために事件の解決というより収拾に乗り出す……。
シェリンガムものの長編を読むのは、『毒入りチョコレート事件』『第二の銃声』についで三作めだが、三作とも名探偵らしからぬ役回りで、ある種、名探偵を戯画化した存在だと思われる。自信満々で鼻っ柱が強いあたり、性格がくっきりしていて、好感がもてる。
7月29日 山田正紀『ミステリ・オペラ』(早川書房)
二段組、682頁もの長大な本作は、山田正紀畢生の一大伽藍にして大絵巻である。冒頭に魔笛の台詞がドイツ語で書かれているが、通りのStraβeがStraBeと誤記されているのに気づいた。(10頁)
戦前の中国、満州を舞台にした事件と、現代がカットバックし、数個の不可能犯罪をめぐる事件が平行的に描かれていく。そのかかわり方が結構把握するのが難しく、鷹城宏氏の「小説推理」に載った本作の評論を読んでみて、なるほどそういう構造だったかと合点したりした。満州の物語には、あの鬼貫警部がゲスト出演したりして、色々とミステリファンを喜ばせる趣向もちりばめられている。
それぞれの話が、単独で取り出しても、結構の整ったミステリになっていて、壮麗で骨太なプロットには感嘆させられる。近来の屈指の傑作には位置づけられる作品だと思う。
7月30日 ヴェデキント『地霊・パンドラの箱』岩淵達治訳・岩波文庫
ベルクのオペラの原作として有名な、ヴェデキントの「ルル二部作」。
原書刊行時には、猥褻文書として発禁になったこともあるヴェデキントの文学作品の中の代表作である。
娼婦めいた謎めいた女性ルルは、多くの男性とかかわり、かかわった多くの男性は破滅の道をたどっていく。といってもルルは、いわゆる「ファム・ファタール」タイプの女性としては描かれておらず、純真な無垢な女性として、ユングのいうアニマめいた女性として描かれている。パリで革命が起こったという台詞があることからすると、前半の物語の舞台は1870年で、後半は切り裂きジャックが出てくることからして、1888年頃が舞台と思われる。
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