読書録/2001年8月
8月5日 佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』プレジデント社
出版不況が叫ばれて久しいが、本書は出版界の現状に、多面的に鋭く切り込んだ、力作ノンフィクション・ルポルタージュである。書店・出版社(営業と編集)・取次・図書館・新古書店・電子書店といった多方面の切り口から、出版の現状と問題が照射されてくる。「このミステリーがすごい!」と「本格ミステリ・ベスト10」の比較の話も出てきて、著者の目配りはかなり広範である。
昭和40年頃に岩波書店で刊行された哲学書シリーズ(『講座・哲学』)は、各巻9万部以上の売り上げがあった(187頁)というのに、今は同種の叢書が5000部も売れなくなっているという話が載っていた。その理由として、当時と比べて大学に行く人数が増えすぎたことが、逆説的だが、そういうカタイ人文書の売り上げを減らしているのだろうと指摘しているのは、なるほどと思った。
8月6日 コリン・ウィルソン+ドナルド・シーマン『連続殺人の心理』(上下)中村保男訳・河出文庫
河出文庫から刊行されているコリン・ウィルソン・コレクションのうち、文庫オリジナルは、本書だけ。他は、単行本として既に刊行されたことのあるものの文庫化ばかりである。共著者のドナルド・シーマンは、FBIのプロファイリングの紹介と考察などを担当している。
ウィルソンによれば、いわゆる性犯罪というものは、19世紀半ばまでは出現していなかったという。その意味で、一八八八年の切り裂きジャックの事件は、性犯罪の殺人事件の画期をなすものとなるそうだ。また同様に、一見無動機な殺人にみえる、自尊心を満たすための殺人というのも、二〇世紀半ばになって初めて出現したとされている。ウィルソンが重視する、マズローの欲求階層論に従って、生存の欲求⇒安全の欲求・性の欲求⇒自尊の欲求のそれぞれが、社会の進歩とともに、満たされるにつれ、その位相に対応した殺人が起こるということらしい。
8月11日 MIRZA GHALIB "URDU GHAZELS"
tr. by YUSUF HUSAIN ,GHALIB INSTITUTE 1977
ウルドゥー語では、史上最大の詩人と目されるのが、ミルザ・ガリブ(1797-1869)。
ガリブの生地は、現在ではパキスタンになるが、当時はイギリス領の植民地。
ガリブは、母国語のウルドゥー語の他に、ペルシャ語も自由に操れたので、その詩作はウルドゥー語の"DIWAN"とペルシャ語の"GHAZEL"の二形式で残されている。ガリブ研究者では第一人者と目されるユサフ・フセイン教授は、ガリブの詩集を、ウルドゥー語のものと、ペルシャ語のものをそれぞれ英訳刊行している。序に付せられたガリブの伝記を読んでみると、ペルシャの宮廷に仕えたガリブは、政治方面でも、それなりに名を残しているようだ。本書は、テキストクリティックを経て真作とされるガリブの詩集約230篇を収める"DIWAN"を全訳し、他のウルドゥー語の伝承詩集からも、訳者が100篇弱を選定して訳出し、後半には、ウルドゥー語の原テキストも収録されている。原詩の美しさは翻訳を介しては、充分には堪能できないが、ガリブの詩の美しさをかいま見ることはできる。
8月12日 SACHIDANANDA VATSYANAN(AJNEYA) "ISLANDS
IN THE STREAM"
VIKAS PUB. 1980
"ISLANDS IN THE STREAM"というと、ヘミングウェーの小説にも同題のがあるが、これは別。355頁からなるが、目次のページ表記は狂っていた。1952年にヒンディー語で刊行された"NADI
KE DWIPA"(流れの中の島)を、著者自身が英訳して1980年に刊行されたもの。現代インド文学叢書シリーズの第二巻にあたる。
著者のSACHIDANANDA VATSYANAN(1911〜1987)は、ヒンディー語の詩人として有名で、AJNEYAの雅号をもつ。20世紀のインド文学というと、日本では、アジア初のノーベル文学賞を受賞したタゴール以外は、ほぼ全く知られてないが、タゴールのみの知名度が突出しているのは、タゴールの実力がずばぬけているわけでは必ずしもなく、イギリスで教育を受けて、英語で自作を発表できた有利さが大きい。
この小説は、四人の男女を主人公として、おおまかに見れば恋愛小説に含まれるかもしれない文学作品である。ブバンは、若手の気鋭の科学者で独身、人生について思索をめぐらす内省的なタイプの青年。ブバンと親しくなる、知性と教養をもった女性レッカは、意に染まぬ結婚をしたが、数年来法律上の夫とは別居状態にある。チャンドラマダフは、ジャーナリストで、既婚で、子どももいる。ブバンとは旧知の間柄で、実践的な考え方はブバンとは一致しないが、親しくしている。ゴーラは、この三人よりずっと若く、物語の序盤で出てきた時点では、まだ成人前の女子学生で、科学者ブバンに憧れて、家が押しつけようとする結婚をはねつけて、女性として自立する道を模索している。
物語の前半は、ブバン、チャンドラマダフ、レッカの三人の、恋愛の三角関係の緊張が背後にある中での、交流を描く。チャンドラマダフは妻子ある身ながら美しく聡明なレッカに惹かれ、彼女との結婚を望むが、レッカはそれを拒む。レッカが想っているのはブバンで、ブバンもまたレッカを想っているのだが、二人の関係はすれ違う。やがて元気で年若なゴーラが登場して、ブバンに猛烈なアプローチをする……。
折しも、1942年になってアジアにも戦雲が垂れ込める。日本軍が、ビルマを越えてインドの国内にも、とうとう砲火をもたらしたニュースが届く。戦争を忌み嫌っていたブバンは、それでも、侵略的な日本軍からインドを守るために、志願して戦地に赴いていく。そのことを決意したときブバンは手紙に次のように記す(p293)。
「……かつて日本がロシアを打ち負かしたとき、ヨーロッパは、アジアの小さな島国の力に驚愕した。ぼくたちアジアの民はプライドの高まりを感じた。……しかし今や、日本が抑圧者だ。ヨーロッパと同じ帝国主義の権力だ。……」
日露戦争時から第二次世界大戦にかけての、日本に対する見方が、アジアにおいてどう変わったかを端的に示している一節である。
人生に思い悩んだレッカが、ラマナ・マハリシやシュリ・オーロビンドの道場を訪ねたりするのが、いかにもインドらしい(281頁)。
以下、いくつか印象的な登場人物の台詞を抜粋訳してみよう。
レッカ「健康的なありようとは、芸術家のそれです──全てを受容する。あなたの友人は批評家です。批評とは、創造力がないことの別名でしょう?」(25頁)
ブバン「(レッカの放浪生活を評して)それでは根付くところがないでしょう」
レッカ「じゃあこう考えて。私は(聖書でいう)知恵の木のようなもの。ただ上下がさかさまになっている木なの。私の根は、大空に広がっているわ」(33頁)
チャンドラ「成長するってのは年をとることだろう?」
レッカ「この瞬間を生きる者、この瞬間を完全に受け入れて生きる者は決して老いない」(52頁)
(レッカの書簡)「それが何であれ、美しいものは美しいままに。それが消え去るのであれば、その消え去ることもまた美しくあるように……」(169頁)
(ブバンからゴーラへの書簡)「ぼくはこの生を越えたものを信じない。ここにあるものが全てなんだ。だから生の目的もまたここにしかない。ここにあるものが完全で最終目的なんだ。人々はそれを認めるのを恐れているようだ。ぼくにとっては、そのことが生きることに意味を与えてくれる。苦しむことの価値は、来世で報酬をもたらすことにあるのではない。その価値は、生を越えては何もないところにあるんだ。善行と悪行のバランスシートに汲々としている者たちには、このことは理解されないし、会得されないだろう。苦しみの価値が苦しみそれ自体にあることを……」(339頁)
レッカはすぐれた歌い手で、詩的な表現に卓越している。物語の最後でレッカは「孤絶した人と人の間に橋を架けるために、私はどれだけたくさんの歌を歌わなければならないのでしょう?」と歌う。
瞑想的なインド文学の粋と言うべき、名作小説。日本語にも訳出されることを期待したい。
8月17日 CHRISTMAS HUMPHREYS"ZEN BUDDHISM"
MANDALA BOOKS
クリスマス・ハンフレーズが、西洋人向けに書いた、禅仏教の紹介・入門書。
著者のハンフレーズは、イギリスでは裁判官職を勤め、日本に滞在して「日本」に関する本をいくつも著している。日本にも「仏教」という本が1950年代に翻訳刊行されたこともある。神秘思想にも造詣が深く、神智学協会の会員で英国支部の重鎮である。コリン・ウィルソン編の"MEN
OF MYSTERY"という未訳の本の中では、神智学の開祖ブラバツキー夫人の評伝を寄稿している。鈴木大拙に心酔したハンフレーズは、彼の弟子として長年にわたり禅を学び、その体験をもとに書き下ろしたのが、本書『禅仏教』である。
鈴木大拙の禅の本に比べて、マイルドだが、西洋人にはよりとっつきやすい内容になっているのだろう。JIJIMUGEという言葉が頻出するが、鈴木大拙の本で解説されていた華厳経の「事事無礙」のことである。
これを読んで「先を越されていたか」と思ったのは、ルイス・キャロルのアリス譚を禅として解釈しているところ。「無門関」の有名な問答に
問「いかなるか是れ道」
南泉「平常心是れ道」
問「いかにしてこれを得べき」
南泉「得んとすればこれを失う」
というのがあるが、『鏡の国のアリス』の最初の方で、鏡の国に迷い込んだアリスが目的地に向かおうとすると、目的地から離れてしまう場面がある。そこでアリスは一計を案じて、目的地から離れようとすると、見事に目的地に到達できたという一節がありその逸話の目的地は、南泉のいう「平常心」と対応するなあというアイディアを前々から持っていた、この本にそのものずばり、ハンフレーズがそのことを指摘していた(113頁)。それだけでなく、他のアリスの逸話も、それぞれ禅の公案にハンフレーズは見立てている(189頁)。
この本には、南泉に関する面白い公案が一つ紹介されている。ガチョウの卵を瓶にいれて中でガチョウを育てて大きくする。南泉は、そのガチョウの入った瓶を弟子に突き出し、ガチョウを殺さず、瓶を壊さず、ガチョウを外に出せと弟子たちに命じる。瓶の口は小さくてガチョウは出られない。ところが南泉は、こたえられずに苦しむ弟子たちの目が離れたすきに、ガチョウを外に出してみせたという。
8月18日 HERBERT GUENHER"ECSTATIC SPONTANEITY:SARAHA'S
THREE CYCLES OF DOHA"
1991 AHP
サラハは、生没年も伝記もはっきりしないが、紀元前後のインドに生まれた修行僧。龍樹(ナーガルジュナ)の師匠であったとの伝説をもつ。サラハの経典は、チベットにのみ伝わり、そのDOHA(道歌)は、民の歌、女王の歌、王の歌の三部から成る。そのうちの王の歌の箇所のみを訳出した研究書を、著者のギュンターは1969年に刊行している。("THE
ROYAL SONG OF SARAHA")それから約20年、とうとう三部を完訳した研究書を上梓
したのが本書である。
サラハの人生に関する逸話を読むと、最初は禁欲的な修道僧だったが、女性導師に性の道をたたき込まれ、性道に目覚めたらしい。その道歌にもセックスの修行の話が含まれている。後にチベット密教で、タントラ左派と呼ばれるカーギュ派の教師たちが、このサラハの教えを尊重したので、祖国インドでは失われた著書が、チベットでは伝えられることになった。
訳しづらいと思われるチベットの密教文献をギュンターはかなり巧みに訳している。
8月19日 "VIVEK CHUDAMANI of Sri
SHANKARACHARYA" tr.by SWAMI MADHAVANANDA
VEDANTA PRESS,1982(first edition:1921)
シャンカラ(788-820)は、仏教後のインド思想史では、一番のビッグネームとされる哲学者・思想家である。日本に訳されたシャンカラの著書というと、岩波文庫で刊行された『ウパデーシャ・サーハスリー』と、金倉円照訳の『シャンカラの哲学』(春秋社)。後者は上下巻で二万円以上もする高価本で、シャンカラの『ブラーマ・スートラ』への注解を訳したもの。32歳の若さで没しているのは、キリストとほぼ同年齢である。
邦訳のある二書と並んで、シャンカラの著作の中で三大重要作品と称されるのが、本書、"VIVEK
CHUDAMANI"(覚醒の宝冠)。580節から成り、サンスクリット語の原典を、本書では英訳とヒンディー語訳の対訳にして、掲載している。
梵(ブラーマン)と我(アートマン)が一体であることが、ヒンズー思想の、特にヴェーダンタ系列の思想の要であるが、シャンカラが論駁しようとしている思想は、仏教の無我(アナ・アートマン)思想と、諸々の二元論派の思想家のようだ。
弟子が二回だけ口をはさむところがあり(50節と212節)、現実世界が幻影(マーヤ)であると説くシャンカラに対して、「それを除けば後は空ではありませんか?」と質問する弟子に対して、「覚者はそこに真の自己=アートマンをみいだす」とシャンカラは説く。
8月22日 JOHN G.BENETT"LONG PILGRIMAGE: THE
LIFE AND TEACHING OF SHIVAPURI BABA"
THE DAWN HOUSE PRESS 1975
グルジェフとウスペンスキーの高弟であったベネット(1897〜1974)は、元は英国の秘密情報部で働いていたエージェントだった。その地位を生かして、ロシア革命の戦乱を逃れて、イスタンブールに亡命していたグルジェフとウスペンスキーを西欧に逃れさせる手助けができた。1949年のグルジェフの死以後、東洋の秘教の師を求める旅に再び乗り出し、ラティハンを教えるインドネシアのパク・スブー(スブド)のプロパガンダをするが、やがて離脱し、最後はカトリック入信にいたる。その過程で、ネパールの聖者・シヴァプリ・バーバに出会い、その教えと生涯を書きまとめたのが本書。
シヴァプリ・バーバは、本書の一章で記されている伝記が事実だとしたら、相当豪快かつ数奇な人生を歩んだ人物である。1826年に生まれ、25歳から48歳までの間は、森で隠者として暮らしていたという。その後世界各地をあまねく旅して回れとの啓示を得て、アフガニスタンから西に向かい、メッカ、エルサレム巡礼を経て、トルコからヨーロッパに入り、1896年から1901年までは英国に滞在し、ヴィクトリア女王の訪問を18回受けたという。1898年にはバーナード・ショーとも会い、ショーは彼に「君たちインドの聖者は、一番役立たずな人種だね。まったく時間というものを尊重しない」と言われて、「時間の奴隷なのはあなたがたです。私は永遠にすまう」とこたえたそうである(26頁)。女王の死後、アメリカに渡って短期滞在した後、メキシコ、南米を旅して、日本に船で渡り、1913年上海に渡った後、同地で第一次世界大戦勃発の報を聞いたという。第一次世界大戦後は、インドに戻り、1963年1月28日に亡くなったそうである。享年137歳というから、ギネスブックに載っている長寿者の世界記録を上回って長生きしていることになる。
シヴァプリ・バーバの教えは、革新的なグルジェフの教えに比べれば、ずっとマイルドで、体制擁護的。社会と家族に果たすべき勤めをした上で、神を求めるよう説く。それでもベネットの注釈によれば、多くの点でグルジェフの教えとの一致を見いだしたそうである。
8月22日 アントニイ・バークリー『最上階の殺人』(国書刊行会)
『最上階の殺人』の刊行は1931年、アメリカでは、クイーンが国名シリーズを発表し始めている時期である。
ロンドンのアパートの最上階の独り暮らしの老婦人が何者かに殺害された。警察は、常習犯のものとりの犯行ではないかと考えてそちらを追うが、シェリンガムは、アパート内部の住人たちの中に犯人がいるのではないかと推測して、独自に推理をめぐらせる。事件そのものは、さほど不可能性や奇抜さはないが、細かい疑問に目をつけて、その疑問にこたえようとして、緻密な仮説を何度もたてていくあたり、本格ミステリとしての手応え充分。でも、続けざまに刊行された二作で比較するなら、『ジャンピングジェニー』の方が、私は好きですね。
8月22日 二階堂黎人・森英俊編『密室殺人コレクション』(原書房)
密室ファンには嬉しいアンソロジーが刊行された。本邦初訳作品が中心となった、珍品逸品ぞろいの海外密室中短篇六編からなる。
巻末の「飛んできた死」は、世界最初の「足跡のない殺人」ものとされ、ドイルのホームズ譚が掲載されていた「ストランド」誌に載ったもの。この結末まで読むと、「ストランド誌でこんな作品があった」として、乱歩が誰かに伝聞した作品として、紹介されたことがあるのをどこかで読んだ憶えである。古典的なトリックの原点になった作品でもあり、歴史的に大変貴重な作品の紹介に拍手を送りたい。
『赤い右手』のロジャースの「つなわたりの密室」は、集中でもっとも長い。文体なのか技法なのか、詰め込みつつどんどん飛躍していくような文章なので、少々読みづらかった。真相を知って読み返すと、きわどいミスリーディングな描写がたくさんあることに気づかされる。
「ガラスの橋」は、「五十一番目の密室」と並ぶ短篇の有名作になるだけのことはある、かなり大胆な狙いの作品である。
8月25日 『有栖川有栖の本格ミステリー・ライブラリー』(角川文庫)
読み終わって、ずらりと並んだ作品群を目次で再確認すると、「うん、どれも本格ものだなあ」と思わせる。IIの「トリックの驚き」に収録された海外短篇の三つは、既読だったが、他は初読のものばかりで、新鮮な出会いの驚きもあった。巽昌章さんの「埋もれた悪意」は、よくできた犯人当て短篇。私も推理してみたが、正解には一歩届かず解決篇を読んでなるほどと納得。台湾作家の「生死線上」は、国家体制への批判とか政治意識が、ミステリでありつつも、色濃く滲み出ていて、面白い。集中で一番印象に残った短篇でもあった。
8月26日 『北村薫の本格ミステリー・ライブラリー』(角川文庫)
「本格ミステリーを語ろう!」で、密室トリックに関して、ヤッフェのものではないかと私が発言していたのは、実は本書に収録されたレナード・トンプソンのものでした。機会があったら訂正しなくては、と思いますが、EQFCのEQIII会長に教えてもらったところによれば、ヤッフェは、トンプソンと連続で十代作家の密室派作家としてEQMMに相次いで登場していたそうで、ヤッフェとトンプソンを混同したのは、あながち無根拠でもないとのこと。
巻末の「ジェミニー・クリケット事件」を除いて、この本でないと読めないのでは、と思える珍しい作品が並ぶ(「ガラスの橋」だけは、原書房で出た密室アンソロジーと偶然にも重なってますが)が、中で特に印象的だったのは、西条八十の本格ものと銘打たれた「花束の秘密」。たしかにトリックがあって、謎解きものではある。
しかし、それより驚いたのは、姉妹編の『北村薫の本格ミステリー・ライブラリー』にカーリル・ギブラン(正しくはカリール・ジブラン)の「夢遊病者」(西条八十・訳)が収録されていたことです。この一編は、『漂泊者』(壮神社)に私が訳しています。収録は、KAHLIL
GIBRANの"MADMAN"の中の一篇です。しかし、私も、あの訳書を刊行したときに、日本に訳出されたジブラン書誌は調べたつもりだったのですが、西条八十による部分訳があるのは、見落としてました。
8月27日 "THE FIRST BOOK OF THE HADIQIQAT OR THE
ENCLOSED GARDEN OF THE TRUTH OF THE HAKIM ABU'L-MAJD MAJDUD SANAI OF
GHAZNA" ed.&tr. by MAJOR J.STEPHENSON,CALCUTTA,1910
種村季弘が編纂訳出したM・ポングラチュ著 「夢・占いの事典」(河出書房)には、ハッキム・サナイによる「玉垣巡らす真理の園」として本書は登場している。『文庫版
狂骨の夢』で京極堂もこの本に言及している(620頁)。その本だけを読んでいると、この本は夢判断・夢解釈の本と思われてしまいそうだが、全体の中で、夢判断の章が一章あるだけなので、大部の本書の中のごく一部にすぎない。『ユニオ・ミスティカ』(市民出版社)に抄訳がある。
ペルシャ文学史上の、重要な詩人は、大部分がスーフィー(イスラム神秘主義)の系譜の者である。『ルバイヤート』のオマール・ハイヤーム、ジャラルディン・ルーミー、ハーフィーズ、そして本書「ハディカ」の著者ハキム・サナイもまたスーフィーである。本書に付されたスティーヴンソン教授の序文によれば、スーフィー文学史上の三巨頭は、ルーミー、アッタール、サナイとなるそうである。その三巨頭のうち、前二者は、英語にはほぼ全集が訳されていて、日本語にも、井筒俊彦『ルーミー語録』(岩波書店)や『イスラム神秘主義聖者列伝』(国書刊行会)といった訳書で、不完全ながらも紹介されている。それに比べてハキム・サナイは、日本語訳はないどころか、英訳も、百年前に出たほぼこの一冊きり。以降、欧米の東洋学者も誰も手をつけていない。DAVID
PENDLEBURYによる"THE WALLED GARDEN OF TRUTH"という薄い本が1970年頃に刊行されているが、そこに収められたハキム・サナイの言葉は、すべてこのスティーヴンソン教授が訳したこの本からの抜粋と抄録から成る。あの本は、この元の訳書に包含されてしまう。といっても、この訳書はサナイの「ハディカ」の完訳ではなく、初めの六分の一の訳である。だからタイトルに「第一の書」と銘打たれているわけだが、以降残念なことに予告した二分冊以降の翻訳を刊行することなく、スティーヴンソン教授は他界している。サナイの「ハディカ」は、ペルシャ文学史上の一大金字塔でありながら、原語の難解さと、多くの異本が入り乱れる校訂の困難さから、スティーヴンソン教授以外には読みこなせないといわれた難物で、教授の訳業以降百年放置されたままである。
「夢判断」の章では、「夢の中で水を見たとき。きれいな水ならば、正しく稼がれたパン。濁った水ならば、不健全な生活。死者への施しは、財産の喪失。水を飲むことは、知識の獲得」(86頁)といった調子で、夢に見た内容をシンボルとして解釈する託宣が続く。 本書の最後のあたりは、コーランを讃える詩が続くので、イスラム護教的な内容が続く。かと思えば、前半には「あらゆる宗教を捨てよ」というような言もある。「我は神」と宣言して処刑されたアル・ハッラージ・マンスールに共感しているとおぼしき箇所もあり、「我は神、というのが内奥の真実である。自己を無化せよ」とサナイは説く。異端の冒涜の書物であるとして、弾圧されたこともあるだけあって、一部の言説はかなり反体制的で、時として仏教的な虚無主義への通路も感じられる。
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