読書録/2001年10月
10月3日 "TALES & PARABLES OF SRI
RAMAKRISHNA"
VEDANTA PRESS
ラーマクリシュナが語った寓話を集めて編集したもの。通し番号がついていて、全部で305の寓話が収録されている。その中には「井の中の蛙」(268)や「群盲象をなでる」(267)といった有名なものも含まれている。「みにくいアヒルの子」に似た、羊の群れの中で育った虎の子が、見つけられた虎に連れ出されて初めて咆哮するという話もある(167)。貧しい木こりが聖者から「どんどん進め」との助言を得て、銅の鉱脈、銀の鉱脈、金の鉱脈、ダイヤの鉱脈を見つけていく話もある(171)。素朴な神への信仰を讃えたものや、信仰の奇蹟を説いた寓話も多いけれど、気の利いた話も結構あって読みごたえはあった。聖者のふりをした泥棒が本当に聖者になってしまう話とか(107)。聖者にさとされて咬まなくなった毒蛇が、子どもに投げられ瀕死状態になった後で再び聖者に会ってその非暴力を讃えられるのかと思いきや、「咬むのはよくないが唾を吐けばよかった」とたしなめられてしまう話とか(187)。腰布以外なにも持たない無所有の修道僧が、いつも鼠に布をかじられるので、鼠を退治するために猫を飼うようになると、猫を養うためにミルクを出す牛を飼うようになり、牛を飼うために牧場を営み、やがて家をもち妻帯者になる話とか(15)。「そこにいるのは誰?」と聞いたシャンカラに弟子が「私です」とこたえると、「その私を無限に広げるかまったく放棄するか」とさとす話とか(190)。
10月5日 黒岩涙香『人の妻』(扶桑社・縮刷涙香集)大正十年
涙香翻案の人情小説・家庭小説は、今まで敬遠してきたのであるが、本作を読んでみると、そういう小説でもかなりミステリ味があることがわかった。
英国北部の伴野家荘といえば、かつては名家だったが、今は磊落している。当主は早世し、しっかり者の長男丈夫と母が懸命に切り盛りをしているが、弟の次男は放蕩家で、しょっちゅうお金を浪費していた。その次男が、医者の大津博士の息子・波太郎とつるんで、手形の詐欺をやっていたことが発覚した。丈夫と母はうろたえるが、大津博士が息子の不始末だとして、全額を自分で負担すると申し出てくれた。英国での不始末を糊塗するため、波太郎は豪州に、次男は印度へと行く。その後数年して、波太郎が豪州で事故で死んだと連絡がきて、結婚した槙子という女性から、波太郎の息子をかかえて生活に困窮しているとの連絡がくる。大津博士は求めに応じて数千磅を送金し、英国に招聘する。子どもを連れてやってきた槙子はとても美しい女性だった。大津博士の娘・輪子にずっと言い寄られていた丈夫は、槙子と恋に落ちる。やがて二人は婚礼をあげることになる。ところがその丈夫が、偶然にも生きている波太郎と駅で遭遇する。詰問する丈夫に対して、波太郎は、たまった借金を逃れるために、死んだふりをして豪州から逃れてきたのだという。そうなると、法律的にはいまだに槙子は波太郎の妻ということになり、自分と槙子の結婚は無効になってしまう。思いあぐねた丈夫は、波太郎を抹殺することを即座に決意し、人気のないところに彼をおびきよせて、油断させてから彼の首をしめあげた……。丈夫の殺人は成功するのだろうか?
この時期の英国のミステリは、ドイルやコリンズもそうだが、植民地を背景にすることが多く、そのどさくさにまぎれた人のすりかわりがよく用いられる。本作もその一つで、広い意味でのミステリ味はある。
10月10日 チェスタトン『四人の申し分なき重罪人』西崎憲訳・国書刊行会
今年は、バークリーやセイヤーズだけでなく、チェスタトンの新訳までもが刊行されて、あらためて、未訳のままだった古典ミステリの層の深さを実感。
四つの中編から成る。「穏和な殺人者」「頼もしい藪医者」「不注意な泥棒」「忠義な反逆者」という題で、いずれも逆説的な題名のついた連作。殺人者は殺すのが目的のはずだし、医者は治療するのが目的のはずだし、泥棒は盗むのが目的のはずだし、反逆者は国家を転覆するのが目的のはずである。ところが、この連作では、それとは逆の行動をしている人々の謎、というのが全体を貫くモチーフである。警句と逆説、ひねりの鋭さ、チェスタトン節は本作でも冴えている。
10月12日 ヴィルヘルム・ライヒ『弁証法的唯物論と精神分析』ライヒ著作集8・片岡啓治訳
太平出版社
太平出版社からはライヒ著作集・全10巻と銘打たれていて、近刊の題名予告までちゃんとされているが、私はそのうちの5冊しか持っていない。ところが最近国会図書館の目録で調べてみたら、その5巻までしか刊行されていないことがわかった。ただし、未刊の5〜7巻「性格分析」9巻「文化闘争における性」10巻「ファシズムの大衆心理」は、別の出版社から刊行されてはいる。9巻は「性と文化の革命」という訳題で勁草書房から刊行されているのを読んだことがある。その本の巻末に書かれていて「へえ」と思ったのは、ロシア革命当時理想に燃えていたレーニンは、『共産党宣言』に書かれていたとおり、家族制度の解体をやろうとしていたことだ。しかしこれは社会の維持に相反すると判断されてすぐに取りやめられたらしい。著者のライヒならば、その理想を押し進めるべきだったと主張したいところだろう。
後にアメリカに亡命し、獄中死することになるライヒが、亡命以前に書いたのが本書。簡単に言えば、マルクス主義とフロイトの精神分析をつなげようとする試みである。ライヒは、「フロイト左派」と呼ばれ、ドイツ共産党に属していたから、両方の学派に所属していたと言えるわけだが、強い確信をもって両者は弁証法的に統一されうると主張している。英語版からの重訳だった『きけ小人物よ』や『キリストの殺害』よりは、訳文はグッド。説得力の強さは中くらいで、ライヒは、ヴァン・ヴォークトやコリン・ウィルソンがよくいう「確信人間」の一人だなあと思わせる。
10月13日 有栖川有栖『作家小説』(幻冬舎)
作家が出てくる連作小説集(?)。不肖・私めも大阪人&阪神タイガースファンなので、喫茶店で「作家漫才」を読んでいたときには、本に顔を埋めてしばらく笑ってしまった──。イェイツの『神秘の薔薇』には「世界霊」という言葉が出てきて、その霊と接触することで、物語を授かるのが語り部=作家とされている。その世界霊との接触で紡がれてきたアラビアン・ナイトやギルガメシュ叙事詩のような物語との繋がりを予感させる、美しい「夢物語」。
10月17日 ヴィルヘルム・ライヒ『性道徳の出現』(ライヒ著作集第二巻)片岡啓治訳・太平出版社
ライヒとヘルベルト・マルクーゼは、考えてみれば共通性が多い。二人ともドイツ人だがナチスに追われる形でアメリカに亡命した学者であり、マルクス主義とフロイトの精神分析をつなげる仕事をした。それだけでなく、その社会理論の構築に、ともに大きくマリノフスキーの文化人類学の仕事に依拠している。『性道徳の出現』は、まだライヒが共産党に属していた時代に書かれた、社会と性道徳の理論構築の試みである。同じ未開の島の風俗を対象としていても、マリノフスキーとローハイムでは、導かれる結論が全然違ってくるのは興味深い。ライヒにとって、マリノフスキーの研究は、自分の理論にとって格好の好材料だったようだ。いわゆる欧米の文明社会と比較して、一見性行為に放縦に見える部族の方がはるかに道徳的であるとライヒは主張し、フロムやローハイムといった自分に敵対する思想家をライヒは厳しく指弾していく。マルクーゼの『エロス的文明』とは好一対をなす名著である。
10月19日 MARGARET SMITH "RABIA THE MYSTIC;AND
HER FELLOW-SAINTS IN ISLAM"
PHILO PRESS
first published in 1928 reprinted 1974
イスラム世界で一番有名な女性の聖者と言えば、ラビア・アル・アダビアなのは衆目の一致するところ。そのラビアを研究した、イギリスの女性宗教学者マーガレット・スミスの長編論文。私が一章だけ訳したものが、「書物の王国第十五巻」『奇跡』(国書刊行会)に掲載されている。この本の第三部は、ラビアではなく、ラビア以外のイスラム史上の女性聖者を総覧して考察している。
聖者伝として読むときに、本書はやや不満がある。一つは、著者のスミスがキリスト教の優位を明らかに前提としていて、スーフィーの言葉や思想をしばしばキリスト教の思想を引き合いに出して説明したりして、キリスト教の思想を明らかに上に置いているところがまず気になった。そして、主題をラビアにしぼってほしいのに、恣意的に他の色々なスーフィーの言葉を引いたりして、論が散漫な印象を与える。要するに、書き手の主観が強く干渉しすぎている。これは最近読んだジュナイド伝や、サナイの本にはあてはまらない、大きな欠点である。
ラビアというと、ハッサンが家を訪ねたときに、祈りのためにコーランを求めたときに、貸した本には、ラビア自身の書き直しがたくさんあったという。冒涜的だと怒るハッサンに対して、ラビアは平然としていたというエピソードが有名である。イスラム文化圏でも、昔はもっと女性が強かったと感じさせるだけでなく、ラビアだけは特別な女傑だったのだろうと思わせる。
10月22日 ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』大浦康介訳・筑摩書房
本書の原書がフランスで刊行されたとき、かなり話題になったので私もその存在は知っていた。帯には「アクロイド殺しの真犯人はほかにいた!」とある。この本の題名を聞いてすぐ、犯人があの人でないなら、別のあの人(登場人物の一人)だろうと推測してこの本を読んでみたら、やはり私の推測はあたっていたと判明。というのもはるか昔の小学生のとき、予備知識なく初めて読んだ創元推理文庫『アクロイド殺害事件』で私は意外な犯人に驚いたのであるが、作中に書かれていたデータから、私は別の人物が怪しいとにらんでいた。今回バイヤールも作中にちりばめられたデータを拾って、その人物こそが真犯人であると、『アクロイド殺し』の隠された真相を解きあかしている。
クリスティは、語りのフェア性にはかなり意識的な作家である。バイヤールの推理した真相もまた、クリスティの意図した真の解決ではないかと思わせる、多重性が原作のテキストにはこめられている。
10月27日 梶尾真治『かりそめエマノン』(徳間書店・デュアル文庫)
「あしびきデイドリーム」でひさしぶりに新作が書かれたエマノン・シリーズの初の長編。といっても、長さとしては中編に近い短め。エマノンの生き別れの双子の兄が出てきて、その出会いと別れが描かれる。現在世間を騒がしている時事ネタも巧みに取り入れられている。叙情性のある巧みな語り口は健在で、新世紀のエマノンに出会うことができる。
10月29日 "THE LIFE & TEACHING OF NAROPA"by
HERBERT GUENTHER
SHAMBHALA PRESS 1986
チベットの大聖ナロパ(1016-1100?)の生涯と教えを書き記したチベット語の経典を英訳したもの。ナロパの師は、「マハムドラーの詩」で有名なティロパで、ナロパの弟子が、訳経法師マルパ、さらにその弟子がミラレパと、カーギュ派の法統はつづいていく。
約300頁ほどの本だが、後半は、著者のギュンター自身が、ナロパの言葉をもとに、その哲学を解説した論文になっていて、そこでは、ハイデガーやヤスパースといった実存哲学者やフロイト、ユングなどの西洋の心理学者の思想も引き合いに出される。
最初の章は「ナロパの生涯」。チベットに生まれたナロパは、学者として盛名を馳せるが、真の師を求めて旅に出て、ティロパに会い、彼に仕えるようになる。ティロパは、忠実なナロパに十二回の試練を課す。その十二回の試練の物語が十二節にわたって物語られていて、粗筋は大体おなじ。「この崖から飛びおりろ」「この炎の中に飛び込め」「あの王族の行列に突入して暴れろ」といった無茶を命令をするティロパの言うことを忠実に実行し、そのせいでひどい目にあうが、「私はティロパへの信を保つ。私は幸福だ」とナロパが歌う。その十一番目の章が特におかしかったので、ちょっと翻訳紹介してみよう。
ティロパがナロパに言った。「私の教えがほしいなら、私に少女(恋人)をよこしなさい」ナロパはティロパの言うとおりにした。ティロパが少女を抱き寄せると、彼女はナロパの方を見て微笑んだ。するとティロパは少女を叩いた。「おまえはナロパを気にかけているな。おまえはこのわしが好きではないのだな」
それでもナロパはティロパへの信を失わなかった。恋人を失っても幸せそうに坐っているナロパにティロパが訊ねた。「ナロパよ、幸せか?」
ナロパはこたえた。
覚者である導師にためらわずムドラーを差し出すことは、至福です
ティロパが言った。
無限のリアリティの道において、ナロパよ、
おまえは永遠の至福を受けるにふさわしい
ダキニの神秘のすみかである、マハムドラーである
おまえの心の鏡を見なさい
(p.80)
ナロパの教えの精髄とも言うべき、ニルマーナカーヤ、サンボガカーヤ、スヴァーバーヴィカカーヤの段階論が詳述されているあたりが特に重要と思われる。チベット密教に興味ある向きには、第一級の貴重な訳書である。
(トップにもどる)