読書録/2002年1月

1月3日 ヤコブ・ベーメ『ドイツ神秘主義叢書第八巻 アウローラ──明け初める東天の虹』
薗田担訳・創文社

 ドイツには「曙光」と題する名著が二つある。一つはもちろんニーチェの『曙光』で、もう一つが、このヤコブ・ベーメの「アウローラ」である。
 ヤコブ・ベーメが二十五歳のときに発表した最初の作品だけに、後の老成した印象の作品と違って、若々しい活気がみなぎっている。『ベーメ小論集』の感想では、表現力がベーメはいま一つだとするウィルソンの説に与してしまったが、この『アウローラ』を読むかぎり、ベーメの表現力は優秀であったと認めざるを得ない。彼は照明(イルミナツィオン)体験を経て、神の霊の導きによって本書を書いたと称しているようだ。
 全体が26章から成るが、構成としてほぼ三部に分かれている。一章から七章は、神と天上世界の構造を解明する。八章から十七章では、神的な秘儀とルチフェルの堕落についての解明。十八章から二十六章までは、天地創造とその形姿を考察する。終章(27章)ではこの本が未完だと述べられ、本来は述べられるはずだった続きを暗示している。
 この本が刊行されるや、靴職人だったベーメは一躍思想家として名を馳せるが、この本が反キリスト教的であるとして、時の教会から弾圧と迫害を受ける。以降ベーメは出版と著書刊行が禁止され、この『アウローラ』も発禁図書となった。
↓以下、抜粋引用。
「熱が甘い性質のうちに立ち現われ、甘い源に点火するとき、その火は甘い性質のうちで燃え上がる。ところでそのとき甘い性質は、一つのさらっとした、愛らしく甘い源=水であるので、それは熱を和らげ、火を消す。こうして甘い水の甘い源泉には、ただ歓喜に充ちた光だげがあとに残る。そして熱は、ちょうど多血質の人問におけるようにもっぱら柔らかな暖かさであり、そこでは熱は、それが程よく保たれさえすればひたすら快適な暖かさである。この快適な愛・光・火は、甘い性質のうちで苦い性質と渋い性質のうちへと発現し、これらの性質に点火する。それはその甘い愛の養分でもってこれらの性質に食物を与え、飲ませて元気づけ、また照らし出して、これらを生き生きとした親愛なものにする。 こうして甘い明るい愛の力がこれらの性質に届き、これらがそれを享受し、自らの生命を得るとき、まことにそこには快適な至福と勝利が、親愛なる歓待と大いなる愛があり、親しく優雅な接吻と美味すらもある。そこで花婿は花嫁に接吻する。ああ、優雅さと大いなる愛よ、そなたは何と甘く、また心地よいことか。しかもそなたの味わいは何と愛らしいことか。そなたは重た何と柔らかく匂うことか。ああ、高貴なる光と澄明さよ。そなたの美を誰が測ることができようか。そなたの愛は何と優しく、そなたの色合いは何と美しいことであろう。おまけにいつまでも変わらずに。誰がこれを言い表わし得ようか。あるいは私に何が書けるであろうか、話すことを覚えたばかりの子供のようにただ口ごもるだけのこの私に。(106頁)

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1月7日 『キリスト教神秘主義著作集第13巻・ヤコブ・ベーメ』南原実訳・日本教文館

 1989年に刊行された、ヤコブ・ベーメの作品集。全体のメインを占めるのは、長編の「シグナトゥーラ・レールム──万物の誕生としるしについて」。この本は、各天体についてのコメントを開始したところで中絶したベーメの処女作『アウローラ』を補完しようとするかのように、前半は、天体との絡みで神とキリストと悪魔に関する議論が続く。神に反する性質をベーメは大きく三つあるとし、サトゥルヌス(土星)的、マルス(火星)的、メルクリウス(水星)的であるとしている。
 「神智学書簡」も抄録されていて、数十あるベーメの書簡のうちから数編を訳出している。あとは短い小品が三つほど収められているが、ベーメの全集の各巻に付された扉絵とそのコメントは、どれも神秘的で面白い。用語解説索引がついているのは良心的だが、ベーメの最大のキーワードと言うべき「ティンクトゥール」の項目がないのが大きな手落ち。「血」の項目では「ティンクトゥール」を参照せよ、とまで書いてあるので、たぶん脱落の見落としだろう。ティンクトゥールという言葉は、ベーメ思想の要なのだが、意味不明の謎な言葉。何かのポイントを説明するときに必ず出てくる。『キリストへの道』の注釈では「原語はチンキ剤からくる」「分けるもの、不純物から純粋なもの、または無雑なものをもちきたすもの」「神性の力と泉からくる」ものとしている。「ティンクトゥールは、万物の内に作用し、不純な毒性を浄化する生命の働きである」(157頁)という解説を読んでも、なおその概念は捉えがたい。
 この正月休みの間、読書に関しては、日本語に訳されたヤコブ・ベーメの本を全て読破したのであった。

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1月14日 ドストエフスキー『白夜』小沼文彦訳・角川文庫

 ドストエフスキーの中でまだ読んでなかった小品。ドストエフスキーというと、大長編というイメージが強いが、短篇にも珠玉の名作がいくつもあり、読んだ中でも「おかしな人間の夢 ──空想的な物語」などは絶品だったと思う。この「白夜」は中編の恋愛小説。
 語り手の恋愛のありようは、デビュー作『貧しき人々』の一途な純情さから、『賭博者』で愛する女性を救うための英雄的な恋愛との、過度期というか中間の感じ。「はつ恋」のツルゲーネフも巧みな恋愛描写の書き手だが、屈折した心理描写ではドストエフスキーの方がはるかに巧い。饒舌と無駄口の洪水のような羅列が、一見詩情から最も遠そうな記述に見えて、美しい詩的飛翔がそこかしこに散りばめられているのは、ドストエフスキー文学の不思議な魅力である。この作品もまた然り。

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1月21日 LALLA "NAKED SONGS"
tr.by Coleman Barks,MAYPOP 1992

 スーフィーの研究、特にジャラルディン・ルーミーの詩の翻訳で活躍しているコールマン・バークスによる、カシミールの女性神秘家・詩人ラーラの訳詩集。既に1920年に刊行されたグリーソンとバーネットの英訳書は読んだときにこの読書録にもアップしたけれども、訳文が割合堅苦しかった印象があった。このバークスの訳詩集は、ずっと文章が詩的に洗練されていて、読みやすく、翻訳としての出来ばえが格段に上。それでもテキストは、バーネットらが収集したものに主に依拠しているから、先駆的偉業は讃えられるべきである。ラーラは、色々な宗教的伝統からは自由だったようで、ヒンズーの神々を読んだ歌もあれば、イスラム、スーフィー的な詩もある。うまく訳せないので、二連ほど英語のまま引用。↓

When the mirror of my consciousness became clear,
I saw that my family and others I
love are the same as me.
The "you" and "I" thought
does not occur.
The entire world is God.

Lord, you exist
as me. Your power moves,
and I start walking.
A prior impulse is the only difference
between us. Other than that,
everything I am is You.
(p.56)

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1月21日 高山宏『殺す・集める・読む』(創元ライブラリ)

高山宏のミステリ関係の論やエッセーを集大成した一冊。高山宏をミステリファンに
発見してもらうには、いい企画だと思う(文庫オリジナルだし)。これを集めた編集者の
手腕が高く評価されるべきである。集めると読むのは、評者の基本姿勢といえるが、
集めることの集め方にどれくらいの美学と鑑識眼がこめられているのかが勝負所である。鷹城宏の評論スタイルの範となっているのがよくわかる一冊でもある。ドイル、ストーカー、チェスタトン、乱歩と、思いも寄らぬ関連や結びつきが次々と発見できる好著。

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1月24日 レヴンズクラフト『ロンギヌスの槍 オカルティスト・ヒトラーの謎』堀たほ子訳
学研M文庫

 ナチスとオカルティズムの係わりを述べた本として一級品。類書は色々とあるけれども、この手の本は、書き手にオカルトの素養があるかどうかで、出来ばえが格段にかわってくる。私が知っているもので、ヒトラーとオカルトに関してすぐれた研究書になっているのは、日本語訳では抄訳だが、ルイ・ポーウェルの『魔術師の朝』(邦題は『神秘学大全』)。それと、未訳だが、JAMES WEBBの"OCCULT ESTABLISHMENT"がある。
 この本は、ヒトラーが傾倒したロンギヌスの槍と聖杯伝説の探索譚を縦糸に、ハウスホッファー父子、ヒムラー、エカルト、チェンバレンといった第三帝国のオカルティストたちや、ヒトラーと霊的に闘争したというルドルフ・シュタイナーの軌跡をたどる。ヒトラーがニーチェに心酔していたことは有名だが、なぜニーチェの思想がユダヤ人排斥のナチ思想に取り込まれたのかは、あまり知られていない。
 ニーチェ、ワーグナー、ショーペンハウアー、ヘーゲル、キリスト教といったナチスが尊重した思想は互いに相矛盾しているのに、それにどう折り合いがつけられたのかを本書は説明してくれている。
ヒトラーは、ニーチェが嫌悪した賤民思想をユダヤ教と同定し、キリストが実はユダヤ人ではなくアーリア人だったという理不尽な神話を捏造していったのであった。

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1月28日 若島正『乱視読者の帰還』(みすず書房)

2001年11月刊。
 「創元推理」に掲載され、小森収編の「ベスト・ミステリ論18」に再録された「明るい館の秘密」は、クリスティの『そして誰もいなくなった』のあるべき読解を示していてくれて、目から鱗の好評論だった。あの作品は本格ではないという意見を前にどこかで表明した憶えがあるのだけれど、この論を読んだ後ではその意見を変えないといけなくなった。その論を含む若島正の大部の評論集。
 前の評論集が『乱視読者の冒険』だから、シャーロック・ホームズものを踏襲した題名をつけるのは、山口雅也・法月綸太郎・喜国正彦さんたちと共通する路線とも言える。
 その他にもバークリー論やセイヤーズ論、イネス論やデクスター論など、ミステリの評論書としても充実している。全編ミステリが対象ならば、ミステリ関係の評論賞の有力候補になりえると思うのだけれど、ナボコフ論が一番多く、ミステリ関係の比率は全体の四分の一くらい。ナボコフは読んだことがなかったが、ミステリとして読める作品もあるらしく、この本を読んで大いに読みたくなった。取り上げられている作家は実に多彩で、読書の手引きになる。

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1月30日 ノット『回想のグルジェフ』古川順弘訳・コスモス・ライブラリー

2002年1月刊。
 グルジェフの弟子のノットによる、グルジェフとオレージの教え概説を含んだ評伝。コリン・ウィルソンのグルジェフ研究書『覚醒への戦い』では、ウスペンスキーやベネットと並んで、最も参照されていたのが、ノットの著書だっただけに、かねて読みたいと思っていた本の一つ。ちゃんとした日本語で読むことができてよかった。『ターシャム・オルガヌム』に続いて、コスモス・ライブラリーの刊行書の大金星といえる。
 ノットは、推理作家のC.D.キングと同じく、フランスのグルジェフの元で学んだことはあるのだが、主に師事していたのは、元・文芸編集者のR.A.オレージである。後にキングは「オレージの教え」という本にまとめているくらいだが、オレージ自身にまとまった著書がほとんどないのが惜しまれる。その欠けを補うのが、キングやノットがまとめたオレージの講義録を含む、本書のような著書である。
 オレージは、イギリスの辣腕編集者として、ウェルズ、チェスタトン、バーナード・ショーといった錚々たる文学者の担当をし、マンスフィールドを初めとする多くの作家を発掘した名編集者である。本書でもオレージが、時々ヒントンやショーやウェルズの言葉を引用しているところに、かつての文芸編集者としての片鱗がうかがえる。ヴァン・ダイン(ライト)の美術評論をイギリスに紹介したのも、オレージである。
 後半のオレージによる、グルジェフの『ベルゼバブ』読解は、圧巻。読者は本書によって、難解なあの大著『ベルゼバブの孫への話』への新たな視座を得るであろう。

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1月31日 北村薫『謎のギャラリー 名作博本館』(新潮文庫)

 今年の1月に刊行された新潮文庫の新刊のうちのなんと、二冊にわたって、私(小森)が電話を著者に入れてくる場面が入っている。どちらも著者の知らなかったある点を指摘するためのものなのだが、その二冊とは、一冊が『大密室』の有栖川有栖さんのパート。もう一つは、『謎のギャラリー 謎の部屋』の北村薫さんになのだが、興味ある方は現物を手にとっていただきたい。『謎の部屋』の方には、私が翻訳したカリール・ジブランの『漂泊者』(壮神社)の中から、短い三編が採られている。ジブランは、鬱然たる大家なのに、なぜか日本でのみ知名度が低く、この機会に、北村薫さんのアンソロジーを通じてでも、ジブランに興味をもつ読者が増えるのを期待する次第である。それと並んで刊行された、本書『名作博本館』は、読書人・北村薫の蘊蓄が楽しく読める。読書することの楽しさが自然と伝わってきて、とても楽しく読める。

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