読書録/2002年3月
3月2日 北村薫・編『謎のギャラリー 謎の部屋』(新潮文庫)
私の訳したカリール・ジブランの『漂泊者』から、三つの短い掌編が収録されている、新編集のアンソロジー。この三つを採ることには、私もさほど異論はない──しかし、ジブランの真骨頂は、わずか十頁たらずの枚数では到底伝わらないので、新潮社さんからも、ジブランの新訳刊行を企画してくれないかなあ(願望)。ジブランはビッグネームなのに、日本ではなぜか不遇。北村薫氏のような方にまでその名前が知られていなかったとは(嘆)。
収録作は、北村氏がこういう形で選んでまとめてくれないと読める機会がえらなさそうな作品ばかり。中でもインパクトあったのは「猫じゃ猫じゃ」。これはもうこの結末とテーマがぴったりで。あと「エリナーの肖像」は、私は、内田善美の描く『星の時計のLIDDELL』の絵柄で、作品世界がイメージされてしまった。この二編が特に印象的だった。
3月5日 小倉孝誠『推理小説の源流
ガボリオからルブランへ』(淡交社)
いまどき副題に「ガボリオ」と銘打った本が出るとは思わなかった。フランス文学者による、フランス推理小説の誕生から胎動期(20世紀前半)までを俯瞰する貴重な評論書。特に重点的に取り上げているのは、ヴィドック、ガボリオ、ルブランの三人である。ヴィドックとルブランは邦訳で読めるからよいとして、邦訳がほとんどまともにないガボリオに関して、ちゃんと原典を通読した上で紹介している中盤は、情報としても大変貴重。さらにガボリオの本を新訳で訳出刊行してくれればもっといいのだが。ガボリオのルコックシリーズもののうち、通常代表作と目されるのは、刊行順では最後になる『ルコック探偵』であり、それに次ぐのが世界最初の長編推理小説と目される『ルルージュ事件』。しかし、執筆順では『ルルージュ』の次が『ルコック探偵』であったという、私の知らなかったことが書かれていたりした。いろいろと勉強になる有益な評論書だった。
3月7日 川村湊『日本の異端文学』(集英社新書)
小栗虫太郎、夢野久作、中井英夫といった文学の流れは、いわゆるアカデミズムの文学観では「異端」に入るのだろうが、むしろ日本文学の中の王道にして正統だと見ることも可能だ。著者は「異端文学」と銘打つことに関する意義を最初と最後の方でちゃんと説明してくれてはいるのだが。個人的に「おや」と思ったのは、三島由紀夫の割腹の動機について目新しい新説が出ているところ。
三角寛(乱歩の『三角館』かと思ったが)という作家は全然知らなかったが、これを読むと異色の興味深い作家らしい。要チェックだと思った。
新書の枚数の制約上、各作家論が突っ込み不足な観があるのは、やむをえないところかもしれないが、食い足りない気がした。
3月12日 トルストイ『戦争と平和』(一)〜(四)工藤精一郎訳・新潮文庫
図書館に行ってトルストイ全集とドストエフスキー全集のあるロシア文学の棚を眺めてみると、両者の長さがほぼ同じだなあと思ったことがある。調べてみたわけではないけれども、両者が書いた文章の量はほぼ拮抗しているのかもしれない。春陽堂の全五巻のトルストイ全集はやたら紙が薄くて三段組なので、一冊あたりに含まれる文字数は膨大である。
『戦争と平和』に出てくる登場人物はのべ559人になるそうなので、ロシアの人名は覚えにくいと思って、新潮文庫にはついていない登場人物表を河出書房の「世界文学全集」からコピーして、新潮文庫の本とともに持ち歩いて読んでいたのだが、メインの登場人物は限定的なので、さほど名前の記憶に負担はかからなかった。しかしこの人物表、ピエールの妻エレンを「絶世の美人であるが、無知で、破廉恥な淫蕩女」、アナトーリを「美貌のあばれ者。無恥無良心の不良青年」と書いてあり、なんだか凄い形容である。それに物語のラスト近くになって、戦死したり、結ばれることになる男女を、登場人物表でネタバレしているのもいかがなものかと思う。創元推理文庫などの登場人物表の方がずっと理性的でクール。河出書房の文学全集の登場人物表は洗練されてないなあと思った。
大学時代に『カラマーゾフの兄弟』を読んだときは約一週間かかったけれど、それより長い『戦争と平和』。トルストイの三大長編は発表とは逆順に読み通したことになる。
冒頭、舞踏会の場面からこの長大な物語は幕を開け、その後も何度も舞踏会の場面が頻出する。この頃のロシアの上流社会が、しょっちゅう舞踏会をやっていたことはよくわかった。
主役にあたる登場人物は、ピエール、アンドレイ公爵、ニコライ・ロストフと、ヒロインのナターシャの四人かと思うが、最初は影が薄いように思われたピエールが、物語の後半では完全な主役となっていく。人生の意義がみいだせずにふらふらしていた頃のピエールが、個人的に一番共感できた。
物語の前半、ピエールがフリーメイソンに入会するところがあり、かなり詳細にフリーメイソンの儀式や内部事情が描かれている。ナポレオンが獣の数字666をもった存在であると、ピエールが数秘術を駆使して読み解く場面もあり、このあたり当時のロシアの秘教運動の一端が垣間見えて面白い。
四冊のうちの一冊めは、メインの登場人物の動向を描いた後は、アウステリッツの会戦で、ロシア・オーストリア連合軍がナポレオン軍に敗北していくときの話がメイン。二冊めは休戦中の動向、三冊めになってナポレオン軍のロシア侵攻が描かれ、クトゥゾフ将軍が奮戦するさまが描かれる。この戦争では、フランス側からの描写が少ないのがちょっと物足りない気もしたが、大局的な戦線の動きなど細密に描かれていて迫真的である。戦争を動かしたのは、ナポレオンや指導者の意志によるものではなく、大勢の人々のエネルギーがうねりとなって歴史を形成したとトルストイは説く。世の歴史家たちが、どのように歴史を歪曲捏造しているかについて、トルストイの筆鋒は鋭い。エピローグでは、小説を離れて、歴史の意義について考察した論文がついている。
3月15日 "FRAGMENTS:THE COLLECTED WISDOM OG
HERACLITUS"
translated by BROOKS HAXTON,VIKING 2001
古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの残したとされる断片を集大成したもの。ギリシャ語と英語の対訳になっているが、ギリシャ語はもちろん読めない。ヘラクレイトスのまとまった日本語訳としては、田中美智太郎の『古代ギリシャ哲学史』(筑摩書房)の巻末に「ヘラクレイトス集」でほぼ全訳がなされていた。
ニーチェは、自分以前の哲学者はみな、固定できぬものを固定してとらえる誤謬を犯していたと斬った後で、ただ一人高い尊敬の念を持ってヘラクレイトスを除外すると言っている。(『偶像の黄昏』)。ニーチェのギリシャ史講義では、割に平凡な扱いで取り上げられていたが、ニーチェ思想の後期「権力への意志」論になってくると、ヘラクレイトス思想がより重みをもって扱われるようになる。
その昔の倫理社会の授業では、哲学の根源として、タレスは万物が水であると言った。ヘラクレイトスは万物が火であると言っていた、としてごく単純化された紹介がなされていたが、原典にあたってみると、タレスもヘラクレイトスもそのような単純素朴な哲学者ではないことがわかる。「あるものはある。ないなのはない」の哲学者パルメニデスと、「万物流転説」のヘラクレイトスとして対比されることもよくあるが、これもかなり単純化された理解である。大学のときに哲学を習った井上忠先生は、パルメニデスとヘラクレイトスは表裏一体の関係にあると喝破していた。
ヘラクレイトスの思想の特徴をいくつかあげるなら、まず両極性の強調。「大道廃れて仁義あり」と述べた老子に似た面がある。しかし戦争(ポレモス)を強調するあたり、静的な老子とは異なって、動的で能動的である。「時間とは子どもの戯れである」(79番)という断片など、ニーチェのツァラトゥストラの精神と深く共鳴している。「同じ河に二度入れない」とか「太陽は日々新しい」という箴言も味わい深い。
3月24日 ジェイムズ・ムア『グルジェフ伝 神話の解剖』浅井雅志訳・平河出版社
グルジェフィアンの間では最も定評のあるグルジェフの伝記。定価は6300円とちょっと高価。ウスペンスキーと会う以前の謎に包まれたグルジェフの前半生について、なにか新しいことがあるかと期待したが、それは特になく、『注目すべき人々との出会い』に書かれた内容をなぞったような記述。しかし、ロシア革命後の亡命生活で、特にフランスでのグルジェフの動向は、丹念に追跡され、多くの証言や資料をもとに再構成していて、読みごたえがある。ウスペンスキーに対する評価が冷淡なのが若干ひっかかる。ベネットやニコールのように、ウスペンスキーかグルジェフかと二者択一を迫られて、ウスペンスキーを選択した弟子たちが多くいたことも忘れるべきでないと思う。
532頁には「タラント氏」の作者デイリー・キングも登場している。ロシア皇后がメアリ・コレリを愛読していたとの記述がある(155頁)が、『白髪鬼』などで知られると訳注には付け加えてほしかったところ。ときどき引用されるグルジェフの言葉が、片言の言い回しに訳されているのは、原語の拙い言い回しを再現しているのだろうか。
グルジェフ伝としての出来を比較するなら、未訳のジェームズ・ウェブ『ハーモニアス・サークル』の厚みと完成度には、遠く及ばないと思う。ウェブの方が、ウスペンスキーを初めとする弟子たちの扱いに対して複視眼的でバランスがとれ、未知の部分の掘り起こした量も大きいからである。著者のムアがグルジェフィアンで内部の視点なのと、ウェブがジャーナリストとして外部の視点で書いているのとの違いもあるのだろうけれど。
3月25日 歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』(角川書店)
歌野晶午の著作は『生存者、一名』(祥伝社)以来だが、あれは中編だったことを考えると、長編は『ブードゥー・チャイルド』以来ひさしぶりとなる。少年が誘拐されて射殺されるという事件が首都圏で頻発する。主人公は、わが子がその実行犯ではないかと疑いに苛まれる父親という設定。一見すると我孫子武丸『殺戮にいたる病』に似ているが、中盤以降物語は意外な分岐を見せて……。
少年の描写や犯罪者の描き方が大変巧みで、小説として高い完成度をもっていると思う。ジャンルとしては本格謎解きものには属さないとは思う。『ブードゥー・チャイルド』でも活用されていたインターネットが本作でも巧みに物語に取り込まれている。
3月26日 ドロシイ・セイヤーズ『箱の中の書類』松下祥子訳・ハヤカワミステリ
著者の名前にはセイヤーズの名しか入っていないが、医学博士のロバート・ユースタス卿との合作になっている長編。ユースタスといえば、E.ジェプソンとの合作「茶の葉」がミステリファンには忘れられない作品だろう(江戸川乱歩編『世界短篇推理傑作選』の第三巻に収録)。「茶の葉」はミステリクイズにもよく使われた古典的なトリックの作品。本書も「茶の葉」に似て、メインの医学的ないし理化学的なアイディアをユースタス卿が提供して、それをもとにセイヤーズが小説化したのだろうと思わせる。本書はイギリスのミステリでは珍しい、主眼のワントリックにすっかりよりかかったトリック中心の長編ミステリである。ほぼ全編が書簡と記録の抜き書きから成り、その中から浮かび上がる家庭の悲劇をセイヤーズは活写している。
3月28日 北村薫編『謎のギャラリー─こわい部屋─』(新潮文庫)
四冊刊行された新潮文庫の北村薫のアンソロジー〈謎のギャラリー〉の一冊。収録作品のうち、「二十六階の恐怖」は以前に読んだことがあるのを思い出し、調べてみたら1980年8月号のミステリマガジン誌に掲載されたときに読んでいたことがわかった。気の利いたオチがついている短篇が多いが、一番感銘を受けた作品は、病院を舞台にした、プッツァーティの「七階」。カフカの諸作やカミュの『シーシュポスの神話』に通じる味わいの、二十世紀の実存主義的ないし不条理文学の秀作。早い段階で結末が読めるのに、読者としてずっと患者の立場にたってはらはらさせられてしまう。小熊秀雄の作品は教育学部での授業記録研究で「焼かれた魚」を読んで以来の意外な遭遇。「焼かれた魚」はしみじみ童話などでは決してなく、私には残酷ホラーに思えた短篇だった。乙一の「夏と花火と私の死体」は十六歳が書いたとは思えない秀作で感心。
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