読書録/2002年7月
7月2日 フランシス・アイルズ『被告の女性に関しては』白須清美訳・晶文社
バークリー=アイルズ最後の長編作品。セイヤーズとともに、大家でありな
がら1930年代で筆を絶ったのが気になるバークリー。セイヤーズの最後期の作
品がミステリから離脱気味だったのと同じく、この作品はジャンルとしてミス
テリには属さなさそうな。
本作を含めてアイルズ名義の三作(『殺意』と『犯行以前』)は、いずれも夫婦
の物語で、第三の要素として浮気相手ないし愛人が介在しているのが、共通の
人物配置。『犯行以前』は、犯罪小説で心理サスペンスではあるが、謎解きも
の、本格ものではなかったけれど、本作は『犯行以前』よりはるかにミステリ
味は薄れていて、前二作と違ってミステリ史でこれが等閑に付されていたの
は、ある意味もっともな気がした。
ミステリを期待して読むと失望させられるが、普通の小説としては十二分に面
白い。主人公のアランが、鼻っ柱の強い若者だが、女性経験がなく実は奥手と
いうキャラクターで共感がもてた。
7月5日 有栖川有栖『マレー鉄道の謎』
(講談社ノベルス)
ひさしく前から名前のみ予告されていた、有栖川有栖・国名シリーズの一作。
有栖川の国名シリーズでは最高傑作だとの声をあちこちで聞いたので、期待し
て読み始めた。題名からすると、アリバイ崩しのトラベル・ミステリーかと
思ったが、そうではなく、フーダニットの密室もの。内側から目張りされた密
室ということで、カーの『爬虫類館の殺人』やロースンの「この世の外から」
に挑戦した一作。トリックは、これと類似性のある有名作品は思いつくけれども、同じものはない。「新本格」という名称を拒んで「ただの本格ミステリ」と称した著者の心意気が感じられる力作である。
7月7日 ポール・アルテ『第四の扉』平岡敦訳・ハヤカワミステリ
フランスのディクスン・カーの異名をもつアルテの長編初邦訳。読み終えてみ
て、一応面白かった……のだが、本家のカーを超えるほどの面白さではなかっ
た。作中の舞台はイギリスなのだが、現実のイギリスではなく、想像上の仮想
されたイギリスという感じで、なんか作品世界に血が通っていない気がした。
カーのごとく、怪奇めいた現象を起こしてくれるところはよいのだが、事件そ
のものがちょっと間延びした印象。作中での時間の間隔が長すぎるせいもある
のか、もうちょっと短期間で起こった濃密な事件にしてくれた方が迫力が増し
たような気がする。メインのトリックの一つは、某日本人作家が同じものを用
いていますが、発表はアルテの方が古い──原型で言うなら、もっと古い海外
作品にもありますし。
いくつか不満はあるものの、ラストであっと言わせてもらったし、続いて訳出
してもらいたい作家なのは確か。
7月9日 殊能将之『樒/榁』
(講談社ノベルス)
袋綴の密室本の一冊。このシリーズを読むのは『浦賀和宏殺人事件』に次いで
二冊目。タイトルの漢字を見たときには読めず。「しきみ・むろ」と読むの
ね。木偏をとれば「密室」であることに、遅ればせながら気づいた。
前作『鏡の中は日曜日』のネタバラシをしていると思われる箇所があるので、
読む順序としては、前作の後に読むべきだろう。
中編サイズにどの程度のネタをつぎこむか、適量の判断は難しいところだが、
これはネタとしてちょうど長さにマッチしたものだと思った。第二部のホワイ
ダニットは、私も昔考えたことのあるものだった。随所に著者のセンスのよさを感じる。
7月11日 宮部みゆき『R.P.G.』
(集英社文庫)
『模倣犯』の武上刑事と『クロスファイア』の石津刑事が共演するミステ
リ。模倣犯の世界には、念力放火者がいるのかと思うと少し妙な気になる。
インターネット上で仮想家族を構成していた、一家の主人にして父親が何者か
に殺害された。仮想家族の他のメンバーが怪しいとされ、警察はその三人の身
元を突き止める。重要な目撃をしている、その男の娘に警察は隠れて面通しを
させようとするが……。
他の宮部作品でも問いかけられた、家族の主題が本作でも最大のテーマ。た
だ、掲示板のやりとりから、仮想家族がネットで成立するという仕方は、どう
なのかなあ。本当に役割ゲームをする仮想家族の空間もあるのだから、そちら
を使った方がよかったんではないかなと思った。
7月13日 鯨統一郎『北京原人の日』
(講談社)
鯨作品の中では一番長い部類に属する長編小説。銀座で男が空から降ってき
た。その男には、戦争中に消失したとされる北京原人の骨がからんでいた…
…。北京原人の骨の消失は、乱歩賞受賞作の『八十万年の死角』や、松本清張
作品で何度かミステリでも取り上げられている。そのテーマに鯨統一郎が挑ん
だ作品。謎を追う警察と、なにか秘密を隠そうとしている旧日本軍兵士たち、
そして巻き込まれながらその謎を追うことになる男女の視点で話は進む……。
文章的にちょっと軽すぎるのが不満の一つ。メインはスリラーなのだけど、謎
解きものとしては、推論の論理が結構飛躍しているのが気になった。
7月14日 鯨統一郎『九つの殺人メルヘン』
(光文社カッパノベルス)
鯨統一郎の作品の中で、一番よいという声をよく聞くが、一読してみてた
しかにその評価が妥当に思えてきた。秀逸なアイディアが光る連作短編集。惜
しむらくは、アリバイトリックの分類の大元のネタが、オリジナルではなく、
有栖川有栖作品(『マジックミラー』)から借りてきていること。その九つの
大分類を一篇ごとにやってみせる趣向。アリバイトリックは出来不出来がある
けれど、短い枚数でよくまとまっている。それと並んで有名なメルヘンの別解
釈が加えられている。特に気に入ったのは、「小人の靴屋」の新解釈。「赤
ずきん」や「いばら姫(眠れる森の美女)」の解釈は、既にフロイト派の精神
分析で、グリム童話などを性的に解釈することは行なわれているので、あまり
新味がなかった。そのあたりの童話は、フロイト流の性的解釈を前提にして、
さらにひねった別解釈を見せてほしかった。
7月19日 鯨統一郎『タイムスリップ森鴎外』
(講談社ノベルス)
今年の三月に刊行された鯨統一郎の新刊。森鴎外がタイムスリップして現代の
日本に現れた。携帯電話を使ったりインターネットをしたりマクドナルドでハ
ンバーガーを食べたりする森鴎外という趣向は面白く、文章もよみやすい。
が、しかし、なんか大事なところが欠けている気がしてならない。SF的設定を
用いるにしても、どういうルールの世界なのか、見えてこないと、謎に対する
解明をどうやったらよいのか見当がつかない。謎のつくりや世界観の設定が、
どうもイージーな感がした。
7月20日 北山武邦『「瑠璃城」殺人事件』(講談社ノベルス)
前作の『クロック城殺人事件』よりは面白かったと思う。何度も転生して互い
に殺し合う宿命の二人。舞台は、現代の日本、第一次世界大戦下のドイツ-フ
ランス戦線、そして中世のフランスの城と三部構成。この著者、年はすごく若
いのだけれど、文章力や描写力で、うまいと思わせるところと、うまくないと
思わせるところが混在していて、全体の評価がつけづらい。うまくないと思う
のは、過去のヨーロッパを舞台にしているところで、登場人物の立ち居振る舞
いが、現代日本の幼い若者のように見えるところ。作者が構想した作品世界が大変雄大
なところに好感をもった。面白いトリックが使われているのだけれど、舞台設定とミスマッチな気がした。
7月21日 鯨統一郎『なみだ研究所へようこそ!』
(祥伝社ノンノベル)
サイコセラピスト探偵波田煌子と副題にある。フロイト、ユング、ラカンと
いった精神分析の蘊蓄が使われているのだけれど、そのあたりがごく浅い使わ
れ方でしかないので、不満を感じさせる。最初の二つの短篇は、精神分析的解
釈を使うにしても少々強引というかこじつけ気味では、と思ったが、段々こな
れてきたのか、後の方の短篇は説得力が増してきたと思う。主役の波田という
女性はなかなか魅力的。これも鯨統一郎の筆の冴えた好連作短編集だと思っ
た。
7月22日 鯨統一郎『鬼のすべて』
(講談社)
鯨作品は数としては短篇の方が多いが、長編の中では、『金閣寺に密室』に次
いで本書が面白く、『北京原人の日』が三番目かなと思う。
鬼の見立てをした連続殺人が発生する。若い女性の首が、公園の時計の中で発
見され、ついで角をつけられた女性の他殺死体が見つかる。予告文での「鬼」
とは何なのか?
連続殺人のミッシングリンクものなのだが、殺人が二つの段階で、被害者の共
通性は?とか失われた環を求めるには、数が少なすぎると思う。ミッシングリ
ンクの連続殺人を成立させるには、被害者は最低三人は要るのではなかろうか。点が二
つではそこを通る円は無限にあるけれども、三点を通る円が一つに決定される
ように、ミッシングリンクが問題になるには、三つは死体が必要だと思う。
この作品では、三番目の殺人も起こるのだが、それは終盤近くで遅すぎるし。
鬼に関する民俗学的考察と、本書の結末で用意された真相との照応が決まって
いて、面白い。
7月24日 カビール『宗教詩
ビジャーク インド中世思想の精髄』
(平凡社 東洋文庫)
去年英訳版を読んだカビールの詩集「ビジャーク」のまさか邦訳が刊行され
ようとは。東洋文庫は、「ギータ・ゴヴィンダ」も出してくれたし、「チョイ
トイノ伝」も出してくれたし、この一二年、本当によいインド関係の本を出し
てくれている。一冊3000円と、ちょっと値段は高めだが、書の貴重さを鑑みれ
ば充分かと。
冒頭からしばらくは、カビール教団が儀式的に整えた内容という感じなので、
あまり元のカビールらしさはない。反逆的なカビールの面目が躍如するのは、
番号にして30番以降の詩篇あたりから。ヒンドゥーもイスラムも地獄に落ちる
とうたう詩があったり、ヴェーダや経典の中に真実はないと言い切る詩があっ
たりして、反体制的な香りが立ち込めている。第三部「サーキー」はわずか二
行から成る詩が続くが、一番味わい深いところ。タゴールの「カビール歌集」
の原型も、多くこのサーキーの中に見いだせる。
しかし、アーマド・シャーの英訳書のことは、この邦訳解説でも触れられてい
るのだが、あれで読んだときとは大分印象が違う気がした。ほとんど別の本を
読んでいるような感じである。それと、解説の中で、鈴木大拙のカビール紹介
をぬかしているのは、手落ちかと思った。
ともかく、日本ではほぼ初めてと言ってよいカビールの宗教詩の刊行を心から
喜びたい。
7月29日 鯨統一郎『隕石誘拐』
(光文社文庫)
鯨統一郎の第一長編。宮沢賢治絡みのミステリーなのだが、スリラーではあっ
ても本格ものではなかった。幻の『銀河鉄道の夜』の第五稿には、七色のダイ
ヤの隠し場所を示す暗号が生み込まれていた……という伝承(伝聞?)をめぐっ
て事件が起きる。童話作家志望の中瀬研二の妻と子が誘拐された。彼の妻・稔
美の父は、岩手の宮沢賢治の研究家で、暗号の解読内容を娘に伝えたらしい。
ダイヤの行方と、誘拐事件の顛末は……?という設定は興味をそそられるのだ
けれど、ミステリとしての仕掛けか工夫がもう少しあった方がよかったのにと思った。
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