読書録/2002年9月

9月2日 島田荘司『魔神の遊戯』(文藝春秋社)

 いよいよ発刊となった本格ミステリー・マスターズの第一弾。待望の御手洗潔 シリーズ。
 ネッシーで有名なネス湖畔が舞台になる。連続女性殺害事件が発生し、ひきち ぎられた身体が異様な装飾をされて発見される。
 脳科学と宗教という新旧のフロンティアを題材に取り入れた、スリリングで骨 太な本格ミステリ。島田荘司の構想力のたくましさをあらためて誇示する力作 である。
 以下、ちょっと気になった些細な点。
 読んでいて、ユダヤ教の神ヤハウェに関して、聖書に書かれたエピソードを聞 かされたイギリス人が「ヤハウェとはなにだ?」と訊いたり「そんな恐ろしい 神があるものか」「荒々しすぎるぞ、ヒトラーとどう違うんだ」(267〜268頁 のあたり)と述べているのは、ちょっと首を傾げた。旧約聖書の神は、キリス ト教徒にとっても、神なのだから、こういう荒々しく残酷な神のイメージは、 キリスト教圏には広く浸透しているはずなので。それに、旧約聖書の神は、外 国人や異教徒が信じる「外の神」ではなくて、彼らがまさに信仰している神の はず。キリスト教はユダヤ教と同根の宗教だから、ユダヤ教徒から見たキリス ト教の神が異端的となるにしても、キリスト教徒にとってのヤハウェは「外の 神」ではない。旧約聖書の神であるヤハウェを「魔神」呼ばわりするのは、日 本人の感覚ならおかしくないが、キリスト教国人にはなじまない気がした。む ろん、その人物がキリスト教徒ではなく無信仰ということがあるにしても、聖 書の素養は浸透しているはずだから。ただ、これは些細な点で、物語の本筋を なんら損なうものではない。

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9月5日 黒田研二『今日を忘れた明日の僕へ』 (原書房)

 今年の一月に刊行された、ミステリ・リーグの一冊。
 主人公は、事故による頭部の怪我によって、短期記憶をもてなくなった。事故 にあうまでの記憶はもっているのだが、それ以降は、一旦眠ると、すべて忘れ てしまうようになった。妻に看病されながら主人公は、毎日克明な日記をつづ り、日々の出来事を保持しようとつとめている。主人公の周りで、不審な死が あいつぎ、もしかしたら、殺人が起きているのではないか?と主人公は疑念を 抱くようになる。
 設定のアイディアは面白く、伏線に対応した解決もなかなかよく出来ていると 思った。ただ、主人公がつけている日記がワープロによるもので、他人が改竄 できるという設定なのが、いただけない気がした。なにかゲームの基盤がゆる いでいる気がして、そこが改竄可能なら、恣意的な改変が可能になると思うか らだ。基盤となるところは揺るがないという設定にして、推理ができるように してほしかったと思う。

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9月7日 有栖川有栖『迷宮逍遥』(角川書店)

 有栖川有栖の、文庫解説を主とした、ミステリ評論やエッセーを集めた一冊。 ここで有栖川有栖が解説を書いた本は、過半以上うちの書庫にもある。一部は 親本でもっていて、文庫版をもっていないために有栖川解説を持っていないの もあるけれども。
 『有栖の乱読』や、北村薫らとの対談で、有栖川有栖のミステリ観と審美眼に はたくさんのことを学ばせてもらったし、影響も受けた。解説の集大成がこう やってまとめて読めるのは、読者として嬉しい。

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9月9日  香山滋『悪魔の教科書』 (評論新社)

昭和33年、評論新社から刊行された、異才・香山滋の短編集。
「悪魔の教科書」は、体がすけて見えるプロテウスという動物を研究し、人体 も透明化させる方法を開発したプロテウス博士というマッドサイエンティスト の物語。「何処かで見た女」は、夫がこっそり持っていた妖子という女性が現 れて、妻と対決する話。「人間うじ」はUFOが現れて、主人公の家の地下に、 アンヌラという異星の生き物がすみつく。その生き物から「醜い」といわれた リエコは、その言葉を取り消させるまで、アンヌラを外には出さぬと闘志を燃 やす。異星の生物にすみつかれたのに、リエコの勇猛な頓珍漢ぶりには爆笑。

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9月11日 佐藤友哉『クリスマス・テロル』 (講談社ノベルス)

 袋綴密室本の一冊。孤島に登場人物をもってくるときに、手続きはどうしたら よいか?とか作家としては考えてしまいがちだが、この冒頭、衝動的に家出し たくなった少女が、貨物船に乗り込んで、ついた先が孤島という入り方、単刀 直入だけれど、うまいなあと思った。西尾維新と違って、同世代なのに佐藤友 哉は、現代の若者の生態を描くときにも批評的な眼差しを送る。その批評的な て眼差しが佐藤友哉の魅力でもあり特質だと思う。
にしても、作者があまりまともに本格ミステリに取り組む気がないのは、作中 にちりばめられた作者自身の独白からもうかがえる。京極夏彦は、はやくも現 代の古典化しているのか、バロック化して佐藤作品の中で用いられている。ミ ステリを追求する意欲があまりないなら、純文学で新作に挑戦してもらいたい 気がする。

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9月13日 佐藤友哉『水没ピアノ』 (講談社ノベルス)

 佐藤友哉描くところの、鏡家サーガの第三弾。話は(たぶん?)三つのパートに 分かれて進む。北海道のいなかに住む〈僕〉は、仕事をしながら無為に日々を 過ごす十八歳。彼女がほしいのだが、うまくいかず、メル友で親しくなった女 性とメールのやりとりをしている。もう一つは、伽耶子という女性を守ろうと する騎士きどりの〈僕〉の話。もう一つは、長女の梢が、母を殺し、逃げよう としたメイドをも射殺してしまった家庭で、兄弟とともに不安に駆られつつ暮 らしている〈私〉の話。
かなり奇怪な物語、部分的に青春小説でも私小説でもSFでもミステリでもあり ながら、そのどれでもない。
エンターテインメントとして、佐藤とは対蹠的な作風として、西村寿行の小説 群を思い出した。妻子が殺されたり凌辱されたりさらわれた主人公は、復讐す る、あるいは奪われた家族を取り戻すという強い動機が与えられている。読む 側としては、ともかくその強い動機に共感して物語を読み進めることができる のだが、佐藤友哉の作品では、どれも主人公が目的意識らしいものを持ち合わ せていないから、物語についていくのが、なかなか辛い。純文学では、そうい う主人公はよくいるので、やはり佐藤は純文学の方が合っているような気がし た。

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9月30日 アントニイ・バークリー『レイトン・コートの謎』 巴妙子訳・国書刊行会

今月はバークリーの邦訳が一挙に二冊も刊行されてびっくりである。この『レ イトン・コートの謎』は、バークリーのデビュー長編。田舎屋敷の主人スタン ワースが、密閉された自室で頭を射抜かれて死亡しているのが見つかる。部屋 は完全に内側から密閉された密室な上、遺書まで残っていたので、警察は他殺 ではなく自殺とみなした。その屋敷に居合わせたシェリンガムは、この死を他 殺によるものと確信し、友人のアレクをワトスン役にして、事件の調査に乗り 出す。
警察の捜査がおざなりだったせいか、後から現場を調査したシェリンガムが随 分色々な手がかりを発見するものだ……。戯画的に描かれるシェリ ンガムの迷探偵ぶりは、デビュー長編から健在。しかし同時にかなりかっちり した本格もの、犯人探しものにもなっている。バークリー作品は打率が高いな あ。

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