読書録/2003年10月
10月5日 狩々博士『ドグラ・マグラの夢──覚醒する夢野久作』 (三一書房)
1971年に刊行された夢野久作の研究書。うちの母の知り合いだそうで、世間
は狭いかもしれない。国会図書館の目録ではヒットしなかったので、あまり
世に知られていない研究書だと思う。感動的なのは、巻末に40頁ほど『ドグ
ラ・マグラ』の部分英訳の試みがなされていること。
ちなみに巻頭歌は英訳ではこうなってました。
Oh,Fetus,Fetus
Why are you so dancing?
Are you dreadful to find
what is working in your mother's mind?
10月9日 ポール・アルテ『死が招く』平岡敦訳(ハヤカワミステリ)
書斎でミステリ作家が殺された状況が、どこからみても密室状況。ひねり球
の設定でなく、カー流の王道の謎の呈示があり、どのように解決してくれるのかと思ったら、正面きっての、逃げのない解明篇。第一作も面白かった
が、こちらはさらにこなれた書き方をしている感じがあり、前作を凌駕して面白い。アルテは、次の邦訳が待たれる。
10月12日 天藤真『死の内幕』(角川文庫)
乱歩賞候補作『陽気な容疑者たち』でデビューした天藤真の第二長編。
正式に結婚していない内縁の妻たちが集まって互助サークルをつくってい
た。その一人が、つきあっている男を、あやまってタンスの角にぶつけて死
なせてしまう。その男の死を隠蔽するために、サークル全体で偽装工作をや
ろうとするが……。
昭和30年代に刊行された作品だが、設定は、現代の作家でもやりそうと思わ
せる話。ユーモラスで都会的な作風は、当時主流だった社会派ミステリとは
一線を画している。作中の登場人物が、都筑道夫のミステリを語るシーンが
あり、当時の作者が範としていたのは都筑作品だったかと思わせる。枚数は
短めで天藤作品の中では軽めのミステリ。
10月13日 西村京太郎『四つの終止符』(講談社文庫)
西村京太郎の最初の刊行長編。耳が聞こえない青年が介護していた母親が毒
死した。青年が容疑者とみなされて逮捕され、彼と親しかった女給が、彼の
無罪を証明するため探偵に乗り出すが……。
弱い動機で次々と自ら死を選ぶ人間が出てくるので、読んでいて気が滅入
る。物語は、三分の二をすぎるまで、事件の別様解釈がまったく出されず、
青年の無罪を信じる女性も、ただ人柄を信頼しているだけで、推理力を駆使
しないので、推理ものとしては物足りない。後の西村京太郎作品の流暢な書きぶりと比べると、
この作品は書き方が若干ぎこちなく感じる面もある。
次の作品である乱歩賞受賞作『天使の傷痕』は、社会告発的なテーマを持つ
点では共通していても、冒頭から謎が呈示されて物語がはるかにダイナミッ
クで、進境いちじるしいと感じた。
10月13日 樹下太郎『銀と青銅の差』(文春文庫)
昭和36年の直木賞候補になった作品で、「幻影城」で日本のミステリベスト
99に選ばれている作品なので推理ものと思って読み始めたのだが、読み終え
て推理ものという気がしない。舞台となる会社では、平社員は青銅の社員
バッジ、出世したら銀のバッジをつける。部長に左遷させられた主人公の会
社員は恨みをためつつも、会社勤めを続ける。
貧乏くさい感じがするサラリーマン小説で、ラスト近くで犯罪が起こること
は起こるが、別に推理とか探偵はない。社会派ミステリとはこんな感じなの
だろうか?
10月14日 梶山季之『黒の試走車』 (角川文庫)
タイガー自動車につとめる朝日奈という男が主人公で、タイガーはナゴヤ自
動車と不二という大メーカーと競っている。産業スパイを送り込み、社内の
スパイを監視するのが役目だ。同僚の平木が、不審な自社メーカー事故を調
査中に、不審な事故死を遂げた。もしかして平木は殺されたのではないかと
朝日奈は疑う。
サラリーマンの社会を描く産業小説で、社会派ミステリーでもある。殺人の
謎を追う話が主眼ならば興味を持続して読めるのだが、社内のいざこざや情
事やらに枚数が費やされ、冒頭の不審な死亡事件から半年も一年も時間が
経っていくのに、そちらの調査は全然進展せず、ラスト近くの告白を待つし
かなくて、推理ものを期待しても肩すかしに終わる。
10月15日 笹沢左保『空白の起点』
(講談社文庫)
冒頭、事件の関係者が列車に集まっているのは、やや強引な偶然を用いてい
る気がする。探偵役コンビの男女が、保険会社の調査員で、ライバルの会社
同士という設定は秀逸。生命保険受け取りを巡る詐欺や犯罪がないかを調査
する二人は、保険契約者がしばしば複数の保険をかけもつので、調査におい
てもかちあうことが多い。ひとつの案件を解決した帰りの列車の中で、印象
的な美しい女性が、窓の外で人が崖から飛び下りるのを目撃した。死亡が確
認された人物は、なんとその二人の会社の生命保険を契約したばかりの男性
だった。そして目撃した人物は、その男性の娘だった。
アリバイものとしては、つくりは割合常套的なラインを狙っている。この著者は、抽象的な言葉をタイトルに
することが多い。
10月17日 邦光史郎『社外極秘』(春陽文庫)
主人公の白沼は、レッドパージで職場を追われ、企業をわたって情報提供を
して金を稼ぐフリーの仕事をしている。彼が気にかけている女性、暁子の父
親が失踪したのは、背後に企業間の暗闘があるらしい。その失踪事件を気に
かけつつも、彼は、三人で小さな会社をたちあげて、利益確保と会社の維持に奔走する
……。
邦光史郎の初期作品で、邦光作品の中ではミステリ度が高いとされていたの
だが、社会派小説に犯罪がからんでいるという感じの作品だった。
10月19日 中田耕治『暁のデッドライン』(河出書房)
昭和39年刊。なんかタイトルが、アイリッシュ『暁の死線』と同じような気
がするが、こちらの作品は、あちらほど、タイムリミットに追われる話では
ない。典型的な私立探偵小説、ハードボイルドの展開をなぞっていると言う
べきか、探偵役の一人称の「俺」が冒頭、交際している女性の、前夫との間
の子ども・まゆみが誘拐されたことを告げる電話がかかってくるところに居
合わせた。警察に知らせず、「俺」は単独で犯人をつかまえ、まゆみを取り
戻そうとする。まゆみの生活を調べていくうち、彼女が親に隠れて、不良と
つきあい、売春で金を稼いでいたらしいことがわかってくる。やがて「俺」
の周りで殺人事件が起こり……。
めまぐるしく事件が展開し、同時期の社会派小説よりははるかに楽しく読め
る。この時期のオート・データー式の時計、仕組みはよく知らないが、深夜
零時に日付と曜日がガシャリとかわるのではなく、ゆるやかに移行していく
しくみになっているのか……。
10月19日 結城昌治『ひげのある男たち』(講談社文庫)
1959年に刊行された、結城昌治のデビュー長編。
今年の創元推理評論賞は、力作の結城昌治論で、こういう評論こそ王道だよ
なあと感心した。しかし結城昌治というと読んでいなかったので、(その割に
書棚には一通り本はそろってる)まず第一作のこれを読んでみた。
冒険ハードボイルド作風の人かと思っていたが、この作品は堂々たる本格ミ
ステリで、本格派のデビューだったかと思った。
アパートの一室で毒死した女性。最初は自殺かと思われたが、調べていくう
ちに不審な点が見つかり、他殺として警察は捜査に乗り出す。証人たちがみ
な「ひげのある男」を目撃しているのだが、それぞれに特徴が違い、何人も
のひげのある男が事件にからんでいたのかという謎が浮かび上がる。
郷原部長刑事が登場し、彼がシリーズキャラだと知っていたので探偵役をつ
とめるのかと思いきや、事件を解決するのは別の人物だった。
10月20日 結城昌治『ゴメスの名はゴメス』(秋田書店)
「現代推理小説選集」の第四巻。この時期、秋田書店も推理小説の出版をて
がけていたのね。いまから三十年ほど昔、毎月小学館の『小学〜年生」とい
う雑誌をとっていて、「ドラえもん」などが載っていたのを覚えている。そ
の別冊付録で推理小説特集をやったことがあって、誰がえらんだかは知らぬ
が、日本ミステリ・ベスト10と海外ミステリ・ベスト10が載っていた。そこ
で初めてヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』エラリイ・クイーン『Yの
悲劇』といった作品の名に接した。日本のベストでこの『ゴメスの名はゴメ
ス』が載っていたのを覚えているのは、インパクトの強い題名だったから
だ。あと、他に何が載っていたか?『本陣殺人事件』『高木家の惨劇』『刺
青殺人事件』『不連続殺人事件』『点と線』鮎川哲也は、「赤い密室」だっ
たか。あとは……思い出せない。
題名を知ってから三十年ぶりに初読。同時代の社会派作家たちが泥臭い日本
的体質をまとっているのに比べて、結城昌治作品はいかにもスマート。海外
作品のエキスを自分のものにした感じがある。「絶望というのはいつも遅す
ぎることはない」とか、ところどころに箴言めいた警句がちりばめられてい
るのも印象的。
ベトナムのサイゴンを舞台にしたスパイもので、著者はベトナムに行ったこ
とがなく、これをかきあげたそうだ。三島が『暁の寺』を書いたのも、聞き書きに基づくそうだから、どちらも凄い。
10月21日 河野典生『殺意という名の家畜』(双葉文庫)
1964年の推理作家協会賞受賞作。同時受賞の結城昌治『夜の終る時』と同じ
く、ハードボイルド作風では初の受賞なので、日本の推理小説史の一つの転
換期にあたると言えよう。
一人称の主人公は、かけだしのクライムノベル作家。一度だけ寝たことのあ
る女性から突然電話で「会いたい」と呼び出しの電話がくる。それを断った
のち、その女性が失踪したことを知り、彼女の行方を追わなければならなく
なる。警察からは、主人公は殺人の容疑者と目される……。
ハードボイルド派の作品はあまり読んでいないのだけれど、概して型へのはまり度合
いが他ジャンルより大きい気がして、パターンからの類推で真相が読めるこ
とが多い気がする。失踪者の追跡過程で、主人公が後頭部を殴られて気絶するお約束
のシーン、本書にもある。いま読んでそれほど清新な感じはしないが、手堅
く書けている印象。
10月22日 野崎六助『アノニマス』(原書房)
ミステリー・リーグの新刊。小説教室で創作を教えている覗木毒助が主人
公。作家・覗木はここ数年新作を発表せず、作家として危機にあり、ひそか
に生徒たちの小説を盗んだもので、文壇復帰をもくろんでいた。彼は、十一
人の生徒にホラーの課題を与え、競争させることにした。
メタフィクションの、興味をそそられる設定にひかれて読んだが、本格謎解
きものではなかった。覗木のダメ男ぶりと、インターネットにとびかうやり
とりをリサーチする趣向、先の読めない展開など、楽しめるところはたくさんあった。
10月24日 マックス・アフォード『魔法人形』霧島義明訳・(国書刊行会)
解説によると、作者はオーストラリアのディクスン・カーとの異名をもつら
しい。活躍時期は違うが、続けて読んだだけに、アルテ作品とも比べたくな
る。
呪いを実現する人形が、人の死を予告する。館に集まった人々の中で連続殺
人が発生するという舞台設定、道具立ては、カー風ミステリの王道をいって
いる。そんなにインパクトの大きい作品ではないが、クラシックパズラーの
道具立てや展開は楽しめる。
10月25日 相原大輔『首切り坂』(カッパノベルス)
明治四十四年、首がのる地蔵の怪談が広まっていた。その地蔵をめぐって殺人事件が発生する……。
新人のデビュー作としては短め。明治期の文章としてみると、接続詞の使い
方など首をひねるところがあるけれど、そのあたりはまあよいとして、基本
アイディアは秀逸な作品。島田理論に合致した奇想の風景がきちんと提示さ
れている。ただ、その奇想を成り立たせるための、強引でも納得させるまで
の説明がもっとほしかった。豪腕な島田荘司とか、芦辺拓作品での奇想の成立法が
比較として想起され、それらの説明のつけかたに比べて、色々と及ばないの
が惜しい。
10月26日 SRI
GARIB DAS:HARYANA'S
SAINT OF HUMANITYby K.C.GUPTA, IMPEX 1976
バクティムーブメントの詩人・神秘家の中でも、カビールの影響が濃いとさ
れるガリブダス(1717〜1782)の評伝。英語で書かれたガリブダスの研究書と
しては、史上初で現在までこれ一冊しか出ていないから非常に貴重。時代と
してはインドを支配していたムガール帝国が衰弱期に入り、各地で反乱がお
きた混乱期。同じくバクティを出自としながらも、ナナクをグルと崇める
シーク教の教主は、イスラムの政治権力と闘争し、戦死したりしているのだ
が、ガリブダスなどは政治的には沈黙を保った。
全9章のうち、五章めはカビールの詩とガリブダスの詩を並列して比較してい
て、酷似したものが多数見つかる。六章は、シーク教の教典「アディ・グラ
ンタ」とガリブダスの比較。ガリブダスは「アディ・グランタ」からも多大
な影響を受けていることがわかる。カビールとはあまりのそっくりぶりに、
オリジナリティに乏しいのではないかと思えてきた。著者のグプタは、カ
ビールからの影響がいかに大きくても、カビールがその師ラーマナンダから
独立しているように、ガリブダスもまたカビールから独立していると主張し
てはいるのだが。
イスラム教には否定的なガリブダスも、マンスールを讃える詩があり
(p.154)、スーフィーの影響は強いようだ。
デーヴァナーガリ文字で書かれたガリブの言説、前半では英訳を付記してくれた
からよかったのだけれど、九章の言語的考察、十章の詩のところでは、原語
だけしか載ってなくて、英訳がないので、内容が読めんかった。英訳も付記
してほしかったところだけれど、この本、インド人の読者しか相手にしてい
ないのだろう。
10月27日 中薗英助『密航定期便』(講談社文庫)
日本で暗躍する韓国、朝鮮のスパイをめぐる物語で、著者は朝鮮語と朝鮮の
事情には相当通じていることがわかる。主人公の調査員西条が、九州で殺さ
れた女性の謎を追っていくと、国際的な謀略が浮かび上がってくる。
ジャンルとしてはスパイ小説にあたり、フーダニットの興味もあり、推理
小説でもある。昭和三十年代の朝鮮をめぐる情勢の勉強にもなり、テンポよ
く読める。ラストはもっと爽やかに終わってほしかったのだけれど、ル・カレなど海外のスパイものも苦々しい結末の方が多いか。
10月28日 乾くるみ『林真紅郎と五つの謎』(カッパノベルス)
妻をなくして35歳にして余生を送る林真紅郎という人物が探偵役をつとめ
る。「ジャーロ」に連載されていた四作に書き下ろしの一作を加えたもの。
五編の中で、その加えられた暗号ミステリが一番感心した。かつて暗号研究
家・長田順行が日本語の暗号について述べたとき(『暗号と推理小説』現代教養文庫)、ないとされていたタイプのものがこの作品では、あることが実証さ
れている。道徳を説く探偵役の人柄が好ましく、真相が藪の中の「陽炎のよ
うに」や、駅での些細な出来事に観察眼を働かせる「ひいらぎ駅の怪事件」
も好篇。乾くるみにはもっと新作をどんどん書いてほしいと思う。
10月29日 "THE
LEGEND OF THE BAAL-SHEM"by
Martin Buber, Schocken Press 1969
ユダヤ人哲学者として有名なマルティン・ブーバーは、ユダヤ教でもハシ
ディズムの家庭に生まれた。その宗教的著作のかなりの部分は、ハシディズ
ムに関するものであり、日本でも「祈りと教え」「ハシディズム」など、数
冊邦訳されている。
そのハシディズムの開祖とされるのが、ポーランドのラビ、バール・シェム
(18世紀)。この本「バール・シェムの伝説」と題名にあり、短編集になって
いて、どの程度が創作なのか判然としない。個々の短編は、バール・シェム
をめぐるエピソード集で、中にはバール・シェムが奇蹟を起こしている物語
がある。民間伝承に伝わるバール・シェムの伝説を、ブーバーが集めて作品
化したものだろう。バール・シェムに反対するラビが本を開くと文字が踊り
だして読めなくなった話など奇蹟譚がちらほら。コリン・ウィルソンの本に
も出てきた、ユダヤ教でメシアを名乗って大勢の信者を獲得しながら、本人
はカトリックに改宗してしまったにせメシア(歴史上実在する人物)とバー
ル・シェムが対決する話もあった。
バール・シェムはカリスマ的魅力をもっていて、大勢の信奉者を集めたとい
う、その人柄や魅力を窺うに足る好著。かつてみすず書房で、ブーバー著作
集・全十巻が刊行されたとき、この本を初めとするハシド関係の著作の訳出
がなかったのが惜しい。ブーバーの未訳著作はもっとどんどん訳出してほし
いものだ。
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