読書録/2004年2月
2月3日 乙一『暗黒童話』(集英社)
乙一の初の長編とある。現時点ではこれが一番長い作品のようだ。
冒頭、人の言葉を話せるようになったカラスと、盲目の少女の交流を描く童
話風の物語。カラスが、少女に眼球をプレゼントしようとして、人の目をく
りぬくことをし始めるあたりから、残酷な話が始まりそうな予感。
本編が始まると、片目を失った少女の視点の物語となり、彼女は片目を失っ
たときに記憶も喪失している。移植手術で片目を得た彼女は、その目の持ち
主の記憶が見えるようになる。その持ち主は、失踪した少女の行方をさぐり
あて、逃げる途中で殺されたらしい……。
手塚治虫の「ブラック・ジャック」の眼球を移植する話を思い出した。
超常現象が起こっているだけに、普通のミステリとは違うけれども、犯人を
さがすというミステリのテイストももっている。ホラー要素もあるし、せつ
ないリリカルな物語の要素もある。
2月3日 竹本健治『闇のなかの赤い馬』(講談社)
ミステリー・ランドの一冊。カトリック系のミッションスクールが舞台。
主人公の「僕」は、雷で神父がうたれて死亡する瞬間を偶然目撃する。その
事件が、学内での惨劇の幕開けとなる。「フクスケ」というあだなの女の子
が、探偵役をきどり、「僕」をワトスン役に任命する。落雷死に続いて起
こった変死事件に、どのように立ち向かうか?
ミステリの長さで、長めの中編から短めの長編にあたる長さのものは、割合
抑圧されている。発表の場が、主として長編と短篇に分けられているから
だ。実は理想的な本格ものを書くのにはそれくらいがちょうどよいかもしれ
ないのに──と思っていたところに、このミステリー・ランドの企画は快挙と言えるかも。
闇と幻想を愛する資質の子どもたちにこういう本が多く届けばよいと思った。
2月5日 横溝正史『貸しボート十三号』(角川文庫)
1960年代前半読書も、そろそろ一服つけたいところ。横溝正史の角川文庫
は、全部集めたのに未読のものはまだかなりあるので、ぼちぼち読んでいこ
うと思う。これは、中編三つを収録した金田一耕助ものの作品集。金田一も
のは、磯川が相手役をつとめる田舎ものと、等々力が相棒をつとめる都会も
のの二系列があるが、この中では「堕ちたる天女」が都会もの、「湖泥」が
田舎もの。表題作の「貸しボート十三号」はその中間と言えるか。
横溝正史は、天性のストーリーテラーだなと思うところが多々あり、構成と
か伏線の組み込みかたが、作為を感じさせないほどに無理なく埋め込まれて
いるのが大したものだと感心する。
2月11日 "JAINA SUTRAS part2" tr.by HERMANN JACOBI (THE SACRED BOOKS OF THE EAST 45)
「ジャイナ経典」の第二巻。UTTARADHYAYANAとSUTRAKRITANGAの二つの経典が
おさめられている。「ジャイナ経典」の一巻も、二つの経典がおさめられて
いたから、全体としては四つのスートラから成ると言える。
訳者のヘルマン・ヤコービは、この経典の中に、福音書でイエスがたとえ話
に用いた三人の商人の話と同じものが(UTTARADHYAYANAの第七節)収められて
いることを気にしている。イエスが使ったたとえ話は、これに限らず、イエ
スより古い時代のインドの文献に見つかるものが多い。
教祖のマハヴィーラが語ったことを弟子が書き留めたと思われる箇所が中心
なのだが、主弟子の教えも含まれていて、もとのマハヴィーラの教えがどの
程度正確につたわっているのかは定かでない。マハヴィーラより一代前の
ティータンカラは、衣服をもつことを許したのに、マハヴィーラは衣服さえ
棄却するように教えたそうだ。全体的にかなり厳格な禁欲の教えが説かれて
いる。
割合おもしろかったのは、SUTRAKRITANGAの第二書めの最初の講話。四つの哲
学的立場を奉じる者が登場し、一番目は目に見えるものだけの実在を信じる
唯物論、二番目が〈自己(アートマン)〉が万物の根源であるとし、三番目が
五元素(水、火、土、風、空気(プラーナ))から成るとし、四番目は運命論者
らしい。マハヴィーラがその四つの立場を論駁していく。インドの宗教で神
にあたるブラーマ(梵天)は、ユダヤ・キリスト・イスラム教の創造神とはだ
いぶ異なり、汎神論に近いが、ジャイナ教はブラーマとしての神をも認めな
い、無神論の徹底ぶり。最後の方にちらりと、論駁相手として仏教も登場し
ている。ジャイナ教・仏教とも肉食を禁じ、菜食主義だが、仏教では、わざ
と殺したわけではなく死んだ動物を食べるのは例外的に許されるという教え
がある。この経典では、その点を論難し、焼け死んだ赤子を食べることも、
仏教の教えでは許されることになると非難している。仏教の側からも、マハ
ヴィーラは、六師外道の一人として論難されているので、お互いさまか。
2月12日 金倉圓照『印度精神文化の研究──特にヂャイナを中心として』(培風館)
昭和19年の刊行。戦時中でもこんな立派な研究書が出版されていたのだな
あ。現時点まで見ても、日本語になったジャイナ教典とその解説書として、
本書は最も充実している。
五百頁ほどある大著。イントロで、ヂャイナ教の概要を述べる。ウマース
ワ゛ーティの「諦義證得經」の全訳。続いてヂャイナ知識論で、クンダクン
ダの思想の解説。前に私は、英訳でクンダクンダの「サマヤサーラ」は読ん
だことがあるが、本書に掲載されているのは、クンダクンダの「パンチャア
スティカーヤ(五原理の精要)」の前半と、「プラヴァチャナサーラ(教義精
要)」の第二章の翻訳。短い教典のようなので、どうせなら全訳してほしかっ
た気がする。特にクンダクンダは、この金倉円照の本しか、日本で訳されたこと
がないのだ。
その後はヂャイナの論理学の研究。最後の九章は、バラモン教・仏教とヂャ
イナ教の交流に関して考察。付録として訳出されている「問答鬘」は、ラマ
神などを讃えているので、ジャイナのものでなく、バラモン教のものです
ね。
2月16日 金倉圓照『シャンカラの哲学──ブラフマ・スートラ釈論の全訳』全二巻(春秋社)
上巻が昭和55年刊、542頁、定価8000円。下巻が昭和59年刊、644頁、定価
15000円。シャンカラの主著の「ブラフマ・スートラのコメンタリー」は、か
くも分厚いものだった。買うのも大変だが、読むのも大変で、しかも本がや
たらにかさばるので、カバンにいれて持ち歩くのも大変だった。
インドでは阿闍梨(アチャリャ)の呼称を得るには、数あるバラモン教典の中
でも、最も重要とされる三つにコメンタリーを書かなければならない。その
三つが『ウパニシャッド』『バガヴァッド・ギーター』とこのバダラヤーナ
による『ブラフマ・スートラ』である。今までこの『ブラフマ・スートラ』
に数多くのコメンタリーが書かれてきたが、史上もっとも評価が高いのは、
やはりこのシャンカラによるのだろう。それに次ぐのが、ラーマーヌジャと
マダヴァによるもので、中村元はその三つを三大コメンタリーとしている。
論題が膨大で多岐にわたるので、とても簡単にコメントを書き切れない。い
くつか印象的な箇所をピックアップすると。
1.3.34(上巻273頁以下)のあたりで、シュードラは、梵を知ることができない
という差別思想が明言されている。カーストによる差別を是認するもので、
インドの社会学者もこの箇所を取り上げたりしているが、あまりここにのみ
注目しすぎるのはシャンカラに公平でないと思う。ただ、シャンカラがヒン
ドゥーの体制護持の保守派だったのは間違いない。
上巻で一番枚数をかけて論駁していたのが、勝因説で、これはどういうイン
ドの思想家なのか、いま一つよくわからなかった。それに続く勝論派は、カ
ナダなどのヴァイシェーシカ思想なので、まだわかるのだけれど。
上巻のおしまい近く、仏教の論駁をしていくあたりが、上巻では一番スリリ
ングだった。シャンカラの論では、仏教思想は大きく三分される。一切は実
在すると説く「説一切有部派」、識別作用のみがあるとする「唯識派」、す
べてが空であるとする「空論派」である。ヨーロッパの思想の流れでいえ
ば、「説一切有部派」はロック、ヒュームなどのイギリス実在論に近く、
「唯識派」はカントなどの観念論に近い。「空論派」は、欧米ではそのもの
ズバリの思想家はいないが、しいて言えばニヒリズムに近いだろう。シャン
カラ自身の思想はというと、『ウパデーシャ・サーハスリー』(岩波文庫)な
どに書かれていることからすると、「唯識論」に近いと思われるだけに、み
ずからの思想に近似している仏教の学説を批判していくあたりは、実に微妙
で、しかも論理のたたかいが最高度に洗練されている観があり、読んでいて
手に汗にぎるほどスリリングでチャーミング。その前の実在派否定は、カン
トがあっさり実在論を論駁した手つきにも似て、冷やかでクール。さて、次
の「空論派」となると、インド論理哲学史上、シャンカラに匹敵する高峰た
るナーガルジュナ(龍樹)批判になるはずで、これは見逃せないと思ったとこ
ろが、シャンカラは「空論派はそもそも最初から矛盾しているので批判に値
しない」と一行で退けて、直接たたかうことを避けている。これはうがった
見方をすれば、最大の強敵のナーガルジュナだけは、サウザーとのたたかい
を避けたラオウのように(?)回避したと見ることができる。しかし、すべてが
空であると言明したときに、その言明もまた空ではないかと反撃されて、空
論派はそもそものよりどころを持たないという初歩的な弱点があるため、
シャンカラはそこを突けばよしとしたのかもしれない。
ブラフマ(梵)が何かと論を積み重ねていく議論についていくと実におもしろ
い。しかし、根拠としてヴェーダなどの聖典に書かれているからと正当化さ
れても、異教徒には承服しがたい面がある。
シャンカラの著書はたくさんあるが、この本と岩波文庫の前掲書、そして英
訳で読んだ『覚醒の宝冠(ヴィヴェク・チュダマニ)』と、これで三大代表作
は読んだことになる。あとシャンカラ讃歌集も英訳で一冊読んでるね。
2月19日 "THE TAWASIN of MANSUR AL-HALLAJ:THE GREAT SUFIC TEXT ON THE UNITY OF REALITY"1974 DIWAN PRESS
「我は真理なり(アナ・アル・ハァック)」と宣言したことが、神への冒涜だ
として処刑された、史上有名なスーフィー、アル=ハッラージ・マンスールの
言葉を書き留めたアラビア語の本の英訳書。100頁に満たない薄い本である。
マンスールの言葉には、イスラム教の正統派には認容しがたい、危険な神人
合一思想がある。本書63頁には、神が唯一の実在であり、二つの実在はない
ということが述べられていて、人もまた神であるということが含意されてい
るようである。「私が神を知る」というと、「私」と「神」という二つの実
在を認めたことになるから、その言明は正しくないとマンスールは述べてい
る。
29頁にあるMy secret is the witness without my created
personality という二行は結構マンスール思想の肝のように思った。私の人格
(personality)はつくられたものだが、観照(witness)はつくられざるものと
してあると述べているようだ。
2月20日 『ガーンディー自叙伝──真理へと近づくさまざまな実験』(二巻)田中敏雄 訳・平凡社東洋文庫
『ガンジー自伝』として中央公論社から訳出されたものは、大学時代に読ん
だ憶えがある。その本は英語版からの訳だったのに対し、この平凡社から刊
行されたのは、ガーンディーの母語であるグジャラティー語版からの完訳
で、英語版では省略されていた南アフリカでの話が収録されているのが大き
く違う。したがってこちらの東洋文庫版のものの方が、分量もはるかに大き
くなり、二巻本となっている。
ときどきガーンディーの奥さんの話が出てくるが、難義な人を夫にした妻の
苦労がはしばしにしのばれる。南アフリカで抑圧されているアジア人種のた
めに戦って、報酬として高価な宝飾品をもらった。ガーンディーは正義のた
め、真理のためにそれを放棄しようとするが、妻がそれに抵抗し、なぜ正統
な報酬を持っていてはいけないのかと喧嘩になるくだりが印象的である。
菜食主義を奉じるヒンドゥー教の家庭に生まれた彼が、反抗的な少年の頃、
不良仲間にそそのかされて親に隠れて肉を食べたことがあるとのくだりがあ
る。イギリスに留学してからも菜食を貫き、菜食主義協会とまじわるように
なる。その規律がどんどんエスカレートし、卵もだめだし、ミルクもだめだ
と言い始める。ミルクをしぼるときに牛を苦しい目にあわせているのを見
て、ガーンディーはミルク乳製品も絶つことにする。病に倒れたときに医者
がミルクを勧めるが、頑として拒み、妻が「ヤギの乳なら、暴力的にしぼっ
たものでないから大丈夫でしょう」と強引に説き伏せて、ヤギの乳を飲ませ
るというエピソードもあった。
ガーンディーの生きかたと主張には、共感できるところもあるが、賛同でき
ない面も多い。
2月22日 KHENCHEN THRANGU RINPOCHE"THE LIFE OF TILOPA & THE GANGES MAHAMUDRA"2002 DHARMA
リンポチェというと、チベットの歴史上の人物でもあるが、その名を受け継
ぐ、チベットの導師リンポチェが著した、カーギュ派の祖ティロパの伝記と
コメンタリー集。ティロパの遺したものとしては、唯一伝わる「マハムド
ラーの歌」は、"TEACHINGS OF TIBETAN YOGA" tr.&annoted
by GARMA C.CHANGの中に訳されていた。それが全訳だと思っていたら、この本に載って
いる完訳版は、それより若干長い(およそ倍は長い)。最後の数節は、チャン
の訳本にはなかったもので、別の底本を使ったせいもあるのだろう。訳とし
ては、あちらよりもこの本の方が丁寧ですぐれている。
ティロパの伝記は、神話的なものと歴史的なものの二部構成になってい
て、神話的なものでは、さまざまな奇跡を起こし、王位についたりしてい
る。八大弟子(ナロパが含まれていない)が集結していくドラマもあり、それ
ぞれの得意技をティロパが打ち破ったりしている。歴史的なものとしては、
ベンガルの売春宿でティロパは客引きをしていたとある。そこの女性ダリン
ガが、ティロパが聖者であることに気づいて驚愕し、最初の弟子になったと
ある。
後半は、リンポチェによる、「マハムドラーの歌」へのコメンタリーと、質
疑応答録も含まれている。社会の習慣と折り合いをつけて生きることを教え
ている割合がけっこう大きい。質疑応答で、見られる心と見る心の違いはな
にかという質問があり、これは鋭いところを衝いていると思ったが、リンポ
チェの答えは、シャープさが足りないように思った。要するに表現上の問題
であると言っているようだ。
ともかく2002年になってようやく刊行された、初のティロパの伝記と、マハ
ムドラーの完全版の英訳の刊行を慶びたい。
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