読書録/2004年6月
6月3日 FERGUS HUME "MYSTERY OF THE SHADOW"1906 CASSEL
ファーガス・ヒュームの『二輪馬車の秘密』はコナン・ドイルの『緋色の研
究』と同年(1887年)にイギリスで出版された。『二輪馬車の秘密』は当時の
ミステリ小説のベストセラー記録をつくった(累計五十万部以上だそうだ)の
に対し、ドイルの『緋色の研究』は、千部も売れず少部数の初版本が売れ
残ったままだったという。同じ年に出た二冊の本は、短期的にはヒュームの
方が圧倒的に売れたのだが、長期的にはまったく逆のことが起こり、今日ま
でホームズ物語は世界中で読まれているのに、ファーガス・ヒュームを読む
人はごく限られた一部の好事家しかいなくなっている。
ファーガス・ヒュームはその後多作を続け、百五十冊のミステリ小説を発表
したそうだが、今日文学史でもミステリ史でもまったく省みられていない。
横溝正史が神戸時代に舶来の探偵小説を読みあさったときに、このヒューム
をたくさん読んだと書いているが、そのほとんどが、ディクスン・カーの小
説から、怪奇性だけをのこして合理的な解決や論理性をなくしてしまったよ
うな無責任なシロモノであったと評している。察するにかなりいい加減なも
のだったらしいが、その横溝正史がたった二作だけミステリ史に残すに値す
る作品を書いていると述べている。それが『二輪馬車の秘密』とこの『影の
秘密』である。『二輪馬車の秘密』は邦訳もあって一読できたが、後者につ
いては、ミステリ評論でもまったく取り上げられたことがないので、気に
なっていた一作。原書を入手して一読した。
僧侶の幽霊が出ると噂されるGRANGE(グランジェと発音するかな?)館の女主人
で資産家のバーバラ・エンズレーはほぼ六十歳にして、ギルバートという男
と再婚した。エンズレー夫人の主治医パーソンズは、貧乏で、エンズレー夫
人の援助に頼りきっている。パーソンズの娘アリックスは、エンズレー夫人
に可愛がられている。アリックスの恋人のハロルド・ユークスがこの物語の
主人公。ギルバートは、モルヒネ中毒におちいり、しょっちゅう薬をやって
いるらしい。謎の船員風の男がエンズレー夫人を訪ねてきて、夫人は失神し
てしまう。意識を取り戻してからも、夫人は訪問者のことを語ろうとしな
い。
エンズレー夫人が何者かに絞め殺される事件が発生する。僧侶の服を着た幽
霊めいた人物が館の中を逃げるのが目撃される。ハロルドとアリックスは、
その謎の人物が夫人の部屋から逃げるところを目撃するが、あとを追うと忽
然と姿を消す。夫のギルバートは、自室で寝ていたことを目撃しているの
で、この犯行の下手人ではありえない。しかし、館の出口には使用人がい
て、誰も出て行っていないと証言する。夫人を絞め殺した幽霊が、閉鎖状況
の館から煙のように消え失せたとしか思えない。夫人が死の間際に書きかけ
ていた手紙は「オーランド」という謎の人物に宛てられている。事件の真相
は?
ホームズものと同時代の作品で、古色蒼然たる作品。しかし一応、密室の不
可能状況が提示され、館の中にいた数人の人物が容疑者となる。これは、再
評価されるべき傑作とまではいかないけれども、ミステリの歴史において、
参照はされるべき佳作だと思った。『二輪馬車の秘密』もそれなりにおもし
ろいけれども、この『影の秘密』の方が本格度は高い。
若干ネタバレに近くなるが、ノックスの十戒で禁止されていることをやって
いることからして、ノックスがあの戒律の作成時に念頭に浮かべていた作品
だったに違いないと思う。
6月20日 Fergus Hume "HAGAR OF THE PAWN-SHOP"(1898)
『影の秘密』につづいて、ファーガス・ヒュームの連作短編集を読んだ。
London, Vintage Crime Classicsから1985年に復刊されたもの。ファーガ
ス・ヒュームでは、『二輪馬車の秘密』以外で初めての復刻本ではなかろう
か。
このシリーズの第二話「フィレンツェ版のダンテ」は、エラリイ・クイーン
編『犯罪の中のレディたち』(創元推理文庫)に訳出されていて、ハヤカワ文
庫のアンソロジー「ホームズのライバルたち」にも入っていたと思う。
ファーガス・ヒュームの作品の中では比較的評価が高いもの。
美しいジプシー娘のヘイガーが、質屋を受け継いだところから話が始まり、
毎回質入れされたものをめぐって事件が起こる連作ミステリー集。この設定
は、現代から見ても十分おもしろいと思う。
CHAPTER I. THE COMING OF HAGAR. (ヘイガー登場)
ヘイガーが質屋にやってきた事情を語る。
CHAPTER II. THE FIRST CUSTOMER AND THE FLORENTINE DANTE.(フィレンツェ
版のダンテ)
邦訳はあるが、冒頭と結末の段落はカットされている。クイーンのアンソロ
ジーでは、連作として物語を続けている箇所を省略したようだ。貴重なダン
テの『神曲』が質に持ち込まれ、財産の隠し場所をめぐる暗号解読がある。
CHAPTER III. THE SECOND CUSTOMER AND THE AMBER BEADS. (琥珀の首飾り)
黒人女性が貴重な首飾りを質屋に持ち込む。それが実は殺された貴婦人のも
のだということがわかり、その黒人女性が逮捕されるが、ヘイガーは疑問を
いだく。
CHAPTER IV. THE THIRD CUSTOMER AND THE JADE IDOL.(翡翠の神像)
あやしげな男が中国のKwan-In(たぶん観音のこと)の神像を持ち込む。それは
中国の宮殿で盗まれたものだったらしい。
CHAPTER V. THE FOURTH CUSTOMER AND THE CRUCIFIX.(十字架)
持ち込まれた貴重な十字架が、実は短剣であった。その短剣でかつて復讐を
果たした男がいたらしい。
CHAPTER VI. THE FIFTH CUSTOMER AND THE COPPER KEY. (銅製の鍵)
またしても暗号もの。のこされた鍵に託された秘宝とは?暗号はかなり初歩的
で、数字の羅列を見ただけで私にもすぐ解けたのだが、こんな簡単な暗号、
一族がみな解けないのはおかしい。
CHAPTER VII. THE SIXTH CUSTOMER AND THE SILVER TEAPOT.(銀のティーポッ
ト)
盲目の女乞食が唯一大事にしていた貴重なティーポット。それには悲恋物語
がこめられていた。
CHAPTER VIII. THE SEVENTH CUSTOMER AND THE MANDARIN.(マンダリン)
マンダリンがダイヤモンドの隠し場所として使われていた。ヘイガーの質屋
でつとめていた少年が先にそれに気づき、こっそりとぬきとる。うけだしに
きたスミスは、宝石がないことを知って激怒するが、盗品なので警察に訴え
るわけにもいかず……。
CHAPTER IX. THE EIGHTH CUSTOMER AND THE PAIR OF BOOTS.(ブーツ)
ミステリとして集中で一番凝っているのはこれかと。猟場で生じた射殺事
件。犯人がつけたものと思われるブーツの跡が残っていた。ところがその
ブーツは、ヘイガーの質屋に少年が持ち込んでいた。ブーツの持ち主が容疑
者として拘束されているが、ヘイガーは彼が犯人でないことを信じて事件の
捜査に乗り出す。
CHAPTER X. THE NINTH CUSTOMER AND THE CASKET.(匣)
二重底の匣の中に、高貴な夫人と貴族の間の、不倫の証拠となる恋文が入っ
ていた。これに気づかれると、恐喝のタネになると危惧したヘイガーは一計
を案じる。
CHAPTER XI. THE TENTH CUSTOMER AND THE PERSIAN RING.(ペルシャの指輪)
ペルシャ人の若い男性が指輪を質屋にもってきた。彼は故国を追われ、命を
狙われている身だという。
CHAPTER XII. THE PASSING OF HAGAR.
連作短編集の終幕では、従来のキャラが総結集(でもないか)して最後の冒険
譚。ヘイガー自身にはハッピーエンドだからまあよいのだけれど、周辺の人
物たちはあまり善人がいないにしても、かなり悲惨な展開になるので、必ず
しも後味はよくない。
ミステリとしては、ごく素朴なものなので、ヒューム作品が忘却されてしま
うのは、やむをえない気もする反面、ミステリ草創期のこういう逸品が全然
読まれないのは若干不当だという気もする。このヒューム連作短編集の美点
は、まず探偵役のキャラクター設定のうまさがあげられる。質屋の聡明な娘
が毎回、変な質入れ品が持ち込まれてることから事件にかかわる、あるいは
巻き込まれるという展開はスマートだし、読んでいて楽しい。しかしもうひ
と工夫ふた工夫あればもっとおもしろくなるのに、あまりにやさしすぎる暗
号とか、わかりやすすぎる隠蔽工作などのせいで、ミステリとしてはあまり
高水準ではない。でも、ホームズ物語にしても、素朴な謎解きものが多いこ
とを考えると、このヒュームの作品集も邦訳されて日本のミステリ読者に紹
介されるだけのものはあると思う。
(トップにもどる)