1998年2月
2月1日 アラン・ワッツ『タブーの書』竹渊智子訳、(めるくまーる社)
アラン・ワッツというのも、生涯転変が激しい人なので、なかなかその全体 像をとらえることは困難である。著作家としてアラン・ワッツは、おおまかに 次の四期に分けられるだろう。 1、 牧師、神学者としてスタート。キリスト教学研究で活躍 2、 キリスト教神秘主義研究に傾斜。アレオパゴスのディオニシウス等の翻 訳研究や、ベーメ、エックハルト研究等。 3、 東洋思想に開眼。禅、ヒンドゥー教などの伝道者となる。(鈴木大拙の 訓導も受けたらしい) 4、 セラピー、精神分析、人間性心理学などの心理方面を研究し、東洋の知 恵との融和をさぐる。 1と2が前期、3と4が後期に大きく分けられ、3と4は、並行しているた めに、著作書が必ずしも、この時期順に並ぶわけではない。
ワッツの膨大な著作群の中で、特に西洋世界に影響を大きく与えたのは、第 三期の”THIS IS IT”とか”THE WAY OF ZEN”あた りのようだ。この二冊を私は、大学時代に原書で一読した。邦訳書がある『心 理療法 東と西』(春秋社)は、第四期の著作で、数年前に読んだものである が、文中に「老子」や「ウパニシャッド」といった東洋の教典が頻出している。 そして、実質的なワッツの最後の著作と言ってよい『タブーの書』は、この 四期それぞれの研究・実践・体験の成果を集大成しようとしたものである。あ る意味でこの本は、その雄図において、フロイトの『精神分析入門』や、マル クスの『資本論』や、フッサールの『イデーン』と通底するものがあると言え る。まあワッツには、壮大な体系構築の意図はないようだが。しかし本書の原 題が単に”THE BOOK”であるあたりに、著者のなみなみならぬ自信と 意気込みを感じさせる。 コリン・ウィルソンは、インタビューでワッツの評価を聞かれて、ナイスガ イだが、道の半ばまでしか行っていないと評している(銀星倶楽部「コリン・ ウィルソン特集号」)。その評価はおそらく適切なのだろうが、続けてワッツ を、D・H・ロレンスらと共に「右脳派」にひっくるめているのは、やや単純 な図式化過ぎるきらいがある。『タブーの書』を読めば、ワッツがそんな一筋 縄でいく思想家でないことだけは、明白である。
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2月2日 渡辺孚(まこと)『法医学のミステリー』(中公文庫)
由良三郎の『ミステリーを科学したら』(文春文庫)というエッセー集にも 出ていたが、東大で長く法医学の権威として君臨した古幡教授は、独裁者的で 、国家主義的人物だったようだ。古幡教授の死後、急に、再審請求が通るよう になったのも、生前は、古幡鑑定を覆すことが政治的にもできない環境だった のだろう。 少量の犬の血液に人間の精液をまぜれは、血液反応も人間反応も陽性となる ので、人の血液であると誤認させることができるそうだ(204頁)。下山国 鉄総裁轢死事件は、やはり最初の東大鑑定が正しく、死後轢断、すなわち他殺 が正しいだろう。松本清張が作家として、そこまで調べ上げているのは実に大 したものである。 また、冒頭の梅田事件の鑑定をめぐるやりとりは、特に興味深い。鑑定した 結果可能性は否定できないが、現実的にはまず無理である犯行方法に対して、 筆者が鑑識医として鑑定の所見を述べているのに、容疑者を有罪に追い込むた めにその「可能です」という箇所のみが裁判に報告されているあたり、ぶつ切 りに引用をして原意をねじ曲げてしまうということが、こういう世界でも起こ っているのである。 これを読んで広津和郎弁護士の「松川事件」等の裁判闘争記録と、松本清張 の下山事件の追求記録は、読みたくなった。
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2月3日 黒岩涙香『妾の罪』(涙香全集第12巻所収、宝出版)
他の涙香ものより古語の比率が高い気がする。「意中人」の読みが「こいび と」であるなど、ルビと読み比べて、味わい深い漢字使いが多い。一人称の女 性語りの涙香ものは、読んだ中ではこれが初めて。村上という男を一目見るや 恋に落ちる−−そのくだりを引用すると−−「妾は実に村上の眼にすくみたり 読者よ村上の眼は清と云はんか涼しと云はんか今まで妾の見たる事なき眼附な り威あり愛あり妾は全く其眼に酔へり」(15頁)。一目惚れを描くのに、こ んな堂々と古雅な文章が描けるなんて、つくづく明治の文豪が羨ましいと思っ てしまう。他に面白い表記として「自劣ったい」「下部(しもべ)」「阿容阿 容(おめおめ)」等。姿を消した村上のことを「新聞紙でも雑誌でも村上紛失 の事ばかり書てある」(59頁)。悪役の古山男爵が強引にヒロインにキスを 迫る場面−−「無作法にも早や妾の覆面(ヴェール)を掻捨て妾に喫(キッス )を与んとす」(75頁)。ヒロイン華藻(はなも)はパリの名家の令嬢だが 、家柄に背く恋をしたときに、閉じ込められるのは、座敷牢である。彼女が身 に憶えのない殺人容疑に問われたとき−−「妾は嬢を突落せし覚えなしそは読 者が何よりの証人ならん」(95頁)。
単なるメロドラマかと思わせる出だしだが、しかし、数十頁進んだところか ら始まる意外な展開にはかなり驚かされた。(村上が池に落ちてからのヒロイ ンの対応の仕方にはいささか呆れた。おまえそれでも人間かぁ〜〜〜と突っ込 みたくなる)。探偵小説的構成と展開が中盤から始まり、俄然面白くなる。一 人称の語り手の女性は、可憐な正義の女性と信じていたのに、読み進めていく うちに、実は虚言癖のある殺人狂ではないかという疑いがだんだん高まってく る。当世はやりのサイコ・サスペンスと、叙述トリックものの先駆的作品であ る。巻末の伊藤秀雄の解説によると、相思相愛の男女が幾多の艱難辛苦をのり こえて愛を成就する物語、と書いてあるから、そういう物語かとあまり期待も せずに読みはじめたが、どうしてどうして、これはまったくそんな物語ではな い。主人公の女性がサイコなのである。彼女は、恋人の村上を池に突き落とし ていながら、まったく助けを呼ぼうともしない。翌朝になっても池をさらうこ ともせず、知らぬ存ぜぬで通して放置しておきながら、自分の恋情はひとえに 村上に向かっているなどとわけのわからぬことを言って読者に同情の涙を誘お うとしている。続いて情夫となった古山男爵にランプの油を注いで焼き殺して おきながら「自分のせいではない」と居直り、判事や警官を呆れさせる。逮捕 され収監されてから、病身の老父に「もういい加減罪を認めろ」と哀願されて 、身に覚えはないと地の文では言いながら「わかりました。私が殺しました」 と、父のために自白してしまう。そして終盤は、彼女の殺人容疑を審議する法 廷裁判、弁護士と検察側の緊迫の攻防が延々と続く。これは、涙香ものの中で 最も現代的なミステリーと言ってよいのではないか。本格ものと言ってよい結 構をもち、ミステリ度は「片手美人」を凌ぎ、「死美人」と並んで涙香翻案作 品中もっとも濃い。後半のヒロインの殺人容疑の吟味は、検察の追求も弁護側 の弁護も相当論理性が高く、その意味で本書は、明治期には稀な高度な論理性 を達成した作品ではなかろうか。おそらく涙香作品全体でも屈指の傑作と言え よう。今年になってから、かなり読んだ涙香ものの中では、文句なくこれがベ スト1である。他のミステリ読者にも、この作品は是非と勧めたい。
作者不詳となっているが、私の感じでは、ボアゴベのものではないだろう。
ありがちな単な る恋愛ドラマと思わせて、ヒロインの異常性格がだんだんと露になってくる中 盤以降の展開は、壮絶にして抱腹絶倒、万天下の読書人にこの一書を勧むるに 躊躇いなしです。ヒロインは、殺人狂なので、二人殺したのは間違いないが、 身に覚えのない殺人罪にも問われていて、それをいかに逃れるかというのが、 後半の展開になってくるのですが、西澤保彦さんの『殺意の集う夜』と似てい ます。殺人者なのに、推理せざるをえなくなるという状況と、あの作品の主役 の万里の性格が、『妾の罪』にそっくりです。
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2月7日 ビーストン集(世界探偵小説全集第19巻)博文館・昭和4年・妹尾アキ夫訳
溝畑さんから借覧したもの。昨日は、ボアゴベに続いて、ビーストンの著作 リストをつくってしまった。 ビーストンというと、今は忘れられているが、戦前の日本で、探偵小説の全 作品が邦訳紹介された作家は、ポー、ドイル、ルブラン、ヴァン・ダイン、ビ ーストンの五人だけなのである(中島河太郎のヴァン・ダイン解説によると)。 新青年時代はそれほどの人気作家だったのに、上述の他の四作家は、戦後も 何度も改訳され、今でも読まれているのに、ビーストンだけは、一部の新青年 のリバイバル本以外は、まったく省みられていないという気の毒な作家である。
以下、各短編についてのコメント。
「シャロンの淑女」……結末は、伏線と必然性に乏しい。宝のありかを推理す るホッグの論理には、読者には手掛かりが与えられていない。しかし、どんで ん返しの連続技を狙っているのは面白い。
「過去の影」……二重三重に張りめぐらされた奸計が次々と繰り出される。上 手をいくのはどっちだ!? という話。
「闇の手」……いまひとつ結末が釈然としない。フィッシャーは、自覚のない 夢遊病者ということか?
「なさけ」……これはミステリ味のあるSFである。ホームズものの「這う男 」は、若返り薬の話だが、これは老化薬の話。警察に追われる夫を助けるため に自分も薬を使って老化してしまう奥さんの愛情深さにうたれる。
「軋る階段」……「過去の影」に続いて泥棒を主人公にした話。結末の一撃は 、予想外で驚いた。ここまでの短編では一番切れ味が鋭い。
「地球は硝子」……乱歩の「赤い部屋」にちょっと似て、過去に自分が犯した 殺人を告白し始める。オチは平凡。
「赤い窓掛」……バーナードを殺したのは結局!? トレヴィズンってことなの かな? でも、だとすると、アンフェアな書き方という気がする。
「決闘」……どんでん返しというか、なにかオチがあるのだろうと予期して読 んだが、これは特にオチのない話であった。昔した決闘の思い出を語る話。
「犯罪の氷の道」……読んでいる途中で、プーシキンの『スペードの女王』と 同型のオチを予想したが、外れた。でもあまり必然性と納得度は高くない。二 編めに続いて泥棒・ファーニーシリーズである。
「パイプ」……手紙の暗号は、簡単にわかるので結末は読める。テンポのいい 佳作である。
「馬來土人の繪」……ホッグというのは、巻頭の「シャロンの淑女」にも出て いたから、シリーズの探偵らしい。結末部で一気呵成に推理を語るが、推理の ための手掛かりと根拠は読者に与えられていない。ダイイングメッセージもの である。
「興奮倶楽部」……これもオチは予想できなかった。乱歩の「赤い部屋」、あ るいはクェンティンの「15人の殺人者」、スティーヴンソンの「自殺クラブ 」と近い味わいがある。
「悪漢ヴオルシヤム」……ビーストンは、泥棒ものが多いな。決闘と、どちら が相手を出し抜けるかという物語。あまり大したものばなかった。
「東方の寶」……その葉巻は、「全ての悲惨の最後の慰安で、どんな苦痛も確 実に直す」という。それが死を意味すると思われるが実は? 結末は意表をつ くが、ちょっと変。あまり大した作品ではない。
「明日の神」……エジプト博物館で起きた謎の死。死 んだエジプト学者が師事していた教授が疑われるが、その背後には、読みとい た遺跡の古代エジプト文字に宝のありかが隠されていることを知った師弟の宝物争奪合戦があった!
「五千磅の告白」……ドンデン返し三段技が決まっている。メタフィクション あり。しかし、ビーストンの作中人物って泥棒をしている人がやたらに多いな あ。
「約束の刻限」……急転直下の結末。最初は「え?」と思い、読み返して納得 した。二重の恐喝事件の裏には、周到なたくらみが秘められていた! これが 集中のベスト短編であると思う。
「敵」……婦人と密会していたことを秘したいがために、無実の罪に問われて いる友人の無罪を証明できる出会いをしていながら、彼のアリバイ証言を否認 した主人公。アリバイが証明できず有罪判決を受けた元友人が五年の刑期を終 えて、出所してくるので、どんな復讐をされるかと怯えている、というのが冒 頭の状況である。状況説明を聞いただけで、物語のスリルと臨場感が伝わって くる。しかし、オチは……。
「人間豹」……乱歩は涙香の作品を翻案だけでなく、よく題名を借りているが 、これはビーストンから借りた例。乱歩の「人間豹」は、伊藤秀雄によれば、 筋は涙香の「怪の物」を借りているそうだが、そうなのかな? ビーストンの 「人間豹」は、人間と豹の合いの子ではなく、秘密結社の名前。オチは予想が ついた。
「頓馬な悪漢」……またも泥棒物。二人の泥棒のうち、一人がより奸知に長け ていたという話。
「シャロンの燈火」……泥棒もの。裏にひめられたたくらみ、という一番ビー ストンらしい道具立ての話。オチは読める。
以上、21篇、なかなかに充実して楽しめた。ビーストンの再刊を、どこか の出版社に期待したいものである。
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2月7日 笠井潔研究読本『両翼の騎士』(北宋社)
初版1985年とあるから10年以上も前の本(初刷りの本)。今日吉祥寺 のパルコブックセンターで購入してすぐ一読した。実は5年前くらいに、同じ 本屋で並んでいるのを見かけ、しまった、買っておけばよかった、もう古いか ら手に入らない本だろう、と後悔したが、この本屋では10年以上も在庫をも ったままだったらしい。 巻末の対談で語っていたことからすると、笠井は『ヴァンバイアー戦争』に 続く伝奇小説として『八狼伝』という長編伝奇小説を構想していたらしい。 富岡幸一郎は、笠井潔を、ドストエフスキーの登場人 物になぞらえているが、たしかに私の会った人の中で、笠井潔は、もっともド ストエフスキーの作中人物に近い存在だ。この本の編集の高橋丁未子という女性は、 どういう人なのだろう。硬い評論や論文が並ぶ中、編集部編のヤブキ・カケルの 特集記事は、ミーハー女性ファンのノリでつくられている。
矢吹駆は、最初の三作では、壮絶なぎりぎりの思想闘争を繰り広げていたが 、第4作『哲学者の密室』のハルバッハとの闘争においては、「後期ハルバッ ハの神秘主義は、まがいものだ」などとばっさり切り捨てていて、はたしてそ れでいいのだろうかと疑問に思わなくもない。『薔薇の女』でのバタイユ(ル ノワール)との戦いは、互角で互いにわかりあって認め合っている印象だったが、 『哲学者の密室』は、安直に矢吹駆がハイデッガー思想を克服したのを装って いるような気がしないでもない(単なる印象批評)。 本格的に批評するとなると、私なんかの手に余るので 誰かハイデガー研究者が、正面から『哲学者の密室』を批評してくれないだ ろうか。 この本刊行から13年、そろそろ第二の笠井潔研究読本が編まれてしかるべ きだと思うが如何?
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2月11日 黒岩涙香『怪の物(あやしのもの)』(扶桑堂、原作エドモンド・ドウニイ『 小緑人』)
今日石橋の古本屋で、涙香の『怪の物』と『破天荒』を見つけて買ってしま った。探偵小説収集も、涙香など明治ものになると泥沼です。昭和時代までに とどめておくのが賢明です。最近関西方面で物故した涙香収書家の本が流れて いるようで、涙香本のうち探偵小説関連本は、ぼくと芦辺さんで結構買ったの だが、美本は、即売会へと流れていった模様。 昭和初期に出た涙香縮刷集の一巻。後ろに全18巻の広告あり。その第11 巻「嬢一代」の広告文に「『白髪鬼』の余りに女性を罵倒したるを以て女罵倒 録とせば、本篇は正に男性罵倒録也」とある。やはり「白髪鬼」は、全編女性 への罵倒と呪咀に満ちている本だよなあ−−でも、原作者のマリー・コレリは 女性なんだよなあ(謎)。
この『怪の物』、ストーリーは割にゆっくりと丁寧に進むので、あまり抄訳 されていない、原本どおりの訳に近いと思われる。 怪物の存在を疑う医師の疑惑が深まってくる過程を描きながら、割にスロー テンポで話は続く。後半、老人の長文の手記。蛇恐怖症の夫人に対する蛇を使 ったいじめの話が割に凄まじい。ううむ。「蛇遣いの悦楽」(C司凍季)を満 喫している。「蛇使い座の殺人」と改題するより、原題の方が、イメージ喚起 力があってよかったと思うのだが、まあこれは余談。 しかも、この夫人、悲惨なことに、友人の科学者どともに、ひそかに悪の科 学実験を行ない、人類と交合させて超人類をつくるべく、特殊な毒蛇を養育し ている夫の怒りを受けて、×××××××××××××××××××××…… 。そして彼女は、自分が産んだ子の姿を見るや、ショックで落命する(黙祷) 。
そして生まれ出た息子の村原三郎は……!? 乱歩の『人間豹』は、怪物の出自がいま一つはっきり描かれていないが、こ れは割に明瞭に書かれている。 まあ、分類としては、SFになる話なのかな。なかなか恐ろしく、おぞまし い物語であった。
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2月16日 鮎川哲也『青いエチュード』(河出文庫)
鮎川哲也は、22ある長編はみんな読んでいるが、短編集は、入手がなかな か難しく、それでも9割方集めたが、あと4、5冊手に入らないのがある。こ れもその一つで、昨日芦辺さんから借りたもの。河出のもう一冊の鮎川短編集 、『楡の木荘の殺人』は、所持しないが、以前に図書館で借りて読んだ。鮎川 短編は、たぶん全体の半分くらいは読んでいるが、未読のも多く、これから鮎 川読本を執筆するためにも、もっと短編も読んでおかねばなるまい。以下、各短編のコメント。
「山荘の一夜」……イニシャルがA・A,B・B,C・C……となっているの は、「黒いトランク」と同様。もっともこの短編は、登場人物は全員アメリカ 人なので、「黒いトランク」に登場した膳所善造(ぜぜぜんぞう)のような凄 い名前はなく、もっと自然である。
「黄色い悪魔」……これは出版芸術社から出た『赤い密室』で以前に読んだ。 星影ものの佳品。かの中井英夫が編集者時代に発掘した薄幸の歌人中条ふみ子 の「乳房喪失」が、小道具として使われている。中井英夫と鮎川哲也は、とも に江戸川乱歩の後継者を自認しながら、お互いには作家として全然認め合って いないようだ。二人の、乱歩を受け継いだ部分が、まったく違っているせいか もしれない。簡単な言えば、文学(特に耽美文学)としての乱歩と、ミステリ としての乱歩に分けられるか。
「朝めしご用心」……トンデモミステリである。六人の夫が結婚後次々と不審 な死を遂げているが、夫人にはいつも完璧のアリバイがあった。死んだ男たち の共通点は、禿頭で総入れ歯であること。果してその真相は!? ユーモアミス テリというのか、ナンセンスな笑いの領域に達している。安蒜先生の短編はも う一篇あるそうだが、一体どういう話なんだろう?
「かめ」(漢字が出ない)……男根のことを一物とも言うが、これは、その一 物が二つあるらしい男と婚約して悩む女性の話。悩んだ末に彼女は、相手に合 わせるために、自分のあそこを二つにしようとして、整形外科を訪ねるが…… 。山田風太郎の短編(「陰茎人」)に、鼻が陰茎になっている男の話があるが 、それと似た風味で、山田風太郎の初期短編かとみまがうような作品であった 。
「白昼の悪魔」……鬼貫ものの短編。鮎川哲也の長編の大半で探偵役をつとめ る鬼貫だが、短編では案外登場回数は少なく、正確に勘定したわけではないが 、鬼貫ものの短編全部を集めたら星影龍三ものの短編全部と同じくらいの分量 ではなかろうか。死体の発見時の状況からして、この点にアリバイ工作があっ たのだろうという要点は、すぐに察知できた。ラストで鬼貫が、愛し合う恋人 たちの姿にいたたまれなくなっているのは、失った恋人のことを思いだしてい るのだろう。
「青いエチュード」……鬼貫ものの倒叙ものの短編。この短編集の表題作にな っているだけに、集中でも力作。完全犯罪と思われたアリバイ工作が、思わぬ ところから破綻するというおなじみのパターン。昭和40年代の鮎川短編は、 この手の倒叙ものが多いが、これはそのはしりらしい。渡辺剣次脚本の「死の 十字路」の映画が出てくるところが、微笑ましい。
「五つの時計」……これは光文社文庫にも収録されている、本格的なアリバイ 破りの名作短編として、鮎川作品の中でも屈指の出来ばえである。いしいひさ いちのこの作品のパロディ漫画では、彼らはみな貧乏学生で時計などもってい なかったというくだりがあるが、もとのこの作品も、アリバイづくりのだしに される学生は、こんな感じである。発覚のきっかけと、時間トリックのあたり は、よく考えられている。
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2月17日 貫井徳郎『崩れる』(集英社)
未読本の山を崩そうと思いつつ、読めない新刊が次々と堆積していき、こん な風に一年遅れの新刊読書となることが、ままある(本書は97年7月刊)。 こんな調子では、毎年のミステリのベスト投票などに参加できる資格は、ない ような気がする。97年のベスト投票を、1年遅れの今年の年末くらいにさせ てもらえば、昨年末に投票したときよりも、大幅に話題作がカバーできるよう な気もするのだが、まあ出版事情からして、そういうわけにもいかないだろう 。
それはともかく、貫井徳郎の初の短編集ということで、崩壊する結婚生活が 主題というから、人ごとではない(経験者・談)。鮎川哲也賞のパーティーで は、多くのミステリー作家と会う機会があったが、私より若い作家というと、 麻耶雄嵩さん、加納朋子さん、そして貫井徳郎さんといったあたりだが、割に 子どもっぽい小説を書いている小森と比べると、貫井さんの小説は、はるかに 大人ですね。大人っぽいあまりに、雅気が乏しくなっては、よくないでしょう が、はたしてこの短編集はどんなものでしょうか。
以下一篇ずつ簡単な感想を。(ネタバレというほど踏み込んでないつもりですが、内容にかかわる記述があります)
「崩れる」……表題作。 暑い世界である。普通の人が、殺人という一線を超えるのは、どういう状況だろう? 母親が息子に絶望するのはまだ早すぎる気もするが……。教師を刺殺する生徒がいることを考えると、現在は、その超えがたい一線の水位が、かなり低くなってきているのかもしれない。
「怯える」……亭主の浮気に疑いを強めていく 妻。今邑彩の「つきまとわれて」と、少し似た趣向だが、ハッピーエンドでよかった。
「憑かれる」……夏の夜話風の怪談である。真砂子が聖美を呼び出した行為の、裏の意図になにか復讐があるのでは、というのは、すぐわかり、結末の趣向は割にありがちながらも、ツイストの効いた好短篇である。
「追われる」……ストーカーものの短篇。結末でどうけりをつけるのか、ここ までの三篇と違って、予測がつかず、その分切れ味が鋭い短篇だと思った。
「壊れる」……会社の中に充満する不倫の関係。サラリーマンの世界もなかな か大変である。貫井徳郎の作風は、結構企業小説・サラリーマン小説に向いて いるのではないか。この集中では、本作がその本領が最も遺憾なく発揮されて いる。いわゆる〈新本格〉のレッテルに貫井さんが何となくなじまないのは、 乱暴な分類法で恐縮だが、リアル志向/幻想志向 で二分したときに、彼の作 風は明らかにリアル志向だからなあ。鮎川賞出身系の作家中でもリアル志向最右翼だろう。
「誘われる」……日常のありふれた光景が、だんだんと悪夢めいたものへと 変貌していく、そのざわざわとした不快な肌触りのようなものが上手く書けて いる。
「腐れる」……ダール風というか、「奇妙な味」というか、ブラックな味を狙った作品のようだが、これは趣向としてあまり成功していない。
「見られる」……ゴミ袋から個人生活が覗かれているというのは、ありがちなので、すぐにわかったが、その上での一段ひねりがあって「え?」と思った。 実は読んでいる途中にこういう結末も予想した可能性にはあったが、それにしては、筋が通らなさすぎると思い、可能性としては排除した。それが結末部に あったので驚いて、ざっと読み返してみたが、キャラクターの行動目的という か性格の首尾一貫性が保てないような気がする。結末部に一撃は必ず用意されてあるが、その意外な真相が、時として(失敗作では)全体の整合性や納得性 が欠けてしまうという作風は、古くはビーストンから、最近の西澤保彦まで多々あるが、この短編は、その系列に連なる作品という気がする。
と色々書いてみましたが、全体的にはよくできた、良質の短編集でした。貫井徳郎作品を読んだことのない読者にも、本書は、その作品世界に入門するのに最適ではないでしょうか。最近の講談社ノベルスにありがちな破天荒さやブッ飛びはなく、堅実な手堅い作風の意欲作です。
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2月21日 江戸川乱歩・大下宇陀児・角田喜久雄・木々高太郎『畸形の天女』(春陽文庫 )
合作のリレー小説である。数篇ある、江戸川乱歩が加わったリレー長編の中では、本作が最もまとまりがよいという(講談社、江戸川乱歩文庫の解説によ ると)。これでまとまりがよいとすると、他のは……。一番手の乱歩、相変わ らずの変身願望を描いている。戦前の濃度はないとはいえ、随所に見られる乱 歩独特の語り口−−「夕焼けも薄れて、人の顔も定かに見分けられぬ時刻」に 、「その夕靄の中で、少女はまるで汚れた天女のように、微妙に猥褻に踊った 」(26−27頁)というあたりの、「ぼわぼわ」とした乱歩節はいいのだが ……。『猟奇の果て』とよく似た展開の変身綺譚で、序盤以降の展開は、乱歩のつもりとしては、犯してしまった殺人の罪の発覚に怯える倒叙形式のものに なるはずだったろう。しかし、二回目の担当の大下宇陀児が、「畸形の天女」 をかなり地上へと引き戻し、学校の先生と親密にしている様子を描くと、三回 目の角田喜久雄は、その少女が、学校の先生に片思いして胸を焦がすさまに焦 点をあてている。少女が視点になってしまっては、当初の天女の神秘性が剥奪 されてしまうような気もする。大体、ヒロインの少女の性格は、一回めの乱歩 担当のときと、二回め以降では、まったく別人である。やはりリレーもので一貫した話をつくるのは、相当難しいと見える。ただ、結末をつけた木々高太郎 は、良心的に、話をうまく収束させているので、ぎりぎり破綻からは救われている。
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2月24日 川島士路著『實地踏査 趣味の滿蒙風土記』(糧友会・昭和13年9月刊)
これは吐き気がするというか、胸がむかつく、悪書であった。全編偏見と差別意識に 満ち満ちた本である。 これは、日本の陸軍士官である著者が、満州に暮らしながら、満州人の生活を記述し たと称する一書なのだが、目次だけ見ても、以下のようにひどい項目の羅列である。
最初が「不潔篇」とあり、項目の目次を書き写してみる。
1 鮮かな痰の吐きつぷり 2 洗はずの茶碗 3 手から離れぬ箸 4 垢で光る着物 5 日本の合羽人種と油帽 6 露西亜人は洗ふ 7 纏足の臭さ、ムツ! 8 一生に三度はいる風呂 9 垢の支那風呂 10 爪の垢の味 11 日本の黒爪組 12 支那饅頭は不潔の三變り 13 便器と食器と併び洗ふ 14 油の浮いた洗面の湯 15 糞は温い内に 16 客用の匙を舐めて拭く 17 四等車 18 小便小路 19 牛の肺臓の乾物を賣る店 20 棗の飴被せ 21 滿州のほこり (「不潔篇」はここまでだが、以下こんな調子で124項目まで続く)
実は、この本は、去年亡くなったうちの祖父の遺品の中にあった一書である。 陸軍士官学校の教科書とか、満州での出版物とか、資料的には珍品だと思って 持ち帰ってきたのだが----この時代には、こんな悪意と偏見に満ちた本がまかり とおっていたのかと思うと、うすら寒くなるような本であった。 しかし、満州での暮らしと、当時の邦人、特に軍人の偏見と風俗を知るには 資料的な価値はある。当時の満州を舞台にした小説を書こうとしている作家が いたら、資料としては、結構使える一書である。
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