読書録−−98年5月

5月2日 ディオニシオス・アレオパギテース「神名論」「神秘神学」(『キリスト教神秘主義著作集 1 ギリシア教父の神秘主義』)熊田陽一郎訳・教文館・1992年11月刊

 神学の本を読むというのは奇妙な体験である。ストーリーや追える筋があるわけでなく、かと言って論理性をもっているものでもない。要するに、神学の頻出用語に慣れて、そのジャーゴンに付き合う以外にないと思うが、「神名論」もそういう構えでないと読み通せない著作であった。しかし、はるかに短い「神秘神学」の方は、読みごたえがある。否定によって神へと到る、その否定の仕方がラディカルであり、神は存在でも非存在でもなく、光でも闇でもないと言い切るあたりは、インドのナーガルジュナ(龍樹)あたりの空観を想起させる。英訳ではTRANSLUCENT DARKNESS(透明な闇)と訳されていた言葉は、日本語では、そう対応した訳にはなっていないが、偽ディオニシオスには、その闇を貫き渡るだけの鋭い眼力がある。

 因みにこの本は新刊で入手可能である。5700円と高価だけど、買ってしまったよォ。

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5月3日 恩田陸『六番目の小夜子』(新潮文庫)

 ここに描かれた青春のきらめき、ここにはたしかにぼくたちが過ごしてきた、高校三年の一年間がある。小説としてはどこかぎこちなく熟してないような気がするが、紛れもなく甘酸っぱい青春の味わいは巧みに描出されている。恩田陸の才能は、明滅する夜光灯のようで、常にちらちらしているのだが、ついにその全貌を現すことがなかったという感じである。津村沙世子は、日常的な普通の女子高生でありながら、神秘的な超越性をもった不思議な少女である。美香子は、この後どうなったのだろう?

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5月11日 鈴木光司『ループ』(角川書店)

 前作『らせん』も、『リング』の続編としては、意表をつくものがあったが、この『ループ』はまた、予測される続編の展開を大きく裏切るものであった。中盤のあたりで、おお、これは光瀬龍の『百億の夜と千億の昼』をやるつもりかと思ったが、それとも少し違った。前に『楽園』(新調文庫)を読んだとき、それは力強い愛の讃歌で、ホラー小説の傑作と目される『リング』とは、あまりに雰囲気や世界観が異なることに一驚を喫した憶えがある。ただ、鈴木光司の本領と言うべき作風は『楽園』の側にあることも理解できた。というわけで三部作の完結篇の本書は、『リング』の物語が、『楽園』の力強い愛と生命の讃歌への還帰につながる物語であった。その意味ではこの帰結、意外でなく、当然と言えるかも。ある意味、これは結末のつけかたを〈メタ〉な技法でやってのけた力技の作品。この前芦辺さんが指摘していた、メタの流行と頽廃が、鈴木光司においても現れていると言えるかも。鈴木光司は、SFという名称を拒否しているそうだが、書いているものはこれはSFですよ。井上夢人の『パワー・オフ』とも一脈通じる話だが、鈴木光司は、それは読んでないみたい。前二作を評価する人の間でも、本作について賛否両論分かれるのは、わかる気がする。単体の一作として見ればいま一つだが、三部作の完結編としては、成功作だと思う。

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5月13日 黒岩涙香『巨魁来』(涙香縮刷集・扶桑堂)

 本書の原作は、英訳題では、デュ・ボアゴベの”PHANTOM LEG”(脚の幽霊)であることが判明している(実際、中盤に大きな脚の幽霊が出てくる)が、原本がどの作品か判明していない。ナポレオン支配下のフランスに、イギリスに亡命していた勤王党の巨魁、門田丈兒(カドーラル)の一派がひそかに上陸して、王政復古を画策する、伝奇的な時代小説である。吉川英治の『恋ぐるま』は、この作品をベースに、大阪夏の陣で死なずに薩摩に逃れた豊臣秀頼の一派が、幕府転覆と豊臣家復興を画策する話に置き換えられている。ボアゴベの時代ものでは、本書や『武士道』では、勤王派が主役、『活地獄』や『鉄仮面』では革命派が主役だが、共通しているのは、時の政府に反逆する一派が視点となっていることである。鳥村という探偵が、『活地獄』との共通キャラクターとして出る。悪役のボスは、かのジョゼフ・フーシェ。フーシェのような人物が、悪の親玉にいるから、重みのある歴史小説が書けて、フランス史ってよいなあと思う。敵味方の男女が愛し合うことになるメロドラマの比重が結構大きい。最後一章で、荒筋を説明するように、ナポレオンの没落までの歴史を素描し、王党一派の成功を描いているが、これは涙香自身の付け足しかも。というのは、『鉄仮面』が、原作では、革命派のたくらみはことごとく破れて敗北するだけの話なのに、涙香の翻案では、勇ましい勝利の場面に書き変わっていることからすれば、この作品のラストもそれと同断ではないかという推測も成り立つ。一派はほとんどフーシェの配下によって検挙されとらえられた絶対絶命の窮地にたつが、原作『鉄仮面』の展開からすれば、一派壊滅、愛し合う男女も無念の死を遂げるという結末だって充分ありそうである。

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5月15日 青木雄二『ゼニの人間学』(KKベストセラーズ)

四、五年前だか、宇都宮さんと飲んでいたときに「なにか面白い漫画はありませんか?」ときかれて、『ナニワ金融道』を勧めた憶えがある。田村くんが宇都宮さんに勧められてやはり『ナニワ金融道』を読んだらずいぶん感動して、バイブルにしているとまで言っていた。「会社やめて独立しようとする人間には必読の本です」。あまり漫画を読まないうちの弟も、『ナニワ金融道』だけは随分熱心に読んでいたようなので、実務的・現実的な人に受ける漫画なのね。青木雄二は、この本等で、神を否定し、唯物論を主張している。私はどちらかというと、哲学としては、観念論に共感していて、その観念論の先鋭化されたのが唯物論であると思うから、唯物論は観念論の一種(一変形)で、観念論に対立するのはロック流の実在論だとみなされるべきだろう。
「作家というのは、売れていないと編集者のいいなりにしか仕事ができないが、売れてくれば、自分の描きたい世界が自由に描けるようになる」(130頁)
当たり前のようだが、たしかにそのとおり。

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5月15日 西澤保彦『ストレート・チェイサー』(光文社・カッパノベルズ)

有栖川有栖さんによる推薦文「最後の一行であなたはのけぞる」----本当にそうだった。西澤保彦の小説って、結構解決篇が唐突に神の視点で処理されているような気がすることがあって、『死者は黄泉が得る』にしても『瞬間移動死体』にしても、なぜ解決篇で探偵役は、全知全能でないと知り得ないことまで知っているのだあ、という気がする。本書の解決篇でも、ちょっとその感じはした。『幻惑密室』は犯人も真相も事前に見抜けたのに比して、この話は、背後の隠された人物関係が一部見当がついたくらい。露骨に伏線だと判るエピソードがところどころに挿入されているから、それでわかることもある。結末で明かされる趣向については、ネタバレでないと書けないので直接語るのは回避しますが、これは先鋭的に面白い趣向性である。ただ、読者への伝わり方は、この書き方だと、ちゃんとうまく伝わっていないのではないかという懸念がある。だけど、冒頭でああなって、ああなっているから、ああなっているんだよなあ。

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5月18日 西澤保彦『スコッチ・ゲーム』(カドカワエンタテインメント)

西澤さんは今年もう三冊本を出している。3月刊の本書を今日(5/18)ようやく読了。
解決篇、意外性はあるけど、切れ味はやや鈍い印象。『彼女が死んだ夜』で示唆されていたタカチの過去が明らかにされたのは、ちょっとうれしい。あやつりテーマの犯行計画、しかし、犯人の目論見はことごとく裏目に出て全然意図は達成されない。女子寮での女子高生連続殺害事件ものというと、綾辻行人『緋色の囁き』竹本健治『緑衣の牙』二階堂黎人『聖アウスラ修道院の惨劇』京極夏彦『絡新婦の理』と、最近作でも一ジャンルを成しそうなくらい作例があって、本書もそのジャンルにはいるのだけれど、女子寮ものとしては、そういった先行作と比べて、いま一つ華麗さに乏しい印象でした。

  ところで、『推理小説の美学』(鈴木幸夫訳、研究社)所収の論文でセイヤーズは、推理小説の真相を読んだときの読者の対応としては、「そんなもの最初からわかっていたさ」でも「そんなこと、わかるわけないじゃないか」でも望ましくなく、作家としては、一番望ましいのは「しまった。こんなことがわからないとは、自分がばかだった」と言わせたいとありました。この三つの区分で、今までの西澤保彦長編作品を、一読者として、区分けしてみたいと思います。

A.真相が、解決篇より先にわかった
 『人格転移の殺人』『幻惑密室』

B.真相がわからなかったが、見抜けてしかるべきだと思った。
 『七回死んだ男』『仔羊たちの聖夜』『ストレート・チェイサー』

C.真相がわからなかったが、こんなのわかるわけないだろうと思った
 『解体諸因』『完全無欠の名探偵』『殺意の集う夜』『彼女が死んだ夜』『麦酒の家の冒険』『死者は黄泉が得る』『瞬間移動死体』『スコッチ・ゲーム』

『複製症候群』は、あまり謎解きがないので除外。

 言うまでもないかもしれませんが、この三分法が、作品の優劣とか出来不出来の尺度になるわけではありません。真相が読者にさとられえない傑作ミステリもたくさんありますから。Cカテゴリーに入るからといって、Bカテゴリーより作品として下だというつもりは毛頭ありませんので、どうか誤解なきよう。

 森博嗣さんの日記によれば、森さんは、西沢作品は『解体諸因』以外の全作で、真相が事前にわかったそうなのですが、本当かなあ? とちょっと疑問に思う今日このごろ。

 かつて日本探偵作家クラブでは、例会で犯人当てをやるのが恒例だったそうですが、そこで朗読された犯人当ては、正解者ゼロの場合が結構多かったそうです。高木彬光の名短編「妖婦の宿」も元はその犯人当て用に書かれたものですが、誰も真相を当てられまいとの高木氏の自信に反して、ただ一人千代有三氏は真相を看破したそうです。 推理作家でもあった千代有三氏は、誰も真相を看破しえない犯人当て小説は最上とは言えず、一人くらい推理力明敏な人間が見破れるように書かれているのが、最上の犯人当てであると言っていたそうです。というわけで、正解者がゼロだった他の犯人当てよりも「妖婦の宿」の方が優れているということになるわけです。この基準が、すべての探偵小説、ミステリーに適用されるわけではないでしょうが、犯人当てのありかたに関しての一つの識見ではあると思います。

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5月21日 貫井徳郎『誘拐症候群』(双葉社)

 貫井徳郎の新作長編。表紙のデザインは、エンタテインメント小説らしからぬつくりで、内容にそぐわない気がするのであまりよくないように感じたが、多くの方は、そうは思わないとのことだったので、これはどうやら私の少数意見のようでした。
 本作の読後の感想としては、かなり高い評価が与えられるべき作品だと思った。今年になって私が読んだ本は、大体このパティオに書かれているものでほぼ九割方網羅されるのだが、結構ミステリでない本も多く含まれているので、それは別にして。今年になって読んだミステリ作品では、本書は一二を争う、この五ヵ月程の間に読んだミステリの中ではベスト2には入る位置づけになる。

 前作『失踪症候群』(双葉社)を読んだときに、これはあまりに岡嶋二人の「眠れぬ夜」シリーズに似すぎている、と思ったら、講談社文庫に入った『眠れぬ夜の殺人』の巻末の貫井自身の解説で、岡嶋二人の井上氏にじきじきに了承を得て、その「眠れぬ夜」シリーズを踏襲する作品を書いていたのだそうである。『天使の屍』(角川書店)も、岡嶋作品に似ているそうだが(未読)、『失踪症候群』は、完全な岡嶋二人贋作の作風で、作品の出来はともかく、作家の戦略としては、これはまずいのではないかと思った。というのも、岡嶋二人のエピゴーネン(亜流)と認知されることが、作家としてのプラスになるとは思えなかったからだ。しかしそういう懸念も、シリーズ二作めである本書を読むと、かなり払拭される。筋の運び方と的確な描写力は、老成した熟達作家のものかと思わせるほどである。力強いストーリーテリングは、シリーズ前作よりパワーアップしている。インターネットとパソコンの知識が結構駆使された作品で、被害者と関係の乏しい人間に身代金の運搬を指定してくるところは、芦辺拓氏の『時の誘拐』と類似した趣向である。不満としては、結末まできてミステリとしてのひねり、意外性がいま一つ乏しいこと。

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5月25日 芦辺拓『探偵宣言 森江春策の事件簿』(講談社ノベルス)

芦辺拓さんの第一短編集。
量産ミステリ作家の作品は、内容が薄く、後に残るものが少ないが、すらすら読めて消化にいいのが多いのに対し、芦辺さんの作品は、内容が濃く、アイデア、トリック、そして盛り込まれた知識と情報が豊富だが、ちょっと胃もたれして消化不良ぎみにさせられ作品が多いような気がする。

  収録短篇の中で、印象に残ったところとしては、
「殺人喜劇の鳥人伝説」……人が空を飛んだという謎の呈示と、その解決篇! お笑いでもあり、まじめな謎解きでもある好篇で、『奇想の復活』(立風書房)所収の短篇でも好きな作品でした。

「殺人喜劇の不思議町」……ラストは、金田一耕介が獄門島に向かうところで終わる「車井戸はなぜ軋る」を模して、森江春策が泥濘荘へと向かうところで終わる。獄門島と言えば大抵誰でも知っているが、泥濘荘の事件といわれて、読者、わかるのかなぁ?

「殺人喜劇のニトロベンゼン」……芦辺拓作品の探偵キャラ総出演の豪華作品。こんなにシリーズキャラクターいっぱいつくって、みな活躍させようという壮大な意図をもっているのだろうか? 探偵役の中では、乙名探偵が、一番個性があってキャラがたってていいですね。乙名探偵の連作短編集は、早く実現させてほしい。 『毒入りチョコレート事件』は、私も大好きで、十代の頃に三回以上は読み直した憶えがある。これの原型短篇である「偶然の審判」も傑作だから、長篇化された方を読むから、原型短篇を読まなくてよい、という読書判断は、この作品に関する限りは、少なくとも正しくありませんよ。未読の方はぜひとも「偶然の審判」を読んでから『毒入りチョコレート事件』を読みましょう。その後でこの短篇を読むと、百倍楽しめること請け合いです。

「殺人喜劇の森江春策」……最後の書き下ろし短篇は、なにやら無理やり連作短篇にするために趣向をこじつけた、という感じ。もっとも、殺人の謎と解明は結構できがいいので、締めの短篇としては、ちょうどいいのかも。

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5月26日 鯨統一郎『邪馬台国はどこですか?』(創元推理文庫)

大森望さんのホームページでは、「小森健太朗の有力なライバル」と書かれていた(^_^;)。いつからライバルをもてるほど大物になったのだろう?>自分

 それはともかく。小説が思いつきから始まるのは確かだが、この作品は、『六枚のとんかつ』同様、思いつきから小説実現までの距離が短すぎる弊がある。(もっとも自作の『ローウェル城』とて、その距離が短いことでは負けないが) 歴史ミステリの体裁をとっているが、歴史物としては、資料の読込と勉強が少ないし小説としてもあまり上手く書けていない。六篇の中で出来不出来があって、比較的よいのは、表題作の「邪馬台国はどこですか?」と「聖徳太子はだれですか?」。

前者は、この作品で呈示される珍妙な仮説の中では、唯一真に受けてもよいだけの真実性がある。後者は、聖徳太子と推古天皇と蘇我馬子の三人が同一人物だったという珍説自体はともかく、当時の天皇家が二系統あって、渡来派と土着派の戦いがあり、勝利した渡来派の都合がよいように『日本書記』が捏造された、というあたりまでの論には見るべきものがある。

「悟りを開いたのはいつですか?」は、仏典に、悟りを経て人は普通に戻るというような教えがあることからすると、ブッダの普通人性を証明したところで、ブッダが悟りを開いていなかったことの証拠にはならないと思う。

「謀叛の動機はなんですか?」 ある人物が自殺したことを証明するのに、その人が自殺者にふさわしい心理的特徴をもっていたことをいくら並べても、その人が自殺した証拠にはならない。ただ桶狭間の戦いが、織田信長の自殺願望の現れだったとの断定は笑いを誘う。

「奇蹟はどのようになされたのですか?」去年出た私の本『神の子の密室』と似たような推論で、イエスが十字架刑で死ななかったことを論証する。この題材の類似が大森氏にライバルとして指名される所以か?細かいことだけど、「聖書にオリーブ山に登ったと書かれているが、夜中に山なんて昇りますかね?」との疑問呈示があるが、エルサレムにあるオリーブ山は、山とは名ばかりの、ちょっとだけ小高い丘にすぎない。この話の論争相手は、まじめにイエスの復活を信じているクリスチャンが出てくればよかったのに……。

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5月26日 鶴見済『人格改造マニュアル』(太田出版)

 奥泉光の『葦と百合』の感想でも触れたことだが、私はその昔大学では、真木悠介こと見田宗介の文学ゼミに出席していたものである。その参加者には、結構作家志望者が多かったようで、見田教授に「どうしたら作家になれますか?」とちょっと見当外れな質問をするゼミ生も何人かいたものである。その質問に対する見田先生の答えとして、私が記憶しているのは、学生運動など反体制運動を熱心にやっている人に対しては「体制派にならないと、作家にはなれない。この資本主義社会で作家になるのは、一見反権力を気取っているようでも、みな体制派になった人間ばかりだ」との答え。ふむふむ、なるほど。別の機会に同じ質問をしたもう一人は、このまま就職したら、多忙で時間がなくなり、小説を書けなくなるとの懸念をもって見田氏に訊ねていたが、その問いに対しては、「大学院に行ったら?」というものであった。つまり、大学院なら、普通の企業よりは時間に余裕があるので、小説家を目指しやすかろうというのだ。ふむふむ、なるほど。私は、そんな質問はしなかったが、作家志望ではあったので、そのとき聞いた見田先生の回答に基づいて、大学院に行きながら、作家を目指そうという人生設計にしたものである。ところで、私が参加していた当時のそのゼミには、後にベストセラーを出したゼミ生がいる。本書の作者、鶴見済−−百万部のベストセラー『完全自殺マニュアル』(太田出版)の著者である。彼は私と同じ年に東大文三に入学している同期生で、年齢は私より一つ上である。ゼミで議論をしたことはあっても、個人的に深く付き合ったほどではなく、社交的に快活で明るそうな人だと思っていたが、本書では、暗黒の個人史が語られる。ううむ、こんな地獄を背負っていたのか……本を通じて初めて知る鶴見君の素顔である。
 本書よりの引用。「そう。覚醒剤は最高だ。量を大きく増やしていかなければ、という条件付きだが、最高の人格改造薬であることに間違いはない。これは事実だ」(44−45頁)。「『クスリに頼っている自分は本当の自分ではない』などというバカなことを考えないこと。何度も言うが、もともと『本当の自分』などというものは存在しない」(106頁)。「洗脳というのは『出して入れる』という単なる詰め替え作業にすぎない」(116頁)。「イザとなったら自殺しよう」(200頁)。
 こういう露悪的なまでに偽悪的なところに、キャラクターがにじみでている。『完全自殺マニュアル』『無気力製造工場』(太田出版)、そして本書と、彼の立場は、単純で首尾一貫している。いまの社会の息苦しさから逃れるのはこんなに簡単だ、自殺もクスリも洗脳もオーケーだ、とにかく、楽に生きよう……。鶴見君は、いまの日本では、もっとも醒めた、冷徹な知性であると言ってもさほど不当ではないだろう。

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5月27日 積木鏡介『歪んだ創世記』(講談社ノベルス)

最近のメタばやりの傾向も、行き着くところまで行き着いたかと思わせる、末期的作風の作品である。割に書き方は、うまいし、筆力はかなりある人である。でも、書いてある内容は、メタメタのメチャメチャである。本格ミステリの要素は、意匠の一つとして借り出されているにすぎない。そのうち後半クトゥルーも空飛ぶ円盤も怪獣も皆出てきてしまう。去年から今年にかけてデビューした人の第一作って、なにやら変なのばっかりだなあ。

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5月28日 浦賀和宏『記憶の果て』(講談社ノベルス)

『歪んだ創世記』に続いて読んだこの作品も、どう位置づけてよいのか、評価に苦しむ作品である。文章が冗長な気がして、900枚超の厚い作品だが、4-500枚程度の分量で充分語れる話でしょう。純文学だと、内面の語りをぐたぐたやって、筋がないまま何百枚もかかるということがあるけれど、その意味ではかなり純文学に近い作風である。浅倉という女性が衝撃の過去を語った、しかし、それはここでは語らないでおく、と伏せてしまうのも、純文学のセンスに近い。ミステリでは、とにかく、不審な点や謎はみな真相へと奉仕しなければならないというVORURTEILがありそうだからだ。でも、冒頭が父親の自殺から始まり、最後までなぜ父親の自殺の動機がはっきりしない。語り手はその謎を終章でまた疑問として口にしておきながら「これは現実なんだ。絶対的な権力をもった名探偵によってすべてに論理的に説明がついてしまう----そんなご都合主義の推理小説とは違うんだ」(460頁)と語り、その謎の解決がないことには開き直ってしまう。『歪んだ創世記』とこの作品を続けて読むと「もっとまっとうなミステリが読みたい」と何やら悲しくなってしまった。

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5月28日 IDRIES SHAH "THE BOOK OF THE BOOK"
(THE OCTAGON PRESS,LOMDON)

『記憶の果て』では、沈黙の音楽としてケージの「四分32秒」のことが言及され、作中人物がそれに対抗して「257頁」という全編空白の本を書いてやる、というくだりがありますが、その本、既にあります。上述のイドリース・シャーによる"THE BOOK OF THE BOOK"(本のなかの本=究極の本)がそれ。全編白紙なのに、ちゃんと、それなりの値段(私が買ったのは5.5イギリス・ポンド)で売っている。後ろの表紙には、この本が出版されたときの各誌の書評が載っていて、SUNDAY MIRRORは'an astonishing book'(驚くべき本)と書かれている(そりゃそうだろう(^_^;他の書評でも「これほど書評子を困らせる本はない」とか「言葉を超越した本だ」とか、載ったらしいが、なんか笑える。シャー自身による、この本の由来説明の序文はついていて、それを読むと、イスラムの神秘主義のスーフィー教団に、代々、マスターから弟子へ、一子相伝として伝えられた教団の聖典がこれだという。つまり、全編空白の本。私は知ってて洋書注文したのだが、本が丸善に届いたとき、ちょっとおふざけで店員に「これは落丁しているようだ。これを見てくれ」と白紙の中身を見せたら、随分あわてていて「取り替えオーダーを出す」と言ってました。「いや、このままでいい」と言って持って帰りましたが。(^_^;

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5月30日 乾くるみ『Jの神話』(講談社ノベルス)

 どわーはっはっはっ、面白い面白い、終盤数十ページ読んでるときは、笑いでお腹がよじれそうになった。笑える笑える、おかしすぎるぅ〜〜〜 途中までは結構退屈な話だと思ってた。メフィスト賞の中でも、一番書き方が平坦でメリハリもないし、女子高と美人女探偵というのもありがちで陳腐に思えた。「しかし、ああしかし……。断言しよう。この結末はだれにも予測できない」との大森望氏の言葉どおり、これはなんという(^-^;;;;;;;;;;;;;;
 作者は正体を明かしていないが、女性のはずがない、こんなの女性が読んだら激怒ものである、と、これを読んだ複数のミステリ読者(女性)から聞かされていましたが、読んでみて納得。

 だけど、こんな爽快にぶっとんだ話は、いいです、買います。こんな話をほめると人格疑われてしまいそうだが、でも気に入ってしまったので仕方ない。今年出たメフィスト賞受賞作品ではこれが最高です。

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