読書録−−98年9月
9月5日 筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』(角川文庫)
YMCAの寮にいた大学の四年間、結構よく本は読んでいたが、この時期小説は皆無といっていいくらい読んでいない。哲学、心理学、宗教書、精神世界関連の本ばかり読んでいたような気がするが、寮生のK君が自分のもっている小説を面白いと勧めてくれるので借りて読んだりはしていた。広瀬正を勧められて『タイムマシン』とか『マイナス・ゼロ』とか読んだ覚えがあるのだけれど、少しも面白いとは思えなかった。もう一人勧めてくれた作家が筒井康隆で、こっちは面白いので、たて続けにK君の部屋にあった文庫本をまとめ読みした覚えがある。筒井作品の主だったものは結構読んだような気もするが、この本は読みのがしていたので、今日一読した次第。饒舌体と命名される語り口調が最も色濃く現れている作品。追うものが追われるものへといつしか転化するというテーマは新鮮ではないが、面白みは感じる。でも筒井康隆もどちらかと言うと短篇に本領がある人のようですね。
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9月6日 西澤保彦『実況中死』(講談社ノベルス)
今月の刊行予定ラインアップを見ていると、注目作家の新刊が続々。『人狼城の恐怖』『屍鬼』『塗仏の宴』と、分厚いものが多いので、評論家や書評者は大変だ。でも私はそのどちらでもないので、ゆっくり読んでいくことにしよう。
で、西澤さんの今年早くも五冊めの本。真相に見当がついたようなつもりでいたのだが、予想を超えた意外な真相が待ち受けていた。しかし……ちょっとずるい気がしないでもない。視点となる人物に重要な情報を隠蔽させたままにするのは……(これ以上言うとネタバレになるので自粛)。しかし、この作中に私の名前も出てくるし、活躍中の大勢のミステリ作家が作中に実名で多数登場している。メタフィクションだし、同人誌即売会とミステリ同人誌の話が重要な役割を果たす。わーっ、西澤さん、私の得意ジャンルにも進出してきたなーっ、てのは置いておいて、読んでいる過程では実に楽しく読めました。「根拠を求めるのは愛がない証拠です」とか「よく見るとメニューにテイクアウトが」といった神麻嗣子ちゃんのセリフには笑わせてもらった。
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9月12日 二階堂黎人『人狼城の恐怖』(ドイツ編/フランス編/探偵編/完結編)(全四冊)(講談社ノベルス)
四冊で原稿用紙四千枚を超す、現時点での世界最長の本格推理小説。質量ともにものすごい作品でした。これは本格ミステリ史上の記念碑的作品となるでしょうし、作者の二階堂氏は、本格ミステリの書き手としては、この作品のみをもってしても栄光の殿堂入りを果たしていると言ってよいでしょう。これほど長い作品、しかも全体に有機的一体性と高度の整合性が要求される本格ミステリを書ききる精神力の消費は尋常ならざるものがあります。一生分の精神力を消耗してしまいそうなくらい大変な作業です。たぶん本格ジャンルでは今年のベスト1でしょうし、この十年の本格ミステリムーブメントの作品群の中でも頂点に位置するでしょう。
「ドイツ編」と「フランス編」を読んだ時点では、あまりに大きすぎる謎と不可解さに、はたしてちゃんと解決がつけられるのか? と危ぶんだのですが、完結編まで読み、細かな齟齬はあるものの、謎解きとして筋を通しきった作者の剛腕には脱帽します。
後書きに私の名前が研究家として出てきますが、ガボリオの長篇の長いものの正確な枚数は知りませんが、四千枚には達してないかもしれません。私が長いのがあると指摘したのは、ガボリオでなくボアゴベの方だったんですが(^_^; ボアゴベの一番長い長篇は『新パリの秘密』か『コンスタンティノープルの夜』ですが、両者とも、書誌情報からみるに、オムニバス長篇のようです。ミステリとして最長は『オペラ座の犯罪』のようですが、これもオムニバス長篇である可能性もあり。完結編349頁にちらりとボアゴベの名前が出てくるのが、意味なく嬉しかったりする(^_^;
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9月13日 中島河太郎『探偵小説辞典』(講談社文庫)
文庫で刊行が開始された江戸川乱歩賞全集の第一回で、雑誌に連載されたきり、単行本化されていなかった本作品が初文庫化されたのは、まことに喜ばしい。辞典形式なので、通して通読する本ではないが、興味ある項目を拾い読みしていけば、勉強になるところは多々あるはず。ただ、探偵小説の作品名の項目では、筋を最後までばらしてあるので、ネタばらしをおそれるならば、未読の作品の箇所は読まない方がいい。ボアゴベの項目もしっかりあるが、生年がただしくは1821年なのに、ヘイクラフトの誤記による(?)1824年のままになっているのは残念なところ。解説の権田萬治が「中島河太郎のように、書誌学者で、文学史家で、評論家という一人三役をこなした人は、私の知るかぎり世界でも例がない」(636頁)って言っているが、そんなことはないでしょう。エラリー・クイーンだって、何役もやっていると言えるし。
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9月13日 筒井康隆『朝のガスパール』(朝日新聞社)
考えてみれば、筒井康隆は、断筆する直前の数年間は、『残像に口紅を』『文学部唯野教授』『パブリカ』等々と、極度に尖鋭的な実験作を連打していた。本作『朝のガスパール』も、朝日新聞に連載中には、パソコン通信と投書による読者の意見や感想を取り入れながら進むという、実験的なメタフィクションの作品である。この時期の作品群に比べれば、当時としては尖鋭的な作品であったろう『脱走と追跡のサンバ』などの旧作群は、さして前衛的ではなく思えてくる。しかし、はてしない前衛技法作品の連打は結局のところ創作者を磨耗させてしまう。筒井の断筆はもしかしたら、差別語狩りといった外的事情によるだけでなく、創作現場の必然的帰結だったのかもしれない。ヒロインの聡子が不倫しそうな場面で、読者から抗議と期待両面の投書が寄せられると、その双方にこたえようとしたのか、ホテルでのベッドシーンの回で男が「膣外射精」をすることで、両方の要求にこたえようとしている回(85回)はやたらにおかしい。ヘーゲルの言う弁証法的解決かもしれない。無理解な非難や罵詈雑言を浴びせる読者との、高空爆撃戦の様相を呈する本作は、傷だらけになりながらも、筒井の力技の勝利である。
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9月14日 山口雅也『マニアックス』(講談社)
好評を博した『ミステリーズ』の姉妹篇となる短編集。去年の秋にお会いしたときには、次回作の長編にとりかかっていると聞いた憶えがあるので、いよいよ『生ける屍の死』以来の長編刊行かと思ったが、その実現はまだ先になるのかな。都筑道夫、泡坂妻夫、山口雅也、この三人の短篇の名手たちは、みな作風が違うが、チェスタトンの影響が大きいのは共通している。我孫子さんの日記では、山口雅也作品が「メタミステリ」の代表格のようにあげられているが、私の語用法からすれば、これまでの山口作品はメタミステリにはあたらない。
「孤独の島の島」……孤独の島で、久作の「瓶詰地獄」に似た幻想的な情感する悪夢を見せてくれる好篇。
「モルグ氏の素晴らしきクリスマス・イヴ」……心冷えさせるアンチ・クリスマス・ストーリー。死体が次々とたまっていくところは、古いアメリカの喜劇映画を見ているようだ。
「《次号につづく》」……パルプマガジンで、アメリカンヒーローを夢見て現実と想像の境目がぼやける少年が出てくるが、謎解きと犯人探しの趣向あり。
「女優志願」……女優になりたいあまり、魔法を使って、美貌の女優を殺してその身体をのっとる。ループする時間で、過去の自分に出会うのは、ありがちな結末。
「エド・ウッドの主題による変奏曲」……サイテー映画と呼ばれるくだらない三文映画への愛ほとぱしる、ユーモラスなコメディー。
「割れた卵のような」……この中に出てくるパジェル人は、架空の民族である、という認識で間違ってないかな? 卵とひなの鮮烈なイメージがうえつけられ、主人公の子どもの赤ちゃんの頭蓋がいつ卵のように割られるかはらはらさせられる。阿刀田高の「訪問者」に似た味わいのブラックユーモアもの。
「人形の館の館」……予告された不可解な密室殺人。トリックの解明はあるのだが、このどんでん返しは、あまりいただけない気がした。
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9月20日 中島伸介・斎藤良一・永島収著『イデオンという伝説』(太田出版)
放映開始から20年を経て、伝説的に語り継がれる異色のロボットアニメ『伝説巨神イデオン』について、さまざまな角度から考究を行なった太田出版のオタク学叢書の一冊。メインは数十頁に及ぶ、富野由悠季監督のロングインタビュー。この本の172頁を見ていただきたい。下段に私の名前(小森健太郎)が書かれているはずである。この年の映画版公開に先がけてつくられたイデオン宣伝のための特番では、イデオンに関する小ストーリーやパロディの映像案を募集し、優秀作品はその特番でアニメ制作して放映するというコンクールがあったのだが、それに応募した私の作品が佳作入選しているのだ。「無限力ギジェ伝説」という題名である。これは、脚本と絵コンテを送ったもので、最優秀作のようなアニメ化ではなかったが、紙芝居程度の絵がついて一応数分間放映されたのである。だから、小森の映像作家としてのデビュー作だなぁ(^_^;
高校一年の頃の話なのだが、この同じ年(1982年)に『ローウェル城の密室』が乱歩賞最終候補になっていて、この頃いろいろやっていた雑誌への投書や寄稿は、少なくとも佳作圏内には必ず入り、掲載や採用にならなかったものはほとんどなかった。
ここに名前が出ているのだから、私にもなにか語らせてほしかった。イデオンについては、高校の頃一番燃えたアニメ作品だけに、語りたいことが山のようにあったのだ。
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9月29日 ディーン・R・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫)
大阪シナリオ学校の芦辺・堀両氏の特別講演で、小説の書き方を学ぶためのガイド書として推奨されていたもの。他に名のあがった、井上夢人の『おかしな二人』とか筒井康隆の『乱調文学大辞典』(いずれも講談社文庫)は既読だったが、クーンツのは未読だったので早速読んでみた。
私が小説の手引き書として真先に思いつくのは、コリン・ウィルソンの『小説のために』とか『新時代の文学』である。ウィルソンの『わが青春 わが読書』のあとがきには、こう書かれている。
「私が影響を受けた書物とは、私を考えさせてくれる書物だった。もちろん、ひたすら「面白い話」を語る本もたくさん楽しんだ。子供のころ、ライダー・ハガード、エドガー・ライス・バロウズ、R・L・スティーヴンソンなどは、それこそ貪るように読んだ。でも物語だけでは、私の場合どうしてもじきに飽きてしまう」。ウィルソンの区別によれば、一九世紀の小説家の中でも、人生の意味を問いかけることをやっているのはドストエフスキーとトルストイの二人だけであり、ディケンズやユゴーやポーや他の作家たちは、すぐれた小説家ではあっても、その「大きな問い」を問うことがなかったというわけである。コリン・ウィルソンの指針にしたがって、小説を読み進めてきた私としては、なるほど、ドストエフスキーとトルストイだけは、他の物語作家とは、一線を画するものがあるのだなと、納得したのか刷り込まされたのか。
しかし、クーンツには、ウィルソンのような、小説に思索を求める性向はない。いかに多くの読者に受け入れられる、面白い小説を書くか、ひたすら実践的に語っている。結局「読んで読んで読みまくり」「書いて書いて書きまくる」ことに尽きるということのようだが、場面の転換や、登場人物の造型法など、示唆に富み教えられるところは大いにあった。
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