読書録−−98年12月

12月1日 レイモンド・ポストゲイト『十二人の評決』黒沼健訳・ハヤカワポケットミステリ

乱歩のベスト30で、新時代の方のベスト10の一角に選ばれた作品。最近読んだ古典海外ミステリの中で、これは格段に面白かった。サキのショートストーリーを以前に愛読していたものだが、やはりサキの二大傑作は「開かれた窓」と「スレドニ・ヴァシュタール」。この長編はその「スレドニ・ヴァシュタール」がモチーフになっている。「十二人の怒れる男」のような、陪審員間での有罪か無罪かの議論がテーマとなる法廷ミステリである。各陪審員の有罪度が目盛りで表されるところが面白い。
  全体は二部構成で、一部は12人の陪審員の人柄を延々と描く。後半から、問題となる事件の説明と吟味になる。嘗て殺人を犯して逃げおおせた経験のある女性陪審員が、心理的に被告の女性が有罪であると確信するのに対し、狂信的キリスト信者が、神の御告げによりて、被告は無罪であると主張し、論戦になるが、「あなたは殺人について何を知っているというのです?」と狂信者に問われて、たじたじとなるあたり、非常な迫力がある。
  ラストで、クリスティの「検察側の証人」のような、ツイストが効いた結末があれば、もっと傑作になっていただろうに、とちょっと惜しい。

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12月3日 パーシヴァル・ワイルド『検屍裁判』黒沼健訳・新潮文庫
昭和34年11月刊

なんか最近読んでる本って、奥付の日付が妙に、昭和30年代前半が多い気がする……。江戸川乱歩ベスト30に選ばれた作品のうち、半分近くは新刊では買えないので古書で探していたものですが、29冊買い集めて最後の一冊なかったのがこれでした。先日、熱海での対談の際に、二階堂黎人さんと、私がもっている『妖女ドレッテ』と交換トレードが成立したので、めでたく、30冊全部揃いました(^-^)/
  でも、内容はあまり面白くなかった。この中で面白いのは、主要登場人物の一人である老女流作家の俗物ぶりの描き方。ワイルドはどうやら、くだらない内容のものを書きちらすのが人気作家になれると確信していたのだろう。この作中の人気女性作家の描き方には私怨が感じられた。同時期の『十二人の評決』とどうしても比べたくなるけれど、あちらは結構実験的に先鋭的に面白いことをやっていて、新鮮さがあるのに、こちらは、田舎で起きた一殺人事件の、なんということはない、検屍裁判の過程と真相の解明を描いていて、いま読むとかなり古い。ミステリの古物愛好家にのみお勧めの一篇でした。

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12月4日 シュテファン・ツヴァイク『権力とたたかう良心』ツヴァイク全集第17巻
高杉一郎訳・みすず書房 1973年1月初版

ヒトラーの圧政下に苦しむドイツで、その独裁に抗議すべく、ツヴァイクは、圧政者カルヴィンをヒトラーに仮託して、その狂信的独裁と一人戦ったカステリオンの伝記を書いている。この本で読むかぎり、カルヴィンというのは、歴史の中でも最も冷酷で狂信的で独善的な、狂気の独裁者だったようだ。ジュネーヴでの絶対的な権力をにぎるやいなや、反対者を容赦なく、焚刑に処していき、自分に従わないものはみな神の敵と公言して憚らなかったという。本文の最後の一行が、本書のテーマを端的に表現している。
「いつの時代になっても、あらゆるカルヴァンに抵抗してひとりのカステリオンが起ちあがり、信念の自主性にたいする崇高な権利をあらゆる暴力からまもるであろう」

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12月4日 シュテファン・ツヴァイク著『エラスムスの勝利と悲劇』ツヴァイク全集15巻
内垣啓一訳・1974年12月初版

『権力とたたかう良心』の姉妹編とも言うべき、宗教改革者の狂信と、人文主義者の合理性のたたかいを描いた伝記小説。『権力-』のカルヴァンvs.カステリオンがかなり激越な戦いだったのに対し、本書のエラスムスvs.ルターの戦いはずっとマイルドである。カルヴァンが敵対者に対して、権力による焚殺を辞さないのに対し、ルターは偏狭な狂信者でありながらも、あくまで言論でたたかおうとする。カステリオンは命の危険を省みず、敢然と権力者とたたかうのに対し、エラスムスは、書斎の人として、表立った闘争を好まず、ルター派から戦いを挑まれても、ひたすら逃げ回るからである。前に読んだツヴァイクのモンテーニュ伝で描かれた『エセー』のモンテーニュは、本書の主役エラスムスときわめて似通っていた印象を与える。

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12月15日 コリン・ウィルソン『殺人者』永井淳訳・新潮社(昭和50年刊)

  本書のアメリカ版の題名は、主人公の殺人者の名前の「リンガード」。
犯罪学研究の泰斗、コリン・ウィルソンが、実例をもとにつくりあげた、ある殺人者の肖像と伝記である。本書の語り手は、刑務所に派遣された精神分析医で、閉ざされたリンガードの心をときほぐし、その生い立ちを聞き出していくうちに、その数奇な運命と強烈な個性に魅せられるようになる。催眠術の技法をマスターし、人の心を支配下におくすべを心得、強烈な性的欲望をもつが、憧れの対象であった実の姉とはとうとう性的には結ばれず、かわりに、姉によく似た女性を強姦して殺害する人間になっていく。
  『暗黒のまつり』『ガラスの檻』に続く、殺人者の肖像を描いた、コリン・ウィルソンの犯罪小説三部作の棹尾を飾る力作で、リアルなリンガードの人物像には、鬼気せまる迫力がある。
  これで、日本語訳されたコリン・ウィルソンの小説は、一冊残らず全部読んでしまった。しかたないから、来年は原書で、まだ読んでない小説を読もうと思うのだが、どうして未訳の小説群--『ソーホー街漂流』『必要な懐疑』『ヤヌス殺人事件』そして何より『スパイダーワールド』を、どこの出版社も出してくれないのかなあ。
  本書の帯には「カポーティの『冷血』をしのぐ犯罪小説」と書いてあるが、たしかに知名度では『冷血』の方が上だろうが、私としては、カポーティなんかくらべものにならんくらい、コリン・ウィルソンのこの小説の方がすぐれてると思うぞ。

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12月17日 シュテファン・ツヴァイク『三人の自伝作家』(ツヴァイク全集10)みすず書房
吉田正己・中田美喜・堀内明 訳 1974年9月刊

カサノヴァ、スタンダール、トルストイの三人の伝記を集めた伝記集。女たらしで放蕩家のカサノヴァと、女性に臆病で恋愛下手だったスタンダールの伝記は、好対照の一対をなしている。トルストイ伝に対比されるのは、『三人の巨匠』(ツヴァイク全集8巻)のドストエフスキー伝であろう。ドストエフスキーの劇的な生涯に比べて、トルストイは、平穏無事でドラマに乏しい人生にみえてしまう。トルストイの小説は、私は10数冊読んでいるものの、全体の二割ほどしか読んでいないので、全体像は語りえないけれども、「懺悔」で宗教的に回心した以降の、転換後の作品は説教臭くて浅薄でつまらないという感想を抱いていたら、この作中で、ツヴァイクがそれとほぼ同じ作品評価を下している。最後の長篇『復活』も、ツヴァイクの価値評価では、(『クロイツェル・ソナタ』や、『復活』では、ただうすい詩の衣が、裸の道徳の神学を包んでいるにすぎない」(288頁)となるそうだ。トルストイの作品は、筋や描写において追随を許さない芸術性があるのに、後期の道徳教師めいた説教調が入ったあたりは小説作品として台無しになっている感がある。読者としては、トルストイが宗教的回心などせずに、「闇の力」路線を延々とかきついでくれた方が幸せだったのに、と惜しまれる。

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12月19日 竹本健治『風刃迷宮』(光文社・カッパノベルズ)

 「女性自身」に連載されていた長編の単行本化されたもの。竹本さんの作風は、霧の中を宙ぶらりんの状態で、徘徊させられるような感覚が身上。言葉の一節だけをぶった切ったような章題も、その不安定感を煽る。「カケスはカケスの森」でも、一応の解明がなされても、真相は説明されず、理解できない読者を突き放していた。本書でも、事件の全体像と真相は、ちゃんと説明されないまま終わる。『ウロボロスの基礎論』でも問題になっていたとおり、竹本さんの小説は、かなり読者への要求水準を高く設定しているので、ついてこられない読者が大勢出てしまう。たぶん、これとあれがこうつながるのか、とか思うが、再読してよく検討してみないと、よくわからない点が多かった。牧場智久シリーズといいながら、智久ちっとも、探偵しないやん。

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12月19日 芦辺拓『十三番目の陪審員』(角川書店)

だいぶ前にいただいたのに、読むのが遅くなってしまいました。で、感想を。
力作長篇『時の誘拐』(立風書房)でも、盛られた素材、アイディアの豊富さに瞠目させられましたが、この作品も『時の誘拐』にまさるとも劣らないほど、豊富な素材とアイディアが盛られています。特に感心したのは、AかAにあらざるか、二者択一どちらも道を塞がれるところ。心理学者ベイトソンが提唱した「ダブル・バインド」を連想させる。ベイトソンが例としてあげているのは、たとえば、麻薬常習の疑いがある人間に取調官が「逮捕されてから麻薬をやめたのか?」という問いにYESかNOか答えることを強要するという例。どちらにこたえても、麻薬をやっていたことを認めることなり、無実の人間でも、逃げ道がなくなるという状態である。強権的な親や教師が、子どもにしばしばこういう「ダブル・バインド」を強制しているというのが、ベイトソンの指摘である。これは、今年読んだミステリの中でも、随一のすぐれたアイディアだったと思います。
 というわけで、創元の今年のベスト本格ミステリ投票には、この作品は入れます。
 冒頭の原発事故は、引きとしては強いが、最後まで読むと、こんなものを持ち出した
のはどうかと首を傾げさせられる面もあります。
 この作品のみならず、他の芦辺作品にもよく出てくる、官僚=お上=エリート=悪 という素朴な公式を前面に打ち出すことは、看過できない芦辺作品の弱点になっていると思います。
 哲学者カッシーラーの名言に「実体が関係を決定するのではなく、関係が実体を決定する」というのがありますが、その言葉通り「悪」の存在も、実体としてではなく、関係的にあるものでしょう。この作品にせよ他の芦辺作品にせよ、「悪」が関係でなく実体として描かれているために、せっかくの力作なのに、底を浅くしてしまっているのがなんといっても惜しまれます。

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12月19日 メアリ・ロバーツ・ラインハート『螺旋階段』沢村灌訳・ハヤカワミステリ文庫
昭和56年2月初刊、原著刊行年は1908年

 江戸川乱歩のベスト30の古典期のベスト10に選ばれた古風な作品。アンナ・カサリン・グリーンの『リーヴェンワース事件』と味わいはかなり似ていたから、アメリカ女流作家の系譜として、ミステリ味のあるメロドラマ作家としてつながっているのだろう。「もし私が知ってさえいたら」派というおとしめられた名称がつけられたきっかけになった作品で、たしかに、主人公の年輩の女性が、事態解決のためにちゃんと動き回り、情報を聞き出してさえいれば、解決できる事態を解決させないで、事件を延々と長引かせている。黒人とインディアンに対する差別的言辞がいくつか目についた。たとえば、「唯一良きインディアンは死んだインディアンであると同様、唯一逃げおおせる犯罪者は死んだ犯罪者である」(291頁)。アメリカの上流階級女性のスノビズムを感じさせる面もある。旧弊な作風で、とりたてて人に勧められるような作品ではなかった。

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12月20日 シュテファン・ツヴァイク『マゼラン 付 アメリゴ』(ツヴァイク全集第16巻)
みすず書房 ・関楠彦/河原忠彦訳 1972年10月初刊

ツヴァイクの伝記文学は、どれも巻惜くあたわざる面白さである。マゼランの世界一周の航海の経緯が、こんなに劇的でドラマチックなものであったとは、知らなかった。ポルトガルの水夫だったマゼランは功績をあげて出世するが、政治的対立の余波をうけて、宮廷からうとんじられる身となり、スペインに逃れる。そこで、インド・香料諸島への西回り航路を発見すべく大艦隊を率いる大任を任されるが、五隻の船団には対立の火種が、ポルトガル派とスペイン派に近い対立があった。海峡と思われた水路が河口でわかったときの徒労感と絶望、そして忍耐の限度に達した船員たちの反乱と鎮圧。マゼランの死後、五隻の中で唯一スペインにかえりつくビクトリア号の船長になっているデル・カーノは、このとき反マゼランの反乱に加わった首謀者の一人であった。航海によってもたらされた利益を、マゼランの一族は一切得ることなく、デル・カーノらが独占的に享受することになる。マゼラン海峡を発見したところで、一隻の食料品をもっとも積んだ船が裏切って、スペインへと帰ってしまう。その前のブラジル近辺で既に一隻を失っていて、マゼランの船団は残る二隻で、どれほど距離があるとも知れぬ太平洋横断へと乗り出す。はてしなく長い航海のさなかに、病気と飢えで船員の大半を失いながら、太平洋上の島々を点々とし、とうとう連れてきた、東南アジア出身のエンリケという通訳の奴隷がかたことの言葉が通じる島に来たとき、初めてマゼランたちが世界を一周してきたのだと歓呼する。その直後に島の住人たちとの衝突と、小規模な戦闘で、鋼の闘士だったマゼランはあっけなく命を落としてしまう。

「アメリゴ」の方は、アメリカという大陸名のもとになった人物の数奇な生涯と、アメリカを発見したわけでもない人物がなぜ、アメリカの由来になったかという歴史上の不思議を語っている。アメリゴ・ヴェスプッチは、その名義で出版した小冊子により、コロンブスでなく、彼こそがアメリカ大陸の発見者であると、長い間信じられていたそうである。歴史的には、彼は、航海をしたという証拠はなく、ただ、コロンブスの友人ではあったらしい。

これで、ツヴァイクの伝記文学のうち、みすず書房版の全集で読んでないのは、「メリー・スチュアート伝」(18巻)のみとなってしまった。参考までに、この全集に収められている、伝記の人物の一覧をつくってみました。

8巻『三人の巨匠』           ・バルザック
  付・モンテーニュ          ・ディケンズ
                      ・ドストエフスキー
                      ・モンテーニュ
9巻『デーモンとの闘争』       ・ヘルダーリン
                      ・クライスト
                      ・ニーチェ
10巻『三人の自伝』          ・カサノヴァ
                      ・スタンダール
                      ・トルストイ
11巻『ジョゼフ・フーシェ』       ・フーシェ
12巻『精神による治療』        ・メリー・ベッカー=エディ
                      ・メスメル
                      ・フロイト
13・14巻『マリー・アントワネット』   ・マリー・アントワネット
15巻『エラスムスの勝利と悲劇』   ・エラスムス
16巻『マゼラン』             ・マゼラン
                      ・アメリゴ・ヴェスプッチ
17巻『権力とたたかう良心』      ・カステリオン
18巻『メリー・スチュアート』       ・メリー・スチュアート

 この他、日本語訳されたもので、この全集に入っていない伝記としては、未完に終わった『バルザック伝』(早川書房)があります。
 『マリー・アントワネット』は、池田理代子が「ベルサイユのばら」をかくときに全面的に依拠した伝記で、あの漫画に出てくるエピソードの数々の出典を読めます。しかし、上の中で、一番精彩を欠いているような気もします。アントワネットは徹頭徹尾、普通人であったと語られているように、人物像が凡庸なせいもあるのでしょうが。

それでも、遠藤周作の『マリー・アントワネット』より格段に面白いのはたしかですが。

やはり、ツヴァイクの筆が冴えるのは、歴史上の偉人・天才を語らせたときです。同じフランス革命時代を舞台にしていても、『フーシェ伝』がはるかに面白いです。権謀術策に長けた政治的天才の肖像だからでしょうか。

 ツヴァイクは、今世紀の最良の伝記作家だと思います。ツヴァイクを読んでない方はぜひ一度その伝記文学の名著の数々を繙いてみてください。

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12月23日 芦辺拓『死体の冷めないうちに』(双葉社)

 だいぶ前にいただいたのに、読むのが遅くなってしまいました。で、感想を。
 帯に「誘拐/アリバイ/爆破/人間消失/暗殺」とあるとおり、ミステリの定番テーマを幅広くカバーし、生きのいいアイディアがそれぞれの作品に盛り込まれています。巻頭の「忘れられた誘拐」は、短篇にしておくのがもったいないくらい盛り沢山な内容で、長編の誘拐ミステリになる素材だと思いました。「仮想現実の暗殺者」は、こんな映像、技術的につくること可能かな?とちょっと思いました。「存在しない殺人鬼」と「最もアンフェアな密室」は、都合の悪い事実はもみ消そうとする日本の権力構造を痛烈に風刺した作品。「死体の冷めないうちに」は、アリバイをつくったつもりの犯人が、別のアリバイ工作とぶつかって、本来の犯行時刻ではない時間のアリバイ不在に苦しめられるという展開が秀逸です。「世にも切実な動機」は、ホワイダニットものですが、これは真相となる動機がすぐに見当がついてしまいました。どれも粒よりで、読みやすく、お勧めの短編集です。

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12月29日 シュテファン・ツヴァイク『メリー・スチュアート』古見日嘉訳・ツヴァイク全集18巻 ・みすず書房

ツヴァイクの伝記文学の中でも、『マリー・アントワネット』に次いで長い。それだけでなく、両書は、ともに処刑されることになる悲劇の女王を描いていて、姉妹関係にある。メリー・スチュアートとマリー・アントワネットの生涯はかなり類似性が大きいが、より劇的な生涯だったのはメリーの方だと思った。大英帝国の礎を築いた処女王エリザベス一世と、メリーは、義兄弟で近しい縁者でありながら、最大の敵にして生涯のライバル。隣国(イングランドとスコットランド)の女王であるだけでなく、女としても二人は相争う関係にあった。三度の結婚をし、戦場を馬で駆り、雄々しく勇ましい女王の生涯の伝記の八割は23歳から25歳までの二年間に費やされる。以降、王位を剥奪されエリザベスによって幽閉されて、死ぬまでの二十年ほどの歳月を囚人として過ごした時間は、メリーの生涯の影のようなもので、本書のスコットランド・イングランド戦争を描いた、この大部の書物の400頁あたりで、メリーの年齢がまだ25歳だったというのに、少々驚いた。メリーの人生にとって、最大の誤算であり失敗だったのは、二度目の自らの意志で選んだ結婚相手が、まったくの期待外れの使えない男・ダーンリだったこと。結局三番目の結婚相手となるボスウェルと企んで、ダーンリを抹殺するのであるが、このときの殺害計画への関与が証拠として残されて暴かれたことが、メリーにとっての最大のダメージとなった。
 これでみすず書房版のツヴァイク全集の伝記(8〜18巻)はぜんぶ読んでしまった。

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