読書録−−99年1月
1月3日 笠井潔『探偵小説論I・II』(東京創元社)
笠井潔の探偵小説論の新鮮な指摘の一つに、日本でも英米でも世界大戦の経験が探偵小説の興隆を招いたという点がある。第二次世界大戦によって探偵小説が禁圧された側面のみが強調されていたために、この観点は自明のようでいて新鮮であった。ただ、それでも、セイヤーズとバークリーの断筆に象徴される、英米でのミステリ・ムーブメントの1940年代の終焉については、どう分析するのか、いま一つよくわからない。戦争の記憶が風化したことだけでは、積極的な理由付けにならない。探偵小説の根拠を問う姿勢が欠けていたとすると、例外的にその根拠を問うていたバークリーが、働き盛りの年齢で突然書かなくなったことの解明にはなにかもう一段説明の過程が要る気がする。この点は本書を読みながら自分で考えたことなので、本書の論の展開に直接かかわってくることではない。探偵小説の評論書としては、画期的な意義深い著作の刊行に拍手を送りたい。
1月15日 西澤保彦『ナイフが町に降ってくる』(祥伝社ノンノベル)
昨年六作もの長篇を刊行した驚異のハイペース、西澤さんの、昨年の六番目の作品。
ただ一つしかありえない解決を、最後にもってこられたので、些か興ざめ気味。『麦酒の家の冒険』のときに若干不満だった、延々と机上の推論をする徹底ぶりを欠いて現場を実地調査にいってしまう要素は本書になく、登場人物は男女の二人だけ、舞台は町内から動かず、事件にふりまわされながらも、最初から最後まで推理しようとしていて、『麦酒』より徹底している点は評価できるのだが、いかんせん謎が奇抜すぎて、早い段階で解決がみえてしまいがちになる。この解決だったら、つまらないなあというところに着地している印象です。
160頁上段には文章の脱落あり。
1月16日 西澤保彦『念力密室!』(講談社ノベルス)
神麻嗣子シリーズの短編集。帯には「とことん密室にこだわった」とあるが、超能力者が出てきて、サイコキネシスで鍵を開けしめする世界なので、本来的な意味では全然密室ではない。ただ、なぜ、超能力者たちが、密室にする必要があったのか、というホワイダニットを追求する作品集。メフィストで既読のもあったが、粒揃いで楽しめる。最後の書き下ろし短篇はいま一つよくわからない。考えてみたが、この話は未来の予知夢で、保科さんは、将来、前妻の聡子とも、能解警部との間にも、女の子どもをつくり、それぞれ寿美子、久美子と名をつけているという状況を示していると理解したのだが、それでいいのか、いま一つ自信がない。あと、このシリーズのラストについて、あとがきでは、皆に見抜かれていると書かれているが、どういうラストを想定しているのだろう? 神麻嗣子が人間になるというラストかな?
1月21日 シュテファン・ツヴァイク『心の焦燥』(ツヴァイク全集6巻)みすず書房
大久保和郎訳・1974年5月20日初刊
(ネタバレというほどではありませんが、終盤までのあらすじが書かれています)
ツヴァイクのこの本は、図書館から借りたのだけれど、20年以上も所蔵されていて初めて借りだしたのが私だったらしい。全集の八巻以降の伝記の巻は、この二十年間に各巻、数十人の貸し出しスタンプが押されているから、ツヴァイクの著作は、伝記の方がよく読まれ、小説の方はあまり読まれていないらしいということになる。私も伝記以外の小説を読んだのは、これが初めてなのであるが、恋愛小説として、これは名作!
と言って間違いないところでしょう。
赤川次郎さんが岩波書店から出している『三毛猫ホームズの読書ノート』では、若い頃の読書遍歴で本書を取り上げ、もっとも感銘を受けた書物として、熱意をこめて語られています。赤川次郎さんの読書体験で、ミステリもよく読んでいるのは勿論ですが、普通文学の中で彼が特に愛読している作家は、グレアム・グリーン、トーマス・マン、シュテファン・ツヴァイクでしょう。
主人公は、ウィーンに駐留する、貧しい一士官。彼はふとしたことから、町の名家のパーティーに呼ばれ、そこで美しい娘を見つけて、ダンスに誘うが、その誘いがさっと周りの空気を硬化させる。彼女は、その名家の一人娘なのだが、幼い頃の事故で半身不随になり、松葉杖がないと歩けない障害者だった。主人公は、その後その家の家族たちとも親しくなり、家をよく訪問するようになる。障害者の娘は、彼に思いを寄せるようになり、何度か感情の行き交いがあった後、とうとう愛を告白するが、彼の方は、どうしても、身体的に障害がある彼女を愛することができない。彼は、娘から逃げようとするが、それは彼女を殺すようなものだと主治医に脅され、一旦はとどまろうとするが、とうとう町から逃げ出す。しかし、自分が治療して治せなかった盲目の女性と結婚しているその医者のさとしに感銘を受けて、旅先の地から、彼女あてに、愛をうけいれる電報を送る。しかし待てども、返事がこない。実は第一次大戦が勃発した日と重なり、彼の送った電報はついに届かなかったのであった……。
おっと、かなり最後まで粗筋を書いてしまいましたが、最後の方は涙ぐんでしまいました。悲恋ストーリーなのです。
1月24日 村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(上下)講談社文庫
村上春樹の長篇系列の中では、だいぶ間があいているが、本書は『羊をめぐる冒険』の直接的な続編を成す。前作で縊死をとげた羊男が、あちら側の世界から、「僕」に向かって、奇妙にもつれたからみあう不可解な現実について示唆を送ってよこす。今回は、殺人容疑で「僕」が警察で取り調べを受ける場面や、霊感で犯行を見抜いてしまう少女が出てくる分、犯罪捜査めいた要素も物語に加わっている。しかし、前作までより物語のバイタリティーが弱まっている気がして、主人公の行動動機が、はなはだ稀薄なのがその一因ではないかと思われる。もちろん、村上春樹の長篇として、他の追随を許さない、独特の語り口は健在であるが。
以前、「富野由悠季研究」という同人誌に「富野由悠季とヴァン・ダイン」という小文を書いたことがある。12作ある作品のうち、三作めと四作めが頂点で、後半六作は、著しく質が落ちるという点で両者が共通しているところに着目したものであった。実は村上春樹の作品群も、この両者と似た曲線を描いているのではないかという気がする。試みに、この三者を並べてみる。
ヴァン・ダイン 富野由悠季 村上春樹
(1)……ベンスン ザンボット3 風の歌を聴け
(2)……カナリア ダイターン3 1973年のピンボール
(3)……グリーン家
ガンダム 羊をめぐる冒険
(4)……僧正 イデオン 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
(5)……カブト虫 ザブングル ノルウェーの森
(6)……ケンネル
ダンバイン ダンス・ダンス・ダンス
(7)……ドラゴン エルガイム 国境の南、太陽の西
(8)……カジノ
Zガンダム ねじまき鳥クロニクル
(9)……ガーデン ガンダムZZ
(10) ……誘拐 逆襲のシャア
(11) ……グレーシー・アレン ガンダムF91
(12) ……ウィンター Vガンダム
村上春樹で私が読んでるのは上の(1)〜(6)の『ダンス・ダンス・ダンス』で、最高傑作はなんといっても(4)の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、ついで三作めの『羊をめぐる冒険』だと思うので、富野、ヴァン・ダインと似て、三作め四作めに頂点がきている作家だと思う。村上春樹の一番売れた作品は(5)の『ノルウェーの森』だけれど、これは村上長編の中では、例外的に、ファンタジー形式をとっていないことが、より広汎な読者層にアピールしたせいだと思う。『ノルウェー』も名作だと思うけど、比べれば(3)(4)の方が評価としては上。(1)〜(3)、(6)、(8)の「僕」は共通している主人公のようだが、『ノルウェーの森』は別の「僕」のはず。(4)と共通しているかは、よくわからない。
1月25日 瀬名秀明『BRAIN VALLEY』(上・下)(角川書店)
上下巻で八百頁を越える大著だが、読後感はいま一つぱっとしなかった。前半の専門用語が頻出する蘊蓄部分は、理解できないところも多かったが、物語の筋の中にうまく溶け込んでいない気がした。上巻では、あまりストーリーに動きがなく、下巻で盛り上がるかと思ったら、いま一つ盛り上がらず。ストーリーの輪郭がひどくあいまいでぼやけている印象。コンピューターの中での人口生命体という発想は井上夢人『パワー・オフ』に酷似しているけど、あの作品は参考文献にはあげられていなかった。鈴木光司『ループ』にも類似した発想が出てくるあたり、いまのSF小説の題材は、このあたりが一つの臨界点、集結点であるようだ。
1月26日 瀬名秀明監修『神に迫るサイエンス−BRAIN VALLEY研究序説−』(角川書店)
『ブレイン・ヴァレー』を読んだので、ついでにその副読本である本書も一読した。本書の143 頁に、野矢茂樹『心と他者』という本について、「霊長類学」という小論を寄稿している金沢創氏が、「私は、この本を読むことで、20年来の謎がとけた」と称揚しているのは、ちょっと驚いた。野矢さんというと、東大教養学部時代に同じサークルで、バカ話とかしてた人なのにねえ。いまや、東大助教授、偉くなったものです。今度自著の推薦文頼んでみようかしら。巻末論文で瀬名氏は、「臨死体験」の中で、立花隆の同名の著書を称揚はするのだが、いくつか問題点があると指摘し、その一つが、「臨死体験、体外離脱現象、生まれ変わり( 前世の記憶) 、至高体験などといった、本来は個別に研究すべきテーマを、割と安易に混交させてしまっていることである」(227頁) としているが、自身の『ブレイン・ヴァレー』も、そういったテーマが盛り沢山に混交されすぎているのが欠陥になっていると思う。臨死体験がらみのテーマに加えて、霊長類の言語獲得、人脳コンピュータと人工生命、UFOとエイリアン・アブダクション、てんかんと神秘体験、等々、盛り沢山すぎて、かえって焦点がぼやけてしまい、もうちょっと素材をしぼった方がよかったのではないかと思われる。
1月27日 北森鴻『冥府神(アヌビス)の産声』(光文社・カッパノベルズ)
脳死を最大のテーマとする医学ミステリー。いくつか不自然なところが気になった。
ラスト近くの浮浪者の集団が、悪役を脅すのは、いくら数が多くても、そんな力はもてないだろうと思ったし、話の鍵を握る、殺された医学部教授がもっていた実験データの紙が、警察には提出されず、死体の発見者が、血のついた服もろとも、ずっと自分で保管していて、本書の探偵役の医学ライターが訊ねにきたときにそれを渡すという展開は、いくらなんでも無理で不自然。警察が当然、被害者のなくなった上着の行方は追うはずである。あと、帝都大学というのは本郷三丁目近くにあり、明らかに東大をモデルにしているのだが、図書館での資料検索のしかたは、全然現実と違うし、リアリティがない。大体、東大の図書館には、学外の人間はすんなり入ることは許されないんだって。脳死について、結構重要な観点を提供している意味では、面白い。
1月27日 立花隆『脳を究める』(朝日新聞社)
ブレイン・ヴァレーの副読本でも、この本はよく言及され、脳科学の現状を知るのに最適の一書と推奨されていた。考えてみれば、『ブレイン・ヴァレー』は、立花隆の最近の主な仕事----『サル学の現在』『臨死体験』『脳を究める』----をテーマとして、理系研究者としての現場にいる知識とをドッキングさせてできたような作品である。現代の硯学・立花隆の労作の一つで、膨大な知識と取材に裏打ちされているだけに、読みごたえがある。専門用語がかなり駆使されるので、門外漢にはわかりづらいところも多いのだが。脳に関する科学は、広大な未知の大陸にようやく、ほんの少し橋頭堡を築けたところ、という現状を、てっとりばやく学ぶのにはよい本である。
1月29日 はやみねかおる『踊る夜光怪人』(講談社・青い鳥文庫)
1997年7月刊
はやみねかおるの本を読んだのはこれが初めて。よく似た題の津島誠司氏の某作よりはずっとできがよい。乱歩の少年ものがはやみね氏も大好きらしく、怪人対名探偵という図式をぬけぬけとやっている。以下、本書41〜42頁より引用。
「だいたい、昔から名探偵には、敵となる怪人や怪盗がいたわ。ホームズだって怪盗ルパンとたたかったし、明智小五郎っていえば怪人二十面相がペアでついてくるってくらい、有名なことじゃない。」
「亜衣ちゃん、真衣ちゃん、美衣ちゃん、いまが西暦何年か知ってる?……(中略)……そう、時代は二十一世紀をむかえようとしている。この時代に、怪人や怪盗があらわれると思うかい?」
でも、はやみね作品の中には、怪人が現れて、しっかり名探偵と対決するのであった。ただ、最後の「こうして川がきれいになりました」のくだりは、疑問あり。公害や環境破壊の問題は、こういう、人間の善意を期待するやりかたで解決されるとは思えないからだ。