読書録−−99年3月

3月2日 "STRUGGLE OF THE MAGICIANS"by WILLIAM PATRICK PATTERSON
ARETE COMMUNICATIONS,CANADA,1996

学生時代に洋書をたくさん買った西荻窪のプラサード書店にひさしぶりに行ったら、この本が置いてあったので、即決で買った。副題は"WHY USPENSKII LEFT GURDJIEFF"(なぜウスペンスキーがグルジェフから去ったか)であり、もう一つ副題に"EXPLORING THE TEACHER-STUDENT RELATIONSHIP"(師弟関係の探究)とある。推薦文をコリン・ウィルソンが寄せていて、「すばらしい本だ。私が知らなかったことがたくさんあり、グルジェフとウスペンスキーを理解するための大いなる貢献だ」とある。

  英文が割に簡明に書かれていることもあり、わりにすらすらと眼を通せた。序文で『奇蹟を求めて』(邦訳、平河出版社)を初めて読んだときの著者の率直な感想が記されている。その著書に感嘆すると同時に、こんな素晴らしい教えを伝えてくれたグルジェフとどうして、ウスペンスキーは袂をわかつことになったか、不思議に思ったことが、本書を書くにいたった執筆の契機になっているようだ。私の初読の際からその疑問はずっと感じていた。師と訣別するにいたった理由をウスペンスキーは明言していない。同様のことは、もう一人の忠実な弟子であり、高名な音楽家として、グルジェフワークの音楽部門を一手に担当したトマス・ド・ハルトマンの著書『グルジェフとともに』(邦訳、めるくまーる社)にも感じられる。ロシア革命の内戦の激しい戦火をかいくぐりながら、ハルトマン夫妻とグルジェフがロシアを脱出するまでの迫真のドキュメントである。しかし、最後にそっけなく、これ以降私たちはグルジェフと行動をともにしなくなった、とハルトマンは記している。両者ともグルジェフとの訣別の真相を明確に語っていないが、一時期は錚々たる大勢の有望な弟子をかかえながら、晩年はほとんどの弟子に見捨てられ、孤独になったグルジェフの謎に迫るのに、本書は格好の一冊である。

  著者のパターソンは、「公刊された書物のみから本書をまとめた」としているが、グルジェフライブラリーに残された記録を参照するなど、一般人にはアクセスできない資料も相当駆使している。グルジェフとウスペンスキーという注目すべき二巨人の生涯を追う評伝である。両者が出会ったのは1915年であり、決別は1919年に起こるから、実質両者が蜜月の師弟関係にあったのは正味三年とちょっとである。ウスペンスキーは二十歳の若さで『第四次元の探究』という本を出版しており、グルジェフと出会うころには、著作が英訳もされイギリスからも招かれ(そこでオレージに既に会っている)、地歩を築いた思想家、著作家であった。他方のグルジェフは、コーカサス地方の出身で、まったく無名である。その前半生は謎に包まれていて、自伝『注目すべき人々との出会い』(めるくまーる社)でも、探究の前半しか語られておらず、ウスペンスキーと出会うまでの後半は謎に包まれている。

  このパターソンの本は、グルジェフの弟子の中でも、ウスペンスキー以外にオレージとベネットに焦点をあてている。この二人の生涯はこれまでよく知らなかっただけに、その転変が興味深かった。オレージは元々、イギリスの神智学の会員で、ウスペンスキーと意見をかわしたりしていたが、ロシア革命後、イギリスに亡命してきたウスペンスキーに再会して、その知識体系に驚嘆し、自分より年少のウスペンスキーの弟子になる。その後、フランスで活動を再開したグルジェフに出会って、ウスペンスキーを捨てて、グルジェフに師事。プリウーレ時代は、グルジェフの一番弟子であり、代弁者、後継者であったが、ジェシー・ワイトというグルジェフを理解しない女性と再婚したときに、その結婚に反対していた師と訣別することになる。その訣別後わりにすぐ、61歳の若さで死去してしまう。アメリカのグループをリードしていたオレージは、毎月千ドルを師のもとに送金し続けるが、「もっとよこせ」の連発にとうとう忍耐をきらしてしまったらしい。

  ベネットは、最初は、コンスタンティノープルの難民キャンプでロシア革命を逃れてきた、グルジェフとウスペンスキーに会う。その後フランスのプリウーレに学院を開設したグルジェフのもとで、短期間学ぶが、訣別して以降は、イギリスのウスペンスキーに師事。ロンドンが空襲を受けるようになった第二次大戦中に、ウスペンスキーがアメリカに逃れた際に独立を宣言。弟子を集めて独自の活動をするが、終戦後ウスペンスキーがイギリスに戻ると、再びウスペンスキーに師事。1947年ウスペンスキーが没すると、フランスのグルジェフのもとに行き、再び弟子入り。グルジェフが没する1948年までの短い間は弟子の筆頭格になる。グルジェフが没して後、インドのシバ・プリ・ババに弟子入りしたり、インドネシアのスブドに弟子入りしたり、イドリース・シャーのスーフィ教団に弟子入りして、最後はカトリックの修道院に入っている。これだけ羅列しただけでも、転変多き生涯である。一体何回弟子入りしているんだ? 著作の数がグルジェフの弟子の中では最も多い。

  その他、ウスペンスキーを捨てて、グルジェフのもとに学んだウスペンスキー夫人、プリウーレの学院で死ぬまでグルジェフに仕えた小説家のキャサリン・マンスフィールド、ウスペンスキーが恋心を寄せ、ともにグルジェフに学びながらも実業家と結婚してしまうアンナ・ブツコフスキー、アメリカ軍に従軍して、終戦後パリで、既に死亡したと信じられていたグルジェフを発見するフリッツ・ピーターズ、等々、多士済々。実に興味深い読み物になっています。

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3月3日  アイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡2・3』
(厚木淳訳・創元推理文庫)

セルダンが確立した歴史心理学というのは、アメリカの特に心理学界で少し前まで支配的だった、ラプラスめいた夢想と合致している。アメリカの心理学の主流は、行動主義心理学から80年代には認知心理学にシフトしたが、どちらも学問的な実験的方法によって人間の心理も行動も完全に解明できるはずだというきわめて素朴な確信の上に成立している。

  2の後半から3の前半にかけてが、ミュール篇だったので、それで一巻にした方がまとまりがよいのに、と思った。予言者・乱歩先生も、変異種の清涼院流水の出現を予言できなかった。これが、笠井氏のいう、現在の本格ミステリ界のセルダン危機だろうか?

  一応ファウンデーションものは、一旦ここで完結し、だいぶ間をおいて再開しているようなのだけど、後半も読んだ方がいいかなぁ?

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3月4日 "ONE SEED MAKES THE WHOLE EARTH GREEN" by OSHO,REBEL,1989

 "The sea at springtime.All day it rises and falls,yes,rises and falls."

 本書73頁にBUSONの俳句として上の文が出てくるが、日本語の元の俳句がわかるだろうか? 「春の海 ひねもす のたり のたりかな」である。英語で俳句集を読むのは、なかなか奇妙な体験で、J.H.BLYTH が編んだ”HAIKU”(4vols.)を、英語で読むとかえって詩的に思えたり、意味がはっきりしたりするものだと、以前読んでいて思った。たいして内容がある本ではないが、ミーラの絵がそえられた装丁は美しい。私もこういう本をそのうち一回作ってもらいたいものである。

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3月7日 中島梓 『文学の輪郭』(ちくま文庫)

  笠井潔氏の評論書を読んだ後で、中島梓の評論書を読むと、分析のしかたや着眼点がかなり似通っていると感じられる。両者ともすぐれた小説家にして批評家で、世代は少し違うが、ほぼ同時期に探偵作家としてデビューし、SF・伝奇小説まで幅広い作風をもつという点で共通点は多い。

  このちくま文庫22頁には以下のような記述がある。「私たちはおそらく、自らを疑い、自らの神聖を疑い拒否する文字、思想に仕えるために自らの聖性を投げうっている文字に、内心ではうんざりしているのである」。ここの「文字」は「文学」の誤植ではないかと思うのだが、序盤の記述にはこういう「文字」という言葉が、「文学」を延々と論じている最中に頻出する。結構この論の読解に決定的にかかわってくる違いなので、誤植だとしたら、かなり重大である。

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3月7日 ジョージ・バーナード・ショー『デモクラシー万歳』(白水社『ショー名作集』所収)升本匡彦訳

  この間新宿南口の紀伊國屋書店に行ったときにショーの本を探したら、洋書コーナーに置いてあったのは『人と超人』『メトセラへ還れ』『ピグマリオン』『聖女ジョウン』の四冊だった。ショーには数十の長篇戯曲があるが、たしかに、上演回数からいっても、文芸評論上の評価からいっても、その四作が代表作になるだろう。あと『バーバラ少佐』『シーザーとクレオパトラ』『寡婦の家』といった作品は、戦前には日本語訳されたことがあり、上述の四作品に次ぐ位置を占めるだろう。

  この『デモクラシー万歳』は、ショー73歳、割に晩年に書かれた政治劇である。近未来の英国が舞台で、王制を敷いている国はもうヨーロッパには英国しか残っていない。アメリカが、イギリスを自国に併合しようとし、首相一派は王制の廃止をもくろんでいる。その状況に果敢に立ち向かおうとするマグナス王が主人公である。寓意と風刺は効いているが、ショーの真骨頂である、思想劇にならず、形而下で話が進むので、いま一つ物足りない読後感である。

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3月15日  北川歩美『金のゆりかご』(集英社)1998年

  北川歩美は、東大卒らしいが、受験勉強のために純粋培養された、試験エリートたちの独特の窒息感、閉塞感みたいなものが、本書では気分としてよく表現されている。一卵性双生児を、違う条件下で学習させて、到達度を比較測定するというのは、実際東大教育学部で、付属中学などで実験として行なわれているのだ。そのために、その受験は、一般的には合格水準が高いのに、双子のときはフリーパスで通るという仕組になっている。その学校に見学に行ったときは、双子がうじゃうじゃいて、なにか気持ちわるかったのを覚えている。

  乳幼児期に、脳に刺激を与えることで人為的に天才をつくりだそうとする近松教授と、その実験台にされた子どもたちの運命と悲劇を描く。

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3月21日 辻真先『宇宙戦艦富獄殺人事件』(徳間文庫)

  1980年代の初めの作品なので、「ヤマト」が大ブームになった後、「ガンダム」で全国のアニメファンが大きな盛り上がりを見せようとしていた時代が舞台である。神戸の六甲大学でのアニメ研が舞台で、そこのサークルの自主制作アニメが「宇宙戦艦富獄」という。ロースンの『帽子から飛び出した死』で、意外な犯人として残されているのは、読者を犯人にすることと、出版者を犯人にすることくらいであるという一節は印象に残っている。

  その本を読んだ中学生当時、読者を犯人にするとは、どういう形式の小説になるだろう、とあれこれ夢想したりしたものだ。例えばロブ=グリエの小説にあるような二人称形式の小説にして、作中の「あなた」を犯人にする、というのが当時思いついたことだが、辻真先の初期ミステリ作品は、何作もこの「読者=犯人」に挑戦していて、しかも二人称の犯人という形式とは異なっている。『仮題・中学殺人事件』からこの『富獄』にいたるまで、そのロースンの提言と、『シンデレラの罠』の煽り文句を基点にして、辻真先はさまざまな実験を試みている。今日はやりのメタフィクション、内輪ネタ小説の先駆的な作品である。

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3月25日 『'99本格ミステリ・ベスト10』(東京創元社)

早い人のところには、先週の土曜日に届いていたというのに、うちにはようやく今日来た。「まだ来ないけど、どうなっているか」と二回電話したのでようやく送ってくれたらしいが、私はこの本に「ベスト5」と「近況」と「海外翻訳ミステリについて」と三本も短文を書いているんだぞ。東京創元社の事務業務は一体どうなっているのだろう。で、レイアウトは、去年よりほんの少し改善されているけど、あまり見栄えがよくないのは相変わらず。出る時期も、原稿依頼時には二月中に刊行すると言っていたのに、去年なみにしっかり遅れてるし。

  私があげたベスト5は、五位の『Jの神話』以外はみなベスト10入りしている。今年はずいぶん穏当なところを選んでしまったようである。ベスト10入りした作品のうち、『邪馬台国』だけは、そんな高得点とるような作品でないと思うが。

 61頁下段、千街晶之氏が、西澤保彦の『ストレート・チェイサー』を「非SF系本格」と呼んでいる。姿が見えなくなる眼鏡が出てくる話なので、「SF系本格」だと思うが、何を勘違いしているのだろう?

  105頁、森博嗣さんのコメント。「(この原稿が)誤植なしに掲載される可能性は低いでしょう」。たぶん以前の東京創元社の刊行物に寄せたコメントに、かなり誤植が含まれていたのであろう。

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