読書録/99年5月

5月1日  西澤保彦『黄金色の祈り』(文藝春秋社)

 自分の実体験をかなり基にした(と思われる)自伝的ミステリ。語り手が中学生のときから話が始まり、結末ではおよそ四十歳になっているから、ニ十年以上にわたる長い時間幅の作品である。後半、作家になった主人公が、自作の選評が「レベルがちがいすぎる」と評されてがっくりするくだりがあるけれども、西澤作品の『七回死んだ男』が推理作家協会賞の候補になったときに、そういう選評があったのを記憶しているから、そのあたりも事実をもとにしているので、他のアメリカ留学のくだりなども、かなりノンフィクションなのでは、と思わせる。

  読んでいて、自意識とコンプレックスにまみれた語り手に共感して、胸がちくちくとうずいた。特に、アメリカで、好きだったローラという女性と、初夜を経験するくだりなど。暗くやるせない結末だが、手応えのある力作である。細かいことだけど、「ジュブナイル」をずっと「ジョブナイル」と書いてるなあ。

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5月3日 笠井潔『物語の世紀末 エンターテインメント批評宣言』(集英社)

まず、目次を見回して気づくのは、作者の文学シーンに対する目配りの広さ、そして、選択書を選ぶ鑑識眼のたしかさ。その月々で新刊を一冊取り上げて論じているようでいながら、たしかにここにあげられた書目の七割ほどは、現在にいたるまでの、その著者の代表作といってよいものになっている。漢字二文字の二語の組み合わせから成る章題もきわめてシンメトリカルというかシステマティックというか。重複する語も使っていないのかとよく見たら「消滅」「全体」「形式」という言葉は、二回出てくることがわかった。

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5月3日 グラハム・ハンコック『神々の指紋』(大地舜・訳)小学館文庫(上下巻)

  話題作の文庫化。人類の文明の歴史は、主流学問の世界では、紀元前4000年〜4500年までにおさめようとしているのだが、古代史を見ていくと、実はかなり無理があることがわかる。特にエジプト史とインド史をみていくと、到底紀元前4000年程度の中にすべての文明史をおさめようとするとあまりに無理が大きい。これはおそらく、旧約聖書を奉じる一派が根強くいて、聖書に書いてある日数を足していくと、紀元前3000年くらいまでしか遡れないので、人類の歴史をその枠内に無理におさめようとしているためだと思う。というわけで、前々から、文明の歴史は一万年や二万年は遡れるだろうという感想を前々から抱いていたので、その裏付けとなることをいろいろ述べていてもそんなに新鮮味はなく、ごく当たり前のことを言っていると思った。それでも、一読の価値はある本である。

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5月14日  都筑道夫『キリオン・スレイの復活と死』(角川文庫)

自称詩人の、あやしげな日本語をあやつるキリオン・スレイが探偵役をつとめる第二短編集。どうみてもキリオンは、アメリカ人に見えない。外国人の仮面をかぶった落語家ではないかという気がする。「なるほど犯人はおれだ」とか「密室大安売り」といった短編の題名が趣向を端的に表している。解決篇まで読むと肩すかしをくらわされたような気になるのも多いけれど、全部一定水準以上の面白さはある。

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5月15日 アンリ・バルビュス『地獄』 田辺貞之助訳・岩波文庫
1988年12月5日第33刷(初版1954年9月5日)

コリン・ウィルソンの名著『アウトサイダー』は、冒頭が本書、バルビュス『地獄』の引用と分析から始まる。読んでみると、なるほど『アウトサイダー』のテーマにふさわしい内容である。みじめな現実と、垣間見られる天上的な至福の瞬間が、覗き穴を通してホテルの隣りの部屋を覗く男の現状に、象徴的に対応するからである。『アウトサイダー』の引用と紹介からは、覗き見する男の情痴小説かと思ったが、主人公は思索的な青年で、彼の覗く隣室は情事がおこなわれていたりもするが、司祭と老人、人生の意味を考える男女だったり、さまざまな人生模様が繰広げられる。

  そのエピソードの集積の中で、一番興味をひかれたのは、老作家が若い頃に夭折した恋人を懐古する話。まだ作家ではなかった若者は恋人をたたえる詩文をつづり、死んだ恋人の墓に自分の原稿も埋葬する。老いて想が枯れかけた彼にとって、そのとき恋人とともに埋葬した詩文は、自分が書いた生涯最良の文章である気がしてならず、思い出そうとしても復元できないもどかしさに、とうとう彼はかつての自分の原稿を取り戻すために、死んだ恋人の墓をあばきに行く。そうまでして取り戻した自分の若い頃の原稿は結局稚拙で、使いものにならない代物であったことに老作家は愕然とする。

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5月22日  シュテファン・ツヴァイク『アモク』(ツヴァイク全集第一巻・みすず書房)
渡辺健他訳

ツヴァイクの初期短編を集めた一冊。大体が、人妻か若い女性の不倫か情事を主題とする。「女と風景」「ある夏のできごと」「薄暮の物語」は、感情の素描家を辞任するつツヴァイクらしい、散文詩的な情熱と恋愛感情の描写。「女家庭教師」と「燃える秘密」は、前者は女の子、後者は男の子を視点とし、母の不倫を知って苦悩する子どもを描く。「アモク」は集中一番の力作で、熱帯の地で、夫に内密に中絶手術をしてくれるよう頼まれて困惑する医師が語り手である。

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