読書録/99年6月
6月2日 山田正紀『謀殺のチェスゲーム』(ハルキ文庫)
西澤保彦さんの解説があまりに熱っぽく本書を称揚しているものだから、思わず買ってすぐ読んでしまった。親の仇の組長を狙撃した少年と暴力団、戦略家、戦闘員たち三重、四重の戦いが、一つのストーリーの中に渾然一体となっている。「女囮捜査官」を読んだときもそうだったけど、山田正紀の小説は、発端から途中の過程はどれも面白く、次々と頁を繰らせるのだけれど、最後までくると、なぜかカタルシスというより、脱力を感じてしまうことが多い。中途の面白さに比して、なぜか結末の爽快感は少ないという不思議な印象があり、本書も読後感はそういう感じであった。
6月3日 二階堂黎人『名探偵の肖像』(講談社ノベルス)
新刊が七冊も出て、今月も元気いっぱいな講談社ノベルスの新刊。
二階堂氏の短編集は、蘭子、水野サトル、ボクちゃん探偵ものの三シリーズキャラで今まで四冊刊行されていて、この五冊めの短編集は、どれにも属さないノンシリーズものの短編を集めたもの。といっても、カー、ルブラン、鮎川哲也の贋作が収められ、芦辺拓氏とのカー対談、カー邦訳全作品レビューが収められ、先行作家への模倣とオマージュが中心。SFの「ネクロポリスの男」だけは、コンセプトが違う作品なので、別集にまわした方が収まりがよかったの思うのだけど。
6月4日 宮部みゆき『返事はいわない』(新潮文庫)
宮部みゆきの短編集。どれも大体犯罪を扱っているのに、なぜかほのぼのとした味わいである。「私はついてない」で、姉が競馬で二カ月で50万円も借金をつくった、と驚くところがあるけれども、二カ月競馬に通いつめてつくった借金の額としては、むしろ低めな気がする。六つの短編の中で、一番アイデアの冴えを感じたのは、冒頭の「返事はいらない」、キャッシュカードを偽造して、金を引き出そうとする犯人が、適当に設定した暗証番号の中で、一つだけ一致していた、その背後には、ある心暖まる事情が──
6月5日 コリン・ウィルソン『世界大犯罪劇場』(松浦俊輔他・訳)青土社
厚い本だけれど、内容はうすかった。コリン・ウィルソン著と書いてあるのに、第一部はイアン・ショット、第三部はエド・シェッドが書き、他もコリン・ウィルソンと息子のデイモン、ローワンとの共同執筆となっていて、コリン・ウィルソンが書いているのは、全体の四分の一もないのではないか。内容も薄い。というのも、第四部の「スキャンダル」の項目で「でぶのアーバックル」とかジョード教授の話は、前に読んだ『世界醜聞劇場』(青土社)と内容がほぼ同じものが載ってたりするからなあ。「いんちき作家」の項目では三人が取り上げられている。『静かなドン』が盗作だったらしいショーロホフ、『第三の眼』をでっちあげた自称チベット人で実はイギリス人だったロブサン・ランパ、ドン・ファンをでっちあげたカスタネダである。トロイの遺跡を発掘したシュリーマンは、たしかに遺跡を見つけはしたけれど、そこで発見したという宝物は、実は彼がもちこんだ偽物であったらしい。
6月18日 笠井潔『スキー的思考』(光文社)
スキーを私はしたことはないし、興味ももっていないので、この本は買ってもなんとなく読まずにきたが、ちょっと頁を繰ってみると、巻措くあたわざる面白さでした。といっても、スキーの技術論や滑り方を論じている後半部分は、興味がないし、何を言っているかわからない箇所が多いので、とばし読み。しかし、前半は、ほとんど笠井自身の半生記というか、自伝ではないですか。その思想的遍歴の記述が、革命⇒登山⇒スキーと移ってきた興味の重心移動を、説得的に説明している。
かつて見田宗介は、思想家を大きく「翼派」と「根づき派」に大別したが、笠井の著作で見ると、『哲学者の密室』は、「翼派」から「根づき派」への転向表明であると受け取れ、『スキー』はその理論的な説明の書と受け取れる。その証拠に、本書の末尾で共感的に引用されるのは、「根づき派」の代表的思想家、シモーヌ・ヴェーユである。スキーは重力という必然に身を委ねながらも、最高度の技術によってスピードを追求するスポーツである。そこにみいだされる思想的意義とは、結局のところ、ニーチェが『悦ばしき知恵』で述べている、「自由とは必然と対立するものではなく、むしろ必然を享受することである」という洞察である印象をもった。
6月18日 中沢新一『はじまりのレーニン』(岩波書店・同時代ライブラリー)
『チベットのモーツァルト』や『東方的思考』『虹の階梯』等で、東洋思想を現代思想的に紹介し取り込むという仕事をやってきた中沢が、ロシア革命の指導者・レーニンを扱った本書は、その題名からして、一見水と油に思える。東洋の、霊的な宗教と、マルクス主義的な唯物論にどのような橋渡しが可能かと思えば、レーニンを霊的な神秘主義者、レーニンの党をグノーシス的な霊性復興運動の党派と読み替えるという作業がその背後にあった。ヘーゲル経由のヤコブ・ベーメのレーニンに与えた影響を論じているくだりは面白いが、反対者に容赦なく死刑を下したレーニンの残酷な側面があまり取り上げられてないので、レーニン理解の書としては片手落ちな印象である。
6月18日 法月綸太郎『法月綸太郎の新冒険』(講談社ノベルス)
長い時間をかけてじっくりと書き込まれた作品群だけに、どれも本格推理の中編として水準が高い。「現場から生中継」に用いられるアリバイトリックなど、鮎川哲也御大の「早春に死す」とか「二ノ宮心中」等に匹敵する、難攻不落のアリバイ工作だと感心した。ただ、どの作品も、人物配置が揃った時点で、なぜか犯人が大体見当がつくので、どんでん返しのやりかたも大体見えてしまう。登場人物が少ないせいもあるのだけれど、連城三紀彦の作品群とよく似たひねりかたや落とし方を多用しているせいでもある。
6月19日 芦辺拓『歴史街道殺人事件』(徳間文庫)
この本は読んでなかったので、文庫化されたものをいただいて初読いたしました。
メインのトリックが、これはすぐれものである!と感心しました。長篇を単独で支えられるトリックというのは滅多にないものですが、この作品の中核になっているそれは、支えるに足るものだと思いました。島田荘司さんの初期作品とか、中西智明『消失!』とか、現代本格の作品でも、このクラスのトリックを有している作品って、ごく一握りしかないものです。単純かつ大胆な趣向だけに先例がないのかなあ?
とも考えましたが、思いあたりません。横溝正史の作品のどれかに、これと共通性のある推理が出てきたことはあったような気がしますが。
ただ、趣向が盛り沢山すぎる分、この芦辺氏の作品、不可能興味への焦点がややしぼれてない印象もあって、そこがちょっと惜しい気が。
6月22日 歌野晶午『放浪探偵と七つの殺人』(講談社ノベルス)
放浪探偵・信濃穣二の活躍する短編集。去年の『ブードゥー・チャイルド』に関する書評で、「島田荘司の弟子らしい」などと書かれているものを見かけたけれど、あの作品は、私の読後感では、全然島田荘司(風)の作風とは別系統という気がした。でもこの短編集の中の「阿闍梨天空死譚」や「W=mgh」は、島田スクールの作品という気がする、物理トリックな作品。袋とじになっている結末の中で、犯人当てを標榜している「有罪としての不在」。まじめに犯人を考えてから、巻末の解決篇を見たら「こんなの解けるわけないじゃん」と、ちょっと不満を覚えてしまった。
6月22日 井上夢人『風が吹いたら桶屋がもうかる』(集英社)
「岡嶋二人盛衰記・おかしな二人」によれば、井上は飽きっぽい性格なので、あまり同じシリーズキャラクターを書き続けることを好まなかったという。そのかわり(というわけでもないのかもしれないが)、シリーズ物を書くときには、徹底的に型をつくってみせるようなところがある。岡嶋時代の山本山シリーズがその一例だけれど、連作短編集である本書は、さらに徹底的に同じパターンの短篇が七つならんで、ある意味、歌舞伎の舞台を見ているようである。役に立たない超能力をやっているヨーノスケ、その超能力を聞き知って、変な依頼に訪れる若い女性の依頼人、依頼人から情報を聞き出して一見論理的な推理を組み立てるイッカク、そして肩すかしな真相、毎回読んでいる文庫本の推理小説にイッカクが必ず文句をつけるところまで型通りである。名人芸の披露されたハイレベルな作品集である。
6月22日 井上夢人『もつれっぱなし』(文藝春秋社)
男女二人の会話だけなら成る連作短編集。さらっと簡単に書いているように見えてほんとうに上手い。『風が吹いたら桶屋がもうかる』との共通テーマは、自動進行してどんどん逸脱していく論理の自乗性。宇宙人・幽霊・狼男・未来からの電話・呪いによる殺害等々。突拍子もないものを信じさせるために繰り出される、根拠・推論・詭弁の数々。
6月29日 浅田次郎『鉄道員』(集英社)
浅田次郎版『クリスマス・キャロル』ですね。実際、クリスマス・ストーリーが一編含まれるし、幽霊が出てくる短篇も一つならずあったりする。映画も見に行ってきたのですよ。割に原作に忠実で、広末涼子も好演で、いい映画でした。原作同様、映画も最後はやはり泣けてしまうのですよ。