読書録/99年7月

7月9日 ゲオルグ・フォイアスティン『聖なる狂気 グルの現象学』小杉円了訳・春秋社

  アサジョーリの本を二冊刊行してくれたし、自分としては、最近、春秋社のポイントが高い。『リトル・トリー』でベストセラーを出す以前のめるくまーる社のような、良心的な本の刊行を今後も期待したい。

  で、本書。日本の禅宗の紹介で、「東京発の電車をとめよ」と禅の老師から公案を出された修行者が、解答を出せずにずっと悩み、とうとう東京発の電車に飛び込み自殺して、電車を止めたという逸話が紹介されている。そんなことあったなんて、日本に住む私でさえ初耳だぞ〜〜。なんかこんなふうな逸話が、欧米でよく流通している様子にはなにかギャップを覚える。元をたとれば、鈴木大拙の英語による禅講話あたりが起源なのだろうが、鈴木の本を読むと、日本の文化に禅が根づいていて、子どもも皆禅の教えを授かる国=日本みたいなイメージが出来上がるのよね。英語から日本語に逆翻訳された『禅と日本文化』『続・禅と日本文化』(岩波新書)あたりは欧米の禅理解にとって基礎的な書物となった名著なんで、未読の方は、ぜひ一読をお勧めします。

 この著者は、社会学的・社会心理学的に、現代のグル・ムーブメントに迫るのであるが、なかなか中立的で冷静で、控えめな判断を下していて、かなり信頼がおける評価を下している。自身、グルのもとで数年間学んだと序章で触れているが、その師というのは、特別に一章を割いているダー・ラヴ・アーナンダのことなのであろう。 割に簡単ながらも、メヘール・バーバ、グルジェフ、クロウリーに触れているあたりが興味深かった。

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7月19日 倉阪鬼一郎『死の影』(廣済堂文庫)

  井上雅彦篇の『異形コレクション』を読んでいて、自分にとって新発見になった作家というと、特に、津原泰水さんと倉阪鬼一郎さん。文庫書き下ろしの本書が、倉阪長篇の初体験。ホラー長篇として上質の仕上がり。

  一番恐怖感が高まったのは、ページにして100頁の前後だったか。多視点で進む物語のうち、夏木エリカの視点になる箇所だけ、読んでいて、ちょっと物語世界から浮く感じがしていた。ところがそれが……。

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7月22日 荒俣宏『帝都物語外伝・機関童子』(角川文庫)

全12巻で完結した『帝都物語』の外伝。全篇の主人公の魔人・加藤憲昭は、どうして「加藤」などと平凡な名字をもっているのだろうと思ってしまう。昭和の時代に書かれた「帝都物語」は未来篇で昭和が延々と続いて21世紀がはじまるあたりまで時代がいったかと思うが、その後の時世の変化(元号も変わった)と、1995年の不吉な事件(阪神大震災とオウム事件)を取り入れた、外伝。「帝都物語」が作中で書物として出てくるので、これも一種のメタフィクションの技法を使った作品である。

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7月24日  多島斗志之『龍の議定書(プロトコル)』(講談社文庫)

   文庫の背表紙の紹介文には、「国際政経サスペンス」とあり「国際謀略スリラー」とジャンルで分類されていたりする、本書。それも間違いではないけれど、中国革命の父・孫文の生涯の謎に迫る歴史ミステリでもある。イギリス在住時に孫文の身におきた、当時の清朝政府の手によるとされる監禁・誘拐事件。異端の歴史学者が、その事件が自作自演の狂言ではないかと疑問をなげかける。調べていくと、背後で糸を引いていたのが、イギリス政府ないしフリーメイソンではないかと思われてくる。おりしも、中国革命の何十年めかの記念式典にむけて中国と台湾の和睦にむけて、孫文を大々的にキャンペーンをすすめていた日本政府の関係者と政商は、この説が明るみに出ると、中台合作が水泡に帰することを知り、闇に葬ろうとするが、さらに孫文の死にまつわる重大な事実が隠されていた……。

南方熊楠と孫文がロンドンで交流があったとは知らなかった。終章でどんでん返しがきれいにきまる、歴史ミステリのすぐれた作品である。

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7月28日  クライヴ・バーカー『ミッドナイト・ミートトレイン(血の本I)』宮脇孝雄訳
集英社文庫

  最近出た「この文庫がすごい'99」(宝島社)のホラーの項目を読んでいたら、「やっぱりキングとバーカーだ」と書いてある。で、あまり読んでいないバーカーでもちょっと読んでみようかと思った次第。

  この『血の本』はなんと、バーカーのデビュー作で、書き下ろしの六冊にわたる短篇集なんですね。一冊めの「丘に、町が」は、『有栖の乱読』には、その奇想に驚いたというようなことが書かれていましたが、なんかギャグというか、思いつきそうではある極端な発想というか。キングに比べると、ちょっと品位が落ち、よりえげつない感じの短編集でした。

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7月30日  ロベルト・アサジョーリ著『サイコシンセシス』(国谷誠朗・平松園枝訳)春秋社(サイコシンセシス叢書第四巻)

  イタリアの心理学者・精神分析医アサジョーリの主著の全訳。日本語に訳されたものとしては、同じ叢書の『意志のはたらき』についで二冊めとなる。フロイトの有望な弟子は、ユング、オットー・ランク、A.アドラーと、ことごとくある時期より師と袂をわかったが、アサジョーリもイタリア出身で、一応フロイトのもとに学び、後に袂をわかった一人といえる。今世紀の精神分析・心理学の系譜で、人間に対して暗く悲観的な見方をしている系譜(フロイト、ライヒ、R.D.レイン)に比べて、楽観派(ユング、アサジョーリ、フロム、マズロー)はやや浅薄で皮相的な印象が拭えない。アサジョーリの要点は、精神分析が人間精神を分析し細分化するので、それをもう一度再統合しようというものである。それが精神統合(サイコシンセシス)というわけだ。やはり、フロイトという巨人の業績に依拠したものとは言えるけれども、フロイトの理論を補完する上で、アサジョーリは重要である。心理療法としては、「私は知性ではない」「私は感情ではない」という、「脱同一化」の技法が詳述されている。アサジョーリの論では、「私」の中心にあるのは、「意志」であり「意志のはたらき」であるらしい。この中心の自己(セルフ)を発見することが、自己統合への道らしい。

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7月31日  マイク・レズニック『キリンヤガ (内田昌之訳・ハヤカワ文庫)

  18世紀にルソーが「自然に還れ」と説いた論に対して、ヴォルテールとか、各方面から反論をうけて、ルソーのその論が論破されてしまったのは二百年以上も前のことなのに、この作品の主人公のコリバって素朴なルソー主義者ですね。レヴィ・ストロースやマリノフスキーの文化人類学の仕事を通してわかることは、文明否定論、原初的な自然礼賛は、極度に尖鋭化したヨーロッパ的観念、それも倒錯した観念ということであって、決していわゆる未開の文明人がもつ考えではないということでした。本書の主人公のコリバは、倒錯して肥大したヨーロッパ的観念主義者で、ユートピアを築こうとして、自明な帰結である破綻にいたる。思考実験の書としては、非常に物足りない気がして、古くてとっくに破綻しているルソー主義などによらず、今世紀の文化人類学とか、諸々の思想風潮とかも参照してほしかった気がした。

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7月31日 瀬戸川猛資『夢想の研究』(創元推理文庫)

 いくつか、新鮮な指摘がある。たとえば、 
・ガイア理論はポオが先取りしている。
・「市民ケーン」はクイーンの「Xの悲劇」をベースにしている。
 ・「僧正殺人事件」の教授像はアインシュタインがモデルである。

 「わらの犬」の出典とか、夏目漱石とバー「放心家組合」の関係とか、マッケンとの同時代性とか、知識として新鮮なところも多々。

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7月31日  小松左京『石』(出版芸術社・ふしぎ文学館)

モダンホラーの観点から編まれた小松左京の短篇傑作集。これを読むと、小松短篇の大半が、今日いうホラーのジャンルに含まれるものに思えてくるけど、やはりSFとホラーというのは、重なる部分が大きいのだろうか。視点人物がショッキングな死を迎える結末のものが結構多い。「秘密」とか「石」とか「黄色い泉」とか「くだんのはは」とか「保護鳥」「ハイネックの女」、いずれもショッキングで怖い短篇ぞろいである。最後の「牛の首」は、語られないものがもっともこわいという、メタなショートショート。

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