読書録/99年8月
8月9日 佐野洋『推理日記II』『推理日記III』(講談社文庫)
講談社文庫の「推理日記」は現在品切れ中らしい。1巻めと4巻めをもって読んでいたが、肝心の都筑道夫との名探偵論争がのっている2巻を探していたら、たまたま古本屋で3巻までの揃いを見つけたので買った次第。森雅裕の『推理小説常習犯』(ゴマブックス)で出ていた、ある推理評論に対する怒りというのは、たぶんこの「推理日記」のことだと思われるのだけれど、森氏の要約(パラフレーズ?)と実情はかなり違うなあという印象。3巻初めの方と、四巻の森氏の乱歩賞受賞作に対する評価のところが当該箇所と思われるのだけれど。
8月13日 津原泰水『蘆屋家の崩壊』(集英社)
津原氏の小説制作はたぶん細密画を描きあげる画匠のように、細部を充実させていく書き方をしているように思われるので、どちらかというと短編の方が本領ではなかろうか。ある連想と結びつきを端緒に、数珠のように繰り出される珍奇なイメージの連打、という感じで、独特の文体はやはり魅せるものが。食べ物には相当こだわる人なんですね。豆腐やら蟹料理やら、美味しそう。
8月13日 井狩春男『ベストセラーの方程式』(ちくま文庫)
ベストセラーとなる本を書くためにはどうしたらよいかを学ぼうと読んだわけではないのだけれど、本を売る現場からの視点で書かれたエッセー集で、いろいろためになるところはある。若者の活字離れというのは嘘だとあっさり断定しているが、60〜70年代には厳然とあった、教養のヒエラルキーの(ような)価値観が崩壊して、今はどのジャンルの本も、価値的には横一線であるという指摘は、かなり正しい気がした。あとがきでは「身近/明るい/短い(どこからでも)/すべて(包含的)/ユニーク(初めて)」の五点がベストセラーの要素であるとまとめている。時代差を少し感じるのは、井狩理論でいうと、京極夏彦の本などは決してベストセラーにならないはずだということ。難読漢字を使った題名は売れないと言い切っているし、分厚くて、易しくはない本だからなあ。
8月13日 ウォルト・ホイットマン『草の葉』(上中下)鍋島能弘・酒本雅之訳(岩波文庫)
アメリカは歴史が若いせいか、独自の精神的な価値をもつ文化の創出では、ヨーロッパにいろいろな面で遅れをとっていると思われる。哲学にしろ文学にしろ、それが成育するために必要な歴史的な背景というものが、アメリカには欠けているせいかもしれない。とはいえ、ホイットマンのこの詩集は、アメリカ独自のスピリチュアルな詩文学を確立した、画期的な業績というべきだろう。最初の方におさめられた「大道の歌」は、有名なホイットマンの若々しい生の讃歌。南北戦争に遭遇して、悩みと矛盾に直面しながらも、「軍靴の歌」などでアメリカの兵士を讃える歌をつくり、生と死の両方を自分の中に取り込もうとする。老いてからは「インドへ渡ろう」といった東洋賛美の詩をつくるようになる。
集中の「天上の死のささやき」から一篇引用──
深く考え、ためらいながら、
「死者」なる言葉をわたしはしるす、
なぜなら「死者」こそ生きているから、
(たぶん生きている唯一の者、唯一の実在、
そしてわたしは幻影、わたしは亡霊) (岩波文庫、下巻、182-3頁)
8月21日
"THE VOICE OF THE MASTER" by
Kahlil Gibran,(大師の御声)tr.
by Anthony R.Ferris,Citadel Press
20世紀で最大の文章家は誰か? などという問いには、普通簡単に回答できるわけがないが、私としては、カリール・ジブランだろうと思っている。ジブランの文章を原語で読めるアラビア語圏の人は幸せである。
アラビア語が読めず、邦訳もほとんどないジブランの本に接するには、英語によるしかないわけだが、ジブラン自身の英語著作は、著名な『預言者』以下九作を数える。私はその九作はひと通り全部目を通しているが、アラビア語の著作も大半が英訳されている。一部ジブラン自身の英語著作とかさなっているところが目につくが、重複した話で比べてみれば、ジブラン自身の英語の方が、言葉の響きがよくなるように意味を適宜改変しているだけあって、アラビア語からの翻訳のよりはるかにすぐれている。
そうは言っても、このフェリスという人はかなり優秀な翻訳者だと思う。英訳は格調高い名文で、ジブランの名文の味がかなりよく伝えられていると思う。
本書は、アラビア語著作の一つ。二部構成で、一部の前半は、マスターがかつてヴェネツィアに留学したときから、つきまとう幻の女性像を語る。一部の後半はマスターの死
を描く。
第二部は、マスターが残した言葉や教えを弟子が語るという形式。といっても、『預言者』のような教説色はうすく、比喩と象徴を多用したジブラン得意の散文詩である。
8月22日 KAHLIL GIBRAN "NYMPHS
OF THE VALLEY"(谷の妖精たち)
tr. by H.M.NAHMAD,PUB;KNOPF.
ジブランの母国語のアラビア語で書かれた、24歳のときに刊行された実質的な処女作品集。(これ以前にも短い短文や小冊子の刊行物はあるようだが)。1948年に英訳された刊を一読。三つの短篇から成る。一つめは「MARTHA(マーサ)」。レバノンの貧しくも美しい女性マーサの人生を素朴な筆致で描く。二つめは"DUST OF THE ASHES AND THE ETERNAL FIRE"。シリアの古代都市、バールベックを舞台に、紀元前116年と紀元後1890年の二部構成で、時空を超えた男女の出会いを描く。三つめは"YUHANNA THE MAD"。朴訥とした羊飼いに、天使(?)かキリストの霊が宿り、神の愛を語り始める。村人から狂人扱いされ、迫害されるお話。割にさらっとした話で、もう少し後の傑作群と比べると、粘りの少ない筆致でやや物足りない気もするが、英訳者の力量の限界かもしれない。
8月23日 林語堂『マダムD』佐藤亮一訳・現代出版・1985年7月初刊
今世紀の中国の最大の文人というと、知名度から言って魯迅ということになりそうだが、それよりもやはり林語堂の方が大きいと思う。以下、広辞苑第四版より、林語堂の項目をコピー。
(Lin Yu-tang) 中国の文学者・言語学者。本名、林和楽。福建の人。ジャーナリストとして活躍。一九三六年以降アメリカに定住、中国文化を紹介。晩年は台湾・香港に住んだ。著「我国土・我国民」「北京好日」「人生をいかに生きるか」など。(1895〜1976)
本書は林語堂が、唐〜清、現代までの中国の伝奇小説・怪談などをセレクトして英訳した、アンソロジーの英語版からの邦訳である。伝奇作家としての顔ぶれを概観するためにも、中国怪談入門のためにも、便利な一冊(20篇収録)。お勧め。
8月24日 殊能将之『ハサミ男』(講談社ノベルス)
第13回メフィスト賞受賞作。歴代のメフィスト賞受賞作の中でも、最上出来かも??。
自殺衝動をあわせもつシリアルキラー〈ハサミ男〉は、既に二人ハサミで少女を惨殺しているのだが、三人目の少女を殺しにいったとき、その少女は何者かに殺害されていた。同じようなハサミを突き刺されて。シリアルキラーは、三人目の少女を殺した真犯人をみずから捜索しなければいけない羽目に陥る……。
序盤を読んでいて一つ気にかかったのが、殺された三人目の少女が〈ハサミ男〉が既に目をつけ、周囲を調査していた少女であったこと。見ず知らずの少女が同じような仕方で殺されたのなら、〈ハサミ男〉にとっては、単なる便乗犯ですむだろうが、自分が目をつけた標的が先回りされて、同じような仕方で殺されたとなると──。 真犯人は、自分の行動を知っていると考えられ、周囲に犯人がいるはずだと、考えるのが普通ではなかろうか。ところがどうしたわけか、その可能性への考察がなされないまま話が進み、最後まで読んでも、その疑問には明確な回答なかったようで、要するに偶然だったということになるのかな? だとすると、強引な偶然を話につかっているところが、ちょっとマイナスかな、と思った。謎解きものとしては、かなり上出来。
8月25日 コリン・ウィルソン『サイキック』根元靖子訳・三笠書房
大著『オカルト』の補論的作品が『三人の超能力者の話』(文庫版では「超能力(ストレンジパワーズ)」河出文庫)なら、本書と『ポルターガイスト』は、『ミステリーズ』から『超オカルト』にいたる大作を補う小品である。
『ミステリーズ』などの別の著作でも紹介されているので有名だが、脳に損傷を負ったために、突然サイキック能力を得た、ピーター・フルコスの事例は印象的である。フルコスのような事例があるとすると、脳に備わっているが眠っている潜在能力の中にサイキック能力があるという考えが成り立つ見込みが大きいことになる。しかし、フルコスは能力を得て以降、気がちって、仕事に復帰できず、定職を失うことになるから、能力者というのも大変である。その後サーカスでの透視の手品をやることで職を得るというのも、ちょっとユーモラスで、宮部みゆきが描く、能力者ほど悲壮ではないところがいいですね。近代以降の、サイキック能力者の系譜を総覧するのに、便利な一冊。
(トップにもどる)