読書録/1999年10月
10月1日 栗本薫『グイン・サーガ』1〜5巻(辺境篇)(ハヤカワ文庫)
なんとはなしに、この世界最長といわれる栗本薫の大河小説を読み始めてみた。冒頭、主人公の豹頭のグインが記憶をなくして、森の中で倒れているところから話が始まる。しかし、記憶をなくしている割には、戦いの最中に、辺境の地理をいくつか思い出すとか、二つの勢力が戦い合っているのに、記憶をなくしていれば、どちらに味方すべきか迷いそうなものなのに、最初から、味方と敵ははっきりしているようで、話がどうとでも転がせるように、グインというのはかなり結構ご都合主義 的な設定のようですね。6巻まできて、この世で最も美しいなどと絶賛されるアルド・ ナリスとかいうのが出てきたところで、ちょっと読む気力が萎えたので一休み。
10月2日 二階堂黎人『クロへの長い道』(双葉社)
今年は、例年にもまして、本格ジャンルは短編集が豊作である気がする。その一角に本書も数えられるだろう。ハードボイルド・パロディのユーモア路線なのだが、本格的な謎解き趣向がどの作品にも織り込まれている。「八百屋の死にざま」は〈見えない人〉テーマ。『贋作館事件』での「ブラウン神父の日本趣味」で扱われた、〈見えない人〉と、ある面共通した趣向があるので、比較するのも一興。「カラスの鍵」は、ガムとチョコという子どもに馴染みの深いお菓子が、うまく本筋に取り込まれている。
10月7日 野崎六助『ミステリの書き方12講』(青弓社)
本書179頁より引用。「いいミステリには必ずいい名台詞が入っているのである、もちろん。これは不変の真理。のみならず、よくないミステリにだって名セリフはあるのだ。不思議なことに。ところが、である。逆はまた真ではない。名セリフなどに無縁な名作があるんだな。これもまた認めておかねばならない真理だ」 論理的にここの箇所、おかしくないだろうか? 「いいミステリには必ずいい名台詞が入っている」という命題の逆は、「名セリフが入っているミステリは、いいミステリだ」となるはずで、この命題は否定されている。だから、逆の命題が成り立たないことになるのはいいとして。「いいミステリには必ずいい名台詞が入っている」という命題と、「名セリフなどに無縁な名作がある」とは、逆の関係にあるのではなく、相互に矛盾しあうのではないか。最初の命題の対偶は、「名セリフが入っていなければ、いいミステリではない」だから、「名セリフが入っていない、いいミステリがある」という命題とは矛盾するはずでしょう? そこが気になったけれど、ミステリを書くことを学ぶ上では、いい参考書です。
10月13日 コリン・ウィルソン『ポルターガイスト』(宮川雅訳・青土社)
近年かなり乱作しているコリン・ウィルソンの著作群の中でも、かなり書き飛ばし気味の一冊。ウィルソンを崇拝しているハワード・ドッサーの『コリン・ウィルソン』(日本教文社)の中でも、本書は書き急ぎすぎたためか、非常に誤記、間違いが多いと述べられている。『オカルト』でも、ポルターガイストは論じられていたが、大体が人間のX機能に結び付けられていた。しかし、それを離れて、霊の存在を認めるとなると、考察は非常に難しい局面にさしかかる。ウィルソンは割に気楽な思想家なので、ホイホイと目撃証言を信じて羅列してしまっているのだが。
10月15日 綾辻行人『どんどん橋、落ちた』(講談社)
綾辻行人のひさびさの作品集。ほとんど掲載時に読んでいたのだけれど、あらためて通読。作者本人の分身と思われる雅気あふれるU君との関係が、最初は仲むつまじかったのに、だんだんと疎遠ないし険悪になっていくようなのが気になるといえば気になる。最後の「あなたは違うんです」というU君の訴えは、どう解釈できるのだろう。本格ミステリを書きつづけることの困難さに直面した苦渋を表現しているのだろうか。『フェラーリが見ていた』は、作中登場人物の顔が浮かぶせいか、特におかしい。覆面をした猿のシンちゃんをピッケルで殴り殺すような人って、一体だれなんでしょうか?
10月20日 西澤保彦『夢幻巡礼』(講談社ノベルス)
西澤保彦さん、二十冊めの著作(はやい〜)。神麻嗣子シリーズの別巻のようなもの にあたり、一部キャラが重なるが、嗣子、保科らは登場しない。視点人物の主人公が 連続殺人鬼にして、作中の探偵役というのは『ハサミ男』と類似した設定。この手の ミステリを〈サイコ本格〉という名称でくくる評論も出ていたようだ。
この主人公、岸田秀かフロイトの愛読者らしく、自分とか他人の親子関係を延々と 精神分析する。母子関係の癒着とどろどろ、というのは、今までの西澤作品にもよく 出てきた構図だけれど、もっともそれが強く出てきた作品が本書である。 密室とか人間消失といった言葉が帯にあるけれども、このシリーズは超能力者が出 てくる前提なので、その世界観で密室とか人間消失を煽ってもいま一つ違うような気 がする。と言いつつ、超能力がどう絡むのか、中盤の過去の話は、超能力とは関係な さそうに進むので、超能力と絡めてどうひねるか、予想をたてたりしていたが、真相 は私の予想とは大幅に違っていた。すっきりした収束ではないが、続編を前提とした 終わり方なのだろう。
10月22日 日下三蔵・編『乱歩の幻影』(ちくま文庫)
乱歩小説という観点からのアンソロジー。この手の編集書としては実によくできて います。アンソロジストとしての日下氏の手腕は瞠目するものがありますね。 角田喜久雄の短篇は、さほど乱歩との係わりは深くない気がしたが、どれも粒揃い の逸品ぞろいで、いろんな仕方で江戸川乱歩とかかわっている。とはいえ、「乱歩を 読みすぎた男」が突出して強烈すぎるので、他の作品が霞んでしまうような気もした。
10月25日 IDRIES SHAH "THE WAY OF THE SUFIS" (Penguin Books)
国書刊行会のアンソロジー選定用にいろいろ読んでいたときに、本書は全体を通読した。イドリース・シャーは、学者としては、引用や出典をちゃんと明記しないという点で、かなり杜撰であり、原資料の歪曲・捏造をやっている疑いもある。ただ、寓話や短い物語をより美しく洗練するという才は確かにある人なので、ムラ・ナスレッディンの物語集などもシャー編纂のものが、比較してみると一番面白い(私のしる限り)。スーフィーの寓話のアンソロジーとしては、平河出版社から出た『スーフィーの物語』の姉妹篇のような話。一部私が訳したものは、そのうち刊行される本に含まれる予定なのでご期待あれ。