治験薬投与に際しての医師の説明義務

損害賠償請求事件、名古屋地裁平五(ワ)二二一八号、平12・3・24民八部判決、一部認容、一部棄却(確定)

【事実】
 訴外Aは、昭和六三年五月一六日にY1病院に勤務するY2医師の診察を受け、卵黄嚢腫瘍(卵巣癌)の進行期IV期と診断された。Y2は、直ちに手術をしても腫瘍の完全摘出は不可能と判断し、抗癌剤の投与による化学療法を採ることとした。当時、卵黄嚢腫瘍に対する標準的な化学療法は、シスプラチン、プレオマイシンおよびビンブラスチンの三つの抗癌剤を併用する方法(PVB療法)であったところ、Aの入院当時、右療法を実施するため障害となるべき所見は認められなかった。しかし、Y2は、右療法を施行せず、薬事法に基づく承認を得る前の治験薬(本件治験薬という)を使用することを決めた。
 本件治験薬は、三段階ある臨床試験のうちの第二段階(第二相)にあり、第一相臨床試験において既に、造血機能障害を来す副作用が明らかになっていた。このため第二相臨床試験の治験計画書(プロトコール)には、一回の投与量や投与間隔、他の抗癌剤との併用禁止等が定められていた。他方、本件治験薬の治療効果については、断片的ではあるが、手応えがあったとする報告や、シスプラチンに比べて少し効果が弱いかも知れないとの報告がなされていた。
 Y2は、同年五月二四日から同年九月一〇日までの間に、Aに対し、他の抗癌剤と併用して、プロトコールの規定の一・二五倍ないし一・八倍の量の本件治験薬を投与し、その間隔もプロトコールの規定に適合しない短いものであった。しかも、当時のAの身体状態は、プロトコールの定める症例選択の条件を具備していなかった。また、本件治験薬を使用するにあたり、Aやその家族に対し、薬事法に基づく承認前の治験薬を使用することや、臨床試験として本件治験薬をAに投与することを説明しなかった。
 同年九月二三日、Aは本件化学療法による骨髄抑制に伴う出血と感染のため死亡するに至った。
 そこで、Aの相続人Xら(夫および子)は、(1)Yらの本件治験薬に関する説明義務(インフォームド・コンセント原則)違反、(2)プロトコール違反、(3)臨床試験のデータ捏造および改ざんを理由に、診療契約の債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償を請求した。

 

【判旨】
 判決は、Y2が当時において標準的な治療法であったPVB療法を採用せず、十分に安全性や有効性等が確認されていなかった本件治験薬を使用したこと、および臨床試験に関するプロトコール違反につき、診療契約上の債務不履行ないし不法行為上の注意義務違反があったと述べた。他方、データ捏造・改ざんについては、それ自体を不法行為ないし債務不履行とはせず、不法行為ないし不完全履行の態様に関する事情として、慰藉料算定の際に斟酌されるにとどまると判示した。
 次に、インフォームド・コンセント原則について、次のような一般論を述べた。
 「個人は生得の権利として自己の身体の完全性の利益が認められ、承諾を与えていない介入行為から自己の身体を守る権利があり、臨床試験に限らず少なからぬ医的侵襲や危険を伴う医療行為については、これを受けるかどうかは患者が決定する権利があるというべきであり……したがって、そのような医療行為を行おうとする場合、医師は、当該医療行為の内容、必要性、危険性等について説明し、患者の同意を得る必要があるものというべきであ」る。
 これをもとに、治験薬を使用する際に医師が負うべき説明義務について、次のように判示した。
 「臨床試験を行い、あるいは治験薬を使用する治療法を採用する場合には、インフォームド・コンセント原則に基づく説明義務として、一般的な治療行為の際の説明事項に加えて、当該医療行為が医療水準として定着していない治療法であること、他に標準的な治療法があること、標準的な治療法によらず当該治療法を採用する必要性と相当性があること、並びにその学理的根拠、使用される治験薬の副作用と当該治療法の危険性、当該治験計画の概要、当該治験計画における被験者保護の規定の内容及びこれに従った医療行為実施の手順等を被験者本人(やむをえない事由があるときはその家族)に十分に理解させ、その上で当該治療法を実施するについて自発的な同意を取得する義務があったものというべきであ」る。
 本件においては、仮に治療方法等につき説明を行ったとするY2の供述を前提にした場合でも、そのような説明では「本件治験薬を使用した治療法が医療水準として定着していない治療法であること、本件治験薬と同じ骨髄毒性を有するビンブラスチンとの併用療法が高度の危険性を有することを理解させるには十分とはいえない」として、説明義務違反を肯定した。さらに、認定事実に照らせば、Y2の右供述は信用できず、「Y2はAやその家族に対し、薬事法に基づく承認前の治験薬を使用することや、臨床試験として本件治験薬をAに投与することすら説明しなかった」と認定し、この点でもY2の説明義務違反を肯定した。
 ただし、右説明義務違反による債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償については、「Y2からAやXに対し、本件化学療法が、薬事法の承認前の本件治験薬を使用し、被験者の保護のためのプロトコールの規定にも違反するような危険な治療法であることが説明されておれば、AやXにおいてこれを承諾することはなかったことが認められるから、Y2のインフォームド・コンセント原則違反行為とAの死亡との間には相当因果関係を認めることができる」としながらも、「Aが当初からPVB療法を受けたとしても、稼働能力を回復するまでに症状が改善されたということには疑問があ」るとして、逸失利益の賠償を否定し、慰藉料、葬儀費用および弁護士費用の賠償(総額三四〇〇万円)のみを認めた。

 

【評釈】
一 はじめに

 医師は、患者の身体に対して医的侵襲を伴うような医療行為を行う場合には、当該患者(または代諾権者)の同意を得なければならず、その前提として、実施しようとしている医療行為の内容や危険性について説明を行い、十分に理解させなければならない。なぜなら、患者は自らの生命・身体をどう処するかにつき自律的に判断・決定する権利を有しており、この権利を保障するためには、実施しようとする医療行為に関する正確な情報が患者に提供されることが必要だからである。医師がこの説明義務に違反した場合には、不法行為ないし医療契約上の債務不履行を構成し、損害賠償責任を負う。このようなインフォームド・コンセント原則は、今日では判例・学説により概ね承認されているといってよいであろう(1)
 ただし、右の原則が展開されてきたのは、通常の医療行為を実施する場面であった。これに対して、本件で問題になったのは、治験の場面におけるインフォームド・コンセントである。治験とは、薬事法上の承認を得る前の薬品をヒトに投与し、当該薬品の有効性や危険性等を検査することであり、純然たる医療行為とは異なる。この相違は、治験と医療契約の関係を考えた場合には、インフォームド・コンセントの法的性格の理解の仕方に少なからぬ影響を与えると考える。このような観点から、本評釈では、医療契約の目的および契約内容と治験とを比較することを通じて、治験におけるインフォームド・コンセントの法的性格および医師の説明義務の内容について考察を加える。
 なお、本件では、その他にプロトコール違反や治験データ捏造・改ざんが債務不履行ないし不法行為を構成するか等も争点になっているが、これらについては、紙幅の関係上、割愛する。

二 新薬開発と治験
 厚生労働省の調査によると、平成一二年度における日本人の平均寿命は約八一歳であり、五〇年前と比べて約二〇年も延びている(2)。このように、われわれ人間が、より長きにわたって健康で生き続けられるようになったのは、医学の進歩に拠るところが大きい。新薬の開発もそのひとつである。新薬を開発し、医薬品として市販するためには、厚生労働大臣の承認を要する(薬事法一四条)が、その前段階として、ヒトを対象とした臨床試験(治験)が実施される。もちろん、新薬開発にあたっては、前臨床試験である動物実験を入念に行うことにより、有効性や安全性が慎重に検討されるが、動物実験によって得られる結果は、ひとつの仮説にすぎず、この仮説を実証し、ヒトに投与した場合の効果を正確に把握するためには、実際にヒトに投与してみることが不可欠だからである。
 治験は、通常、第一相から第三相までに分けられる(3)。第一相試験では、少数(通常は二〇から八〇人)の健康人を対象に、臨床安全用量の範囲や最大安全量を推定する等、安全性や薬理作用の確認を行う。第二相試験では、限定された数(通常は二〇〇人以下)の患者を対象に、適応疾患や用法・用量の妥当性等を試験し、有効性と相対的な安全性を確認する。そして、第三相試験において、通常は一定数の患者群と対照群に対して比較試験を実施し、市販前における有効性と安全性の最終確認を行う。このように、治験において医薬品としての有効性や安全性、副作用などの危険性等を慎重に検査することを通じて、危険な薬品が氾濫すること、それによって多くの患者の生命・健康が侵害されるのを防止している(4)

三 治験に際しての医師の説明義務
 しかし他方で、治験では、被験者の生命・健康が危険に曝される。事実、歴史を振り返ると、人権無視の人体実験により多くの人の生命・健康が犠牲になったこともあった(椿広計ら編・これからの臨床試験四二頁以下)。そこで、治験にあたって被験者の人権を擁護するための指針や法規定が世界規模で作成されている。例えば、ナチスによる大量虐殺および人権無視の人体実験の反省に基づき、ニュルンベルク裁判において生まれたニュルンベルク原則(一九四七年)、世界医師会による「ヒトを対象とする生物医学的研究に関わる医師のための勧告」(通称ヘルシンキ宣言、一九六四年)(5)、国際人権B規約七条などがそうである。これらのいずれにおいても、治験を実施するにあたっては被験者の自由意思に基づく同意を得なければならないこと、その前提として医師に説明義務が課せられることが定められている。
 これらの動向を踏まえ、わが国においても、学説において治験における被験者の人権擁護が叫ばれるようになり、中でもインフォームド・コンセントの重要性が論じられるようになった(6)。法整備の面でも、まず平成元年に「医薬品の臨床試験の実施に関する基準」(Good Clinical Practice:旧GCP)が厚生省の通達として出された(7)。平成九年には、日米EU医薬品規制整合化会議(ICH)(8)のガイドライン(ICH−GCP)に沿う形で右通達が改定され、「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令」(厚生省令第二十八号、以下、新GCPと呼ぶ)となった。同時に薬事法八〇条の二に第四項が追加され、治験を実施するに際して右省令を遵守すべきことが明文化された(9)
 新GCPでは、インフォームド・コンセントに関して詳細な規定を置いている。これによれば、医師が説明すべき事項は、(1)当該治験が試験を目的とするものである旨(五一条一項一号)、(2)治験の目的(二号)、方法(四号)、期間(七号)、(3)治験責任医師の氏名、職名および連絡先(三号)、(4)予測される治験薬の効果および予測される被験者に対する不利益(五号)、(5)他の治療方法に関する事項(六号)、(6)治験への参加を何時でも取りやめることができる旨(八号)、および治験に参加しないことや参加を取りやめることにより被験者が不利益な取扱いを受けない旨(九号)、(7)被験者のプライバシー保護に関する事項(一〇号、一一号)、(8)健康被害が発生した場合の対処に関する事項(一二〜一四号)(9)当該治験に係る必要な事項(一五号)である。説明は、文書により行わなければならず(五〇条一項)、できる限り平易な表現を用いなければならない(五一条三項)。また、医師は被験者から質問をする機会を設け、質問に対して十分に応答しなければならない(五〇条五項)。被験者の同意についても、文書によらなければならず、被験者が日付を記入し、記名捺印または署名しなければ同意としての効力を生じない(五〇条一項、五二条一項)。もちろん、同意が、強制その他判断に不当な影響を及ぼされたものであってはならない(五二条二項)。
 右の規定に違反した場合の効果については、薬事法八七条一項一二号が罰則を定めるが、民事責任については定めがない。しかし、右の事項を全く説明せず患者の同意を得なかった場合、十分な説明をせず、または欺瞞的な説明を行い、実施されようとしている治験について患者が正しく理解しないまま同意を得た場合、同意しなければ患者に何らかの不利益が生じることをほのめかすなど自由な意思決定を阻害した状況で同意を得た場合には、民事上も損害賠償責任が生じると解される。

四 医療契約と治験の関係
 ところで、患者が医師から医療行為を受ける場合、両者の間には医療契約が存する。この医療契約と治験とはどのような関係にあるのだろうか。
 医療契約の目的は、患者の病状改善であり、契約内容は、右の目的達成に向けて医療行為を行うことである。もっとも、契約締結時においては、医療契約の内容は右のような抽象的なレベルにとどまっており、具体的な内容は医師と患者との応答や治療の経過の中で確定されていく。具体的な医療行為を行う前に医師がなす説明と患者の同意(インフォームド・コンセント)は、この契約内容の確定作業と位置づけられる(10)。また、医療契約に基づいて医師は、一定水準にある医療を提供しなければならない。その水準とは、実践としての医療水準、すなわち「専門家レベルで現に一般普遍化した医療としての現在の実施目標」である(11)
 これに対して、治験は、ある新薬(治験薬)を医薬品として市販することの是非を判断するために、当該治験薬の有効性や危険性等を検査することを主な目的としている。つまり、治験の本質は実験であり、純然たる医療行為ではない(12)。もっとも、第二相、第三相試験については、被験者が患者であることから、純然たる実験とも言い切れない面がある(13)。というのは、医師も患者も、治験薬の投与によって病状改善を期待しているのが通常であり、この点において、第二相、第三相試験は、医療契約と同様の目的も有しているからである。とりわけ、標準的な治療法によっては病状改善が期待できない患者の場合には、この目的は一層明確であろう。この意味において、第二相、第三相試験は、実験の側面と医療行為の側面とを併せ持っている。しかし、特に第二相試験以降において治験薬の有効性を検証するために時として用いられる二重盲検法による対照試験には、実験的要素が強い。この試験方法では、無作為に設定された二群の被験者に対して、治験薬と対象薬のいずれかのうち割付けられた試験薬剤が投与されるが、その際、治験薬か対照薬かが識別不能な製剤を用いて、担当医師および被験者のいずれにも使用試験薬剤が分からない状態で投薬が行われる(14)。対照薬としてプラセボ(偽薬)が用いられる場合には、実験の色彩をさらに強く帯びることになる。このことから、医療目的を有する点を承認しつつも、やはり治験の本来の性格は実験であり、その第一次的な目的は新薬のテストであるという理解を出発点とすべきであろう(15)
 また、治験において用いられる治験薬は、当然のことながら医薬品として承認される前段階のものであり、その有効性や安全性等が十分に確認されていない。疾患の改善に何ら寄与しない可能性や、予想外の副作用が現れる危険性は、承認済みの医薬品に比べてはるかに大きい。つまり、治験薬は明らかに「実践としての医療水準」に達していないのである。したがって、治験薬投与は、医療契約の内容である「医療行為」に含まれない(16)
 このように、医療契約の目的、内容のいずれの点でも治験とは大きく異なる以上、医療契約の枠内において治験を理解することは妥当でない。むしろ、治験の実施に際して、医療契約とは別個の、治験参加契約ともいうべき新たな契約が締結されると解すべきである。そして、治験に関する医師の説明は治験参加契約の申込、患者の同意は承諾に相当し(17)、ここでの医師の説明義務は、契約締結に際しての情報提供義務と解すべきである。
 なお、新GCPが施行されたことに伴い、治験の実施が難しくなったといわれている(18)。これが理由のひとつとなり、製薬会社や医療機関の側から積極的にインターネットや病院内のポスター、パンフレット、新聞等を通じて治験参加者を募集したり、治験業務を支援する治験コーディネーター(CRC)が治験参加者を募集し、医療機関等に紹介を行うケースが増えてきている(19)。また、被験者には医療費の負担が全部または一部免除されたり報酬が支払われたりする。このような近時の状況は、治験を医療契約の枠内で捉えるよりも、新たな契約に基づくものと捉える方が適切であることを示しているのではなかろうか。

五 治験における医師の説明義務
 医療契約は、患者にとってもっぱら自己の利益を目的とする契約である。これに対して、治験参加契約は、主として、新薬開発という社会全体の利益のために締結されるものである。しかも、これによって被験者はbb場合によっては標準的な医療を受ける機会を放棄してbb最も重要な法益である生命・健康を危険に曝すことになる。つまり、治験は多かれ少なかれ被験者の自己犠牲の精神に立脚しているのである(20)。そのため、治験参加契約を締結するか否かは、もっぱら患者の自由意思に委ねられなければならない。そして、このことから、通常の医療行為における医師の説明義務と比べて、(1)その内容、(2)医師の裁量権との関係について、次のような相違が存する。

(1)説明義務の内容
 治験を実施する医師には、医療契約に基づく通常の医療行為の場合以上に重い説明義務が課せられるべきである(21)。具体的な説明事項については、新GCPが規定する事項に拠るべきであるが、とりわけ重要なのは、実施しようとしている行為が純然たる医療行為ではなく開発途中の薬品の有効性等を検査する試験である旨を明示すること(新GCP五一条一項一号)である(22)。従来は、同意が得られにくくなるとの理由から、このことを曖昧にしたまま説明を行うことが少なくなかった(23)。しかし、右の事項は、患者が同意するか否かを判断するにあたって最も重要視する事項であると同時に、最も誤解しやすい事項でもある。したがって、この点をまず正しく理解させ、そのうえで試験の方法など新GCP五一条一項各号の事項を十分に説明することを通じて、安全かつ慎重に試験を実施することにつき理解を得て同意を求めるべきである。ただし、新GCPに規定された事項のうちどれかひとつでも欠落または不十分だった場合に、直ちに民事上も説明義務違反になり損害賠償責任が発生するか否かについては、個々の事項が治験参加契約の締結にとって必要不可欠な情報か否かという観点から個別に判断すべきであろう。
 説明事項とならんで重要なのは、説明方法である。右の事項を事務的に説明するだけでは、医学的知識の乏しい患者の多くは、治験の意味や内容を正しく理解できないであろう。そこで、患者の理解を確認しながら十分に時間をかけて丁寧に説明すべきであるし、専門用語をなるべく用いず平易な表現で、専門用語を用いる場合にはその意味を平易な表現で解説しながら説明すべきである。そして、適宜、質問の機会を設け、質問に対して丁寧に応答すべきである。また、例えば患者の病状が落ち着いているなど患者が冷静に判断できる状態にあるか否かも考慮すべきである。文書による説明(新GCP五〇条一項)は、説明内容を明確にし、患者に正確な理解を得させる手段として有用である。しかし、文書により説明をしなかったことや、文書による同意を得なかったことは、説明の不十分さや自由意思による同意の取得を疑わせる要素の一つにはなりうるとしても、直ちに損害賠償責任を生ぜしめるわけではないであろう。他方、説明文書の交付または同意文書の取得さえあればインフォームド・コンセントが適切に行われたと考えるべきではない。実際にどのような事項が、どのような方法で説明されたかを実質的に判断すべきである。
 なお、学説の中には、第三相試験については、治験薬の有効性と安全性が一応確認されているから必ずしも同意を必要としないとの見解もある(24)。しかし、第三相試験も、その本質が実験であることには変わりがなく、医療契約の内容には含まれない。したがって、第三相試験につき例外的取扱いを認める合理的根拠は存しない。
(2)医師の裁量権との関係
 通常の医療行為の実施については、医師には一定範囲で裁量権が認められる。すなわち、患者の病状改善という医療契約の目的を達成するために、いかなる医療行為を実施すべきかを判断するには、医療に関する専門的知見を必要とするため、このような知見を有する「専門家」としての医師の判断が尊重されるのである。また、医療の専門性ゆえ、患者は医療契約を締結することを通じて、一定の医療行為を実施することについては医師に包括的な同意を与えたとみることもできる。したがって、この裁量権が及ぶ限りにおいて、医師の説明義務は減免される。ただ、医師の裁量権の及ぶ範囲を明確にするのは難しく、そのため、医師の説明義務はしばしば裁量権との関連において問題となる(25)
 しかし、治験に関しては、医師の裁量権との衝突は問題にならない。前述のとおり、治験は、必ずしも患者の病状改善を第一目的としておらず、そのため治験への参加は、被験者たる患者の自己犠牲の精神に立脚している。そうだとすれば、治験に参加するか否かの決定は、もっぱら患者の自由意思に委ねられるべきである。また、治験への参加を医療契約とは別個の契約の締結とみる本稿の立場によれば、医療契約に基づいて、当該契約上の債務の履行(=医療行為の実施)に関して認められる医師の裁量権が、別個の契約締結に関する患者の意思決定に及ばないのは当然である。結局、治験の実施に際して医師の説明は不可欠であり、医師の裁量権という名の下に説明義務を免れることはできない。
 なお、これと関連して問題になるのは、病名告知が予後に悪影響を及ぼす恐れがある患者に対して治験を実施する場合である。このような患者に病名を告知するか否かは医師の裁量権に属する(26)としても、だからといって病名を告知しないまま治験を実施することが当然に許されるわけではない。治験に関する説明の中で病名を告知せざるをえない場合や、病名が容易に推測できるような事項に言及せざるをえない場合には、原則として当該患者に対する治験を断念すべきであろう(27)

六 本判決の評価
 本判決は、薬事法上の承認を得る前の治験薬を患者に投与するに際しての、医師の説明義務違反に関するわが国最初の判決とみられる。判決は、医師に対して通常の医療行為の場合よりも重い説明義務を課し、この義務違反を認めた。このような本判決の結論には概ね賛成である。
 しかし、本判決は、治験を医療契約の枠内で捉え、治験におけるインフォームド・コンセントを通常の医療行為におけるそれと同列に扱っている。説明すべき事項についても、新GCPに比べると具体性に欠ける。本件事件当時まだ治験に関する法整備がなされていなかったことを考慮したとしても、これらの点には不満が残る。ヘルシンキ宣言の歴史的意義や趣旨を踏まえるならば、治験と通常の医療行為とは異質なものであるとの認識を出発点として、治験と医療契約とを切り離し、治験を実施するためには別個の契約が必要であるとの立場に立つべきである。そのことが同時に、治験におけるインフォームド・コンセントの徹底にも資すると考える。
 ただし、本件事案への当てはめ――傍論ではあるものの――に見られる姿勢には支持しうる面がある。Y2の主張によれば、投与しようとしている薬品が治験段階であることや、造血機能障害が出ること等、かなり具体的かつ詳細な説明を行ったとされる。しかし、それでもなお、本判決は説明が不十分だったと認定した。このことから、本判決は、仮に治験の細部について詳細に説明がなされていたとしても、そもそも治験の本質が実験であり治験薬投与が大きな危険性を孕んだものだという基本的な部分を患者に理解させるような説明をしなければ説明義務違反になるとの立場をとったものと見ることもでき、このような立場は基本的に正当である。
 最後に、治験をめぐる法律問題としては、本判決でも問題となったプロトコール違反の場合の民事責任の成否、試験方法としての二重盲検法の妥当性、二重盲検法を被験者に説明すべきか否か、代諾の問題、同意を得た治験において患者の生命・健康に損害が生じた場合の補償問題などがある。本判決を契機に、これらの問題について本格的な議論がなされることが期待される。