言いたい放題
無責任に,言いたい放題のことを書きます。まあ,こんな毒舌が多少あっても良いでしょう。
○イラク戦争に思う
ホームページでイラク戦争に反対の意思表示をすることは,誰でもできるようになった。
しかし,テレビで流されている情報をそのまま繰り返すことは,したくない。一般市民が犠牲になっているから,反対だという話である。
もし,イラクがVXガスなどの兵器を隠し持っていたならば,どうなるか。今回の戦いでアメリカ・イギリスの課せられた条件(市民の犠牲を最小限にする)を,全く気にせず使えるとしたら,どんなことが起きるか。万単位の人間の無差別殺人ができるのである。
それを考えに入れると,この戦争でそういうリスクが減っているとも考えられる。ただし,起こっていない惨劇と,現実に起きている惨劇とを直接比較することはできない。
まず,事の発端はイラクの査察拒否にある。
査察への拒否をする→アメリカが軍事圧力をかける→査察を受け入れる→査察への拒否をする→アメリカが軍事圧力をかける....
のいたちごっこを繰り返してきた。
国連の決議をいい加減に小馬鹿にしたような態度をとったイラク政府には,手厳しい措置がとられて当然だった。
しかし,すでに経済制裁は発動されていたので,残るは軍事作戦しかない。まさか軍事作戦まではやらないだろうといった,高をくくったところがイラク政府にはあったのではないか。
だから,もううんざりだというブッシュ大統領の意見には,「その通り。」と言いたい。
国連は,イラクに対して決議を守らせる有効な手を打てなかった。唯一打つ働きをしたのが,アメリカだったとは言えないだろうか。
いたちごっこを繰り返している間に,フランスとロシアはイラクを支援し,油田開発競争を一歩リードした。(『世界の紛争地図の読み方』(河出書房新社))
今後,査察が順調に進み,生物・化学兵器の存在が否定されれば,経済制裁は解除される。フランスとロシアは,イラクの石油の恩恵を受けられるようになるはずだった。だから,フランスもロシアも戦争に反対し,査察を進めたかったはずだ。
そんなことではもはやだめで,政権ごと変えなきゃ,というのがアメリカとイギリスの立場だ。そして,戦争を始めた。アメリカとイギリスには,そういうイラク政府に対する正義の鉄槌を食らわすと言う正義があった。
戦争を始めるには,必ず,「自分は正しい」という正義がある。この場合も,その一つだ。正義があるからといって戦争を許せば,歯止めは利かない。
「イラク国民に敵意はない,イラクのフセイン大統領には政権から降りてもらう」そういうブッシュ大統領の言葉に,ウソはなかったろう。なせなら,湾岸戦争の時と違い,最初の攻撃がフセイン大統領をピンポイントで狙ったような小規模の攻撃だったからだ。
しかし,その後,事情が変わってくる。
空爆の規模が大きくなり,一般市民に対する犠牲が増えてきたからだ。
イラク政府が都市の住民を疎開させてないこと,モスクや民間施設にも軍隊を入り込ませていることも,原因になっているかもしれない。民間人を盾にした作戦である。それだけでなく,いかにピンポイント攻撃ができるといっても,誤爆の可能性が否定できるものではない。これが限界だろう。どんなに技術が進歩しても,一般市民が犠牲にならない戦闘はないことを証明した結果になった。
だからといって,このまますぐに軍を引き上げて良いかとなると,それほど単純ではないだろう。
イラク勝利となれば,その後の国際秩序はどうなるの?「国連決議なしの武力行使はだめ」という秩序はできるだろうけど,「国連の査察に協力しなくてもOK」という変な秩序になっちゃう。
私の願うのは,早期終結。フセイン大統領は国民を盾にすることなく,「国民の安全を守るために,退陣する」と表明すれば,メンツは保てる。イラク国民にとって「英雄」のままで退陣できる。双方の犠牲は最小限ですむ。
ブッシュ大統領は,イラク国民が敵意を抱いて決起するようだったら,潔く考え直す必要があるだろう。それが,「イラク国民を解放する」という目的にかなうことだからだ。
関連リンク 千人祈 反戦メッセージを集めた日本のサイト ごく一般の人達がたくさんの誌を寄せている。
○日本が核ミサイルの射程に入る
小泉首相の訪朝での最大の成果は,拉致被害者の問題にメスを入れたことと思われがちだが,そうではないだろう。
それは,北朝鮮の核開発にくさびを刺したことにあると思う。
北朝鮮からミサイルを発射し,日本の上空を飛び越えるミサイルが開発されている。それに核爆弾を取り付ければ,日本に核ミサイルを撃ち込むことが可能になる。
核兵器は,ミサイルとセットで開発されることが多い。それは,核兵器の使われ方と大きく関係する。核兵器は,自国を守るために使うことはない。攻めて自国を占領しかかった敵に,核爆弾で反撃する司令官はいないからだ。誰が自国の国土を放射能汚染まみれにするのだろうか。誰が放射能汚染された土地に,自国の軍隊を進めるだろうか。
核兵器は,他国に打ち込んでこそ意味のある兵器なのである。だから,ミサイルとセットになるのである。
「日本は核兵器を持っていません」というと,大概は信用されない。それも,日本がロケット技術を持ち,原子力関係の技術を持っているからである。その気になれば,核ミサイルの開発は簡単に出来るのである。(だが,しないことを望む。IAEAも日本を監視しているから,今のところ出来ない。)
北朝鮮政府が自国民を飢えさせても核兵器開発に走る理由は,外交取引のためである。
核兵器を開発する姿勢を見せておき,それをやめる代わりに関係各国の譲歩を引き出す。これが,瀬戸際外交である。その譲歩とは,食料援助であり,エネルギー源の援助である。
はっきり言って,身勝手な外交である。
しかし,その身勝手な外交に頼らなければ,食料もエネルギーも不足し,国全体が成り立たなくなってきているのである。
すべては,独裁政権の失敗が招いたことなのだ。
「中国上海などに学び,改革・解放路線で自国の経済を立て直す」というように,平和的に自国民のための政治を行おうとしなければ,この瀬戸際外交は続くだろう。
自国の産業基盤を独裁政権がだめにした。その責任を逃れるために,外国に支援を要請する。それには核兵器開発をちらつかせ,それを取引材料にする。
日本政府には,毅然として交渉をして欲しい。核兵器開発はやめたはずだと。
拉致被害者が日本に留まっている事に関し,「北朝鮮に返さないで,親子の絆を引き裂く」と日本政府に抗議する北朝鮮政府には,「最初に親子の絆を引き裂いたのは,そちらだろう。」と外務省官僚がやり返したそうだ。このように,道理が通らないことには,毅然としてはねのければよい。強制連行に対する謝罪と補償に関しては,合意されたように国交正常化後にやればよい。
上記の文章を書いてから,北朝鮮はIAEAの査察を拒否し,NPOからも脱退を宣言した。アメリカには,不可侵条約を求めている。核兵器開発の取りやめは,その後だという。
かつて,「核兵器の開発を止める」と約束し,重油などの燃料,原子力発電所などの施設援助を取り付けた過去の外交戦略を思い出して欲しい。
約束違反を自ら犯しておいて,勝手な言い分を当然の権利のように主張する。
これを,典型的なわがままという。自己中心的な思想も甚だしい。
そういう主張をする動機は,ただ一つ。
政府首脳陣,あるいは政府高官の保身である。
なぜ不可侵条約なのか。
アメリカが本気になって,アフガニスタンにしたようなことをすれば,北朝鮮の現政権は崩壊する。
そうなれば,今までの圧政のツケで,政府首脳,政府高官は断罪されるだろう。
それを避けるためには,現体制を維持し,圧政を続けることが必要なのである。
そのため,どうしても欲しいのが,現体制を外国から補償されることと自国民の不満を抑えるための食料・経済援助なのである。
○荒れる敬老会?
9/15は敬老の日ということで,自治体などで老人が招待される。そして,何かしらの式典が催される。
予算は組んであり,お弁当や記念品を出すなどして,参加者を集めているという。
この辺のところが,何かに似てないか?
ある自治体の会場で,参加者が私語をやめずに首長のあいさつもろくに聞いていなかったという。中には,受付で渡された弁当を食べながらという人もいたらしい。
この辺のところが,何かに似てないか?
そうである。成人式だ。
マスコミで,「荒れる成人式」が取り上げられた。
私語を続ける若者,会場で飲酒する若者が,非難された。当然といえば,当然だ。
では,私語を続ける老人,会場で弁当を食べている老人はどうだろう。
「荒れる敬老会」という特集が組まれて,非難されるようなことはあっただろうか。
物事を公平に考えるなら,日本のことを何とかしたいと思うなら,若者だけでなく老人のマナー違反も問題にすべきだろう。
若者だけがああだこうだ言われるのは,不公平である。
かくあろう私だって,若者から中年の間に属するが(完全な中年かも),話し手の熱意が伝わってこない話は聞かない。
つまらない話をされると,仕事の段取りを考えたり読書をしたりして教養を深めたりするなど,有効な時間の活用方法をとる。
つまらない話をしていても,私のペンがすらすら動いてメモを取っているように見えるとき,それは絶好調の状態で仕事の段取りを書いているのである。
ただし,私語はまわりに迷惑をかけるのでしないだろうなと思う。それぐらいは,商売柄考えるつもりだ。
その基準で行くと,いびきをかかずに居眠りというのもOKという判断になるか。日頃の疲れを解消するために。
私も非難されて然るべき立場なのだと思う。
このように,日本のだれもが式典でしっかりと話を聞くわけではないだろう。
ではどうするか。
対策は,根本的にする。
形式的に式典をするから,こうなる。
主催者は,聞き手に伝えたい熱いハートを持って,このようなイベントに臨んでほしい。
成人式なら,若者に「是非これだけは」というものを自信を持って語ろう。
敬老会なら,老人に「是非これだけは伝えたい」というものを語ろう。
著名人を呼んだり,アトラクションを用意したりする前に,熱いハートである。
それを動機として,予算を獲得し,式を行おう。
これは,私たち教師も同じで,「この授業で,これだけは分かってほしい」という熱いハートをもっていないと,うまくいかない。
ハートだけあってもうまくいかないかもしれないが,教える中身の良さが感じられないとき授業はできない。やっていてつまらない。
敬老の日の様子を聞いて,「いかに行うか」というより,「何を」という中身の方が大切なのではないかと思った次第である。
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