教員を目指すみなさんへ

1.楽しく仕事できるようになるまで

 10年来の知り合い小森栄治さんは,東京大学の大学院,工学部から中学の教師になったという。まず,普通にはない経歴だ。それだけ学生時代に強く「教員になりたい」と思ったのだろう。

 そんなことを知ると,自分が情けなくなる。

 学生のときに,「某社と契約すれば,何とか1年はくって行けそうだ。でも,大学出た他のメンバーも月に○○円でくらせとは言えないなあ。」と思い芸能界系の進路に見切りをつけ,何となく教員採用試験を受けた。

 つまり,教師になりたいと強く思ったわけでもない。なんとなくなりたかった,そんな感じだ。

 当時,私は教育学部の学生であり,半数は教員採用試験に合格していった。不合格でも,期間付講師をやりながら,2,3年で採用されていった。そんな時代で,今と比べれば教師になりやすかった時代だった。

 でも,周囲の予想通り,最初に受けた年には合格しなかった。やはり,4年間,試験の前日以外全く勉強をしない暮らしをしていたのがいたい。おまけに,年末になると取ろうとしていた免許が取れないことが分かった。

 こうなったら,もう一年大学にいよう。幸い,自分の部活では5,6年生は当たり前の世界だったので,違和感はなかった。困った部活にいたものだ。
 この5年目の大学生活は,結果的に良かった。多少は本を読めたし,ちょこっと旅行もできた。(大学の4年間は,学問より生活より何より部活を優先して,個人的な息抜きは一切排除していた。)

 もちろん,受験勉強もちょっとやれた。4年のときには試験の1週間前になって,初めて問題集を買った。それを見た後輩達が笑い転げながら,「宮内さん,留年する気ですね。」などと言っておった。
 結果的にそうなったが,この1年は勉強ができた。 
 それまで部活が忙しくて勉強のために使う時間なんぞなかった。時間があればベースを弾き,ちょっとでもうまくなりたかった。活動資金も必要だから,スポンサーになってくれそうな企業や自営業の方を訪問し,契約を取っていった。普段から顔を合わせてないと,そうそう力にはなってくれないもんだ。そんな生活から,解放された1年だった。

 そのせいか,なんとか合格してしまった。

 長い髪をばっさり切り落とし,日本中で最も勉強してこなかった教師が誕生した。この勉強量の足りなさには,いささかの自信があった。よく考えてみれば,私を雇ったことは,税金の無駄遣いかもしれない。

 結果は予想通りだ。授業も学級も滅茶苦茶。声の大きさがすさまじかったから,なんとか持ちこたえていたかもしれない。だいたい,どんなにベースが弾けたとしても,そんなもんで教師が務まるはずがない。
 若さだけでもちこたえている,そんな感じだった。

 何とかしたかったが,何とかなるようにするにはどうすれば良いかが分からない。そのための時間もない。苦労をせよと人は言うが,できる苦労とできない苦労がある。出来ないことばかりいわれても困る。

 そんなとき,向山洋一さんと出会った。正確に言えば,その著作にである。

 学生のころ,「教育雑誌には,ウソがいっぱい書いてある。実際の授業とは違う記録が創作されて書かれている。だから,真似してもうまくいくはずがない。」ということを,大して勉強もしないのに考えていた。意外にその直感は当たっていると今でも思う。

 だが,教育技術の法則化運動に関する著作だけは,向山さんの著作だけは別だった。本の通りやれば,かなりの確率でその通り行く。

 私は,この時勉強することは,ためになるものだと初めて悟ったような気がする。これは,スプートニックショックに相当する。

 以後,向山さん,そして法則化関係の書籍は片っ端から,それこそ本屋さんの棚の隅から隅まで買い尽くした。もちろん,読みまくった。そして,それをどんどん授業で試していった。

 私が教師の仕事に生き甲斐を感じ,一生続けていこうと深く心に誓ったのはこのころである。つまり,教師になって2年目くらいのことだ。一件つらそうな仕事も,楽しくこなせるようになってきた。

 勉強することが楽しくなった。記録を取ることも,めんどくさくなくなった。授業をするのは,楽しいことなんだ。クラスの跳び箱が跳べない子,みんなまとめてできるようになった。教育には可能性があるのだ。自分は勉強することにより,子どもの可能性を引き出せるのだ。

 などと思えたことは幸せだ。

 この向山さんとの出会いがなければ,私は今,教師をやっていたかどうか分からない。

(怪しい薬品から星座が出てくるという,いかにも私にふさわしいイラスト)
2.理科の本当の面白さが分かる
 一応の専門が理科となっているが,大学で理科の学習を多くとったというだけで,それほど理科が好きでもなかった。
 その私を根底から揺るがす事件が起きた。
 向山さんグループの作った理科の本を,こてんぱんに批判した人が現れたのだ。

 教科書を小手先でいじっても,何にもならない。自然科学の面白さを本当に感じられるようなプランに基づいて授業すべきだ。そんなプランをちゃんと勉強せよ。

 そのような,私たちのグループを門前払いのような扱いをしたのが左巻健男さんである。
 ふざけんな,何を言うか。そこまで言うなら,しゃあないから,あんたの著作は片っ端から読んでやるぜ。と,いきがった私は若かった。(後に,私は左巻さんの本に著者の一人として一緒に仕事をすることになる。)
 その後,向山さんにも科教協を勉強するもいいことだ,と勧められた。明治図書の樋口雅子さんにも,科教協の代表的実践家,玉田泰太郎さんの『気体は 「もの」 である』(日本書籍)を読むように勧められた。
 この本は,読んだばかりの時には良さがあまり分からなかったが,追試してみてものすごさがわかった。子どもたちと授業をしながら,自分が「もの」とは何なのかをしみじみ分かってきたのである。つまり,大学で勉強してもすっきりしなかった物質概念が,授業をしながら身に付いてきたのである。
 科学の基礎を身につけて見える世界は,ものすごかった。自分が科学の知識を駆使していけることの素晴らしさを味わった。
 だから,タイトルに『気体は 「もの」 である』と,「もの」にカギ括弧がついている理由がよく分かる。気体もものだからだ。この感動は,見えない気体が見えた人にしか分からないだろう。
 この小学校5年生と行った授業が,現在の自分を支えている。
 本格的に行った初めての授業が,玉田プランの傑作の部類に入る「気体」であってよかった。
 現在では,指導要領が変わってしまったので,この「気体」を行うことが難しくなってしまった。
 日本の理科教育界生まれて世界に誇るべきプランが,文部官僚の不勉強のために消え去ってしまうことになりそうだ。
 私は,この後中学に転勤したが,そこで何とか「気体」の授業プランを生かしたプランを作った。
 それほどやりたいプランなのである。
 この後,私は科教協の実践に目を通さずに,授業をすることがなくなった。40年の歴史を誇る科教協で鍛え上げられた授業プランを知ってしまったら,他のプランは実につまらなかった。

 理科は,実験の面白さだけではない。
 自然科学の概念,法則,事実を身につけて駆使していく高尚な面白さがあるのだ。
 それを体感できたことは,ものすごい財産を得たようだ。
 この1点だけでも,私は理科教師としてすごく幸せである。


3.教師になるなら
 教師の仕事は多岐に渡り,授業だけやればいいというものではない。
 けんかの処理から,事務仕事,校庭の草刈りまでいろいろだ。
 そんな中で,ぜひ,子供と接する仕事に生き甲斐を見つけて欲しい。
 授業でも,部活動でもそれは構わない。
 今の自分は,授業が楽しい。
 くどくど教えなくても,分かってできるようになっていく,そんな子どもたちを眺めるのは楽しい。
 こんなかんじで,自分で楽しんでやって欲しいね。
 楽しくて楽しくて,端から見ると苦労を厭わないような仕事ぶりができるようになると,すごくいいと思う。

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