ミニ旅行記1986 ヨーロッパ
(お断り:コブなし旅行記です/ミニと言いながら長いです)
卒業旅行でヨーロッパに行くことになった。どうせ行くなら、いろいろ見たい。長く旅行したい...と、初めての海外旅行なのに、手配旅行に。「地球の歩き方」を読むとなんとかなる、という感じになるのがすごい。
準備は、地球の歩き方に準拠。航空会社はアテネに就航しているなかで一番安い「アエロフロート」を予約。パスポートを取り、学生でも入れるクレジットカードを作り、海外旅行傷害保険のバラ掛け、T/Cへの両替。全て初体験。
卒業試験を受け、1986/2/9、42日間の初海外・貧乏旅行に出発した。
ロシアはまだソ連と言った。モスクワで乗り継ぎのため1泊。シェレメーチェボ2空港は、照明が少なく薄暗い。そこここに肩に銃を掛けた兵隊さんがいて、人形のように動かない。(いきなり怖いよ〜)
空港の外に出るために、パスポートを取り上げられ、金属探知機をくぐる。性能が良いのか悪いのか、時計・ベルト・指輪など金目の物を全部はずしても、ピコピコ鳴る。トランジット客がまるで「ロンドン橋落ちた、落ちた、、」のように、金属探知機のまわりをグルグル回りつづける。最後はとうとう体をパンパンとやられて、危ないものを持っていないことを確認してバスへ。きっと、ズボンのジッパーとかにさえ反応していたに違いない。バスにも銃の兵隊さんが同行し、ずっと横に付き添っている。怖いよ〜。
ホテルは空港のすぐ横。雪深いので、転ばないように歩く。ホテルは、各階の通路入り口に太ったおばさんがドンと座っていて、気軽に外出もできない雰囲気だ。部屋はふつう。バスタブの栓がないのは聞いたとおり(盗まれてしまうそうだ)。シャワーからはお湯が出たが、水がしばらく茶色だった。
東京で積みこんだ食料はおいしかったが、翌日のモスクワーソフィア経由アテネ行きの食事はうってかわって質素。パンもロシア風の固くて酸っぱいパンだった。(一口目はまずいが、かんでいると味が出てくる。)
ギリシャ。(1986/2/10−1986/2/14)
歴史を感じる街は好きだが、食べ物がまずい。あのチーズのおばけは、口に合わない。魚はおいしいが、値段が高め。ミコノス島までは、行きはクルーズ帰りはプロペラ機。エーゲ海は濃紺色。ミコノス島は建物が真っ白できれい。でも夏に行ったほうがもっとキレイそう。泳げるし。ミコノスでは免許無しで原付が借りられた。
(時差で失敗)アテネでマドリッドまでの学割航空券を買う。ユーゴスラビア航空でベオグラード乗り換え。乗り換え時、着いた時に時計を見たら次の出発時間になるところ。あせって、空港内を走る。しかし、ゲートに入れてもらえず、係りの人が「ダメダメ」というジェスチャー。さんざん「なんで?どうして?遅れる!!通して〜!!」とあせった末、係りの人が時計を指す。なんと、時差が1時間。1時間後の出発だった。1時間後にゲートを通るとき、笑われ、恥ずかしかった...。
スペイン。(1986/2/14−1986/2/20)
スーモナランハ(オレンジジュース)がおいしい。クロワッシーニとカフェコンレーチェ(クロワッサンとカフェオレ)が定番の朝ご飯。ギリシャとうってかわって、食べ物がおいし〜い。スペインで好きなのはグラナダ、アルハンブラ宮殿はいい。「アルハンブラの思い出」の曲は、この建物にピッタリ。バルセロナのサグラダファミリアも実際に見て昇ってみると、スケールの大きさにびっくりする。
旅行中一番おいしかったレストラン−トレドの RAMAN DEL RIO★★★
パエリアなら−バルセロナの LOS CARACOLES
パラドールも泊まった。バルセロナ近郊のcardona、当日バルセロナの旅行代理店に飛び込みで申し込んで予約した。スペイン人の恰幅のいいオジサンは、「パラドール、今日、近く」の単語で理解してテキパキ予約してくれた。バスを乗り継いだり大変だったが、道を聞くと、結構遠いバス停までおじいさんが案内してくれたり、親切にいっぱい出会えた。行ってみたら、高台の上にあるお城だった!当日はパラドール内のレストランで夕食。久々に優雅な食事だった。
バルセロナで、6カ国後会話集を紛失。南欧では意外と英語は通じないので、これには困った!(英語もあやしいし、まだ英語不可のイタリアが控えている)
そのことを、レストランで会った日本人の男の子6人グループにぼやくと、みんなが持っているから、1冊譲ってくれると言う。うれしい〜。いらないと言ったが$20のキャッシュを渡す。神様に見えました。
旅先で会う日本人も、日本人と見ると嫌な顔をしたり、無視する人ばかりじゃない。
スイス。(1986/2/20−1986/2/23)
スイスはスキー客がいっぱい。当然だが、寒い。ホテル代も食費も高め。貧乏人にはつらい国だ。スーパーでパンやハムを買って食べたりして自衛。
特産品のレースのハンカチは美しいが、バカ高。あきらめた。
チーズフォンデユを食べようとしたレストランでは、意思の疎通が悪く、なぜかキャンセル扱いになって出てこなかった。(推測だが、最初に持ってきた白ワインをいらない、と言ってしまったが、あれは、チーズフォンデユの一部だったのだろう、で全体がキャンセル扱いになってしまったのだろう。おにいちゃん、そう言ってよ〜、こっちは初めてでわからないのよ〜)
天候とお財布の関係で、登山鉄道に乗ってのユングフラウヨッホは行かなかった。グリンデルワルドは山がまじかにあり、いかにもスイスの風景が楽しめる。
ギリシャといい、スイスといい、やっぱり、夏にもう一度来たい。スイスの鉄道の景勝路線にも乗ったが雪が降り、霧もかかっていた。最後の日も雪だった。
インターラーケンオストからインターラーケンウェスト間の列車に乗りこみ、窓から外を見ていたら、なんと知り合いが歩いていた。
同じ列車に乗ってきたので、記念に写真を撮る。なんでこんなところで???地球は狭い...。
イタリア。(1986/2/23−1986/2/27)
ジュネーブ発ローマ行きの夜行列車で、いきなりドロボウの洗礼をうける。夜行列車の1等コンパートメントでいすを平らにして寝ていると、ドロボウがお仕事にやってくるという。朝起きると、荷物が通路のほうまで引きずり出されていてゾッ。貧乏旅行なので金目の物はなにもなく、何も盗られていなかった。貴重品は枕にしていたので、パスポートやお金は無事。同行者は、夜中、仕事中のドロボウと目が合ってしまった、と言う。「で、どうしたの?」「なんか、ニコッと笑って出て行った...。」ドロボウ恐るべし。
ローマでも、バスの中で引ったくりにあった人が大騒ぎというのも目撃。つくづく多いようだ。降りる瞬間に、バックをひったくって走り去る、というのが手のようだった。
ローマは、建物がみんないい。歩いているだけでも豊かな気持ちになる。信仰心のない人間でも、身の引き締まる思いがするバチカン、サンピエトロ寺院。階段を上りきったところからのローマのながめはすばらしい。システィーナ礼拝堂は一部修復中で足場があった(ちょっと興ざめ)。「ローマの休日」は見てから行くべき。
食べ物は期待していたが、ちゃんとしたレストランに入っていないため、感動するおいしさに出会えなかった。街中の切り売りのピザは冷めていてマズイ。貧乏旅行はやだーーー。ミネストローネはおいしかったけど。
オーストリア。(1986/2/27−1986/2/28)
インスブルックで列車の乗り換えのため降りる。街はこじんまりとしていて、山がまじかに迫っている。ここで食べたホットドックはおいしかった。オーストリアのお金に小額を両替するのに苦労した。
ドイツ。(1986/2/28−1986/3/4)
フュッセンのノイシュバンシュタイン城は、普通、お城と言われて思い浮かべるお城そのもの。シンデレラが住んでいそう。ローテンブルグは小さい街。城壁の中は半日もあれば見て周れる。オモチャのような、夢のある街。列車からローレライの岩も見る。(本当に日本語で”ローレライ”と書いてある!興ざめ)ボンから、ライン川沿いを走るラインゴルトゴッタルト号に乗り、食堂車で予約制の食事をとる。おいしかった。
ドイツ人気質というのだろうか、車一台通らない道でも絶対信号を守る。一度道を渡ったら、おばサンに怒られた。今まで旅行してきた国が、車の来ない道で待つなんて考えられないところばかりだったから、すっかり身についてしまっていたようだ。怒られて「そっか、赤って渡っちゃダメだっけ...」と気付く。
ドイツでは、ほとんど個人のお家がやっているペンションのような所にとまったが、みんな部屋がピカピカ。シーツも真っ白。せっけんのにおいがほんのり。気持ちいい。これもドイツ人気質?
ソーセージとザウワークラウト(塩漬けキャベツ)はやはりおいしい。ビールは私は下戸のため飲めないが、同行者は「おいしい」と言っていた。
フランス。(1986/3/4−1986/3/11)
アウグスブルグからパリへの夜行列車は大変な混雑。とても寝られそうもないので、車掌さんにお願いして、クシエットにしてもらう。パスポートも預けるので、パスポートコントロール(出国&入国手続き)で起こされることもなく、朝までぐっすり。早朝パリ東駅ESTに着く。
すっかり元気だったので、そのままロワール古城めぐりへ。冬でも行きやすいシュノンソー・アンボワーズ・アゼールリドーを2日かけて見る。川と城の立地がみなそれぞれで、おもしろい。シノンのホテルは石の壁。レストランで、手袋を忘れたが、かわいい少年が追いかけて持ってきてくれた。クリームソースのフランス料理を初めて食べたがおいしかった。
パリへ。宿は、やはり高め。シャワーは共同で寒い。窓がちょっと割れていて寒風が...。セーヌ河、ノートルダム寺院、コンコルド広場、凱旋門、サクレクール寺院、アンバリッドのナポレオンの墓、銀杏並木、絵描きの卵たち、、、、パリは歩くだけでもロマンを感じる。エッフェル塔からの夜景もきれい。(足元は犬のフンがたくさん落ちているが)
朝は、焼きたてのフランスパンのいいにおいがして、パンが食べたくなる。カフェオレは本場なのでもちろんおいしい。カフェでは立ち飲みと席に座るのとで料金が変わるので、貧乏人はついつい立ち飲みを選んでしまう。お惣菜屋で買うお料理がおいしいので、レストランにあまり入らなかった。パリで唯一の黒星ともいえるのが、フォション。有名なケーキのお店なので入ったが、吐くかと思った。ケーキを口に入れると、砂糖のジャリジャリという音がする。甘すぎる。パリでケーキは2度と食べたくない。
ヴェルサイユ宮殿は、金ピカで大きくて、すごい。トイレがないというのが信じられない。(マリーアントワネットの時代には相当臭かっただろう...)。宮殿内はレンタサイクルで回るほど広い。広い緑の森に囲まれた、豪華な宮殿だった。
ルーブル美術館、美術の教科書にのっている実物を見られるなんて感動。しかし、気になったのは、日本人のパックツアーの行動。サッと名画のところにきて、「はい、写真とって下さい、はい、次行きますよ」と、パチパチと写真を撮って行ってしまう。カメラのレンズ越しのみで、肉眼で絵を見ていないんじゃないか?と思う。まわりはのんびりと絵を見ている中で、とても目立っていた。同じ日本人なのが、恥ずかしかった。
ルーブルで知恵熱?(ただのカゼの熱)を出し、その夜寝込む。旅行に出て、熱が出たのは初めて。人が寝込んでいるのを置き去りにして、同行者は出かけ、帰ってきた思ったら、ストリートミュージシャンのすごいのがいた!などと感動をしゃべっている。私もみたかったよー。翌日熱が下がったと思って、出かけたら、今度は下痢。パリ市内はトイレが無いので一苦労。健康が一番...。
オペラ座付近では、ブランドハンターとなった日本人の団体が何台ものバスで乗りつけるのを見た。お金持ちはうらやましい...。でも、ちょっとカッコ悪いなあ。私が来るとしたら、バスで乗りつけるのは避けよう、と思う。
キャバレーのムーランルージュでラインダンスを見たかったが、店の前をとおって、風車を見るだけにした。ここでも「団体さまのお着き〜」に出会う。日本人だけでなく外人の団体さまも多かった。この界隈は夜になると、角々に女性が立っている。
イギリス。(1986/3/11−1986/3/21)
パリサンラザール駅から鉄道−船−鉄道と乗り継ぎ、イギリスビクトリア駅に着く。パリと時差が1時間ある。イギリスはユーレイルパスがつかえない国なので、イギリス内の移動はバスにした。
ケンブリッジに行き、学園都市の雰囲気を感じながら散歩。小さな河があり、のんびり出来て良い。
夜行バスでロンドンからリバプールまで移動。同行者ともどもビートルズファンなので、リバプールは外せない。ビートルズMAPがあり、ゆかりの場所を歩く。リバプールの町自体はさびれた港町といった感じ。ピーターラビットの故郷、湖水地方にも足を伸ばした。典型的イギリスの田園風景のハイキングを楽しむ(といっても寒いので近いところのみ)。ロンドンに戻り、美術館&博物館めぐり、ミュージカル観劇、マダムタッソーろう人形館、オックスフォードやウィンザーに行ったりする。
どうしても、バーバリーのコートが欲しかったので、本店に行くが、サイズがない。店員のおじさんは、「あなたのサイズはキッズの階です」などと言う。ガーン!!バーバリーは大人と子供のコートではデザインが違うのだ。安くはなるけど、やだ。仕方ないので、カシミアのマフラーだけを買う。わびしい...。(当時、バーバリーの英国製コートは20万円くらいした。ライセンス生産のサンヨーバーバリーが7万円くらい。ライセンス生産品は裏地が違うので、見るとすぐわかる。ロンドンでは英国製が6万円くらいで買えた。)
イギリスの朝食は本当に豪華でおいしい。ベーコンと卵、トマトのソテー、シリアル、ジャムやマーマレードを添えたトースト、たっぷりのミルクティー、フレッシュオレンジジュース、おなかいっぱい毎朝食べられる。それに反して、昼食、夕食は、フィッシュ&チップス以外においしいものにめぐり合えない。パリで味をしめて、総菜屋でおいしそうに見えたものを買ったが、そのまずいこと。一品は、見た目はポテトサラダなのだが、一体なにっ???という味なのだ。どうすればあんなにこの世のものとは思えない味になるのか...。
スターライトエクスプレスを見た。これは、旧型の機関車が最新の各国のスター列車と競争して勝って、最後には恋人もできるというもの。TGV、新幹線などなどが出てくる。2年ほど後に日本にも来たが、新幹線の扱いが大分違ったようだ(日本のは見ていないが、見に行った友人に聞いた)。ロンドンでは、新幹線は出てくるなり、ペコペコお辞儀して、両手をこすり合わせて、体は細くて、カッコ悪かった。「なによ、これ〜、新幹線あんまりじゃん?」というのが見た感想。イギリス人にとってはあれが日本人の典型なのだろう。ミュージカル自体は、演技者が2F席の前をローラースケートで走り抜け、風が感じられる距離だったので、迫力があった。ストーリーは、いきなりなんで「ONLY YOUになるの?」という感じだったが。日本ではさすがにマズイと思ったのだろう、友人は「新幹線もカッコ良かったよ」などと言っていた。
大英博物館、ミイラなどエジプトの出土品が山盛り。見るのに半日かかるような量のエジプトの歴史が、ここにある。エジプト博物館なのだ。ルーブルにもミイラは2体あったし、コンコルド広場のオベリスクもエジプトのものだが、それにしても、、、。ハッキリ言ってエジプトの歴史をなぜロンドンで展示しなくてはならないのか?なぜイギリスがこれらの展示でお金をとる権利があるのか?エジプトに返すべきではないのか?そういえば、ルーブルにもギリシャの出土品が多かった。展示物のすばらしさを感じると、余計に、返すべきでは?と思ってしまう。
イギリスでストリップを見た。レイモンドレビューバーという所だった。お客は中年のネクタイをした日本人が多いようだ。女性も珍しくない。カップルで見に来ている。ショーは本当に裸になるのだが、踊りが本格的で、いやらしさは感じない。「外人は全部金髪なのね〜」などと変なところで感心する。ダンサーはみな若くてキレイ。10ポンドだったから\2,800円。
帰りの飛行機に乗る朝、チェックアウトして駅まで歩いているとき、ふと、パスポートを確認すると、ない!毎日、安宿暮らしなので、枕の下に入れる習慣がついていて、忘れてきたようだ。慌てて戻る。ちゃんと枕の下にあって、ホッ。(航空券もお金も一緒に忘れていた)空港に行ってから気付いたら、乗れないところだった...良かった〜。今まで忘れたことはなかったので、きっと、帰るというので気が緩んでしまったのだろう。
帰国(1986/3/22)
旅行費用約50万円。航空券17.8万円(アエロフロート 60日FIX)込み。
旅行時の日記帳からほんの一部を載せました。
その後、英国製バーバリーコートは、香港で手に入れた。サイズは8プチ、ちょっと大きめ。まだ大事に着ている。