備前の古墳巡り
2008年9月16日(火)

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 13日からの三連休の後に3日間の夏期休暇をとっている。
 この12日に名古屋から1歳2ヶ月になった孫の美夜ちゃんがやってきて、その相手をしていたのだが、毎日家に居ると、ただでさえ悪い体調に加えて、体力の衰えが心配である。
 美夜ちゃんと遊んでいたい気持ちはあるのだが、思い切って自転車(電動アシストつき)で古墳巡りに出かけることにした。
 朝8時出発。今日の行程は長いので、最後まで自転車を漕ぐことが出来るか、不安を抱えての出発になった。目的地は瀬戸内市北部と備前市南部の古墳である。

            
            百間川

「宮山西塚古墳」「吉井川」

 「百間川(ひゃっけんがわ;旭川の分水)」が「操山(みさおやま)」の東で大きく南に蛇行する辺りで橋を渡り、しばらく東に進んで、JR西大寺駅付近から北に進路を変える。
 75分経過した辺りで、この6月の初めに訪れた「百枝月(ももえづき)」の「宮山西塚古墳」に達する。
 この古墳は石室が立派である。石室入り口に小さな石の祠と石仏が祀ってあり、その奥の羨道途中に、なぜか蓋のない石棺が、ほぼ埋まった形で存在している。
 さらに真っ暗な羨道を進むと、カメラのストロボに照らされて大きな石組みが見える。
 そういえば、「前回訪れたとき石室奥で石組みが崩れるようないやな音がした」と思い出したとき、再び、その不気味な音がした。
 元来臆病な私は、そそくさと石室を出て、外から、しばらく内部を覗ったが、得段に不審な様子はなかった。「あれは何の音だろうか」私は何か恐ろしくなって古墳を後にした。

(後に判明した事実)
 家に帰り、その日の写真を整理していると、宮山西塚古墳の石室の天井部分に何かが写っている。
 見ると、それは巨大な「蝙蝠」であった。あの不審な物音は蝙蝠が人間の足音に驚いて、じたばたと発した音だったのである。
これで、あの音の正体が判明したが、前回の写真を改めて見ると、数匹の蝙蝠がしっかりと写っていた。
笑い話ではあるが、同時に恥ずかしいことでもある。

 そこから美しい「吉井川」の西岸に出でて、しばらく北に進む。   堤防では今年初めての彼岸花を見ることが出来たが、花は、この一株だけしか見あたらず、他は、まだつぼみも出ていない状態であった。
 途中、持ってきた地図に載っていた「百枝月遺跡」を探したが、どこにも見当たらず、尋ねるべき人影もないので、仕方なく土手沿いに戻った。
 「邑久(おく)橋」を渡り、今度は吉井川東岸を北上する。「備前大橋」の袂から堤を離れ、瀬戸内市長船(おさふね)町に入った。














    吉井川

「天王社・刀剣の森」「備前長船刀剣博物館」

 長船地区は刀剣の里で有名である。まず、「天王社・刀剣の森」を見学。天王社・刀剣の森は、「備前長船」として有名な長船地区にあり、クロマツを中心にスギ、ヒノキ、サカキ、アラカシなどの常緑樹からなる小さな森である。
 「刀鍛冶の守護神である天王社の背後に広がるこの森は、鎮守の森として地域の人々に親しまれており、国道を行き交う人々の疲れた目を癒してくれています。
 この森の松は足利尊氏ゆかりの松で、その昔(1331年)新田義貞に敗れ九州に落ちる途中、この地で再起を祈願した尊氏が、後に願いがかなったお礼に九州の日向から持ち帰り寄進した松の子孫とされ、昔から日向松と呼ばれています。
」とのこと。天王社と云うからには祭神は「牛頭天王=スサノオ」なのだろう。

 さて、今日の目的地の一つである「備前長船刀剣博物館」は、すぐ近くである。程なくその場所は見つかったが・・・「何か静かだ。誰も居ない。門が閉じてある・・・」。 
見ると、無情にも「休館日」の表示が。通常は月曜日が休館日なの だが、月曜日が祝日の時は翌日が休館日になるのだ。
 ここまで2時間ほど自転車を漕いだので疲れ、自動販売機でお茶を買い、しばらく放心状態で休憩した。
 地元の人が何人か通り過ぎるが、全員が私を見ているように思えてきた。

  天王社本殿


  天王社近くで

  備前長船刀剣博物館

「備前丸山古墳」

 この施設見学は副次的なもので、真の目的は古墳見物である。気を取り直して、そこから10分ほど東の「備前丸山古墳」(備前市)に向かった。
   ほどなく道路わきに古墳の立派な標石が建っているのが見えた。
 標高61mの鶴山を利用した4世紀後半の円墳と云うことだが、鶴山自体が前方後円墳のような形状である。本当に円墳なのだろうか。
 東西45m、南北54m。古代吉備の国東部に勢力を張っていた「上道臣(かみつみちのおみ)」の有力者の墓といわれており、特殊な装飾文様を施した家形石棺、鏡、刀剣、管玉・勾玉などの副葬品が発見されているのだが、今、竪穴式石室等は埋め戻され、見ることは出来ない。非常に残念なことである。





   石室説明図

「華光寺山(花光寺山)古墳」「天神山古墳」

 丸山古墳から2.5kmほど南に「華光寺山(花光寺山)古墳」がある。この頃から真夏の日差しがもどり、自転車でも、かなりの暑さを感じるようになった。
 古墳は一つの丘陵が道路で分断されていて、その南側の丘に位置し、上り口に古墳名を書いた石柱が建っている。
 古墳時代前期に作られたと思われる全長100mの前方後円墳で、周囲から見ると単なる林に見えるが、古墳内に踏み込んでみると3段築成と考えられる段丘が比較的明瞭に残っていた。
 後円部には円筒埴輪が3重に巡っていたそうだが、残念ながら今は存在しない。まあ、どこの古墳でも、そのあたりの事情は同じなのだが。

 ところで、前面の道路に分断された北側の丘が「天神山古墳」と云う前方後円墳であることが判明した。
 この数日後、本(「岡山の古墳」鈴木義昌著)を読んで分かったのだが、それにしても、うかつであった。
 古墳の案内標識や石柱なども無かったのだが、道路を挟んで華光寺山古墳が瀬戸内市、天神山古墳が備前市になっているので、そのあたりの事情があるのだろうか。
 昭和39年初版の古い本なのだが、それには両古墳の遠望写真が載っている。もう少し調べてから出かけたら良かったのは確かである。

  
「岡山の古墳」より、天神山古墳(左)と華光寺山古墳

 華光寺山古墳墳丘に上る


 華光寺山古墳後円部


   自転車の向こうが天神山古墳

「西大寺観音院」

 今日の目的は、ほぼ達成である。ここまで35kmほどの道のりであったが、帰りをどうするか考えた。
 一つは、ここから、ほぼ西に進路をとり、吉井川を渡って途中から南西に向かって帰る道。
 もう一つは吉井川をひたすら南下し、西大寺町から西に帰る道である。
 いずれにしても、あと30kmほど残っているのである。
 結局は、景色の良い後者の道を選んだ。途中コンビニエンス・ストアで弁当を買い、吉井川の用水である「香登川」の辺で昼食にした。
 吉井川は、岡山県の三大河川である旭川、高梁川と並び本当にいい川である。
 北側の山並み、南側の児島湾に浮かぶ島並みが綺麗である。洗い関では鵜や鷺の群れが一列で休んでいるのが面白い。


 河口近くで吉井川を渡る。西大寺町に入って「西大寺観音院」を見学した。境内の人影はまばらで、世間話をしている二人のお婆さん、本堂をスケッチしている中高年の10人くらいのグループが居るだけであった。
 資料によると「今から約1200年昔、天平勝宝3年(751)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に草案を開基し、千手観音を 安置したのが創まりです。「会陽(えよう)」即ち裸祭りは、天下の奇祭として広く知られていますが、その歴史は遠く奈良時代に始まるそうです。」とのこと。
 この冬、裸祭りの情景をTVで見たが、そのときは境内も人であふれていた。

  吉井川洗堰の鵜と鷺





「帰途に」

 西大寺の町をまっすぐ西に抜け、往路とは逆に操山の南麓をひたすら走る。最後の難所である東山峠の急坂を電動自転車の助けを借りながら抜けると、あと家までは下りの3分である。

 14時前帰宅。今日は約65kmの行程であった。電動自転車の電池は、まだ十分に余裕があったが、いくら電動でも65kmは少し度が過ぎた距離である。
 何事も「過ぎたるは・・・」で、かなり疲れてしまったが、帰ると美夜ちゃんの笑顔があり、汗を流すために一緒に風呂に入ったら疲れも吹き飛んでしまった。
 なお、今日9月16日は3年前、突然体調を崩し入院した記念日である。

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