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明日香へ |
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久しぶりの「明日香」、「大和路」散策である。この5月に大阪での会議の後、香芝市在住のOさんと会い、車で「箸墓」や明日香に連れて行ってもらい、明日香の「犬養万葉記念館」でお茶を飲んで帰って以来だから、ずいぶんと久しぶりである。
参加者は以前の勤務地で「花見の会」と云う一見優雅な名前の会の主要メンバーであった、香芝市のOさん、奈良市のFさん、大阪市のMさん、高松市のAさん、幹事兼運転責任者の滋賀県永源寺のTさんと岡山市の私の6人だが、今は各自転勤などで、ばらばらな地域に住んでいる。
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10月18日 |
| 私は7:15に家を出て新幹線で大阪へ向かった。指定席を取らずに乗り込んだ。8時前の「のぞみ」自由席は満席に近い状態だったが、何とか一つだけ空いていた3人がけシートの真ん中に席を確保することが出来た。 岡山から新大阪までは45分前後であり、近畿圏なら通勤時間といってもよいほどに近いのである。JRの在来線で鶴橋から近鉄大阪線の電車に乗り換え、桜井駅の北口に下りたのは、約束の11時にまだ1時間近くもある10:05であった。「三輪山」が正面に見え、久しぶりの大和路の空気に触れる感激がこみ上げてきた。 当たり前だが、まだ、誰も着いていない。 駅前のベンチに座り40分ほど時間をつぶしていると、MさんとAさんが現れた。Aさんは家族を隣市の橿原に残し、高松に単身赴任しており、前日は橿原に泊まっていたらしい。程なく奈良市からJR桜井線に乗ってきたFさんとも合流。懐かしい顔ぶれである。 11時丁度にTさん運転の7人乗りミニバンでOさんも到着した。今回の行動はTさんの運転するミニバンである。 行動計画は特段に出来ていなかった。この会の流儀としては、たいていの場合、誰かが大まかな場所を決め、適当に歩くのが常なのだ。それと云うのも、あらかじめ計画を明らかにしておいても、誰とは言わないが、適当にアレンジしてしまい、当人の考えが無視されてしまうことが多いためである。 そう言うと何やら、とんでもなく仲の悪い者の集まりだと思われるかもしれないが、当人たちにとって、それが一種のコミュニケーションのとり方であり、言いたい放題が言える仲であることの裏返しでもある。 桜井から明日香に向かうことだけは決まっていた。桜井周辺といえば、見所はたくさんある。明日香に向かうには「磐余(いわれ)」道(山田道)を通る。その途中にあるのが「安倍文殊院」だ。結局この寺に立ち寄ることにした。 文殊院の構内には横穴式古墳石室が2つある。特に入り口付近 もう一つの「文殊院東古墳(閼伽井(あかい)古墳)」は入り口に柵がしてあり、中には入ることが出来ないが、石組みの具合から、こちらのほうが少し古く感じられる。 文殊院は平安時代の陰陽師である「安倍清明」縁である。小高いところにある「清明堂」を見学。また、「合格の門」などもあり、受験生に霊験あらたかと言うことなのだが、Aさんが文殊院に関する笑えない話をしてくれた。内容は伏せておきたい。 文殊院といえば本堂の文殊菩薩像が有名なのだが、今回も本堂には入らずに寺を後にした。 今年の1月初め、岡山に急な転勤が決まったあと、私は明日香から逆に磐余まで歩いた。そのときは結構距離があるように思えたのだが、文殊院から明日香までは車で行くとごく近い。 「明日香資料館」近くで昼食をとった。明日香は歴史風致地区で食事をするところが少ない。資料館前のレストランが休業しており、その近くに定食屋を見つけて入った。さすがに花見の会のメンバーであるから、ビールなども注文したのはいうまでもない。勿論、運転手のTさんは飲めないのである。 ここは、以前の飛鳥小学校の校舎を利用している。入館は無料で、付近から出土した遺物や「キトラ古墳」の復元石室、「牽牛子塚(けごしづか)古墳」石室前蓋の石材などが展示してあり、ボランティアの男性が解説をしてくれるので、皆さん結構熱心に見学している。 展示館裏には「石神(いしがみ)遺跡」がある。ここは今、ただ標石と説明版があるだけだが、つい最近万葉集以前の和歌が書かれた、木簡が見つかって話題になった。そのためか、いつもは雑草に覆われた場所も綺麗に刈り込んでいる。 ここから発掘された有名な「石人像」と「須弥山(しゅみせん)石」は「飛鳥資料館」に展示されている。 そこから西に徒歩10分ほどにある「飛鳥坐(あすかにいます)神社」の階段を上る。 途中にある「力石」は、男性は左手で、女性は右 神社のすぐ西にある「飛鳥寺(安吾院)」を、がやがやと見学。Fさん以外は「飛鳥大仏」を拝観したことがあるとのことで、本堂にはFさんだけが入った。「蘇我入鹿の首塚」などを見学し車に戻る。 (入鹿の首塚と甘樫丘) 目的地についての計画はないので、次は私以外には訪れたことのないという四神壁画で有名な「キトラ古墳」を見学することにした。 甘樫丘東麓の道を「亀石」前で右(西)に折れ飛鳥駅の手前から左(南)に進み5分くらいで到着した。ここにはキトラ古墳壁画保存用の空調設備の建物があるだけで、皆さん拍子抜けの様子である。 キトラ古墳と言えば全国に名前の知れた重要な史跡であり、ここは何度訪れても何とかならないものかと考えさせる施設でもある。 元来た道を戻る。途中右手に その後も「なんだ、かんだ」と揉めながら、後で行く予定の酒蔵の近くの駐車場に車を止め、「亀石」前でお茶休憩し、すぐ東200m程にある「橘寺」へ向かう。寺では一応「二面石」や天井画をまじめに見学した。 何度も言うようだが、今回は、明日香の景色を楽しむのも目的の一つだが、特に目的地があるわけではない。本当の目的は、久しぶりに気が合う(なぜか意見は合わない;合わせない?)仲間同士の懇談(楽しいいさかい)なのである。 そのあとは、まだ少し宿に入るまでには時間があるため、私の要望で今夜の宿の「祝戸(いわいど)荘」(明日香の史跡ゾーンは高松塚・甘樫・石舞台・祝戸の各地区に分かれている)から南の山中を少しドライヴしてもらうことにした。 車で10分ほど山中に入ったが、この地区は棚田が美しいことが知られ、田んぼの畦に咲く彼岸花を撮影するために、シーズンともなると多くのカメラマンが出没するのである。 ただし、今はひっそりとしており、何人か散歩を楽しむ人の姿を見かけただけであった。私は「もし、まだ体が動くようであったら、もう一度この道を歩いてみたい」と思ったりした。しばらく走ってから「栢森(かやのもり)」から道を引き返し、17時に宿に到着した。 祝戸荘は歴史研修施設で、宿泊も出来る。部屋は斜面を利用して 私たちは20畳の大広間を持つ「額田」と云う部屋に泊まった。風呂に入った後、食堂でお酒を飲みながら1時間ほど食事し、部屋に戻った。部屋は少々騒いでも隣に迷惑がかからないようになっており、昼間酒蔵で購入したお酒を飲みながら深夜まで談笑した。なかなか話も尽きないのだが、翌日に備えて0時頃就寝。 |
文殊院東古墳 清明堂 石神(いしがみ)遺跡 飛鳥坐神社 安吾院 二面石 天井画 |
10月19日
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| 翌日は、歳のせいもあってか、全員目覚めが早く、6時過ぎには起きた。Tさんは、いつもこまめに行動する人で、宿周りの散歩に出かけたが、その他の者は、いつもの事ながら、ものぐさ揃いで特に何にもせず、朝食の後9時頃宿を出た。 この巨大な前方後円墳は、全国でも6番目、奈良県では最大の古墳なのだが、天皇陵等に治定されていない。そのため宮内庁の管轄から外れ、墳丘上に登ることが出来るのである。ただし、その分管理が行き届かず、以前は畑になっていたとのこと。また、国道が前方部の北西隅の一部を削り取って通っている始末である。墳丘上からは、遠くに「二上山」が、近くに「甘樫丘」、「畝傍山」などの山々が見渡せ、絶好の史跡ビューポイントである。 後円部の石室内に石棺が2基あるため、古くはこの古墳を「天武・持統天皇合葬陵」とされた時期もある。さらに最近では「欽明天皇」陵であるとの説もあるが、このすぐ近くにある「猿石」横の「梅山古墳」が欽明天皇陵に指定されているため、いまだに雑草が生い茂るままになっているのである。 奈良県で最大の古墳が天皇(大王)陵ではないとすると、一体何なのだろう。 その後は、丸山古墳から近鉄の線路を西に渡った山の上にある「益田の岩舟」を目指した。ここも私以外に訪れたこと無く、私自身も以前迷いながら一度だけ訪れただけの所である。案内人(私)の方向音痴のせいで少し道を迷ったが、車でそこらを走っているうちに何とか上り口に到着した。 歳の割には元気なTさんが石の上に上ってくれたおかげで貴重な上部の穴の写真を手に入れることが出来た。 以前ここを訪れたとき、私も何度か這い上がろうとしたのだが、体力不足で、滑り落ちてしまい、撮影を断念していたのである。ただし、傍らに「上ってはいけない」旨を書いた看板があったことを付け加えておきたい。 ここでは、諸説ある石の正体を詳しく説明するのは省くが、石を90度傾けると、同じ山系の南側にある「牽牛子塚古墳」の石室とよく似た造りである。 多分巨石を利用して、合葬式の石室を造ろうとしたが、何らかの理由(ひびが入っているそうだ)で途中放棄したものと推測される。ただ、このような山の中にある不思議な石として、皆さん話の種にはなったことだろう。 ここでは2年ほど前までこの辺りに済んでいた、Aさんが案内をしてくれた。宮跡のコスモスの花が盛りで、うららかな天気に良く映えている。 さて、今日の最後は桜井から東に延びる「初瀬街道」から南に入ったところにある「室生寺」である。このお寺は「女人高野」として、よく名前が知られており、「真言宗室生寺派」大本山である。春には石楠花の群生が見られ、本当に美しいところなのだ。 お寺前で昼食をとった後、境内に入る。鎧坂の石段を上り、華麗・ 二日目の行動もここで終わりである。近鉄「榛原」駅近くでお茶を飲みながら休憩を取り、翌日の休みが取れないOさんMさんとはここで別れた。 夜は、滋賀県の「永源寺」と云う有名なお寺近くに住むTさんの家にAさんFさん、私の3人は宿泊させていただいた。 家近くに古民家を利用した和洋折衷コース料理を出してくれる店があり、Tさんが予約してくれていた。ここは一晩に一組のみの予約しか受けていないそうである。珍しいおいしい料理と地酒を楽しませていただいたのだが、結局ここはTさんの接待に甘えてしまい恐縮である。 最近改修したと言うTさん宅の快適な風呂に入らせていただいたあと、2日間の疲れか、すぐに眠ってしまった。 |
見瀬丸山古墳前方部から後円部を望む 奥の院への道 |
10月20日
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| 朝は7時頃まで寝てしまったが、私が一番早く起きて、谷あいにあるTさんの家の周りを散歩した。なかなかいい場所である。川向こうの山は、紅葉に彩られれば、どんなにか綺麗なのであろう。 家の脇には遠くの山から引いた用水が流れ、綺麗な水が利用できる。退職後は家や周りの畑などの管理が待っているTさん頑張ってください。 Tさんのお母さん手作りの朝ごはんをタップリと食べ、すぐ上流にある大きなダムとTさんが所有している山林の中にログハウスを造ろうと遠大な計画をしている場所を見学した後、車で1時間ほどの彦根市に向った。 途中広大なコスモス畑があった。私はこれほどのコスモスを一度に見たことが無く、本当に驚いてしまった。Tさんは彦根に勤めており、毎日この道を車で往復しているのだろう。 やはり、車での3日目になると体調が崩れ、腹痛に苦しんが、せっかく初めて見る天下の名城「彦根城」である。城内の施設や天守閣など、時間をかけてTさんに案内していただいた。 有名なユルキャラ「ひこにゃ 15:30頃TさんにJR彦根駅に送ってもらい、3人は15:54の新快速電車で16:42京都へ到着。 ここで橿原と奈良市内に向かうAさんFさんと別れ、新幹線で岡山へ18時頃帰ってきたが、家ではもう何もする元気も残っておらず、とりあえず寝てしまった。 思い返すと、一生の思い出であり、本当に楽しい3日間であった。 |
永源寺ダムから西を望む |
「謝辞」 |
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久しぶりの大和路、はじめての彦根城。今回も花見の会のメンバーと楽しい思い出を共有できたことが私の財産になったと思う。皆さん口には出さなかったが、体調が思わしくない私を励まそうと気遣って企画された今回の花見の会のようである。
3日間にわたり、皆さんに心配をかけ、申し訳ないと思っている。 特に宿泊計画から車の提供と運転、案内をしていただいたTさん、ありがとう。これは口の悪いMさんも心の中で感謝していることと思います。 〜またいつか元気で、大和路を歩くことが出来ることを念じつつ〜 |
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