|
昔々、足立郡に足立庄司という長者が住んでおりました。何不自由なく暮らしていましたが、だた一つ、子どもに恵まれないために、寂しく過ごしておりました。 そこで、紀州の熊野権現さまに、子宝が授かりますようにと熱心に祈願したところ、その甲斐あって、数年後に玉のような女の子を授かりました。 長者は大変に喜んで、その子に”足立姫”と名付け、それはそれは大切に育てました。それに応えるように、姫もすくすくと美しく育っていきました。 やがて、成人した姫は、隣りの豊島郡の長者に望まれて、嫁いでいきました。 ところが、嫁いで間もなく、嫁入り道具が粗末で見劣りすると、姑になじられます。その場はジッと耐えましたが、その後も、何かにつけて辛くあたられるので、我慢しきれなくなり、数人の侍女を連れて里帰りする事にしました。 婚家を出てきてしまった足立姫は、年をとった父母のことや、これからの自分の行く末などを考えると、どうしてよいかわからず、思いあまって沼田川に身を投じてしまいました。 これを見ていたお付きの侍女たちも、次々と姫の後を追い入水し、川の底へと沈んでいきました。 その悲しい知らせを聞いた足立の長者は、川のそこここを捜しましたが、侍女たちの遺体のほかには、姫の遺体を見つけることは出来ませんでした。 大変嘆き悲しんだ足立の長者は、姫と侍女たちの菩提を弔うために出家し、諸国参拝の旅にでました。 その当て所もない旅の途中、姫の出生にゆかりのある熊野権現さまに立ち寄り、数日間おこもりをして、姫と侍女たちの冥福を祈ることにしました。 ある晩のこと、夢の中に権現さまがあらわれて、「霊木を授ける。それで仏像を作り、安置するがよい。そうすれば、姫も侍女も成仏するであろう。」とお告げになりました。 夢から覚めた長者は、早速、熊野の山を霊木を求めて尋ね歩き、光り輝く一本の木を探しあてました。長者は「これこそお告げの霊木じゃ」と、人々の手を借りその木を慎重に切り倒しました。そして「お告げが本当ならば、自分の国へ流れついてくれるように。」と念じながら、熊野の海へ投げ入れ、また、諸国参拝へと旅立ちました。 やがて、諸国参拝を終え、郷里へ帰り着いた長者は、沼田川のほとりに、かの霊木が流れ着いているのを発見し、大層喜び、権現さまのご加護に感謝しました。 ちょうどその時、おりよく、足立の地に行基菩薩が訪れてお出でになったので、足立の長者は、これまでの全てをお話しし、姫たちのために仏像を彫ってくれるようにお願いいたしました。 長者の話を終わりまで聞いた行基菩薩は、姫や侍女たちを哀れに思い、長者のたっての願いを聞き入れました。そして「私が御仏を彫り終わるまでは、誰も来てはならない」と部屋にこもり、一夜のうちに六体の阿弥陀仏をお作りになりました。 その上、余った木で、阿弥陀仏一体と、観音仏一体もお作りになり、長者にお授けになりました。 足立の長者は大層喜び、屋敷の近くに仏堂を建て、これらの仏像を安置して、朝夕の供養も怠らなかったと言うことです。 また、菩薩のお話に従って、姫が日頃愛用していた菩提樹で作られている数珠を姫の墓所に埋葬したところ、一夜にして菩提樹が生えてきたそうです。いまでも、この木が足立姫の墓所の側に「一夜菩提樹」として残っています。 |
|
・この足立姫の墓所があるのが、性翁寺です。 ・性翁寺には、余った木で作られた”木余り陀仏”と呼ばれる阿弥陀仏が、安置されています。 ・先に作られた六体の阿弥陀さまは、付近の六ヶ寺に、それぞれ安置されています。 ・沼田川は、一説に荒川に流れ込んでいた川だと言われています。 |
