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昔々、大川(荒川)には橋がありませんでしたので、ここを通る人々は、舟でこの川を渡っていました。 その日も、船着場には、川を渡ろうとする人々が、向こう岸へ行っている渡し船を待っていました。その中には、ひとりの絵師も居りました。その絵師は、待っている間のひまつぶしに、岸辺の砂に大きな亀を書いたのでした。 やがて、舟が戻ってきました。舟は待っていた人々を乗せて、また川をゆっくりと向こう岸へと進んでいきました。 ところが、静かだった水面が突然大きく波立ち、大渦が起こりました。舟は激しく揺すぶられ、乗っている人々は、大層慌てて舟にしがみつきました。船頭も、必死にもとの岸辺へと、舟を戻しました。 「いったい、どうしたことだ!」乗っていた人々は、気味が悪がって、みな舟から飛び降りました。そして、あたりを見まわすと、先ほど絵師が砂に書いた大亀が消えており、その後には大きな亀の足跡だけが残されていたそうです。 それから、この大亀は人々から「大川の主」と呼ばれ、長いことここにすみついていたという事です。 |
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千住大橋(日光街道・国道4号線)は、隅田川にかけられた最初の橋です。 当時、隅田川の流れは複雑で、よく荒れる川でした。しかも、地盤は固い所もあり、橋杭を打ち込むのに大変苦労したそうです。完成時、一部の橋脚と橋脚の間が、特に広く作られていました。それにはこんな話がありました。 この川には、ずっと昔から、川の主といわれる大亀が住んでいました。ちょうど、橋の造られた付近の川底が、その大亀のすみかで、打ち込む橋杭が大亀の甲羅にぶつかってしまうので、打ち込めないのだと言われていました。 いくら打ち込もうとしても、橋杭は入っていかず、そうこうしているうちに、杭は川の流れに押し流されて倒れてしまいます。その為、付近で作業をしていた船は転覆し、乗っていた人夫は、その度川へ放り出されてしまいました。 そこで、その場所を避け、岸辺に寄った方へ杭を打ち込むと、苦もなく橋杭を打ち込むことが出来たと言うことです。 この岸に寄せられた杭は、岸辺から三番目の杭で、その広くあけられた三番目と四番目の杭の間は「亀の間」と呼ばれていたそうです。 千住大橋完成後も、川を行き来する舟が、橋の近くで転覆したり、橋脚にぶつかるようなことがあると、人々は、川の主の大亀が舟をひっくり返したのだなどと言って、おそれていました。 橋の上から川の流れを見た人の中には「潮が上げ下げするような時には、橋脚のあたりで大きな渦を巻いている。きっと大亀が川底で波をおこしているのだろう」と言う人もいたそうです。 |
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昔々、隅田川には、一匹の大きな緋鯉がいたそうです。その緋鯉は、小さな鯨ほどの大きさで、鮮やかな緋色をしていましたので、かなり深いところを泳いでいても、その雄姿で、舟で川を行き来する人々の目を楽しませていたということです。 この大緋鯉を、川沿いの人々は大川の主と親しみを込めて呼んでいました。 ところが、ここに千住大橋をかけることになり、橋杭を立てはじめると、困ったことに橋杭と橋杭の間が狭いため、大緋鯉が通れなくなってしまったのでした。 大緋鯉が無理に通りますと、その度に、立てたばかりの橋杭がグラグラと倒れそうになるのです。 工事をしていた人は、困ってしまい、付近の船頭たちに頼んで、大緋鯉を捕まえようとしました。ところが、網に追い込まれた大緋鯉は、ものすごい力で暴れ回ります。船頭たちも逃がしてなるものかと、網の中の大緋鯉を櫓で、叩いたり突いたりしましたが、いっこうに大人しくなりません。しまいには、鳶口を持ち出し、大緋鯉の目に打ち込んでしまいました。しかし、大緋鯉は網を破って逃げていってしまいました。 しばらく姿を見せなかった大緋鯉ですが、片目を失っても、傷が癒えると以前にも増して大暴れするようになってしまいました。大緋鯉が橋杭にぶつかる度、橋杭は大きく揺れ動き、倒れそうになります。仕方なく、一本の橋杭を岸辺の方へ立て替え、大緋鯉が自由に泳ぎ回れるようにしてやると、その後、大緋鯉は橋杭にぶつかることはなくなったという事です。 |
