
古今保育園事情? その1
梅雨にはいったようでなんだかだるいうっとうしい季節です。
クリニックは昭和区のいわゆる名古屋でも山の手にちょっと近い場所にあります。うちへおいでのお子様たち、いつもどこの保育園幼稚園行ってるの?とお聞きし、たいていどの子がどこと覚えておりますが、多くの(20を超す数?)園からお越しいただいております。少子化、出生率1.29!で幼稚園は今後園児をいかに集めるか、それぞれ特色をいかして目の肥えた親に選ばれるよう競争もきびしくなっていくのでしょうか。一方保育園の事情はどうでしょう、乳児保育の受け入れをめぐる状況はお母様方からお聞きするかぎりではうちのこどもたちをお願いするのに大変だった20年前とさほどかわりないようで、妊娠がわかった時点ですぐ入園をお願いに行った、兄弟別々になった、待機で入園できずにいるというお話はきいておりませんがベビ-ホテルにお預けの方もおられるようです。なんとか入園できたものの入ったとたんにしょっちゅう熱をだして、あずかってもらえず、ようやく気管支炎が入院手前で治って登園したとたん水ぼうそうにかかってしまい、”わたししかみる人いないしもう休めないし-!仕事くびになっちゃう、センセ-どうしよう?”と半泣きのはるかママ。
育児休暇制度も、自営をのぞきパパが育児休暇とって専業主夫やっておられたケ-スはこれまでの私の知るかぎりではでお一人だけです。”病児保育、ここではやってないんですか?”と聞かれることもしばしば。名古屋市の補助もない現状で病児保育をやっておられる先輩先生もおみえでそのご努力に頭が下がる思いですが、うちの現状では困難です。市内の保育園で24時間保育!近くでも深夜12時までの保育を始められた保育園もあるとお聞きし、働くママ、パパをを取り巻く社会情勢はますます厳しくなっており保育園もそれに対応する大変な努力をされているのでしょうか。
20年前ちょうどうちの娘たちを預けてたころは、ポストの数ほど保育所を!という保育運動のなかで共同保育所を認可させてきた時でした。親も保育士も、当時はたらいていた南生協病院小児科もいっしょになって、子どもたちにとって最高の保育環境、子育て、子どもの病気のみかた、予防のしかたなど父母、保育師が勉強し、双方の信頼の下に病児保育という形式はありませんでしたが病気でも軽い子はあずかってくれたりしていました。みなみ子ども診療所長だった堀江先生の”社会小児医学”の実践ともいうべき”病気の子どもにも保育を受ける権利があり、親にも働く権利がある”とおっしゃっていたことばは今も心にのこります。(今頃先生の偉大さがわかりかけ、研修後も先生の下にもどらず不肖の弟子で本当に申し訳ありませんでした)
うちの娘たちも自分も運良く丈夫で、産休以外ほとんど休むこともなく仕事を続けられましたが、瑞浪の実家の親には毎週1-2日泊まりがけで名古屋に来てもらいそのときを月5-10回!の当直、待機にあててました。もちろん”父ちゃんお迎え日”も週一日あり、当時コンビニはなくほかほか弁当ができた頃で、いつも子連れで来るので父子家庭と同情されてヤクルトおまけしてもらったり、ものごころつき初めた長女はとっても恥ずかしかったとか、、また当時は延長保育、夜間保育はなく近くのおばさんにほとんど毎日二重保育をお願いしてました。思い返してみても周囲の協力と保育園に対する絶対の信頼でやってこられたのだと思います。
(次へつづく)
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