ひとりごと

 お恥ずかしいですが、自分史です

 その1(大学時代~初期ローテート研修)

 医者になってからこんなこと学んできました。ちょっと自分を振り返る意味で書いてみました。暇な方だけ読んでみてください。そして、こんなオバチャンDrなんだと関心もたれる方、共感される方、お子様つれて受診してください。

 1979年名古屋大学医学部卒業、学生当時、障害児医療研究会(それで将来障害児を診れる小児科医になろうと思いました)、女医の労働を考えるサークル(保育所運動なんかも学びました。ぜったいに女性として自立して医者を辞めずに働き続けたいと思いました)に少しだけ属していました。心から、いい医者になりたい!と思ってました。貧しく名大の女子寮で寮費月720円の生活を送ってました。もちろん実家からの仕送りなしで奨学金、家庭教師などで食いつないでいました。当時授業料は半額免除で年間18000円!(今は元国立大学でも年間52万少しでなんと30倍!)学生のころ授業料値上げ反対など最後の学生運動が盛んで、自分も教養部(当時は2年間は全学部一緒で好きな授業を選択できました)のころ自治会役員をやっていました。今思い出してもワクワクするようないろんな先輩たちとの出会いのあった青春のひと時でした。長身色白で濃い紫の上着がにあって黒縁メガネで髪をかきあげるF先輩、今想いだしてもオダギリジョーより素敵でした。でもどういうわけか今のだんな様にめぐり合い、あまり者どおしといわれましたが一目でこの人!?と23歳で学生結婚。医学部の同級生で女子は15名いましたが、私が最初の結婚でみんなびっくりだったかな。夫も大学院生で貧しくて食パンの耳や大根の葉っぱとかをただでもらって食べるような生活(ホントの話です)してましたが、チビデブスで脂肪がたっぷり(身長150cmで当時63kg体重計にのってみた最高で、実はそれ以上だったかも、過酷な小児科医生活で今は45kg切っており、あの脂肪の塊はどこに行ったのか?)生き延びることができました。以来どんな恐慌時にも生き延びる自信だけはあります。あと、患者様に向かって太ったね!とかこれ以上太ってはダメ!ときついこといえるのも自分がかつて超デブだったからで、やっぱりスリムのほうがいいし絶対やせられると実感しているからこそですので、どうぞお許しくださいね。

 1979-1980年:南医療生協とみなと医療生協で初期研修でほぼ主要全科をローテート研修しました。名大方式で当時はそれが普通と思ってましたが、他大学ではすぐに専門科を決めて入局したり、最初から基礎医学で臨床をやらなかったりがほとんどでした。いろんな科をまわる中で、じっくり考えたり患者の話をゆっくり聞いたりする科よりもちょっと器用で外科系の手技、血管確保したり救急等が向いているなと思いましたが、なにせ体力に自信がなく手も小児並みに小さいんで、指導医からその手では小児科しか無理の一言で小児科に決めました。”オミャーサンの度胸だけはよーわかった”と院長に言われましたが、度胸だけでなく少しは根性もあって、結構小心者で細かいことには気がつくのでこれまでなんとかやって来られたのかなと思います。

 2009年2月12日

 

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