アメリカについてふつふつ思うこと
〜ちっちゃなアメリカ論〜
日本の未来を創造していく上で、アメリカという国を無視して考えることはもはや不可能だろう。日本の政治・経済は、もはや、アメリカとの関係を切ることができない状態にある。そして、それはそのまま国際政治・国際経済にも当てはめることができる。それほどアメリカは大きな存在である。しかし、大きな存在ゆえにいくつかの問題を抱えている。そんなアメリカを、ぼくは、ちゃっちな知識とちっちゃな脳みそを使って解明していこうと思う。
(注意*このアメリカ論では、おそらく、自分の考えがまとまらず、論理が乱れると思われるし、また、反論したいとこが多々出てくるだろうととも思われる。もちろん、かなり大それたことを書こうとしているのはわかっているのですが、とりあえず書いてみることにします。自分のためにも。意見etcがありましたら、掲示板かメールで伝えてくださいまし。ちなみに、このアメリカ論は、まず、key
wordを出し、それについてふつふつと意見を述べるという形式となっております。しかも、書いている時期が微妙にことなるため、書き方が違ったり、各章のつながりがなかったりします。エッセーみたいに読み進んでください。引用文はすべて斜体です。)
| その1〜普遍主義〜 |
だが、普通の国はその場合、他国の体質に文句つけることをせず、自分は自分なりのしかたで経済を伸ばそうとするのである。内政不干渉の原理として知られているように、主権国家の併存する国際社会ではそれが常識というものである。しかし、アメリカにはそうした制約はあまり作用していない。その理由のひとつは、アメリカが理念に基づいて作られた国であり、その意味で普遍主義的な国であるのに加えて、多人種―それも世界のほとんどの人種―を含む国であるが故に、存在自身が普遍主義的であることに求められている。それは疑いもなくアメリカの美徳なのだけれども、アメリカの常識が世界に通用するという間違った考えをとらせることがある。
高坂正尭「外交を知らない」二つの大国
アメリカという国はむずかしい。そのむずかしさのひとつが「普遍主義」という言葉に表されていると思う。「存在自身が普遍主義的」であるために、アメリカは、自国の価値観が世界の価値観であり、アメリカの常識が世界の常識であり、アメリカの正義が世界の正義であり・・・大げさに言えば、そういう意識をもっているのではないかと思うことがある。もちろん、世界のリーダー的な役割を担っているのであるが・・・・
| その2〜明るい普遍主義〜 |
高坂正尭は「現代の国際政治」のなかでソ連を「懸念に満ちた普遍主義」、アメリカを「明るい普遍主義」という言葉で二つの大国の持つ性格を示した。
ソ連は共産主義という普遍主義的な性質を持つイデオロギーを原則としている国である。しかし、第二次大戦後、ソ連以外の共産主義国の数は少なく、大戦前、国際的な圧力にさらされていたという経験があったため、ソ連は、国際政治に対して強い懸念を持つこととなる。それに比べて、アメリカは第二次大戦に勝利をおさめ、大戦による被害も負うことはなかった。そのため、力と自信に満ちた国となる。
その違いは現状の国際政治をどう捉えるかという認識の差となって現れる。ソ連が、共産主義という普遍的な理論のために、現状を否定し革命を推進することを考えていたのに対して、アメリカは、理論としての普遍主義は持っておらず、産業革命以降に進歩していく現状をただ肯定し、ときどき、起きる問題に対処していくことによって、世界は発展するという明るい見方を持っていたのである。「明るい普遍主義」・・・アメリカの普遍主義を表すひとつのKEYであると思う。
| その3〜民主主義と戦争観〜 |
「明るい普遍主義」を持つアメリカは、民主主義が世界に広まれば国家間は平和になると考える傾向にある。それは、民主主義というシステムが人間と人間の間の争いを平和的に解決するシステム(三権分立の司法etc)をもっているからであり、国家間の争いも同様に、民主主義国同士ならば国際的な組織や外交によって問題は合理的な解決されると信じているからである。そして、民主主義でない国が平和を乱す場合、その国を徹底的に攻撃し、その国の指導者を追い出し、敵国の国民を民主的で平和な国民に再教育すれば、世界の平和は確保される。こうしたアメリカの戦争論は、南北戦争や第二次大戦のときに適用され、そして、今回のアフガニスタンにおいても見受けられる。
ちなみに、この理論を証明するかのように「民主主義国家同士の戦争はいままでない」という事実がある。ただ、この事実が偶然であり、デモクラシーが普及すれば平和になるという単純な理論は疑わしいという意見もある。
| その4〜保守的なところ〜マイルとポンド〜 |
アメリカという国は意外と保守的である。ITやバイオで最先端なことをやっていて、なんだか、生活全般おいてもコンサバから程遠いようなイメージがあるけれども、本質的な部分は保守的である。日本人よりも性質(たち)が悪いほどの保守的なところがあると思う。たとえば、マイル。世界的にメートル統一しようと決めたのにアメリカの道路標識はいまだにマイルだ。日本から来ると、右左の違いとともにこのマイル標識にも混乱させられてしまう。そして、ポンド。せっかく、グラムという単位で統一したのに、いまだに、牛乳とか果物とかポンドで売っている。しかも、この国ではいまだに温度は華氏である。よって、暖房を設定するのに75°Fとかなんとかいう数字で調節しなければならないのだ。ほんと、わかりにくい。ぼくなんか暖房が壊れてのかあせってしまった。
日本はというと、憲法とかなんだかで国際主義を標榜しているせいか、すぐに、寸とか尺とか近代の単位を廃止したらしい。実際、日本ではそうした一寸とか一間とかの古い単位がどれくらいだったのかも忘れらさらているようである。いまだに、残っているのは「坪」くらいのものだろう。もちろん、アメリカ政府としても、世界的に統一し決めたことなので、メートルやグラムという単位を普及させようとしたらしい。しかし、アメリカ人はよくもわるくもガンコなのだ。だから、結局定着しなかった。WTOで日本とかが”混乱するから統一してくれ”といっても、アメリカ政府は”なんとかしたいんだけどね・・・”とか言いつつ、実質、アメリカ政府はあきらめてしまっているらしい。そんなアメリカ人のガンコさを見ているとほんと迷惑な話だと思うけど、すこし羨ましくも思う。日本(ぼくを含めて日本人)は”国際的に(みんなで)決められたことだから”とか”他の国(他の人)がやっているから”とかいう理由でやたらめったらと追従しすぎている気がする。たまには”がつんとおれのライフスタイルはずっとこうだったんだよ、で、これからもこうなんだ”ばりの自己主張してみたい。
話はそれてしまったけど、アメリカ人は保守的である。それは自己主張の強さに関連しているのかもしれない。しかし、その自己主張はときには単なるわがままになるときがある。そして、そうしたアメリカ人のスタイルはアメリカ政府のスタイルでももある。自己主張かわがままか・・・・。とにかく、アメリカが世界の協調体制を乱しているのも現在の状況であり、そのためにいろいろな国から反感をかっているのも事実である。
| その5〜グローバル主義??〜 |
アメリカという国は、ほんとにグローバル主義なのだろうか。これはグローバル主義という言葉の定義から入らなければならないやや複雑な問題である。ただ、日本のような国連中心主義でもなければ、EUのような国際協調主義でもないことはたしかだ。(もちろん、日本もEUも単純化はできないけれども) では、何において、グローバルなのか。それは経済の分野においてであろう。「経済至上主義」とでも呼べそうなほどの経済分野においてのグローバル化。それを体現し、実行しているのがアメリカであり、アメリカのグローバル主義なのではないだろうか。いま、アメリカはグローバルスタンダートやら自由貿易やら知的所有権やらを世界のシステムに組み込もうとしている。いい・悪いはひとまず置いといて、「経済分野におけるグローバル主義国=アメリカ」そう言えそうである。(ひと昔前までは、民主主義と資本主義だった。もちろん、いまの経済におけるグローバル化は、アメリカ的民主主義と資本主義の延長上にあるのだけれども・・・・。) このような現状をみて、ぼくは誤解を恐れずに言ってしまいたい。アメリカのグローバル主義は決して政治的なものではないのだ、と。ちょっとした論理の飛躍をしてしまうが、アメリカはいま政治界より経済界の方が力があるのだ、と。(ケネディーやらの頃と違って・・・)
| その6〜孤立主義〜 |
アメリカは孤立主義の伝統がある。イギリスと独立戦争やった後、アメリカは自立するために、イギリスなしで自国の産業を発展させなければならなかった。そのため、極力、ヨーロッパの争いに巻き込まれないようにする外交政策をとる。”大陸の違うヨーロッパからとやかく言われたくない。ヨーロッパはヨーロッパ、アメリカはアメリカなんだ。”そういうスタンスが、孤立主義と言われるアメリカの外交政策の基本となる。
だから、第一次大戦も第二次大戦もはじめから参加することはなかった。結局、参加することになるのだが、それを国民に納得させるためには、政府は国(益)を守るための戦争ではなく、正義・人道のための戦争ということをアピールする必要があった。そのスタンスは今でもかわらない。アフガニスタンは自国の安全のためというようなことをいったけど、ヴェトナム戦争も湾岸戦争も正義を守るための戦争だった。(少なくとも、名目上は。) そして、この孤立主義がときに国際社会で問題となるときがある。
<つづく>