国境の半透明性
「国境を越える」・・・このことが現代ほど容易になった時代はないだろう。いまや、一部の危険地域を除いて、私たちはどこの国へでもいくことができるようになった。移動技術の進歩で、世界はどんどん縮小しているうえ、国家間の交流は活発化する一方である。グローバル化の名のもとに、世界中の誰もがどこの国へも行ける時代が到来しようとしているのだ。
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というのは、ひとつの錯覚である。たしかに、一部のひとにとって世界中に存在する国境は透明な空気なようなものだ。私たちは、その存在すら忘れてしまうくらい、国境を自由に通過できる。しかし、それは一部のひとの話である。残りの大多数の人にとって、国境は壁となって、立ちはだかるものなのだ。まさに、見えない壁である。この現象を「国境の半透明性」という。
先進国を中心として富める人たちは容易に国境を移動できる。一方、途上国に住む貧しい人たちはそうやすやすとは国境を通過できない。これが、「国境の半透明性」の中味である。いまのアフガニスタン難民を想像すると、この状況はわかりやすいだろう。アフガニスタン国民は他の国に避難できない(←周辺国は難民を抱えたくないから)。なので、国境は見えない壁となって彼らの前に立ちはだかる。こうした避難民は国境を越えることが出来ず、パキスタンの国境沿いなどにたむろして、いわゆる難民キャンプが出来上がる。しかし、一方、先進国の住民(例えば、メディア関係者)は、アフガニスタンの内部には入れないものの(入った者もいたが・・・)、その周辺国への出入りは容易にできる。彼らにとって、国境は存在しないも同然である。ここには、歴然とした不平等が存在する。国家間の移動の自由とは、決して万人与えられたものではない。その事実を、国境を自由に通過できるものとして、心にとどめておく必要があるだろう。
(追記)アフガニスタン問題に関連して、書いてみました。