「もしも」
もしもそうでなかったとしたら!?
観客も選手も監督すらも、彼ら自身の人生に似せて、無数の"もし"を積み上げていく。
野球に「もし」はないはという。人生にもありはしないのだ。にもかかわらず、人は"もし"と考える。考えても益のないことと知っていながらやはり人は考える。"もし"と思いつづけて生きていくことはできるかもしれない。しかし、いつかその"もし"棄て去らなくてはならない日がやってくる。
沢木耕太郎「敗れざる者たち」(三人の三塁手)
ずいぶん前にも取り上げたと思われる短編集「敗れざる者たち」のなかの「三人の三塁手」からの引用である。内容は、スター長嶋とその栄光に埋もれた同時期の三塁手たちを題材としたものだ。あの時代は(沢木耕太郎の世代)、誰もがスター長嶋を目指していた、そして、現実を知り、その夢を消し去っていった。たぶん、それは、いつの時代でもそうだろう。だれもが「もしも・・・・になれたら!」という思いを抱く。そして、少しずつ自分がその「もしも」でないことに気づく。やがて、その「もしも」を棄て去っていく。ぽつりぽつりと頭をよぎることはあるけれども・・・・
この文章のあとで、沢木耕太郎はこう続けている。
「もしも長島になれたら!しかし、ぼくらはついに長嶋たりえなかった。だからだろうか、やはり長島になりえなかった二人の男に、強く心を魅かれるのは・・・・・・・」