ニュースについて



 ところが、すべてのものが世界化しいるということは、われわれの認識力や判断力に、きわめて大きな挑戦を投げかけるものなのである。なぜなら、われわれの視野には実に多くのものが、雑多に飛びこんでくる。試みに、どの一日の新聞でもよいから、それを始めから終いまで見てみるがよい。そこにはいかに多種多様のニュースが伝えられていることか。交通事故や公害問題という身近な問題、よき家庭にいかにして作るかという記事、株価の変動や新製品の計画の報道、汚職や官僚問題の非能率、国会における長たらしい審議、ベトナム戦争の戦闘と交渉、パリの混乱―まったくさまざまなニュースがそこに盛られている。もちろん、人々はこうしたニュースをすべて読むわけではない。それらの多くは、われわれと直接の関係があるわけではないからである。しかし、それらはまたっく無関係というわけでもない。なかに間接的にきわめて大きな影響を与えるものもあるのである。だから、人々はそれらのニュースに目を閉ざすというわけにはいかない。見出しくらいは見るし、ときには記事にも目を通す。とくに、そのできごとが劇的な場合にはそうである。

                                       高坂正尭「世界地図の中で考える」


忙しい時代である。ニュースにあふれて、その雑多なニュースに囲まれ、目を閉じることも出来ず、かといって、すべてを受け止めることも出来ない。自分のできる範囲で、自分に関する範囲のニュースだけにちょっとずつ耳を傾け、流れを見失わないようにする。しかも、時間は問答無用に新しいニュースを引き連れて走ってくる。ほんとに忙しい時代だ。