四代目左近小稲
後の本名は「亀井さだ」と伝わっています。

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 明治元年の小稲

四代目の左近小稲(さこんこいな)は、慶応二年新春から明治五年秋までの約6年半の間、稲本楼の「呼び出し(最高ランクの花魁)」である「小稲」を名乗りました。
江戸から明治へと移り変わり、吉原の中も外も大きく変化します。
幕府の鳥羽伏見での敗戦、官軍の東征、上野戦争、脱走軍の北上…。
そういう激動の時代の花魁です。

『吉原細見』で稲本楼に「左近」の名が登場するのは、万廷元年秋(1860年・仮宅)ですので、15歳で左近を名乗ってデビューしたという『廓雀小稲の出来秋』の一文を参考にすれば、明治元年には数えで23歳ということになります。(ただし、この左近が後の四代小稲こと〈亀井さだ〉であるかは確定できません)

*小稲の年齢ははっきりしておらず、『廓雀小稲の出来秋』は、慶応元年に15,6歳ともとれる書き方をしています。
「左近」であった期間をどうとるかによるのですが、ここでは、嘉永元年から明治半ばまでの『吉原細見』を通して見たことによる推測と、当時の『郵便報知新聞』の説(明治五年に27歳くらい)をふまえ、明治元年には「23歳」くらい、としておきます。


**左の画像
二代国貞『生写美人鏡新吉原角町稲本楼 小稲』(明治元年・個人蔵)


 「小稲」の正しい読み方

小稲は小説や漫画の中、美術史や幕末史の研究書でさえ「こいね」とルビがふってありますが、ハッキリ言って、間違いです。

正しくは「こいな」です。 これは小稲が現役当時の浮世絵を調べれば、すぐに解ることです。
どうして「こいね」と呼ばれることが定着したのかが解りません。いつからでしょうか?

明治19年の『廓雀小稲の出来秋』では、タイトルにも中の文中にも「こいな」とルビがあります。大正や昭和初期の新聞記事や彰義隊関係の本にも、「こいな」です。でも同じ文中に時々誤って「こいね」とルビふってある場合もあります。

昭和八年の子母澤寛原作の映画『伊庭八郎』にも小稲が登場しますが、その中でのセリフがどう発音していたかが気になります。

先日ちらっと読んだ、池波正太郎『幕末遊撃隊』の冒頭に登場する小稲には、ちゃんと「こいな」とありました。入れぼくろ、の話でした。

ここ十数年は、なんだかみな「こいね」と読んでいるみたいですね。現在連載中の伊庭八郎を主役とした時代劇画でも、「こいね」でした。小稲が登場していること自体は嬉しいんですけどね。

こいね、と呼んでいる人がいたら、

「コイネじゃなくて、コイナ、だよっ」

って注意してあげましょう。

余計なお世話ですね。

いつから「こいね」になったかの謎は、これから調べていこうと思います。

**右の画像
歌川芳虎 稲本楼花魁三枚組(部分)明治元年-4年頃 個人蔵

下は「小いな」と書いてあります。漢字を音としても使いますので、そのまま書けばここでは「小以奈」。


 『廓雀小稲の出来秋』

連載中のやまと新聞で確認できたもの

第一回: 十月七日 木曜日 第壱號
第二回: 十月十二日 火曜日 第弐號

第十一回: 十月廿二日 金曜日 第拾壱號
第十二回: 十月廿三日 土曜日 第拾弐號

第十六回: 十月三十日 土曜日 第拾八號

やぶれ(第十八回): 十一月二日 火曜日 第二十號


*豆知識*

※「出来秋(できあき)」=「秋、稲のよくみのった頃。収穫の季節」(新村出 編 『広辞苑』より)

小稲の後の夫・吉田駒次郎の間接的な縁者である新村出(吉田の義兄にあたる関口隆吉の実子)の編集した広辞苑で調べるのは、なかなかオツです。


 三遊亭圓朝と小稲

『廓雀小稲の出来秋』の前文を書いた三遊亭圓朝は、慶応四年の時点で現役の小稲に関する噺を残していました。

**「小稲と三遊亭円朝」の項をつくる前のモノです。
後日変更して、別の内容にします。

***

小稲のライバル 今紫(いまむらさき)

下の画像 明治三年 豊原国周筆 今紫と瀟湘の今様舞 個人蔵
仮置き 2005.10.15 後ほど別の場所へ移動します。


 小稲の行方

『廓雀小稲の出来秋』の最後には、左近小稲のその後が記述されています。

吉原を出た小稲は(明治五年秋の娼妓解放令により)、有馬屋の

(制作中)


 小稲リンク1

 稲本楼・四代目左近小稲について
*2004年初夏までの情報

明治初期の洋画の先駆者・高橋由一(『鮭』を描いた人です)の『美人〔花魁〕』もしくは『花魁図』と呼ばれる作品のモデルになった、新吉原稲本楼の四代目左近小稲の事に関しての掲示板の記事をまとめたものです。総集編Vol.1。
彼女は伊庭八郎や斎藤辰吉の脱走の手助けもしたと伝わっています。


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