小稲と三遊亭円朝
幕末から明治にかけての近代落語立役者・三遊亭円朝は
実は左近小稲を語る上で欠かせない人物なのです。

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 三遊亭圓朝の三題噺『日千両大江戸賑』

明治19年『廓雀小稲の出来秋』の前文を書いた三遊亭円朝は、実は慶応四年にも小稲に関して噺を残しています。

吉原での現役当時の小稲と円朝が、直接面識があったことが判明し、『廓雀小稲の出来秋』の内容、特に小稲や斎藤辰吉、吉田駒次郎らとの会話の内容にもある程度は信憑性を持つ確率が高まったと思います。

そして慶応四年(明治元年)という年は、その『廓雀小稲の出来秋』の最もページを割いているメインの舞台年でもあります。

絵の上の文章「三題はなし」は、3枚揃ってはじめて成り立ちます。浮世絵として考えた場合は、1枚づつでも充分素晴しいモノですが、資料としては3つを同時に見なくては駄目ですね。

以下、1枚づつ掲載していきます。

**下の画像
「日千両大江戸賑 三題はなし」 三遊亭円朝 文 豊原国周 画 慶応四年
左より「櫓千両 中村芝翫」「廓千両 稲本楼小稲」「寄千両 三遊亭円朝」
東京都立中央図書館東京誌料文庫 所蔵(画像の転載、無断使用等を固く禁止いたします)


 [寄千両 三遊亭円朝]

円朝の肖像というと、鏑木清方による晩年を描いた日本画が有名ですね。
ちなみに清方の父は、『廓雀小稲の出来秋』の作者である採菊山人です。 この辺りの人間関係、幕末・明治マニアにはたまりません。

先日購入した「落語名作全集 第二期第三巻」昭和37年 普通社発行
「三遊亭圓朝の話 - 近世名人譚 -」藤浦富太郎
によると、
「円朝の若い時分には、大髻に結ったり、緋縮緬の長襦袢をチラつかせたり、だいぶいやみな芸人風のように聞いていますが、私の知っている円朝は晩年のせいか、いやみはされておいて、芸人らしいところは少しもありませんでした。落ちついた、親切な学者という感じでした。 -略- 花を活けても庭を作らせても、家を設計させても、素人ではありませんでした。話術はのけても立派な芸術家として立てる人でした。山岡鉄舟居士の慫慂(しょうよう)で禅を修業し、心構えも十分にできていました。谷中の全生庵は山岡さんの建てた寺ですが、円朝は最初から檀家として加わっていたのです。背の高い堂々たる風采で、頭はスキ油で固めて撫でつけにしていました。若い時にはさぞ女が騒いだろうと想像される押し出しでしたね。」

この絵の円朝には、当時の町人として当たり前のことですが月代がありますから、「大髻に結ったり」の時期は、明治初めくらいかもしれません。
頭が良くてなんでも出来た人だったようですね。

また同書には
「円朝の細君はお幸さんといいまして、前身は柳橋の芸者で、一度は足のない沢村田之助の女房になったことのある人です。円朝の先妻が亡くなると、その後釜を狙った芸者は大勢あったのですが、お幸はそれらを突きのけて、無理に押しかけの形で乗りこんだ女房だそうです。」

ここでいきなり田之助と円朝の関わりも知ってしまいました。おそるべし明治時代。

「三題はなし」を解読した分を、今後順次載せていきます(現在は1番下の中村芝翫の項にあります)。

**上の画像
「日千両大江戸賑 三題はなし 寄千両 三遊亭円朝」
東京都立中央図書館東京誌料文庫 所蔵(画像の転載、無断使用等を固く禁止いたします)


 [廓千両 稲本樓小稲]

四代目左近小稲を描いたと確定できる、数少ない内の1枚です。

同じ豊原国周の作品(落款も同じ「国周筆」)である「新吉原稲本楼」3枚組に描かれた小稲とほとんど同じ顔をしています(こちらは制作年が確定できていませんが、慶応元年末-明治五年なのは落款から間違いありません。四代小稲の時期です)。

国周の「似せる」ことに誠実で、かつ力量があることが伺えます。

次項の中村芝翫は、他の国周の作品でも、もう本当に特徴あふれた同じ顔をしているんです。


**上の画像
「日千両大江戸賑 三題はなし 廓千両 稲本楼小稲」
東京都立中央図書館東京誌料文庫 所蔵(画像の転載、無断使用等を固く禁止いたします)


 [櫓千両 中村芝翫]

かなり顔や表情に特徴のある歌舞伎役者・中村芝翫です。

別項の「小稲と歌舞伎役者たち」も御参考ください。


とりあえず、ざっと読んでみた分です。
たぶん細かく間違っていると思います。
読めない部分は「○」で書きました。

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日千両大江戸賑

三題はなし

   芝居
題  よし原
   席亭

ある人が道にて○○をきけば
当時役者ハ中村芝翫(なかむらしかん)
よし原の全盛ハ
まず、これでありやしょう
これといって他にはいない
稲本樓小稲(いなもとろうこいな)さんサ
名こそ小稲といいやすが
今はいっかどの大株(おおかぶ)で
客は日にまし一粒萬倍そこで

内鏡(ないきょう)の實入(みいり)もよろしく
實(じつ)にあそこは米櫃(こめびつ)サ
まずそれどうりじやない
此のあいだ芝居と
席へ幕をやりやしたが
よゆうの○向が○つうりサ
ぜんてん稲は雀(すずめ)という注文のところ
さる人がいうのには
雀は稲の實(み)をくうからそれよりハ

どこ迄も羽を伸○ようにと
稲に鶴と光琳風の極ざんしきで
画(うつせ)しが
イヤ見事見事
ハアそれじゃあ芝居(しばゐ)や席亭(せきてい)の
量と○○大入ハやつ○り稲にあやかってのぅ
どうしてどうして
芝居や席(よせ)の大入を
作(さく)のよいのでありやしょう

応需
三遊亭圓朝 作

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**上の画像
「日千両大江戸賑 三題はなし 櫓千両 中村芝翫」
東京都立中央図書館東京誌料文庫 所蔵(画像の転載、無断使用等を固く禁止いたします)



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